僕《わたし》は誰でしょう

紫音

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第一章

疑念

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「すず? どしたー? なんか浮かない顔してんね」

 思わぬ近さから声が聞こえて、ハッと我に返る。見ると、ほんのりと吊り上がった沙耶の猫目が、至近距離からこちらの顔を覗き込んでいた。
 女の子の顔が、すぐ目の前にある。彼女のポニーテールにした髪がさらりと揺れて、甘い香りが鼻孔をくすぐる。

「あ、いや。ぼく、そんな顔してた?」

 ほのかに顔面が熱くなったような気がして、思わず彼女から目を逸らす。
 びっくりした。身体的には女の子同士とはいえ、彼女は普段から距離が近すぎる。

「そんな顔、してたよー。なんか暗ーい感じだった。何か悩んでるならいつでも相談に乗るよ? あたしたち親友だし」

 親友。
 そうなのだ。彼らにとって、比良坂すずは大事な存在。だからこそ、ぼくは彼らとこれ以上親密になるのが怖く感じてしまう。

ぼくは大丈夫。だから心配しないで。ちょっとボーっとしてただけだから」

「むー。そうやって一人で抱え込むの、良くないよ。あたしたちもさ、すずにはいっぱい頼って欲しいんだよ。じゃないと寂しいし」

 沙耶は引かない。それほどこちらが思い詰めた顔をしていたのだろうか。

「ごめん。ちょっとトイレに行ってくる」

 早くこの空間から離れたくて、ぼくは部屋を後にした。廊下に出て少しだけ迷いながら、やがてトイレにたどり着く。
 中へ入ると、綺麗に掃除された壁には小ぶりな鏡が飾られていた。そこに映った自分の愛らしい顔を見て、小さく溜め息を吐く。
 なぜ、自分は女なのだろう。

(井澤先生について行けば、何かがわかるのかな)

 彼は明日の朝六時に、病院の前で待っていると言った。
 顔に見覚えはあるものの、素性は一切わからない謎の男性。しかも、最初は嘘を吐いてこちらに近づいてきた人物だ。そんな怪しい男に果たしてついて行っていいものかどうか、考えると不安になってくる。

(いや、そもそも)

 思えば今の自分は、いつ誰に嘘を吐かれても、それが嘘が真かを見抜くことはできないのではないだろうか。

 ——比良坂すずさん、ですよ。思い出せませんか?

 最初に病院のベッドで目覚めた時、そばにいた看護師の女性はこちらのことを比良坂すずだと言った。
 その時点で、もし彼女が嘘を吐いていたとしたら?

 ——目が覚めて本当によかったわ。この三日間ずっと眠りっぱなしだったのよ。

 ——本当に何も覚えてないのか? 学校から帰宅する途中で、歩道に車が突っ込んできたんだよ。

 すぐに駆けつけた両親は、ぼくが三日前に事故に遭ったのだと言っていた。それは本当に事実だったのか?

 ——あたしは岩清水沙耶。桃ちゃんと三人で、小学校の頃からずっと一緒。

 子どもの頃からずっと一緒だったという沙耶と桃ちゃん。もしかしたら両親以上に長い時間を共に過ごしているかもしれない二人の顔を見ても、ぼくにはピンと来なかった。
 井澤先生の顔は、一目で見覚えがあると確信したのに。
 彼だけは「嘘を吐いた」と自ら明言していたが、むしろ、もっと大きな嘘を吐いている人間は、他にいるのではないか?
 
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