罰として醜い辺境伯との婚約を命じられましたが、むしろ望むところです! ~私が聖女と同じ力があるからと復縁を迫っても、もう遅い~

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第三章

第三章 ~『ヴェルスタンとの決着』~

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 それは、まるで地獄のような光景だった。

 霧がかった早朝の街に、突如として獣の咆哮が響く。気づけば、森の奥から魔物の影が押し寄せていた。

 鋭い牙と爪、血走った眼。狼の群れが、一目散に街を目指しており、その数は十を優に超えていた。

「きゃああああっ!」
「子供を抱えて逃げろ!」
「家の中に入れ、早く!」

 警報の鐘がなり、それに呼応するように人々の叫びが飛び交う。混乱が街に広がる中、それでも、被害は最小限に抑えられていた。

 その理由は、ただ一つ。

「陣形を崩すな! 市街地に入る前に、叩き伏せろ!」
「前衛、盾を構えろ! 後衛は魔術の準備を!」

 銀色の甲冑が朝日を弾く。訓練された兵たちが、まるで予定されていたかのように隊列を組んでいた。

 それは、シュトラール辺境領が誇る精鋭部隊。クラウスの指揮下にある守備軍だった。

 市門前の広場にて、兵たちは狼の群れと真正面から激突していた。

 槍が唸られ、火球が飛び、盾が衝撃を吸収する。魔物たちは狂ったように襲いかかるが、そのたびに鋼の壁に阻まれ、次々と地に伏していく。

 やがて、後方から一騎の馬が駆けつける。誰もがその姿を見て息を呑んだ。

「クラウス閣下だ!」

 馬上から部下を見下ろすクラウス。後ろにはエリスの姿もあった。

「報告を頼む」
「魔物の群れが森から突如現れました。負傷者は出ていますが死者はゼロ。市民は避難済みです」
「さすがだな」

 クラウスは兵士に賞賛を送り、馬を降りて自ら前線へと歩みを進める。エリスもその後ろを付いていく。

「クラウス様、あの狼の魔物、おかしくありませんか?」
「理性を感じられないな」

 狼たちの顔に怒りや恐怖はない。まるで何かに突き動かされたような狂気を滲ませている。

「ただの魔物の襲撃ではありませんね。誰かが意図的に仕向けたものだとすると……」
「犯人はあいつだろうな」
「また、あの人ですか」
「間違いなくな」

 二人の間に流れる沈黙は、呆れに近い疑念だった。その疑いの確証を得るために、クラウスは視線を巡らせる。

 そして目に入ってきたのは、見覚えのある若い男だ。街の防衛に加わっていた彼は、兜を小脇に抱え、どこか気まずそうに俯いている。

 クラウスたちはゆっくりと彼に近づく。

「確か、君は近衛兵だったな?」
「は、はい……」
「教えてくれ。今回の騒動はヴェルスタンが関係しているのか?」

 クラウスは確信めいた問いを投げかける。すると彼は気まずそうに黙り込む。

「上官を売るのは気が引けるか?」
「そ、それは……」
「だが君が本当に仕えているのはヴェルスタンではない。王家であり、その国で暮らす民たちのはずだ」
「――――ッ」

 その一言に、近衛兵の目が揺れる。

 数秒の沈黙ののち、彼はぎゅっと拳を握って決心する。

「たぶん、あれは……ヴェルスタンさんの仕業です」
「やはりな」

 クラウスの顔に緊張が走る。

「説明してくれ。あいつは何をした?」
「ヴェルスタンさんは魔物の理性を奪い、命尽きるまで狂わせる暴走の魔術が扱えるんです」

 驚愕の能力を聞かされクラウスは息を飲む。そんな中、エリスが疑問を挟む。

「なぜあなたはヴェルスタン様の魔術をご存知なのですか?」

 魔術は秘匿するもの。特にヴェルスタンのようなタイプの人間が、意味もなく部下に能力を開示するはずがない。

「アストレア殿下の命令で、ヴェルスタンさんが力を使う場面に居合わせまして……」
「なるほど。王子に命じられたなら、さすがのヴェルスタン様も隠してはおけませんでしたか……」

 アストレアの傍には護衛もいただろう。人払いもできないため、披露せざるを得なかったのだ。

「止める方法もあるんですよね?」
「ヴェルスタンさんが魔術を解除すれば、暴走した魔物が正気を取り戻します」
「なら次の問題は、ヴェルスタン様の居場所ですね」
「それなら分かります」
「本当ですか!」
「あの魔術を使うと、独特の黒い霧が生じますから」

