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第三章
本当の彼女
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——井澤くんはいいよね。男の子でさ。
あれはどういう意味だったのだろう。
放課後になって帰宅しても、彼女の言葉がずっと頭から離れなかった。
夕方には勉強がてら病院へ見学に来いと父から連絡があり、そちらへ向かったが、消毒液のにおいが充満する廊下を歩いている最中も、常に彼女のことが脳裏にちらついていた。
「井澤くん」
と、まさかの声が耳に届いたのはその時だった。
愛崎の声。
俺があまりにも彼女のことを考えすぎて幻聴でも聞こえたのかと思ったが、声のした方へ目を向けると、休憩所の長椅子に腰掛けた女の子がひらひらとこちらに手を振っていた。清楚なワンピースを纏ったその姿は、まごうことなき愛崎美波だ。
「愛崎? なんで病院に。もしかしてまた鼻にピーナッツを詰め込んだのか?」
「もう。その話は忘れてよ。今日は別に患者として来たわけじゃないから」
どうやら今日は別の用事で来たらしい。
俺が歩み寄ると、彼女は椅子の端に体を寄せ、隣にできたスペースをぽんぽんと叩く。ここに座れという意味だろう。とりあえずその通りにする。
「患者として来たわけじゃないってことは、誰かのお見舞いか?」
「ううん。今日は井澤くんに会いにきたんだよ」
「へっ?」
にひっ、と笑った彼女の顔がすぐ隣にあった。学校では絶対に見せることのない、ちょっとイタズラっぽい笑み。
彼女のこの顔を知っているのは俺だけ——そう思うと、なんだか胸の奥がくすぐったい感じがした。
「お、俺に会いに来たのか? なんでわざわざ。昼間は学校でも会ったじゃないか」
「学校だと周りのみんなが見てるでしょ。ここなら同級生とはそうそう会わないし、二人きりで話せるからさ。井澤くんにはもう本性がバレちゃってるし、今さら良い子のフリをする必要もないから、なんていうか気がラクなんだよね」
あはは、と屈託なく笑う彼女は確かにリラックスしているように見えた。もはや隠すものは何もない。俺の前でだけは、彼女は本来の自分を曝け出すことができるのだ。
「ね。井澤くんってさ、毎日この病院に来てるの? ここに来たら、いつでも井澤くんに会える?」
「いやいや。さすがに毎日じゃないって。今日はたまたま親父に呼び出されただけだし、昨日は鼻にピーナッツを詰めたアホな同級生がいるって聞いて見に来ただけだから」
彼女はどうやら俺と開けっ広げな会話をすることに味を占めたらしい。その様子を見るに、普段はどれだけ無理をして自分を押し殺しているかが窺える。
と、そこへ今度は看護師の女性が声をかけてきた。
「あら、凪くん。お父さんが捜してましたよ。早く行かないとまた機嫌を損ねちゃうかも」
「やべ。そうだった」
俺は慌てて席を立つ。父を怒らせると説教が長いのだ。
それじゃ、と軽く手を上げてその場を去ろうとすると、
「井澤くん!」
と、いつになく切羽詰まったような愛崎の声が、俺を呼び止めた。
「また、こうやって話そうよ。よかったら明日は、私の家に来てよ。親は仕事で遅いから、夜まで誰もいないしさ。一緒に宿題でもしない?」
まさかの提案だった。
いきなり家に来いだなんて。ただでさえ友達のいない俺が、よりにもよって女の子の家に。
「い、いや、でも……。俺、愛崎の家の場所なんか知らないし」
「地図を書くよ。明日、教室で渡すから」
そんな必死な彼女の様子に、俺はそれ以上何も言えなかった。
俺と二人きりで話すことが、そんなにも楽しいのだろうか?
女の子ってのはよくわからない。
いや、そもそも友達のいない俺には同級生の考えることすら想像もつかないのだけれど。
「また明日、学校でね!」
そう言って手を振る彼女は、明日俺が学校に来ることを信じて疑わない様子だった。
そんな風にされたら、俺も明日は学校をサボるわけにもいかなくなってしまう。
結局、彼女の手のひらの上で転がされているな、と思う。
けれど、なぜだかその感覚は、あまり嫌ではなかった。
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