罰として醜い辺境伯との婚約を命じられましたが、むしろ望むところです! ~私が聖女と同じ力があるからと復縁を迫っても、もう遅い~

上下左右

文字の大きさ
16 / 38
第三章

第三章 ~『黒幕とハーゲン』~

しおりを挟む

 雨が降りしきる王都の石畳を、ハーゲンは泥にまみれた靴でとぼとぼと歩いていた。

「なぜ……儂が……こんな目に……」

 誰にともなく呟いた声は、雨音にかき消される。

 かつては由緒ある領地を運営する貴族の一人として、あらゆる者たちに敬意を払われてきた。

 しかし今では誰も彼に見向きすらしない。濡れ鼠のような風体の彼が元伯爵だと気づく者は一人としていなかった。

「クラウス……エリス……おのれぇ……っ」

 濁った瞳に怒りの火が宿るも、すぐに消える。

 自領を守るため、クラウスたちを失墜させるべく動いた。

 だが、すべて失敗した。

 特にエリスの力を見誤った代償はあまりに大きく、彼は資産も爵位も剥奪され、領地を追われてしまった。

 貴族社会からも追放された今、ハーゲンには何も残っていない。雨脚がさらに強くなる中、彼はある屋敷へとたどり着いていた。

「頼れるのは第二王子……アストレア殿下だけ……」

 濡れた髪を振り乱しながら、ハーゲンは門へと向かう。だが門番は槍を交差させ、彼の行く手を阻む。

「ここは王族の私邸だ。部外者は立ち去れ」
「わ、儂は……アストレア殿下の忠臣、ハーゲン伯爵である! どうか、殿下に取り次いでもらいたい!」

 門番が顔をしかめる。風体が貴族のそれではないため、疑念が瞳に浮かんでいる。

「人を騙すなら、もっと信憑性のある嘘を吐くのだな」
「嘘ではない。儂は本当に伯爵で……」
「なら配下の者はどうした? 一人でふらふらと現れる貴族など聞いたことがない」
「そ、それは……」
「はぁ、我らも忙しいのだ。しつこいようなら、憲兵に連行させるぞ。それでもいいのか?」

 交渉の余地はない。だがここで引くわけにもいかない。雨に濡れた手を震わせながら、ハーゲンは心中で呟く。

(アストレア殿下の私兵に対して無礼になるかもしれんが……)

「儂は本当に殿下の知り合いなのだ。それを証明してやる」
「証明?」
「これをよく見ておけ」

 ハーゲンが懐に手を入れると、ゴクリと息を飲む。もし眼の前の見窄らしい男が本当に伯爵だとしたら、そんな懸念が、彼らを一瞬、困惑させたのだ。

 その隙を突いて、ハーゲンは暗示魔術を発動する。指先から赤い光が放たれ、門番の目が虚ろになっていく。

「取り次いでもらおう。今すぐ、殿下にハーゲンが来たと伝えろ」
「……は。かしこまりました」

 門番の一人が無言で奥へと消えていく。残されたもう一人も、ぼんやりとした様子のまま槍を下げた。

(やれやれ……屋敷に入るのに、こんな手段を使うことになろうとは……)

 ほどなくして、中から門番が執事を呼んでくる。彼はハーゲンの顔を知っていたのか小さく頷く。

「殿下がお通ししろとのことです。どうぞ、こちらへ」

 どこか冷淡な案内に、ハーゲンは歯を食いしばりながら応じる。

 豪奢な屋敷の中。かつては足を踏み入れるたび、使用人たちが礼を尽くしてくれたが、今日の彼に向けられるのは、まるで汚物でも見るかのような視線だ。

「こちらでお待ち下さい」

 通された応接室には、椅子とテーブルがあるだけ。その内の一つに腰掛けようとすると、執事が目を細める。

「ハーゲン様、その服装で椅子に腰掛けるのはお止めください」
「わ、儂は客人だぞ!」
「だからこそです。椅子を汚されては、殿下の怒りを買う恐れがあります。そうなるのは互いにとって不幸なはずですから」
「むっ……」

