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第四章
第四章 ~『白猫の営業』~
陽光が柔らかく差し込む午後、エリスとクラウスは屋敷の談話室で穏やかな空気に包まれていた。
白磁のティーポットから香り高いハーブティーが注がれ、小さな湯気がゆらゆらと揺れる。
「嘘みたいに静かですね」
エリスはカップを両手で包み込みながら、目を伏せて呟く。するとクラウスも笑みを返した。
「ここしばらくは、ヴェルスタンの陰謀に巻き込まれてばかりだったからな」
「アストレア様に連れて行かれましたが、その後、どうなったのでしょうね……」
「少なくとも殺されてはいないだろうな。もし始末するつもりなら、あの場でもできたからな」
エリスは納得したように息をつくと、ハーブティーを一口すする。その美味しさに一瞬だけ笑みをこぼすが、すぐに真剣な表情に変わる。
「思えば、少しだけ可哀想な人でしたね……」
「哀れだとは思うが、責任がないわけではない。アストレアに協力して悪事に手を染めたのは事実だからな」
ヴェルスタンの順風満帆な人生は終わり、二度と再起することもないだろう。少なくともそれだけの罰を受けるべき人間であると、クラウスは結論を下す。
しばらく沈黙が流れ、カップの中で茶葉が揺れる。すると扉をノックする音が鳴った。
「入れ」
クラウスが許可すると、執事が扉を開ける。恭しく頭を下げると、彼を正面から見据えた。
「失礼します、閣下。王都から客人がいらっしゃっています」
「客人?」
「トルン商会の人間だと名乗っています。お会いになりますか?」
「そうだな……時間を作る。この部屋に通してくれ」
数分後、談話室の扉が開かれ、小柄な中年商人が腰を低くして入ってくる。脂ぎった黒髪を丁寧に撫でつけ、刺繍入りの上着を着込んでいる。
その男は深々と一礼すると、媚びるような笑みを浮かべた。
「クラウス将軍、初めまして。トルンと申します。ご多忙の折、お時間を頂き光栄です」
「私も商会の名は耳にしている……アストレアと懇意にしているとか?」
「ええ、確かに殿下は重要な顧客の一人であります。ただ我々は幅広くビジネスをしておりますから。今日はぜひ、将軍閣下と縁を結びたいと考えております」
「つまり何かを買ってくれと?」
「はい、ぜひ、ご覧になって欲しい一品があるのです」
そう言ってトルンは手に持っていた籠を机の上に差し出す。その中では、まるで雪のような毛並みの小猫が、優雅に身を丸めていた。
青い瞳がエリスを見上げ、ふわりと尻尾を揺らす。
「まぁ、とても愛らしいですね。雪の妖精みたいです」
その瞬間、クラウスの隣でエリスが目を輝かせる。そっと籠越しに手を伸ばして猫の額に触れる。
「抱いてみますか?」
「良いのですか!」
「もちろんですとも」
トルンは籠の扉を開けて、白猫を外に出す。
すると白猫はエリスの膝に移動し、丸まって、喉をころころと鳴らし始めた。
「随分と人懐っこいですね」
「前の飼い主が人馴れさせたそうですから」
「こんなに可愛い子を手放すなんて勿体ないですね」
エリスは目を細め、猫の背を優しく撫でる。しっとりとした毛並みに指が滑るようだった。
「その白猫は帝国で幸運をもたらす猫とも呼ばれています」
「ということは、帝国の猫なのですね」
「ええ。帝国奥地に生息する希少種です。市場にも滅多に出回りませんから、この機会を逃せば二度とお目にかかれませんよ」
「確かに、こんなに綺麗な白猫、初めて見ました。毛並みもふわふわで、ずっと撫でていられるくらい気持ちいいです」
猫が小さく鳴いて、エリスの指先に鼻をすり寄せる。まるで人間の言葉に応えるような仕草だ。
だが、クラウスはふと眉をひそめる。
「この白猫、本当に帝国の猫種なのか?」
「な、何か気になることでも?」
「最近、このあたりで白い猫の目撃証言があったのでな」
「あ~、それはきっと似た猫だと思いますよ」
トルンの笑みの口端がピクリと揺れる。額には汗も滲んでいた。
クラウスは腕を組み、白猫を見つめる。だがその傍では、エリスが猫の頬に口づけるほどの勢いで、すっかり愛情を注いでいた。
「あぁ、かわいいですね……名前はないのですか?」
「前の飼い主が名前を付けなかったようでして……首輪にも特にそれらしいものは見当たらず……」
「前の飼い主さんは少し変わった人ですね」
「ええ、まぁ……それで、クラウス将軍。婚約者様も気に入っているようですし、どうでしょうか? ご購入いただけませんか?」
トルンはクラウスに向き直り、笑みを貼り付けたままぐっと身を乗り出す。目の奥では焦りがちらついているが、声色は滑らかだ。
「この美しい毛並み、この性格、そしてこのご縁。滅多にない好機です。閣下との繋がりから、特別価格でご提供させて頂きます」
クラウスは無言でトルンを見つめる。
騙されているかもしれない。そのような直感を抱きながらも、疑念を払拭する材料はない。
(騙されてもよしとするか……)
エリスは猫に夢中で、心の底から欲しているのが一目でわかる。もし相場より高額だったとしても構わないと、クラウスは決断する。
「エリスのためなら、財布の紐が緩くなるのは、まぁ、仕方のないことだな」
「クラウス様……!」
エリスが微笑み、猫をぎゅっと抱きしめる。猫もくぅと甘えた声を漏らした。
「贈り物を欲しがらないエリスが唯一望んだものだからな。これくらい安いものだ」
「ありがとうございます、クラウス様!」
エリスは嬉しそうに頷き、猫の耳をくすぐる。トルンもまた深々と頭を下げた。
「さすが閣下! お買い上げ、ありがとうございます!」
トルンは商人らしい丁寧な笑みを浮かべる。ただ少しだけ、その口元は歪んでいたのだった。
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