 クラウスとエリスが森に目を凝らすと、うっすらとだが、黒ずんだ霧が漂っていた。

「あそこだな……」
「間違いありませんね。あの霧……魔力を帯びています」

 エリスの声には、確信とわずかな緊張が混じっていた。

 クラウスはゆっくりと腰の剣に手を添え、鷹のような鋭い目つきで前を見据える。

「霧の向こうに、ヴェルスタンがいる」
「山道を登るなら馬より徒歩で行くべきですね」
「エリス、まさか君も……」
「危険なのは百も承知です。ただ私は役に立ちますよ」
「それはそうだが……」
「それに街にいるより、クラウス様の傍にいた方が安全ですから」
「まったく。君には勝てないな……」

 押し切られる形でクラウスは、エリスの同伴を認め、共に森の中へ進むと決める。部下にそれを伝えると敬礼と共に見送られた。

 二人は山道に足を踏み入れる。枝葉を掻き分け、足元の根に注意を払いながら慎重に進むと、突然、前方の茂みが大きく揺れる。

 直後、黒くて大きな影が飛び出してくる。現れたのは熊の魔物で、口元からは泡混じりの唸り声が漏れており、理性は完全に失われていた。

「離れていろ」

 クラウスはそう言い残すと、素早く抜刀し、地面を蹴った。

 重たい音と共に、クマの巨体が崩れ落ちる。その間、わずか数秒だった。

「すごい。動きすら見えなかったです」
「こう見えても将軍だからな」

 クラウスは剣を納めるが、呼吸一つ乱していない。

 エリスはそっとクマに近寄り、手をかざす。淡い光が指先から漏れ出し、魔物の額に触れる。

 次の瞬間、クマの濁った目に理性が宿る。鼻先をふるふると震わせ、起き上がると、のそのそと森の奥へ帰っていく。

「どうやら暴走の魔術を無力化できるようですね。確かめた甲斐がありました」
「……魔物が急に暴れる危険もある。ほどほどにな」
「大丈夫ですよ。なにせ護衛のクラウス様がいますから」
「ま、まぁな」

 信頼されていることが嬉しくて、クラウスの口角が僅かに上る。

 そのまま二人は森を歩き出す。

 やがて、黒い霧の発生地へとたどり着く。周囲の木々までもが黒ずみ、空気が重く沈んでいた。

「これが例の霧か……」
「魔物にかけられていた暴走魔術も解けましたし、おそらく私なら消せるはずです」

 エリスが恐る恐る手を伸ばす。指先が霧に触れた瞬間、シュウッという音と共に霧散していく。

「やっぱり効果ありですね……ただこれで問題解決とまではいかないですが……」
「発生源を断たない限り、またすぐに戻るからな」

 完全な決着のためには魔術の使い手であるヴェルスタンを止めるしかない。そう再認識した二人は、さらに深く森の中へと足を踏み入れる。

 やがて、歪な笑みを浮かべるヴェルスタンを発見する。黒い霧が彼の周囲から絶え間なく噴き出しており、じわじわと地面を這うように広がっている。

 クラウスとエリスに気づいたヴェルスタンは忌々しそうに眉を吊り上げる。

「……貴様らか」
「もう逃げ場はないぞ、ヴェルスタン」
「逃げるつもりもない。ここまできたら戦うしかないだろう」

 意外な返答にクラウスは驚く。逃げ出すとばかり思っていたからだ。

「私に勝てるとでも?」
「五分の条件では無理だろうな。だが私が死ねば、魔術は解除されない。狂った魔物どもに理性を取り戻すには、私を生け捕りにする必要がある」

 クラウスの目が細まる。だがヴェルスタンは気にせず言葉を続ける。

「それに加えて、クラウス。貴様には足手まといがいる。守りながらでは、さすがの貴様でも苦戦するだろう?」

 エリスを蔑むような目で見据えると、ヴェルスタンが彼女に向かって駆け出す。

「連れてきたのは失敗だったな、クラウス!」
「くっ!」

 クラウスが身を翻して間に割り込む。剣と剣がぶつかり、重い衝撃音が響いた。だがその直後、エリスが素早くヴェルスタンの側面にまわり込み、手をかざす。

「私は守られるだけの女じゃありません!」

 エリスの掌から淡い光の波動が走る。ヴェルスタンの周囲から漏れていた黒い霧が消え去り、遠くから魔物の声が届く。

「貴様、何をした!」
「あなたの魔術を解除しました」
「なにっ!」
「これで魔物たちは理性を取り戻します。つまり、クラウス様が加減する理由もなくなったということです」