 汚物のように扱ってくる執事に怒りを覚えながらも、その話には妙な説得力があった。ハーゲンは仕方がないと屹立したまま、アストレアが現れるのを待つ。

 やがて、扉が音もなく開く。

 現れたのは銀髪の男だ。緋色の外套を纏い、精悍な顔立ちをしている。ただしハーゲンを見る目は冷酷で、どこか飽き飽きとした色が浮かんでいる。

「……なんの用だ?」
「た、助けていただきたいのです……殿下!」

 ハーゲンは駆け寄ろうとして、足がもつれて膝をつく。泥水に濡れたままの外套が、赤い絨毯にしみを広げていく。

「すべては殿下のご命令通りに動いたのです……クラウスを失脚させ、エリスの評判を地に落とすべく……儂なりに……儂なりに尽くしたのです……」

 震える声で必死に縋るその姿に、アストレアはただ鼻先で笑う。

「その割に、結果が伴っていないようだが?」
「そ、それは……」
「それどころか、クラウスはさらに領地を豊かにし、エリスとやらは民から慕われていると聞くぞ」
「ですが、忠義を尽くしたのです。儂は……殿下のために……」
「笑わせるな。貴様が私の命令に従ったのは、クラウス排除に対しての利害が一致しただけに過ぎん。それが崩れた今、私に縋るなど……醜悪にも程がある」
「そ、そんな……!」

 ある意味でアストレアの言い分は正しい。

 麦のシェアを奪われていた彼は、その苦境を脱するためにアストレアと手を組み、計画に乗った。その理由は私欲が大半を占めていたが、それ故にこそ、忠実に命令を遂行してきたつもりだった。

「殿下、どうか、もう一度だけ……儂にチャンスを……」
「無能に二度も機会を与えてやるほど、優しくはない」

 アストレアは短く吐き捨てると、片手を上げて指を鳴らす。すると、扉の向こうから、全身を黒鋼の甲冑で包んだ近衛兵が現れる。

「地下牢に連れて行け。ただしこいつは暗示の魔術を使う。油断せぬようにな」
「お待ちをっ! 殿下あああああっ!」

 近衛兵がハーゲンの腕を取り、無理やり立たせる。

「いやだ……こんなはずでは……っ、殿下、見捨てないでくださいっ!」

 引きずられるように応接室を出ていくハーゲンの叫びは、アストレアに届かない。扉が音もなく閉じられ、赤い絨毯の上には、薄く泥の跡だけが残される。

 静寂が戻った室内で、アストレアは背を向け、窓際の地図へと歩を進める。それはシュトラール辺境領を中心とした周辺図だ。

「クラウス……本当に邪魔な男だ……」

 低く吐き捨てるような声が室内に響く。

「民に慕われ、兵には尊敬され、しかも領地はここ数年で最も発展している……あの男が王位継承において、脇役に収まるとは到底思えん」

 アストレアは壁に掛けられた軍部人事の系譜図に目をやる。そこには、彼の名よりも上位に、筆頭将軍クラウスの名が明記されていた。

「クラウスさえいなければ、私が軍のトップに立てる。この国の軍事力を掌握できれば、兄を超え、次期国王になるのも夢ではない……」

 産まれるのが遅かったからと風下に立たされるのは到底我慢できることではない。ギリリと歯を食いしばる。

「それにもう一つ懸念がある。クラウスは先代国王が愛人に産ませた子だ。醜いからと捨て置かれていたが、これ以上に功績を積めば、王位継承戦に担ぎ出す者が現れてもおかしくない……クソッ、辺境で大人しくしていればいいものを……」

 怒気混じりの呟きが広がっていく。その声を打ち破るように、扉がノックされた。

「入れ!」
「では、失礼して」

 入ってきたのは、漆黒の軍服を纏った長身の男だ。切れ長の目と、無表情の顔には冷酷さが滲んでいる。王室近衛隊の執務官であり、彼の右腕ともいえる男、ヴェルスタンである。

