20 / 38
第三章
第三章 ~『燃える麦畑』~
しおりを挟むクラウスの屋敷を後にする頃には、辺り一帯はすっかり夕闇に沈んでいた。雲の切れ間からは星が顔を覗かせ、冷え込んだ風が馬の鬣をそっと揺らしている。
黒塗りの馬車の中で、ヴェルスタンは腕を組んで黙り込んでいた。顔は怒気を押し殺しているが、そのこめかみはピクリと痙攣している。
「まただ……また奴らに恥をかかされた……それにあの商人め。私を裏切りおって……」
対面の席で背筋を伸ばしていたマルコが、すっと顔を上げる。車内を照らすランタンの淡い光が彼の端正な横顔を照らしている。
「裏切り者は、どこにでもいるものです」
淡々とした声で応じると、ヴァルスタンは苛立たしげに鼻を鳴らす。
「ふん、まぁいい。成果がまったくなかったわけでもないからな」
「というと?」
「この領地の奴らは信用できん。少なくとも、民衆からの支持を奪い取らないことには、このような策謀は決して成功しないと分かったからな」
「民心を崩す。そこが鍵ということですね」
「そういうことだ」
ヴェルスタンが頷くと二人の会話が止まる。車内が静まり返り、車輪の音だけが響く中、マルコは窓の外に目を向ける。
「綺麗ですね……」
その言葉に釣られて、ヴェルスタンも窓の外を見やる。月の淡い光を受けて、金色に染まる麦畑。風が吹き抜け、麦の穂が波のように揺れる様はどこか幻想的だった。
「あれが噂の自動農具ですね」
麦畑の一角では、銀に輝く農業用の魔道具が稼働している。昼夜問わず、せっせと麦の刈り取りを続ける姿に、ヴェルスタンは鼻を鳴らす。
「人間と違い、魔道具は休まず働く。まるで夢でも見ているような光景だな」
「ですね」
「だが幻想には終わりがある。起死回生の策が浮かんだぞ」
その声には熱がこもっていた。マルコが軽く目を伏せる。
「策とはいったい?」
「その前に……馬車を止めろ!」
ヴェルスタンが突然そう命じると、御者は慌てて手綱を引く。馬車が急停止し、車輪が砂利を巻き上げる。
完全に停止すると、ヴェルスタンはためらいもなく馬車の扉を開けて、外へと降り立つ。
冷たい夜気が頬を打ち、麦の香りが風に乗って鼻をくすぐる。車内の小さな窓から見ていた麦畑とは異なり、地面に足を下ろして見る景色は迫力を帯びていた。
「壮観だな……悔しいと感じるほどだ……」
ヴェルスタンが薄く笑みを浮かべたまま、麦畑の広がりを見渡す。後ろから降りてきたマルコも一歩遅れて隣に立った。
「それで……策とは?」
「辺境領の繁栄は、この麦によるところが大きい。領民の支持もこの黄金の穂があってこそだ……ならば、畑を潰せばいい。民心は崩れ、領地は混乱する」
彼が何を言いたいのか分からず、マルコは困惑する。だがすぐにヴェルスタンは重々しい言葉を切り出した。
「この畑に火をつけるのだ」
「それは……あまりにも――」
「うるさい!」
その一喝に、マルコは肩をすくめる。ヴェルスタンの瞳は狂気に取り憑かれていた。
「いいか、マルコ、貴様は何も分かっていない。もしこのまま成果を挙げなければ、我々はアストレア殿下に粛清される。納得できるだけの結果がいるのだ。分かるな?」
マルコは黙り込む。だが視線はなお畑を見つめ続けている。
「で、ですが、すぐに我々がやったと露呈するのでは?」
「心配無用。広大な農地だ。夜間に突然炎が上がったとしても、我々が目撃されるリスクは小さい」
「それはそうかもしれませんが……」
「それにだ。もしかしたら魔道具の誤作動が発火原因だと思ってくれるかもしれない。そうなればエリスを責める材料にもなる。一石二鳥というわけだ」
彼の提案は成功を前提に語られている。マルコはまだ及び腰なのか、不安げに問いかける。
「……火を使えば、証拠が残るんじゃありませんか?」
「道具を使えば痕跡が残るかもな。だが魔術ならどうだ?」
ヴェルスタンは鋭い視線をマルコへと向ける。