 その言葉が嘘でないと、ヴェルスタンは直感で理解する。切り札を失い、彼の顔が絶望に染まる。

「足手纏いという言葉訂正しよう……むしろ貴様さえいなければ……」

 思い返すと、ヴェルスタンの計画はすべてエリスによって打ち砕かれていた。真の強敵はクラウスよりもむしろエリスだったのだと悟る。

「ヴェルスタン、大人しく投降しろ」
「近づくなっ! 私は王家からの使者で、この国の特権階級なのだぞ!」

 言葉は震え、声がうわずる。もはや威厳も威圧もない。

「……今までは、そうかもしれんな。だがこれからは違う。ヴェルスタン。君はもう終わりだ」

 その言葉は、断罪だった。

 ヴェルスタンは顔を引きつらせると、怒気に晒されて逃げ出した。

「う、うわああっ!」

 葉を踏みしめ、枝を折りながら、ただ前だけを見て走る。

 だが焦りは失敗を生む。足元の根に絡まり、バランスを崩して膝から地面に倒れ込む。泥にまみれ、衣服が破れ、息が荒くなる中、彼の瞳に涙が浮かぶ。

「くそっ、どうして私がこんな目に……」

 絶望の声を漏らす。すると、その声を待っていたかのように、森の奥から人影が姿を現す。

 緋色の外套を纏い、精悍な顔立ちをしている銀髪の男は見間違うはずもない。彼の上官であるアストレアだった。

「で、殿下! 助けにきてくれたのですね!」

 感謝を伝えるが、アストレアは笑わない。その瞳は冷えきっており、情けも憐れみも、浮かんでいない。

「で、殿下……」

 アストレアは無言のまま、剣の柄に手を伸ばす。

「ま、待ってください、殿下! 私は! 忠義を——」

 その言葉の続きを、剣が遮る。シュッと風を裂く音と共に、鋭い閃光が走ると、ヴェルスタンの体に、細く深い線が走った。

 数秒の沈黙の後、その身体は、ぐらりと傾き、音もなく地に崩れ落ちた。

 血の香りがじわりと広がっていく。

 それでもアストレアの表情は変わらない。むしろ、すべてが予定通りであるかのように、ゆっくりと剣を収めた。

「……終わったな」

 その声は誰に向けたものでもない。森の空気に溶け込むように発せられるが、その声を聞いていた者がいた。

「アストレア!」

 ヴェルスタンを追いかけてきたクラウスは、アストレアを見つけると、怒気をはらんだ声を発する。彼の後ろには、エリスの姿もあった。

「……久しいな、クラウス」

 アストレアの声は柔らかい。しかし、その唇に浮かぶ笑みは、底知れない不気味さが滲んでいる。

「アストレア、事情を説明してもらおうか」
「事情も何も私はただ部下を粛清しただけだ」
「……殺したのか?」
「まさか。まだ息はある。私はこの程度の男のために手を汚したりはせん」

 アストレアは気を失ったヴェルスタンを抱えると、そのまま踵を返す。その背中にエリスが声をかけた。

「……どうして、アストレア様は先回りできたのでしょうか?」

 その疑問に彼は足を止める。ただ無言なのは変わらない。エリスの続く言葉を待つ。

「もしかしてヴェルスタン様の居場所を把握していたのではありませんか?」

 その疑問が図星なのか、アストレアの眉がピクリと動く。

 エリスは気にせず推理を続ける。

「きっとクラウス様との戦いを影で覗き見していたのですよね? もしヴェルスタン様が勝てば良し、負ければ自分の手で始末すればいい。そういう考えだったのではありませんか?」

 エリスの詰問に、アストレアはようやく無表情を崩す。眉尻を釣り上げ、彼女を見据えた。

「次期国王となる私を侮辱するつもりか?」
「あなたがなると、まだ決まったわけではないでしょう。第一王子様もいますし、それに何よりクラウス様もいます」
「ふん、血筋と優秀さを計算に入れれば、次の王は私で決まりだ。就任した暁には、記念の式典で貴様を処刑してやるからな。楽しみにしておけ」
「妄想は叶ってから口にしてくださいね、二番目に過ぎない王子様」

 二人の視線が交差する。火花を散らした後、アストレアは鼻を鳴らして森の中へと消えていくのだった。
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