【完結】この胸が痛むのは

Mimi

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第57話

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ケネスは私のお願いの通りに、私の側に居てくれました。


「初めまして、私はアグネスの従兄のケネス・ダウンヴィルと申します……」

「あ、あぁ、初めまして……」


こんな場では長々と挨拶出来る筈もなく。
殿下もケネスもそれくらいしか言うことはなくて。
私を挟んで、右にいらっしゃる殿下からは、いつもの人懐こい雰囲気はないし、左のケネスは少し不機嫌で。
彼は巻き込んだ私を恨んでいるのでしょう。
私を調理場まで追いかけたせいで、巻き込まれてしまった自分を悔いているのかもしれません。



翌日のお別れ会にも殿下は邸に御出になりました。
父も昨夜は動きたくなかったようですが、さすがに今日はお別れに来てくださった皆様に挨拶もしていました。

殿下とプレストンはすっかり仲が良くなった様で、よくお話をされていました。
それをぼんやりと眺めていたら、私の視線に気付かれたのか、殿下がこちらにやってこられました。

ケネス、ケネス! と私は周囲を見回しましたが、彼の姿は何処にもなくて。


「兄上に聞いたけれど、刺繍をしているの?」

「はい、お母様の棺に入れてあげたくて……」

「余計な事だと思うけれど、無理したら駄目だからね?」

「……」

「ちゃんと眠れてる? 少しでも食べてる?」 

「……寝ていますし、食べています」

殿下の手が、私の頬に触れて。
ケネス、早く来て!
なんだか、殿下がお優しいの、泣きたくなるくらいに。
お願い、早く……


「少しでも時間が出来たら、身体を休めなきゃ……」

「アグネス、おばあ様がお呼びだよ」 

その時、ケネスがやっと現れてくれて、殿下に頭を下げて、私を連れて行ってくれました。
もう一度、頭を下げようと振り返ったら、殿下がこちらをずっと見ていました。

私の手を引きながら、ケネスがぶつぶつ言っていました。


「俺は殺されるよ、絶対。
 消される前に、ちゃんと殿下に言ってくれよ。
 こんなの間違ってる」

「殿下はお優しいよ」

「いやいや、今の目を見た?
 あれは俺に、死ねと言ってたよ。
 後1回だけだからな? 明日は知らない」

「そんな事言わないで?
 殿下とふたりでお話ししたら、どんどん好きになるの」

「どんどん好きになればいいだろ! もうクラリスはいないんだから!」

……そうね、クラリスはもういない。
私が消えて、と呪ったの。


夕方、殿下がお帰りになると仰って、私は兄からお見送りをするように言われました。
マーシャル様と侍従の方が先に馬車へと行かれて。

殿下は私が組み紐を結んでいない事に気付かれたようでした。


「切れたんです、切れてしまいました」

もし気付かれてお尋ねになったら、と答えは用意していたので、ちゃんと言えました。
すると、しばらく黙っておられて。


「じゃあ、今度一緒にトルラキアに行ったら、またあのおばさんから買おう」


直ぐに返事が出来なくて。
喉の辺りに、熱い塊が詰まってきて。
あの、『出会い市』に行ったのは、すごい昔の事みたい。


「アグネス、聞こえた?」

「……ありがとうございます。
 そうですね、そんな機会があれば」

無理矢理に笑顔を作りました。 
殿下が温室で、姉に告白していたのを聞いたの、と言えば。
もう会えなくなるのかな。
もう会わなくて済むのかな。


「少しだけ時間貰えるかな? 君に話がある、って言ってたよね?
 あれなんだけれど……」

……そうだった。
あの日の朝早くからご使者が来られて、話があるとお手紙を貰っていました。
聞かなくてはいけないのに、そんな勇気はなくて。


「ごめんなさい、殿下。
 今は、その事は忘れたいのです」

「殿下、って。
 フォードって、呼んでくれないの?」

「……」


それは、特別な呼び名でした。
初めて会った王城の四阿で。
殿下は見習いのフォードと名乗ったのです。
それから、トルラキアの教会の前。
本物のフォードだよ、と迎えに来てくれた。
この日から殿下はご自分の事を、私じゃなくて俺って言った。

