僕《わたし》は誰でしょう

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第三章

フィクションと現実の狭間で

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 部活動を一から立ち上げるのは、思っていた以上に困難を極めた。
 何よりまず、部活の申請をするためにはメンバーを六人以上集めなければならない。したがって俺と美波の二人だけでは申請することすらままならないのだ。

 顔の広い美波はクラスを問わず周りに声を掛けたが、そのほとんどはすでに別の部活動に所属してしまっていた。
 そして俺はといえば、残念ながら美波以外に友達がいない。

「これは……無理かもしれないね」

 早々に音を上げた彼女は、ならば仕方がないとばかりに奥の手を繰り出す。
 部活動がダメなら、とりあえず同好会から立ち上げようじゃないか、と。



 それから数日と経たない内に、俺たちは演劇同好会としての活動を始めた。顧問もいなければ部室もない、たった二人だけの演劇の練習。演目はもちろん『僕《わたし》は誰でしょう』だ。

 与えられた役に徹しようとする彼女は、それはもう生き生きとしていた。部室がないため練習場所はその都度変わるが、廊下だろうとグラウンドの端っこだろうと、心の底から楽しんでいるのが彼女の様子から伝わってくる。

「にしても、映画を演劇に落とし込むのって難しいんだね。脚本がないと、どれぐらいの配分でストーリーを進めればいいのかもわからないし」

 手探りで始めた活動はさっそく壁にぶち当たる。
 脚本がなければ劇を演じることができない。そんな初歩的なことに気づくまで、すでに数日を要していた。

 結局、ネット上で公開されている既製脚本を頼る他なかった。その中でも無料で利用できるものは限られており、『僕《わたし》は誰でしょう』はもちろん、自分たちの知っているタイトルはなかなか見つからない。

 あれこれ悩みながらも、二人だけでも演じられそうな短編の作品をいくつか見繕って、俺たちは改めて演劇の練習を再開した。
 美波が演じるのはどれも男の役ばかりだった。そうするとほぼ必然的に、俺は女の役ばかりになる。

 劇の中には、恋愛ものもいくつかあった。二人が結ばれるハッピーエンドのものもあれば、悲恋で終わるタイトルもある。しかしどんな結末を迎えるにせよ、男の役を演じられる美波は幸せそうだった。

 彼女は、劇の中では性別を越えられた。
 与えられた役を演じている間だけは、彼女は身も心も男だった。

 そして俺も、劇の中では彼女への想いを伝えられた。
 ハッピーエンドでも、そうでなくても、こうして彼女への好意を伝えられるのは、役を演じている間だけの特権だった。

(現実でも、これくらいはっきりと気持ちを伝えられたらいいのにな)

 残念ながら現実はフィクションのようにはいかない。失敗を恐れ、先の見えない未来に怯えて、本当の自分を曝け出すことに抵抗を覚えてしまう。

 美波へのこの想いだって、失恋するのは目に見えているから、いつまで経っても気持ちを伝えることはできないのだ。

 彼女への想いをひた隠し、ただの友達として過ごす日々。これではどちらが演劇なのかわかったものじゃないなと、自分自身の振る舞いの虚しさに苦笑するしかなかった。



「ねえ、凪。記憶転移ってさ、本当にあるのかな」

 夏休みも間近に迫ってきた頃、美波は真っ白な入道雲を見上げて言った。
 時刻はすでに夕方五時を回っているが、夏の空はまだまだ青く澄んでいる。

「あるわけないだろ。臓器移植で記憶が移るなんて。あんなのフィクションの中だけだよ」

 俺がそう答えると、彼女は「夢がないね」と苦笑した。

 その日も俺たちは演劇の練習を終えて、二人で帰路に就いていた。自転車は手で押すだけで、乗るのはお互いに別れた後だけだ。

 しばらくすると、道の先に氷張川が見えてきた。俺たちは主要の橋は使わず、あえて人通りの少ない沈み橋の方へと向かう。

 今にも沈んでしまいそうなコンクリート製の低い橋。その真ん中で美波は自転車を停めると、橋の縁にしゃがみ込み、華奢な腕を伸ばして川の水に触れた。

「気をつけろよ。あんまり覗き込むと落っこちるぞ」

「大丈夫だって」

 言うなり、彼女は今度は橋の上に四肢を投げ出して仰向けに寝転がった。半袖とハーフパンツの体操着から覗く肌は、夏の太陽に焼かれて小麦色になっている。

「……この橋ってさ、雨がたくさん降った日には川の中に沈んじゃうよね。てことは、ここでずっと僕が何日も寝転がっていたら、そのうち僕は川に流されて死んじゃうのかな」

 急にそんな訳のわからないことを言い出した彼女に、俺は眉を顰めた。

「そりゃあ、ずっと寝転がってたらそうなるだろうけど……」

「じゃあさ。このまま僕が死んで、僕の心臓が誰かに移植されたとして、もしも奇跡が起きて、記憶転移が起こったとしたら……僕は、次に目覚めた時には本物の男になってる可能性があるんだよね」

「何言ってるんだ?」

 何やら穏やかではないことを口にする彼女に、俺は今度こそ怪訝な目を向けた。

「このまま死んだらって……そんなの、冗談でも言うなよ」

「別に死にたいとか思ってるわけじゃないよ。ただ、もし記憶転移が本当に存在するとしたら、僕は自分が死んだ後に、この心臓を男性に捧げることで、今度こそ本物の男になれるのかなって……そう思っただけ」

「だから。記憶転移なんて現実にあるわけないって言ってるだろ。それに、臓器提供の意思表示ができるのは十五歳以上だけだ。美波にはまだ無理だよ」

 腐っても医者の息子である俺は、そういった医療知識だけは無駄に持ち合わせていた。

「十五歳か。ってことは、三年生になったら臓器提供者ドナーになれるんだね」

 どこまでが冗談なのかわからないことを、彼女は仰向けに寝転んだまま、うわ言のように呟いていた。
 
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