僕《わたし》は誰でしょう

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第四章

母の実家へ

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 他にも何かやり残したことはないだろうかと、そんなことばかり考える。

 僕の時間はもうあまり残されていない。
 この夏も、果たして乗り切ることができるだろうか——そう考えたとき、ふと思い出される顔があった。

 ——おれさ、余命一ヶ月って言われてるんだ。

 青い病衣を纏った、十歳ぐらいの男の子。僕が比良坂すずとして入院していたときに、病院の階段で出会った子だ。僕が退院するときも、エントランスまで見送りにきてくれた。
 名前は確か、光希くんだ。

 ——一ヶ月後は八月の終わりだから、この夏を越せるかどうかはわからないんだって。

 彼もまた、この夏を乗り切れるかどうかはわからないと言っていた。彼は自分の気持ち次第でいくらでも長く生きられると信じていたけれど、病院側からはこの夏限りの命であると宣告されているのだ。

 ——おれは、お姉ちゃんよりも長生きする。だからお姉ちゃんも、おれのために長生きしてね。その方がお互いにずっと長く生きられるからさ。

 彼のためにも、僕は長生きするべきだったのかもしれない。けれどこのままでは、僕の時間は彼の余命には届かないかもしれない。

 なんだか約束を破ってしまったような気がして、残念な気持ちになる。
 あのときは正直、自分の方が先に死ぬかもしれないだなんて考えもしなかった。

 せめて彼には、僕がいなくなった後も元気でいてほしい。



「もうじき桜ヶ丘に入るぞ」

 隣から凪が言った。
 その声に僕が顔を上げると、窓の外には懐かしい田舎の風景が広がっていた。田んぼが続く坂道の先に、馴染み深い住宅地が見えてくる。

「ここからは道案内を頼む。さすがにキミのじーさんばーさんの家は知らないからな」

 言われて、僕は記憶を頼りにナビを始めた。両親はいつも仕事で遅かったから、夕飯はよく祖父母の家で食べていたのを覚えている。

 僕の指示通りに凪がハンドルを切り、やがて車は一軒の家の前に停まった。
 住宅街の一角にある、少し古めの一戸建て。小ぢんまりとした庭は手入れされていて、足元には芝生が敷き詰められている。入口前の表札は十年前と同じ、母の旧姓が掲げてあった。

「まだ住んでるみたいだね」

 僕らは車を降りて門の前に立った。そうして僕がインターホンに手を伸ばしたとき、

「待て」

 と、凪が隣から小声で制止をかけた。
 一体どうしたのかと、僕は彼の顔を見上げる。

 彼は無言のまま、庭の方を眺めていた。釣られて僕もそちらを見ると、視線の先で、誰かが窓辺に腰掛けているのがわかった。
 庭に面した一階の窓を開けて、そこから両足を下ろしている。風に当たっているのか、陽に照らされたその顔は静かに瞳を閉じている。

 五十代くらいの女性だった。あきらかに寝巻きとわかるシャツとハーフパンツ姿で、長く伸びた髪もセットされていない。疲れた顔で眠っているような、どこかくたびれた印象があった。

「なあ、美波。あの人って、まさか……」

 歯切れの悪い声で凪が言った。

 僕も、すでに気づいている。
 気づかないはずがない。

 あれから十年も経って、ずいぶんと年老いてしまったように見えるけれど。そこに座っている女性は間違いなく、僕の母だった。
 
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