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第三章
第三章 ~『演技が得意なヴェルスタン』~
午後、シュトラール辺境領に涼しい風が吹きつける頃、ヴェルスタンはクラウスの屋敷を訪れていた。
重厚な玄関扉が激しく開け放たれ、屋敷の中に足を踏み入れる。怒気を孕んだ足音が、廊下の奥へと突き進んでいく。
「お、お待ち下さい、ヴェルスタン様!」
「待たぬ!」
慌てて駆け寄る執事が制止の声をかけるが、ヴェルスタンは従わない。その背中を追いかけるマルコも、上官の無礼を申し訳なさそうに肩を落としている。
「ここかっ!」
ヴェルスタンは重厚な執務室の扉を乱暴に押し開ける。中には書類に目を通すクラウスと、椅子の背に体重を預けながら読書を楽しんでいるエリスの姿があった。
目的の人物を発見したヴェルスタンは笑みを浮かべる。一方、執事は慌てて、事情を説明する。
「申し訳ございません、閣下。止めようとしたのですが止めきれず……」
「構わん。私に任せておけ」
「閣下……ありがとうございます」
執事が頭を下げると執務室を去っていく。静寂が場を支配する中、クラウスが口を開く。
「それで? いきなり執務室へ押しかけるくらいだ。よほどの急用か、それとも礼儀を忘れるほど焦っているのかどちらだ?」
皮肉とも怒りとも取れる言葉に、ヴェルスタンのこめかみがぴくりと動く。
「余裕の態度ですが、これを見ても尚、同じことが言えますか?」
合図を送ると、後ろに控えていたマルコがずかずかと前へ出てくる。そしてその手には、麻袋が抱えられていた。
「……それは?」
「昨日、貴殿の領内で買い求めた麦ですよ」
マルコは無言のまま、勢いよく袋を床に叩きつける。
鈍い音とともに袋の口がほつれ、そこから乾いた麦粒がばらばらとこぼれ出す。その中には、黒くうごめくものが混ざっていた。
「虫ですね……」
エリスが小さく呟く。
うねるように蠢く虫たちが、麦の隙間から這い出している。数匹どころではない。執務室に、かすかに酸味を帯びた異臭が漂う。
「買ったばかりの麦が、たった一晩でこの有り様です!」
「折角の麦が勿体ないですねー」
怒りを撒き散らすヴェルスタンに対し、エリスが純粋な感想を口にする。その反応に毒気を抜かれながらも、彼は一歩も退かなかった。
「この領地では麦の生産に魔道具を利用しているとか……もしかしたら麦に変な影響を与えていたのではありませんか?」
「それならヴェルスタン様以外の麦も傷んでないとおかしいですよね?」
「きっと他の者たちは泣き寝入りしているのですよ。なにせ生産元は鬼将軍のクラウス辺境伯だ。苦情など言えるわけがない」
無理のある主張だが、ヴェルスタンは力で押し通そうとする。そんな彼の言葉をクラウスは眉一つ動かさずに、冷静に受け止める。
「当領の麦の品質には絶対の自信を持っている。収穫から乾燥、出荷まで、衛生管理を徹底しているからな」
「だ、だが、それでも魔道具との因果関係がないとは言い切れないはずです!」
苛立ちを顕にするヴェルスタン。そんな時だ。ふと、張りつめた空気の中で、エリスが笑みを零し始める。
「ヴェルスタン様は演技がお上手ですね」
「……は?」
思わずヴェルスタンの目が細くなる。理解が追いつかないといった表情でエリスを見返すが、彼女はにこりと笑ったまま、首を傾げる。
「先ほどの『被害者』の演技。とても堂に入ってましたよ」
その言葉に、クラウスもふっと口元をほころばせる。
「確かに、君にそんな才能があるとは思わなかった」
「閣下まで何を……」
「では、確認しよう」
クラウスが手を叩いて合図を送る。すると、執務室の扉が開かれ、先日、ヴェルスタンが手を組んだ若い商人カヌーレが姿を現す。
「き、貴様、なぜここに!」
「もちろん、真実を話すためです」
「な、なんだとっ!」
カヌーレはぺこりと頭を下げたあと、まっすぐにヴェルスタンを見つめる。
「その傷んだ麦は私がヴェルスタン様にお売りしたものです。領主様を陥れるために、古くなった麦を演出用として売ったものですから。弁済の必要もありませんよ」
「貴様っ、裏切ったな!」
ヴェルスタンは鋭い目を向けるが、カヌーレは毅然とした態度を貫く。
「こんなにも誠実で民思いの領主に背を向ける理由が、私にはありませんから」
ピシャリとした言葉に、ヴェルスタンの顔がみるみる紅潮していく。だが彼は罪を認めない。まだ抗えると反論する。
「だがな、私は貴様からただ麦を買っただけだ。証言だけでは物的証拠にはならん。まだ私には賠償を求める権利があるはずだ!」
「そういうと思いましたので……」
カヌーレは胸元から一通の書類を取り出し、クラウスへと差し出す。
「こちら、傷んだ麦の購入契約書と、ヴェルスタン様の直筆サイン入りの証文です」
クラウスが受け取り、中身に目を通した瞬間、顔を上げてわずかに目を細める。
「間違いなく本人の筆跡だな。ご丁寧に、『虫食いや傷みありのため、価格は通常の半額で提供』とも書いてある」
「後ほど、証拠として利用するつもりでしたので」
「さすがは商人。抜け目ないな」
クラウスが感心したように頷くと、カヌーレはにっこりと微笑み、まるで悪戯を打ち明けるかのような軽やかさで続ける。
「傷んだ麦を処分できて助かりました。ヴェルスタン様、本当に、お買い上げありがとうございます」
「……っ!」
その瞬間、ヴェルスタンの顔が真っ赤に染まり、怒鳴り声を上げる。
「これは侮辱だ! 貴様らは王家を愚弄する気だな!」
その場の空気が一瞬で張りつめる。だがエリスは一歩進み出て、淡く微笑んだまま静かに言葉を重ねる。
「むしろ、あなたのその行動こそが、王家の品格を貶めているのでは?」
「う、うるさいっ!」
ヴェルスタンは歯を噛みしめる。恥辱と怒り、そして敗北の混ざった苦い表情を浮かべて身を翻す。
「覚えていろ!」
低く唸るように吐き捨てて去っていく。重たく閉じられた扉の音が、室内に虚しく響く中、カヌーレがぱちぱちと拍手を打つ。
「いやぁ、お見事でした。エリス様は本当に素敵な方ですね」
「ふふ、なにせ私の自慢の婚約者だからな」
クラウスの賞賛にエリスの頬が赤くなる。勝利の余韻が、執務室に柔らかく満ちていくのだった。
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