僕《わたし》は誰でしょう

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第三章

僕《わたし》は誰でしょう

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「凪は部活動どこに入るか決めた?」

 ゴールデンウィークが近づいてきた頃、休み時間の教室で愛崎が尋ねてきた。

 俺たちは同じクラスで、出席番号も隣同士だから、四月中の席順は前後。したがって彼女は俺の目の前の席で、後ろを振り返れば俺と目が合うわけだ。

「いや、俺はまだだけど。そういう美波はもう決めたのか?」

「僕もまだ。……ていうか、『美波』って名前は女っぽいから呼ばれるの嫌なんだけど」

 俺のことは下の名前で呼ぶくせに、自分は呼ばれたくないと主張する彼女はやはりワガママに見える。俺は折れなかった。

「『みなみ』って名前は男でも使えるらしいぞ。SNSで検索してみれば、実際にその名前の男が引っかかることもあるし」

「そうなの? じゃあ、別にいいか」

 安易なものである。せっかく親からもらった名前なのに、愛着はないのだろうか。

「で、部活どうする? まだ決めてないならさ、今日の放課後、一緒に見学に行かない?」

 愛崎改め、美波にそう誘われて、俺は二つ返事で承諾した。できることなら彼女と同じ部活に入りたい。

 この中学では帰宅部は許されておらず、誰もが必ずどこかの部活動に所属しなければならないのだ。面倒な話ではあるが、美波と一緒に過ごせるならそれも悪くはない。



 彼女に連れられていった先は、映画鑑賞部だった。専ら映画を鑑賞して感想や意見を述べ合う部活で、これならそれほど肩肘張らずに参加しやすいかもしれない。

「お集まりの新入生の皆さん、お待たせしましたー! えー、本日の上映ですけれども。今回はね、あの名作映画『僕《わたし》は誰でしょう』を鑑賞したいと思いまーす」

 自らを部長と称する男子の先輩が、プロジェクタースクリーンの前でそう説明する。

 名作映画とのことだが、俺も美波もそのタイトルに聞き覚えがない。よほど古い作品なのか、あるいは知る人ぞ知る隠れた名作なのか。

 しかし実際に上映が始まってわかったことだが、それは明らかなB級映画だった。最初に出てくる画面も、黒背景に白地の文字が浮かび上がり、その文面を名も知らぬ女優がたどたどしく読み上げるだけ。

『人の魂はどこに宿るのだろう?
 脳か、心臓か。はたまた体の全ての細胞か。』

 黒背景のまま、女優は淡々と読み上げる。BGMも何もない、ついでに言えば音質も悪い安っぽい作りだ。

『あるいは記憶に宿るのだろうか。
 もしも魂の在処が記憶にあるとすれば、自分が自分であることの証明は、過去の思い出に集約されるのかもしれない。』

 これはハズレだな、と俺は隣の美波に目をやった。

 変なところで拘りの強い彼女のことだ。きっと退屈しているに違いないと、そう思ったのだが。
 思いのほか、彼女はスクリーンに見入っていた。俺の視線にも気づかず、その瞳に映画だけを映している。

 どうやら俺の予想は外れたらしい。彼女は映画が終わるまで一言も喋らず、一心不乱にその物語を鑑賞していた。

 映画の内容は、記憶転移を扱ったものだった。
 心臓移植によって、人の記憶が別の人間に転移するというものだ。ドナーから提供された心臓を持つ主人公が、次第にドナーの記憶を思い出していく。
 フィクションの題材としてはそれほど目新しくもない、そして現実的にはまだ立証されていない現象である。

 腐っても医者の息子である俺にとって、これほど陳腐な物語はなかった。
 人は死んだらそこで終わりだ。そんな当たり前のことは小さい頃から知っている。
 臓器移植で記憶が移るなら、過去の歴史に残るような要人は皆臓器移植をしてきたはずだ。



「ねえ、凪。よかったら一緒にさ、演劇部を作らない?」

 映画鑑賞を終えた帰り道で、美波は俺にそんな提案をした。

「演劇部? なんで急に。映画鑑賞部には結局入らないのか?」

 二人でそれぞれ自転車を押しながら、俺たちは氷張川に架かる沈み橋に差し掛かっていた。

 夕焼けのオレンジ色に照らされた川原。高さのない古いコンクリートの橋。その真ん中で自転車を停め、美波はジャージが汚れるのにも構わず、橋の縁に腰を下ろした。

「今日の映画を観て思ったんだけどさ。僕、あの映画の主人公を演じてみたいんだ」

 彼女はいつになく真剣な顔で、西に沈んでいく太陽をまっすぐに見つめながら言った。

「映画の主人公って……あの心臓移植を受けた女子高生の役か?」

 俺はまだ記憶に新しいその映画の内容を振り返る。
 心臓移植を受けた主人公は女だったが、心臓を提供したドナーは男だった。そして記憶転移の影響を受けた主人公は、段々と男性寄りの思考になっていくのである。

「体は女だけど、心は男になっていく……。そのちぐはぐな感覚に、主人公は戸惑ってたよね。それって、僕の感覚にも少し似ている気がするんだ。だから、これを舞台で演じたらさ、周りのみんなにも少しは僕の気持ちを共感してもらえるんじゃないかって」

 彼女の意志はすでに固まっていた。
 しかしうちの中学にはあいにく演劇部がない。彼女の思いを実現させるためには、まず部活の立ち上げから始めなければならないのだ。

「凪。一緒に手伝ってくれないかな?」

 夕日に照らされた彼女の顔が、こちらを見上げる。可憐な瞳で、しかしその魅力を自覚していない彼女に、俺はどうしたって惹かれてしまう。

「……わかったよ。手伝えばいいんだろ」

「やった。さすがは色男」

 色男。
 褒めているつもりなのかは知らないが、彼女が俺を異性として意識していない以上、その言葉は虚しく俺の耳に響いた。
 
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