【完結】この胸が痛むのは

Mimi

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第58話

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先代の、祖父と祖母が控えの間から出てきたのは式が始まる少し前でした。

会場には多くの人達が参列してくださっていました。
私達、家族席の向かい側に王族席が用意されていました。
殿下は葬儀には早めに来るから、と仰せになっていましたが、まだ御出にはなっていませんでした。

司教様のお祈りが始まる前に、若いお世話役の方がいらっしゃって、式の段取りをご説明してくださいました。

祭壇は母のお好きな白百合と、姉の大好きだった白薔薇で飾られていました。
贈ってくださった供花もそれに類したお花が多く、祭壇に近い席の私には、百合と薔薇の甘い香りがむせ返るように強く感じられました。

祭壇の側に積むように置かれた生花もやはり白百合と白薔薇で。
どちらかを一輪選んで、棺に入れ、お祈りをするのだと説明されました。
参列者全員が終わった後で、再び家族全員でふたりの棺に残った花を入れてください、とお話は締め括られました。

もうすぐ始まるのに、いらっしゃらないのかしら、と思い始めた頃。
殿下はいらっしゃいました。
後ろには、私をキリンと罵ったバージニア王女殿下もおられて。


正面の席には少し硬い表情の殿下が。
そして、その殿下にバージニア王女殿下が何か囁いていらして。
殿下が頷かれると、王女殿下がこちらをご覧になって。
笑っていらっしゃった様な気が致しました。
王女殿下は確かに私に向かって、笑っていらしたのです。
殿下が難しいお顔をされているのに、何がおかしいのでしょうか。

何だか怖くなって下を向いていると、兄が
『殿下もお気の毒に、おかしい女だな』と小声で言って。
バージニア王女殿下の華やかな黒の装いの事を言っていたようです。

目の前で見せられたおふたりのご様子に、内心面白くなかった私でした。
本来は今はそんなことより、ちゃんと母と姉を見送らなければいけないのに。
もう殿下の事を気にするのはやめようと、不謹慎な自分を戒めて見ないようにしました。


司教様の最初の祈りが厳かに聖堂内に広がっていきます。
これが終わると、聖歌隊の染み入るような歌声のなか、棺に花を捧げます。
私は兄の後ろに従い、白百合を手にしました。
私の次の先代が、私より早く手を伸ばして薔薇を持ったからです。

母の棺に近づき、百合を入れ、祈りを捧げます。
お顔の横に、今朝どうにか完成したハンカチと、この事故を起こすことになった原因の……『アグネスのハンカチ』が、畳まれて。
いつも姉を優先していると、拗ねていました。
何でも出来る姉がご自慢で、私は後回しにされていると。
母は何度も、私に手を伸ばしてくれたのに。
いつも気付かない振りをした。

姉には後で薔薇を捧げましょう。
今は祈るだけ……
あの朝、あんなに酷いことをした。
怯えたように私を見た姉に、私は胸がスッとした。
悔やんでも悔やんでも、もう姉が私の手を取ることはない。
私と兄が乗る馬車を見送っていた姿が、最後に見た姉でした。


 ◇◇◇


母の忘れ物を、祖母のタウンハウスへ取りに戻る際
『忘れ物を取りに行くなんて、貴方のお仕事じゃないのに』
姉はそう言って、馬車の中から護衛騎士に感謝をしたそうです。
向かいの席の母も、申し訳無さそうにしていたとか。

姉も、母から教えられていたのでしょう。
『仕事を多く抱えている使用人に、それとは別に自分の用事をさせるのなら、きちんとお礼は言いなさい』


母と姉が邸に戻ってきた時、棺の前で彼は、お側を離れて申し訳ありません、と父に泣いて謝りました。
父は頭を振り『いいんだ、いいんだ』と、何度も呟いて。
跪いたその肩を軽く叩いていました。

その通り、彼のせいではありません。
それは姉が頼んだから。
それは母が忘れたから。
それは私が刺した……私が刺したハンカチのせい。

祖母が私を。
背中から抱き締めてくれました。
『ふたりとも、まるで眠ってるみたいね』って。

護衛の騎士が震える手で、私に忘れ物のハンカチを差し出しました。
昔、姉の隣で、真似をして。
『お母様は百合がお好きだから』
母にプレゼントしましょうね、そう姉から勧められて。
姉がハンカチに薄く百合の下絵を描いてくれました。
その線の通りに刺したはずなのに。
こんなに汚い刺繍のハンカチなんて、渡せない。

母は美しい、と評判の女性でした。
祖母に聞いた話では、多くの縁談が申し込まれるなか、父はまだ16の母の心を手に入れる為、1日1輪の白百合を持って、ダウンヴィルの邸に50日間、毎日通ったそうです。

そんな美しい母に。
こんな汚いハンカチは渡せない。
癇癪を起こした私を『やり直せばいいよ』と、姉は抱き締めてくれたのに、突き飛ばして、泣いた事を思い出しました。
『捨ててよ!』と、メイドの誰に叫んだのかは思い出せないけれど。


亡くなったのだと、報せが来るまで。
気持ちを落ち着かせようと、新しくハンカチに刺繍を始めていました。
本当は嫌でした。
『お帰りになられたら渡しましょう』と、祖母に勧められたのです。
こんな事をすればする程、本当は無事に帰ってこないのだと思い知らされる気がして。


刺しかけた新しいハンカチを完成させて、古いハンカチと一緒に、お母様の棺に入れてあげましょう。
そうすれば、きっとお母様は安らかに眠れるから。


本当に? 本当に母は、姉は。
安らかに眠れるの?
私は? 私はこの罪を抱えて。
この先も生きていくの?


自分が仕出かしてしまった事の大きさを思うと、息苦しくて汗が出て。
それなのに指先は冷えて行くようで。
立っているのが辛くなってきていました。


 ◇◇◇


母と姉と、その翌日の御者の葬儀を終えて。
邸には悲しみに慣れてしまった静けさがずっと覆っていました。
この家の明るさを支えていたのは母と姉だった、と改めて思い知らされて。
使用人の誰もが音を立てずに、各自の仕事をこなしていました。


アシュフォード殿下とは葬儀以来、お会いしていませんでした。
お忙しくされているのか、こちらにいらっしゃることもなく、2度ほどお花と手紙を送って下さいました。

『無理をしないで』
『もう少しだけ待ってて』
『今は少し忙しくしているけれど、直ぐに会いに行くから』
『今度は全部話すから』 

そんなお手紙を届けられて……


全部話すおつもりなら、次に会うのが最後になるのかも、と思い。
ずっと殿下がお忙しければいいのに、と思ってしまうのでした。


『疲れているけれど、君がいるから勇気を貰える』

そんな言葉が綴られていても。
封筒は、あの薄い紫色をしていて。

……この世で一番、嫌いな色になりそうでした。
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