僕《わたし》は誰でしょう

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第三章

価値観

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「いや、うーん……。それはさすがに、似合ってないと思う」

 俺は正直に言った。

 女の子の家に上がって、リビングに二人きりで、目の前の可愛いクラスメイトがスカートを捲っているというこの状況下にも拘らず、色気もへったくれもない。

「似合わない? それって、私が女だから?」

 愛崎はなおもトランクスを見せつけたまま、どこか悲しそうな声を出す。

「うん。だって、男の下着って、男が身につけるから似合うんだろ。もともとそういう風に作られてるんだろうし。愛崎みたいな女子が穿いたって似合わないよ」

「それってイメージの問題じゃない? 先入観ってやつだよ。女は女用の下着、男は男用の下着。それが当たり前だってみんなが思い込んでるから、そう感じるんでしょ。そういうイメージを取っ払ったらさ、私も似合うと思うんだよね、このトランクス」

 彼女は一体何が言いたいのだろう。

「愛崎は男装が趣味なのか? それとも鼻にピーナッツを入れた時みたいに、ふざけてるだけ?」

「ふざけてなんかないよ!」

 食い気味に、珍しく彼女が声を荒げた。

 俺は思わず体を強張らせる。
 すると彼女はハッと我に返ったような顔をして、すぐにスカートを元の位置に戻し、トランクスを隠した。

「……ごめん。びっくりしたよね」

「いや……」

 気まずい空気が流れる。
 俺はなんとかその場を取り繕おうと、次の言葉を探した。

「愛崎はさ、普段学校にいるときは本来の自分を隠してるんだろ。それって、どうしてなんだ? 今みたいに素の自分を出した方がラクなんだろ?」

 彼女は以前、『真面目なフリをするのは疲れる』と言っていた。学校で優等生を演じる彼女は、いつも無理をして仮面を被っているのだ。

「……うちのママがね、すごく人目を気にするタイプなんだ」

 ぽつりと呟くように彼女が言った。その目は足元を見つめていて、暗い陰がかかっている。

「ママは自分や家族が周りからどんな風に見られてるかってことをずっと気にしてる。だから少しでも良く見えるようにしておかないと、私も叱られるんだ」

 その発言からすると、彼女が過剰なまでに人前で本性を隠そうとするのは、どうやら母親の影響が大きいらしい。

「ママはね、人と違うことをするのが大嫌いなんだ。男は男らしく、女は女らしくしないとダメ。学生はちゃんと勉強しないとダメ。良い大学に入らないとダメ。社会人になったら仕事をして、必ず結婚もしなきゃダメ。普通の人はこうなんだって、世間一般の価値観を押し付けようとしてくる。ママは『普通』って言葉が大好きなんだよ」

 世間一般の価値観。普通はこうだという考えの押し付け。
 彼女の母親に言わせれば、まさに俺のような問題児は『異端』以外の何ものでもないだろう。

 愛崎は足元を見つめたまま、拳をきゅっと握って「でもさ」と続けた。

「『普通』なんて、一体誰が決めたんだろうね? 周りと同じことをするのが普通で、それ以外は普通じゃないってこと? だとしたらさ、それってただの多数決じゃん。多数派は正義で、少数派は悪だってこと?」

 声が震えている。怒りのせいなのか、悲しみのせいなのか、どちらなのかはわからない。

「男物の下着だってさ、別に女が穿いたっていいじゃん。私は好きでこうしてるんだから。それが普通じゃないって言われても、だから何って感じ。人と違う感性を持つことの何が悪いのか、私にはわからない」

「まあ……言われてみれば、それもそうか」

 人が何を好きでいようと、その感性を否定される筋合いはない。たとえ愛崎が男物の下着を身に付けていたとしても、それを他人がどうこう言うのはナンセンスというものだ。

「ん? でもちょっと待てよ」

 そこでふと、俺はあることに気づく。

「愛崎がそのトランクスを穿いてることは、母親に叱られたりしないのか? 洗濯の時とかに見られるだろうし、バレると思うんだけど」

 普段から人目を気にしている母親が、娘のこの行動を見逃すとは思えない。

「うん。バレてるよ。だからね、『学校で流行ってる』って嘘ついたんだ。学校のみんなもこっそりトランクスを穿いてて、それが今のトレンドだって。『みんなやってる』って言ったら、それで納得してた」

「……そんなもんなのか?」

 周りのみんながやってると言えば、それで納得する。それでは先ほど愛崎が言っていたように、多数決で物事を見ていることになる。

「馬鹿みたいだよね」

 愛崎はそう言って、少しだけ泣きそうな顔で笑った。
 
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