私にとって、その名前は、本当に特別な、特別な……
喉の奥が熱くなって、塊が上がってきて、目の奥が痛くて、このままでは……何か話そうとしたら。
『泣いてしまう』そう思って、仕方がないので笑いました。


「アグネス、そろそろ……」

やっと、ケネスが来てくれました。
肘を支えてくれた彼が誰もいない部屋へ連れて行ってくれました。


「落ち着いたら、出てこいよ」

ひとりにして貰えて、私は泣きました。


 ◇◇◇


葬儀開始の1時間前に、先代は教会に到着されました。
侯爵邸に寄る時間がなく、教会の控えの間に入られて喪服に着替えるのを余儀なくさせられた事に大変ご立腹されていて、私達を呼びつけました。
私達の後ろから騎士隊長が付いてきて一緒に部屋に入ってきましたが、単なる護衛だと先代は彼の事は気にしていない様でした。


「どうしてもっと早くに連絡せんのだ!
 行方がわからなくなっていたなら、その時点で早馬を出すべきだろう!
 死んでから連絡してくるとはな? 
 ゲイルも惚けたな、暇を取らせろ!」

先代が罵った、ゲイルとは家令の事です。
自分への連絡を怠ったと、先代は彼に激怒して辞めさせる様に、父に怒鳴りました。
ご自分が当主だった頃から我が家に尽くしてきてくれたゲイルを惚けた、という祖父に反発しか感じませんでしたが、口答え等許される筈もなく。
ところが、兄が一歩前に出て。


「ゲイルには私が、連絡は後で良いと命じたのです」

兄の体の前に、父が手を出して要らぬ事を言わないように下がらせようとしたのですが、兄は続けました。


「父上が戻られていなかったので、私がそう命じたのです」

「お前がか? どんな了見でそんな勝手な真似をしたか、話してみろ」

先代は馬鹿にした様に兄を見ました。
隣には祖母が座っていて、孫である大切な嫡男が責められているのに、自分には無関係であるかの様な表情をされていました。


「捜索に人も馬も足りませんでした。
 領地に早馬を走らせるのに、2騎も使いたくなかったのです」

「あぁ、なる程お前はあれか?
 皆に采配を振るのは楽しかったか?
 さぞや、わくわくしたろうな?
 このまま、姉が戻りませんようにと……」

「父上!」

父が先代の言葉を遮ったのを初めて見ました。
先代は父を睨み付け、また兄に向かって話し出しました。


「お前は嬉しいのだろう?
 クラリスがいなくなれば、己は安泰だと。
 だがな、それならアグネスに……」

クラリス、アグネスと。
姉と私の名前を出す先代が何を言いたいのかわかりませんでした。
何故にここまで怒って、兄を責めるのか理解出来ませんでした。
葬儀には間に合った、それでいいのに。
兄は拳を握りしめて、立っていて……その時でした。


「黙れ! 退いたのなら、余計な口出しはするな!」

父が怒鳴って。
驚きました。
先代に対してそのように声を荒げるのもそうですが。
厳しい人でしたが、感情に任せて怒鳴ることなど一度もなかったからです。

先代も祖母も驚いて、父の顔を見ていました。
隣に立っていた兄も。
隊長だけが平然と、父の背後から兄の後ろに移動しました。 


「プレストンの判断は間違っていない!
 スローンの後継はプレストン以外にない!
 年寄りは年寄りらしく、領地で大人しくしているがいい」
 
「……」

先代は何か言いたげに口を開きかけては黙るのを何回か、繰り返して。
ようやく、こう言いました。


「言った言葉は戻らないからな、後悔しても」

「ここで黙っていた方が一生後悔しましたよ。
 貴方達が葬儀に出るか出ないかは、ご自由に。
 私達はこれから皆さんを招き入れるので忙しい。
 呼びつけるのは遠慮していただきたいですね」


父はそれだけ言うと、部屋をさっさと出ていきました。
兄は少し頭を下げ、私も簡単なカーテシーをして出ました。
私の後ろには隊長も続いて。
兄が隊長を振り返って『ありがとう』と、言って。
私に笑いかけました。


「来年の誕生日にはもう、お金を送って貰えないだろうな。
 それだけが残念だな?」
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