 王子は無言で顎をしゃくり、地図へと視線を誘導する。

「貴様に与える任務はただ一つ。クラウスを失脚させろ」

 その一言に、ヴェルスタンの眉がわずかに動く。

「優秀な男だと聞いていますが、よろしいのですか?」
「敵が優秀でも、私にとっては害しかないからな。領地を監査する執務官としてシュトラール辺境領に赴任させる。表向きは王家の使者だ。立場を上手く使い、手腕を発揮してみせろ」

 情報操作、内乱誘導、偽造工作、魔術戦。そのすべてに長けた男だと、アストレアは、ヴェルスタンのことを評価していた。

 信頼された彼は跪いて、頭を下げる。

「殿下のために全力を尽くします」
「では、任せたぞ。貴様の功が大きければ、その暁には、再編後の軍部にポストを用意してやろう」
「光栄に存じます、殿下」

 その瞬間、空気が変わる。新たな悪党たちが私利私欲を満たすため、動き始めたのだった。
しおりを挟む
感想 5

あなたにおすすめの小説

醜貌の聖女と呼ばれ、婚約破棄されましたが、実は本物の聖女でした

きまま
恋愛
王国の夜会で、第一王子のレオンハルトから婚約破棄を言い渡された公爵令嬢リリエル・アルヴァリア。 顔を銀の仮面で隠していることから『醜貌の聖女』と嘲られ、不要と切り捨てられた彼女は、そのまま王城を追われることになる。 しかし、その後に待ち受ける国の運命は滅亡へと向かっていた——

偽りの呪いで追放された聖女です。辺境で薬屋を開いたら、国一番の不運な王子様に拾われ「幸運の女神」と溺愛されています

黒崎隼人
ファンタジー
「君に触れると、不幸が起きるんだ」――偽りの呪いをかけられ、聖女の座を追われた少女、ルナ。 彼女は正体を隠し、辺境のミモザ村で薬師として静かな暮らしを始める。 ようやく手に入れた穏やかな日々。 しかし、そんな彼女の前に現れたのは、「王国一の不運王子」リオネスだった。 彼が歩けば嵐が起き、彼が触れば物が壊れる。 そんな王子が、なぜか彼女の薬草店の前で派手に転倒し、大怪我を負ってしまう。 「私の呪いのせいです!」と青ざめるルナに、王子は笑った。 「いつものことだから、君のせいじゃないよ」 これは、自分を不幸だと思い込む元聖女と、天性の不運をものともしない王子の、勘違いから始まる癒やしと幸運の物語。 二人が出会う時、本当の奇跡が目を覚ます。 心温まるスローライフ・ラブファンタジー、ここに開幕。

【完結】辺境伯の溺愛が重すぎます~追放された薬師見習いは、領主様に囲われています~

深山きらら
恋愛
王都の薬師ギルドで見習いとして働いていたアディは、先輩の陰謀により濡れ衣を着せられ追放される。絶望の中、辺境の森で魔獣に襲われた彼女を救ったのは、「氷の辺境伯」と呼ばれるルーファスだった。彼女の才能を見抜いたルーファスは、アディを専属薬師として雇用する。

偽聖女と追放された私は、辺境で定食屋をはじめます~こっそり生活魔法で味付けしていたら、氷の騎士団長様が毎日通ってくるんですけど!?~

咲月ねむと
恋愛
【アルファポリス女性向けHOTランキング1位達成作品!!】 あらすじ 「役立たずの偽聖女め、この国から出て行け!」 ​聖女として召喚されたものの、地味な【生活魔法】しか使えず「ハズレ」の烙印を押されたエリーナ。 彼女は婚約者である王太子に婚約破棄され、真の聖女と呼ばれる義妹の陰謀によって国外追放されてしまう。 ​しかし、エリーナはめげなかった。 実は彼女の【生活魔法】は、一瞬で廃墟を新築に変え、どんな食材も極上の味に変えるチートスキルだったのだ! ​北の辺境の地へ辿り着いたエリーナは、念願だった自分の定食屋『陽だまり亭』をオープンする。 すると、そこへ「氷の騎士団長」と恐れられる冷徹な美形騎士・クラウスがやってきて――。 ​「……味がする。お前の料理だけが、俺の呪いを解いてくれるんだ」 ​とある呪いで味覚を失っていた彼は、エリーナの料理にだけ味を感じると判明。 以来、彼は毎日のように店に通い詰め、高額な代金を置いていったり、邪魔する敵を排除したりと、エリーナを過保護なまでに溺愛し始める。 ​最強の騎士団長と騎士たちに胃袋を掴んで守られながら、エリーナは辺境で幸せなスローライフを満喫中?

虐げられた聖女は精霊王国で溺愛される~追放されたら、剣聖と大魔導師がついてきた~

星名柚花
恋愛
聖女となって三年、リーリエは人々のために必死で頑張ってきた。 しかし、力の使い過ぎで《聖紋》を失うなり、用済みとばかりに婚約破棄され、国外追放を言い渡されてしまう。 これで私の人生も終わり…かと思いきや。 「ちょっと待った!!」 剣聖(剣の達人)と大魔導師(魔法の達人)が声を上げた。 え、二人とも国を捨ててついてきてくれるんですか? 国防の要である二人がいなくなったら大変だろうけれど、まあそんなこと追放される身としては知ったことではないわけで。 虐げられた日々はもう終わり! 私は二人と精霊たちとハッピーライフを目指します!

無一文で追放される悪女に転生したので特技を活かしてお金儲けを始めたら、聖女様と呼ばれるようになりました

結城芙由奈@コミカライズ連載中
恋愛
スーパームーンの美しい夜。仕事帰り、トラックに撥ねらてしまった私。気づけば草の生えた地面の上に倒れていた。目の前に見える城に入れば、盛大なパーティーの真っ最中。目の前にある豪華な食事を口にしていると見知らぬ男性にいきなり名前を呼ばれて、次期王妃候補の資格を失ったことを聞かされた。理由も分からないまま、家に帰宅すると「お前のような恥さらしは今日限り、出ていけ」と追い出されてしまう。途方に暮れる私についてきてくれたのは、私の専属メイドと御者の青年。そこで私は2人を連れて新天地目指して旅立つことにした。無一文だけど大丈夫。私は前世の特技を活かしてお金を稼ぐことが出来るのだから―― ※ 他サイトでも投稿中

婚約破棄された宮廷薬師、辺境を救い次期領主様に溺愛される

希羽
恋愛
宮廷薬師のアイリスは、あらゆる料理を薬学と栄養学に基づき、完璧な「薬膳」へと昇華させる類稀なる才能の持ち主。 しかし、その完璧すぎる「効率」は、婚約者である騎士団の副団長オスカーに「君の料理には心がない」と断じられ、公衆の面前で婚約を破棄される原因となってしまう。 全てを失ったアイリスが新たな道として選んだのは、王都から遠く離れた、貧しく厳しい北の辺境領フロスラントだった。そこで彼女を待っていたのは、謎の奇病に苦しむ領民たちと、無骨だが誰よりも民を想う代理領主のレオン。 王都で否定された彼女の知識と論理は、この切実な問題を解決する唯一の鍵となる。領民を救う中で、アイリスは自らの価値を正当に評価してくれるレオンと、固い絆を結んでいく。 だが、ようやく見つけた安住の地に、王都から一通の召喚状が届く。

婚約破棄された竜好き令嬢は黒竜様に溺愛される。残念ですが、守護竜を捨てたこの国は滅亡するようですよ

水無瀬
ファンタジー
竜が好きで、三度のご飯より竜研究に没頭していた侯爵令嬢の私は、婚約者の王太子から婚約破棄を突きつけられる。 それだけでなく、この国をずっと守護してきた黒竜様を捨てると言うの。 黒竜様のことをずっと研究してきた私も、見せしめとして処刑されてしまうらしいです。 叶うなら、死ぬ前に一度でいいから黒竜様に会ってみたかったな。 ですが、私は知らなかった。 黒竜様はずっと私のそばで、私を見守ってくれていたのだ。 残念ですが、守護竜を捨てたこの国は滅亡するようですよ?

処理中です...