貴方の記憶が戻るまで

cyaru

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サミュエルの馬

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嫁いで2年と4カ月が過ぎたころだった。突然の招集命令が伯爵家に届いた。

隣国が侵攻してきたと言う事で、その最前線にサミュエルが立つのである。
厩舎を見てサミュエルは呟く。自身が乗る馬ももうかなりの高齢である。

オフィーリアと一緒に出掛けるメビウス号は16歳。

おおよその馬が軍馬で過酷な地を駆け抜けており、せいぜい12,13年と言われた。
貴族が趣味などに使う馬であれば世話も行き届き、20年近くまで生きる馬もある。

「参ったな…」
「どうなさいました?」
「いや、この馬が赴く戦地で走れるかどうか」

目の前の馬は数年前に買ったジェイン号。年齢は12歳になる。
5,6年前は十分に先陣を切って走るにも申し分はなかったが今は衰えが顕著に見える。

「ジェインとメビウスを馬肉業者に売れば頭金にくらいになるかな」
「えっ?ですがメビウス号は奥様が――」
「あんな女に馬の何が判ると言うのだ」
「し、しかし今この質のいい飼い葉も新しいブラシも奥様が――」
「そんな所に金を使っていたのか!軍馬としても使えぬ馬などに!」

「で、ですが!その馬で行こうとされたんですよね?奥様が手を入れて下さらなかったらジェイン号だってとっくに馬肉業者に売ってるんですよ?」

「なんだって?そこまで金がないわけじゃないだろう」

「ちゃんとお金を管理してる人に聞いてください!厩舎だって半年くらい前にもう取り潰して旦那様の馬は王宮にある馬を借りればどうかという話も合ったんですから!それを軍を統率する者が借りた馬などとは聞こえが悪いからって世話をするように奥様が自腹を切ってくれたから今があるんですよ!」

「だが、背に腹は代えられぬ。ジェイン号とメビウス号を売る。決定だ」
「旦那様っ!」

立ち去っていくサミュエルが屋敷に入り、入れ替わるようにオフィーリアとメイが来る。
項垂れる馬番にそっと声を掛けてみるが、俯いていた馬番は跪いて泣き崩れた。


「そう…メビウスとジェインを…まだちゃんと働けるのにね」
「ブルル♪」「ブフッブフッ♪」

2頭の腹を撫でて、メイは「ホントに屑な男だ!」っと口にしてしまう。

「メイ、思ったままを口にしてはダメよ」

オフィーリアは厨房からパンがまだ焼けていないからともらったリンゴを2頭に食べさせながら考える。確かに老いた馬だが賢い馬なのだ。ほとんどの軍馬の行く末は理解をしていてもここにきての相棒であるメビウス号。そして活躍の場を待っていたジェイン号。

「この馬はわたくしが買い取ります。信頼のできる軍馬の業者を直ぐに呼んで頂戴」
「えっ?奥様がこの2頭を?でも…軍馬ってそれなりにお値段がしますよ」
「領民を救うもあと少し。この2頭にはその先、頑張ってもらわねば。安いものです」


知らせを聞いた業者は直ぐに最高の馬を数頭連れてやってくる。

「支払いはわたくしが。とにかく旦那様には気に入った馬を差し上げて」
「良いんですか?どの馬もそれなりに良いお値段がついていますが‥」
「構いません。ルビー侯爵家が娘のこのオフィーリアが責任をもって支払います」

数頭の立派な若い馬を目の前にしてサミュエルは頬を紅潮させる。
オフィーリアが手を回し、購入は表向きは伯爵家が行う。

「この馬が一番いいな」
「お目が高いですね。最高級の馬で御座いましょう?1億ですが‥」
「えぇ?馬でしょう?どれも一緒じゃない。こっちは幾らなの?」
「そちらの馬は7千万で御座います」
「こっちにしよう?お金余るじゃない?ドレスも欲しいわ」

キャサリンはサミュエルの腕に枝垂れかかったが、馬を見るのに必死なサミュエルはその手を振りほどいた。不貞腐れながらキャサリンは他の馬を見て回りながら生えている草を与えようとする。

「やめてください!雑草など!この馬は商品なんですよッ!」
「キャッ!怖い!サミュ、この人私を怒鳴るのよ!酷いわ」

叱責された事に驚いたのと、馬が後ろを向き耳を倒している事に商人が更に激昂する。
馬は余程に機嫌を損ねると突進して来たり猛獣となる事があるのだ。

「いいですよ!なら他の業者から買ってください!ウチはもう二度と伯爵様とは取引はしません」

「ま、待ってくれ。私はこの馬が気に入った。是非買いたい」

「いいえ。他で買ってください。商品が傷物になるところだったんですよ。酷いのはどちらなんだか!これでもウチは至急の話に各地から大急ぎで馬をかき集めてきたんです。まぁこれ以上の馬となれば数か月待てば出るかも知れませんので待たれてはどうですかね」

「数か月?出立まであと1週間ほどなんだ、待てるわけがない」
「それは伯爵様の事情でしょう?ウチはもういいです。おーい引き上げるぞ!」
「頼む、待ってくれ。この馬が良いんだ」

「なら、あの女。向こうへやってください。さっきから臭い香水の匂いはさせるわ、口は喋れば汚く臭い息。馬も機嫌がいい加減に悪いようなので!」


商人の機嫌も最高潮に悪いようだが、馬に惚れてしまったサミュエルにはそれも届かない。
キャサリンに屋敷に戻るように伝えると、早速交渉を始めた。

「では、売買についてですが所有税も含めて1億4千万になります。3日で仕上げて参りますが半分は少なくともその時に。残りは出立される前に御精算頂けますか」

慌てて執事の顔を見るサミュエルだが、執事はそっと商人に耳打ちをする。
パっと顔が明るくなった商人は金額の欄を二重線で消していく。
そこからは満面の笑みを絶やさない商人は「では3日後」と言い残し去っていく。

「何を言ったんだ?」
「何の事でしょう」
「いや、支払いの時に業者に耳打ちをしていただろう」
「あぁ‥‥支払者の名前を告げただけです」

サミュエルはやはり武功を挙げ、数々の褒賞をもらった事を誇らしく感じた。
そんな哀れな主に早々の見切りをつけている執事は心で呟いた。

【あなたの名前じゃパンも買えませんよ】

そして音に出して声を発する。

「ジェイン号とメビウス号については奥様名義にする事になっております」
「は?なんであの女にくれてやらればならない?」
「それが契約の重要な条件です。あの2頭に感謝をしてくださいね」
「はっ。感謝?まぁもう金を食うだけの老いぼれ馬だからな。あの女にはさぞかし似合いだろう」

執事はまたもや心で呟いた。

【あなたにはあの下品な阿婆擦れがよくお似合いですしね】
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