「確か、貴様は炎魔術の使い手だったな?」
マルコの顔に一瞬、驚愕の色が走る。
「……なぜ、それを?」
「調査したのだ。部下の素性を知るのは上に立つ者の基本だからな」
魔術はたとえ上官であっても秘匿する者が多い。自分の能力を知られれば弱点が明るみになり、対策も容易になるからだ。
「安心しろ。知るのは私だけだ」
「他の方には他言無用でお願いします」
「口は堅いほうだ。心配するな。それよりどうだ? やってくれるか?」
魔力でゼロから炎を生み出せば、道具を使った痕跡を残すこともない。能力を見込まれての頼みを受けて、彼は唇を噛みしめる。
しばらくの間、沈黙を貫き、やがて小さく頷いた。
「上官の命令には逆らえませんね」
「いい返事だ」
ヴェルスタンの期待に答えるため、マルコは指先を麦畑に向ける。詠唱する声が夜に溶けると、炎が弾丸となって畑の中心に放たれる。
鈍い音とともに、乾いた麦に火が走る。一筋の火が瞬く間に帯となり、畑全体へと広がっていく。
「よし……もっとだ、もっと燃えろ……!」
ヴェルスタンが興奮した様子で叫び、拳を握りしめる。
「見ているがいい……クラウス、エリス。これが貴様らの信頼崩壊の始まりだ!」
赤い炎は激しく燃え上がりながら、麦畑を容赦なく焼き尽くしていくのだった。
142
あなたにおすすめの小説
醜貌の聖女と呼ばれ、婚約破棄されましたが、実は本物の聖女でした
きまま
恋愛
王国の夜会で、第一王子のレオンハルトから婚約破棄を言い渡された公爵令嬢リリエル・アルヴァリア。
顔を銀の仮面で隠していることから『醜貌の聖女』と嘲られ、不要と切り捨てられた彼女は、そのまま王城を追われることになる。
しかし、その後に待ち受ける国の運命は滅亡へと向かっていた——
偽りの呪いで追放された聖女です。辺境で薬屋を開いたら、国一番の不運な王子様に拾われ「幸運の女神」と溺愛されています
黒崎隼人
ファンタジー
「君に触れると、不幸が起きるんだ」――偽りの呪いをかけられ、聖女の座を追われた少女、ルナ。
彼女は正体を隠し、辺境のミモザ村で薬師として静かな暮らしを始める。
ようやく手に入れた穏やかな日々。
しかし、そんな彼女の前に現れたのは、「王国一の不運王子」リオネスだった。
彼が歩けば嵐が起き、彼が触れば物が壊れる。
そんな王子が、なぜか彼女の薬草店の前で派手に転倒し、大怪我を負ってしまう。
「私の呪いのせいです!」と青ざめるルナに、王子は笑った。
「いつものことだから、君のせいじゃないよ」
これは、自分を不幸だと思い込む元聖女と、天性の不運をものともしない王子の、勘違いから始まる癒やしと幸運の物語。
二人が出会う時、本当の奇跡が目を覚ます。
心温まるスローライフ・ラブファンタジー、ここに開幕。
【完結】辺境伯の溺愛が重すぎます~追放された薬師見習いは、領主様に囲われています~
深山きらら
恋愛
王都の薬師ギルドで見習いとして働いていたアディは、先輩の陰謀により濡れ衣を着せられ追放される。絶望の中、辺境の森で魔獣に襲われた彼女を救ったのは、「氷の辺境伯」と呼ばれるルーファスだった。彼女の才能を見抜いたルーファスは、アディを専属薬師として雇用する。
偽聖女と追放された私は、辺境で定食屋をはじめます~こっそり生活魔法で味付けしていたら、氷の騎士団長様が毎日通ってくるんですけど!?~
咲月ねむと
恋愛
【アルファポリス女性向けHOTランキング1位達成作品!!】
あらすじ
「役立たずの偽聖女め、この国から出て行け!」
聖女として召喚されたものの、地味な【生活魔法】しか使えず「ハズレ」の烙印を押されたエリーナ。
彼女は婚約者である王太子に婚約破棄され、真の聖女と呼ばれる義妹の陰謀によって国外追放されてしまう。
しかし、エリーナはめげなかった。
実は彼女の【生活魔法】は、一瞬で廃墟を新築に変え、どんな食材も極上の味に変えるチートスキルだったのだ!
