社畜OLが学園系乙女ゲームの世界に転生したらモブでした。

星名柚花

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45:あなたに託します

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 まずは屋上を探してみようと階段を上っていたところで、下りてくる乃亜とばったり出会った。
 何か楽しいことでもあったのか、その表情は明るい。

「一色さん」
 呼びかけると、乃亜の目がこちらを向いた。
 都合の良いことに彼女一人だ。

 隣に拓馬がいないことに、私は密かに安堵した。
 仲睦まじい姿を見せつけられたらうまく笑えるか、自信がない。

「野々原さん? どうしたの?」
 乃亜は私がいる踊り場まで下りてきた。 
 窓から風が吹き込んできて、乃亜の長い髪がさらさら揺れている。
 陽の光を浴びて、彼女の髪にはくっきりと天使の輪が浮かんでいた。

 本当に綺麗な子だな、と思う。
 まさしく彼女はヒロインだ。拓馬が夢中になるのもわかる。
 狭い踊り場で向かい合って立ち、私は持っていた水色のファイルを差し出した。

「これ、私がこれまで拓馬に作って来た料理のうち、特に拓馬が喜んだもののレシピなの。思いつく限りまとめたから、良かったら使ってもらえないかな」
「……これ全部?」
 乃亜は戸惑ったような表情でファイルを受け取り、開いた。

 ルーズリーフには料理の名前とレシピが細かく記載されている。
 重要だと思うところは色を変え、ラインを引いたり、色鉛筆で絵を描いたりした力作。幼い頃から絵は得意で、美術はいつも5だった。

「あの、拓馬は椎茸とゴーヤが嫌いだから。食材に使うなら極力味がわからないように、細かく刻んであげてね。レバーも好きじゃないけど、味を濃くしたら大丈夫。あと梅とか、レモンとか、酸っぱい物が好きなの。卵を使った料理も外れがないみたいで、オムライスは大好物だよ。卵スープも好きだし、茶碗蒸しも好き」
 乃亜は無言でルーズリーフをめくっている。

「お弁当に入れる卵焼きは甘いほうがいいみたい。から揚げやグラタンも好きだし、肉は鶏でも豚でも牛でも、何でも好き。あ、魚は煮ても焼いても刺身でも、どう料理しても喜ぶよ。特にお勧めなのはカルパッチョ。前に私が作ったレシピは書いておいたから、参考になれば嬉しい」
 ぱたん、と乃亜がファイルを閉じる。
 その音に「黙れ」と言われたような気がして、私は口をつぐんだ。

「野々原さんって、凄いね。拓馬のこと、よく知ってるんだね」
 乃亜はファイルを胸に抱え、愛想良く微笑んだ。

「これだけまとめるの大変だったでしょう。ありがとう。是非参考にさせてもらうね」
「うん。良かった、喜んでくれて。おしつけがましいかな、余計なお世話かなって思ってたから……」
 視線を床に落として頬を掻く。
 張り切って作ったはいいものの、これから乃亜が拓馬の嗜好を知る楽しみを奪うことになるだろうかと心配していたのだ。

「まさか。嬉しいよ。拓馬って全然料理できない……というより、絶対料理しちゃいけない人でしょう? 触れた食材が腐るなんて不思議な現象、私、初めて見たよ。驚いちゃった」
「えっ?」
 艶やかなストレートの髪を指先で弄りながら苦笑する乃亜の顔を、私は唖然として見つめた。

「どうして驚くの? もしかして、知らなかった?」
 乃亜が首を傾げ、髪がさらりと揺れる。

「ううん、知ってる。でもその呪いは私が解除したはずなのに……?」
 どうなっているんだろう。
 乃亜と拓馬が出会ったから、拓馬の呪いも初期状態に戻った?
 この先ずっと、乃亜に拓馬の食事を作らせるために――考えられる可能性はそれしかない。

「呪い? 何それ?」
「ええとね。拓馬には食材を腐らせる呪い……能力? とにかくそんな変な力があるの。でもその力には上限がある。限界値に達したら最後、それ以上力が作用することはなくなる」
 乃亜はとても信じられないという顔をしているけれど、私は真顔で続けた。

「鍵は『拓馬が食材と認識しているもの』だけに作用することなの。一ヶ月近い試行錯誤の末、私は拓馬を空き地や放置された公園に連れて行き、そこに生えてる雑草を食材だと思い込ませた」

 たとえば「あの草はビタミンを多く含んでいて、煮て食べると美味しい」とか、「あの草は葉の部分に栄養があるから細かく刻んで炒めものにすると良い」とか。
 いかにもそれらしく、口から出まかせを言いながら、拓馬に片っ端から雑草に触れてもらった。

 拓馬が直接その手で触れた雑草は枯れ、あるいは萎び、あるいは腐った。
 そして、拓馬が近所を散歩ついでに雑草を枯らすようになって三日後。
 ついに忌まわしき呪いは消滅し、食材に触れても平気になったのである!

「初めからあの方法を思いついていれば一ヵ月もかけなくて済んだんだよね……」
 当時の苦労を偲び、窓の外の青空を遠い目で見つめる。

「………………」
 感慨に耽っている私とは対照的に、乃亜は微妙な顔で私を見ていた。

「というわけで、一色さんも是非試してみてね。厄介な呪いなんてさっさと解いて、拓馬を自由に料理できるようにしてあげてね!」
「うん、努力してみるね……」
 乃亜は困ったように笑った。

「あ、あとね。一色さん。お願いがあるんだけど」
「何?」
「拓馬に告白させてもらえないかな」
「…………え?」
 乃亜の表情が固まる。

「ごめん」
 わかりきっていた反応に、私は頭を下げた。

「一色さんっていう素敵な彼女がいるのはわかってる。でも、私、これまでずっと拓馬のこと好きだったの。きっぱりフラれないといつまでも引きずって、とても先に進めそうにないんだ。だからお願い。告白させて」

 数秒の間があった。
 彼女としては受け入れがたい要求だろう。
 でも、私は黙って頭を下げ続けた。

「……野々原さんって、正直な人なんだね。そんなこと、わざわざ私に断らなくたっていいのに」
「いや。でも」
 ぽん、と肩を叩かれて、私を恐る恐る顔を上げた。

「いいよ。野々原さんの好きにして。でも、拓馬は私の彼氏だからね? たとえ拓馬がOKしたって、絶対譲らないから」
 乃亜はファイルを片手に抱いて、悪戯っぽく笑った。

「あはは。うん。それはないから大丈夫だよ。ありがとう!」
 これで心置きなくフラれることができる。

「じゃあまた教室でね!」
 私は笑顔で言い、踵を返して階段を下りて行った。

 それきり振り向かなかったから、知らなかった。

「……モブの分際で」
 乃亜が小さな声で吐き捨て、胸に抱いたファイルを歪ませるほど手に力を込めたことに。
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