北の辺境の地へ辿り着いたエリーナは、念願だった自分の定食屋『陽だまり亭』をオープンする。
すると、そこへ「氷の騎士団長」と恐れられる冷徹な美形騎士・クラウスがやってきて――。
「……味がする。お前の料理だけが、俺の呪いを解いてくれるんだ」
とある呪いで味覚を失っていた彼は、エリーナの料理にだけ味を感じると判明。
以来、彼は毎日のように店に通い詰め、高額な代金を置いていったり、邪魔する敵を排除したりと、エリーナを過保護なまでに溺愛し始める。
最強の騎士団長と騎士たちに胃袋を掴んで守られながら、エリーナは辺境で幸せなスローライフを満喫中?
虐げられた聖女は精霊王国で溺愛される~追放されたら、剣聖と大魔導師がついてきた~
星名柚花
恋愛
聖女となって三年、リーリエは人々のために必死で頑張ってきた。
しかし、力の使い過ぎで《聖紋》を失うなり、用済みとばかりに婚約破棄され、国外追放を言い渡されてしまう。
これで私の人生も終わり…かと思いきや。
「ちょっと待った!!」
剣聖(剣の達人)と大魔導師(魔法の達人)が声を上げた。
え、二人とも国を捨ててついてきてくれるんですか?
国防の要である二人がいなくなったら大変だろうけれど、まあそんなこと追放される身としては知ったことではないわけで。
虐げられた日々はもう終わり!
私は二人と精霊たちとハッピーライフを目指します!
無一文で追放される悪女に転生したので特技を活かしてお金儲けを始めたら、聖女様と呼ばれるようになりました
結城芙由奈@コミカライズ連載中
恋愛
スーパームーンの美しい夜。仕事帰り、トラックに撥ねらてしまった私。気づけば草の生えた地面の上に倒れていた。目の前に見える城に入れば、盛大なパーティーの真っ最中。目の前にある豪華な食事を口にしていると見知らぬ男性にいきなり名前を呼ばれて、次期王妃候補の資格を失ったことを聞かされた。理由も分からないまま、家に帰宅すると「お前のような恥さらしは今日限り、出ていけ」と追い出されてしまう。途方に暮れる私についてきてくれたのは、私の専属メイドと御者の青年。そこで私は2人を連れて新天地目指して旅立つことにした。無一文だけど大丈夫。私は前世の特技を活かしてお金を稼ぐことが出来るのだから――
※ 他サイトでも投稿中
婚約破棄された宮廷薬師、辺境を救い次期領主様に溺愛される
希羽
恋愛
宮廷薬師のアイリスは、あらゆる料理を薬学と栄養学に基づき、完璧な「薬膳」へと昇華させる類稀なる才能の持ち主。
しかし、その完璧すぎる「効率」は、婚約者である騎士団の副団長オスカーに「君の料理には心がない」と断じられ、公衆の面前で婚約を破棄される原因となってしまう。
全てを失ったアイリスが新たな道として選んだのは、王都から遠く離れた、貧しく厳しい北の辺境領フロスラントだった。そこで彼女を待っていたのは、謎の奇病に苦しむ領民たちと、無骨だが誰よりも民を想う代理領主のレオン。
王都で否定された彼女の知識と論理は、この切実な問題を解決する唯一の鍵となる。領民を救う中で、アイリスは自らの価値を正当に評価してくれるレオンと、固い絆を結んでいく。
だが、ようやく見つけた安住の地に、王都から一通の召喚状が届く。
婚約破棄された竜好き令嬢は黒竜様に溺愛される。残念ですが、守護竜を捨てたこの国は滅亡するようですよ
水無瀬
ファンタジー
竜が好きで、三度のご飯より竜研究に没頭していた侯爵令嬢の私は、婚約者の王太子から婚約破棄を突きつけられる。
それだけでなく、この国をずっと守護してきた黒竜様を捨てると言うの。
黒竜様のことをずっと研究してきた私も、見せしめとして処刑されてしまうらしいです。
叶うなら、死ぬ前に一度でいいから黒竜様に会ってみたかったな。
ですが、私は知らなかった。
黒竜様はずっと私のそばで、私を見守ってくれていたのだ。
残念ですが、守護竜を捨てたこの国は滅亡するようですよ?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる