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1章
1話
しおりを挟む「あ……そういえば、今日から5錠飲むように処方されてるんだっけ……」
ユキは朝食の後いつものようにオメガの発情期抑制剤のアルミのシートを手にとって呟いた。
「俺はよく薬が効くから量は増やさなくてもいいとは思うんだけど……念のためにってとこか」
オメガということを偽って医者として働くユキのことを、同じ医師として理解してくれる主治医はいつも少し多目に抑制剤を処方してくれる。
医者という職業はその殆どがアルファ、ごく稀に優秀なベータで占められている。
だからユキがオメガであるにもかかわらず、医者になれたのは純血のアルファ家系である一族に認められたいという想いから、類い稀なる努力、正に血が滲むような努力をしてきた結果であった。
パチリ、パチリと錠剤を手のひらに出すと二回に分けてユキは薬を飲み込んだ。
「……ん……」
オメガであるというだけで劣っているというレッテルを貼られるのを避けるため、ユキは自らの性をベータと偽って病院に報告していた。
今日も暑くなりそうだからネクタイは病院に着いてからするか……
そう呟くとユキはラフな格好のまま独り暮らしをしているちいさなマンションを後にした。
*****
ユキの勤める帝都大学附属病院は都内屈指の大学病院だ。帝都大学の医学部を卒業の後そのままこの病院で研修医を経て、現在は小児科の専門医として勤務している。
ロッカールームでTシャツにジーンズというスタイルからシャツとスラックスに着替えきっちりとネクタイを締めた。幼く見える前髪を軽く整髪料で整えて眼鏡をかける。
ロッカーに付いているちいさな鏡でオメガ特有の中性的な雰囲気を消せているか念入りにチェックしてから白衣を羽織ってロッカールームを出た。
「おはようございます」
医局に行く前ナースステーションに立ち寄るのがユキの日課だ。
ユキは勤務する小児科のナースステーションが俄に忙しくなる病棟の朝食前に顔を出す。
まだ眠ってる子も多い朝六時。
ちいさな声で挨拶すると疲れた表情を浮かべていた夜勤のナース達の笑顔がパッと華やぐ。
「ユキ先生、おはようございます。あ、差し入れのお菓子あるから座っていって」
「先生大好きなやつだよ」
友人に声をかける気楽さでユキに声をかけるナース達。日本の医療の最先端に位置するこの病院の医師は男性も女性も殆どがアルファであるためプライドが高く気軽に声をかけづらい中、ユキの医師であることを鼻にかけない態度とふわりとした雰囲気はナース達に受け入れられ易いものだった。
「あ、やった。プレドールのマフィンだ……」
顔を綻ばせたユキ。
「先生の好きなチョコレートもあるよ」
仲のよいナースがチョコレートの箱も見せる。
「朝からそんなに食べられないよ」
「ユキ先生甘いの大好きだから大丈夫だって」
「ティーバッグだけど紅茶あるから先生お菓子食べるのちょっと待ってて」
鬼とナース達に恐れられている看護師長もユキにはあまい。
「夜は何か変わったことありませんでしたか?」
「今日は至って平和な夜だったわね。あ、マキちゃんが夜の回診ユキ先生じゃなかったって泣いて内藤先生困らせてたから朝の回診は先生お願いね」
「はい、わかりました。高弥くんは昨夜は眠れてましたか?」
ユキ専用のマグカップに淹れられた紅茶を差し出しながら今度は師長が答える。
「ここのところ容態は安定しているので夜は眠れてるみたいです」
脳腫瘍を患う13歳の少年の容態をユキは尋ねた。
ユキが担当する患者で最も重い病気だ。
「良い執刀医を探して何とか誤魔化し誤魔化しここまできたけれど……もう手術に踏み切りたいところだな……」
「その事なんですが……」
少し曇った表情を浮かべた師長の顔を見てやっぱり駄目であったか……と内心ユキは酷く落胆した。
「矢城先生と脳神経外科とで話したようなんですが、やはり永瀬先生に執刀してもらうのは難しいようです」
「あーやっぱりかぁ」
小児科の医局長でもある矢城から話してもらっても駄目だった…
目に見えて落胆するユキに
「ユキ先生は高弥くんのために十分頑張りましたよ。きっと永瀬先生でなくとも成功しますよ」
励ましてくれた看護師達にありがとう、と微笑むと紅茶を片手にナースステーションの共用のパソコンからナース達の昨夜の特記事項が書かれたメモにざっと目をとおした。
アルファの医師達はやはりユキよりもずっと優れた頭脳の持ち主だと認めざるを得ない。
だがユキはアルファの医師たちと肩を並べるために毎朝早く出勤してその日の情報をナース達からの聞き取りやカルテなどから正確に把握するよう努めたり、仕事後も熱心に色んな論文を読み耽ったり…と努力を欠かさなかった。
熱心にカルテのチェックを行っていながらナースと情報交換していると俄に騒がしくなってきた。
(そろそろ時間かな)
ユキは看護師達に礼を言うとナースステーションの奥にある医局の扉を開けた。
夜勤の医師に挨拶をして、自分のデスクに置かれた書類をチェックしていると小児科部長である矢城が現れた。
「矢城先生おはようございます」
ユキが声をかけると
「綾川君おはよう」
50代に差し掛かったロマンスグレーの矢城が挨拶を返す。
「矢城先生、永瀬先生の件……」
ユキが切り出すと申し訳なさそうに矢城は
「昨日脳神経外科部長に永瀬先生に高弥くんの手術をしてもらいたいと申し出てはみたんだけどね、やはり難しいようだ。永瀬先生の手術を待っている患者は多いからな…まぁ永瀬先生でなくとも手術することは出来るだろう」
とため息を吐いた。
やはり看護師長が言っていた内容と相違なかった。
と、がっかりと落ち込む。
「確かにそうですが……高弥くんの場合普通に手術したのでは後遺症が残る可能性が……」
「だがなぁ、永瀬先生がいくら『神の手』の持ち主と言ってもな、高弥くんの手術は難しい。脳の中枢に巣くう腫瘍だ。手術が成功したとして後遺症が残らないようにというのはまず無理だろう。最初の予定どおり田上先生に執刀してもらおうという話になった。」
「そうですか………」
永瀬が執刀できる術数には限りがある。
出来るだけ病院に有益な人物に執刀させたい病院の意向があるのだろう。
(無駄だろうけど直接行って頼んでみよか……)
そう思いながらユキは自分のデスクに戻り、パソコンから院内のスケジュール管理のページを開いた。
(……外科……脳神経外科……っと)
この春、帝大附属病院に赴任してきた永瀬和真の名前を見つける。
神の手を持つと言われアメリカの有名な医師を院長が直々にアメリカに出向いてヘッドハンティングしたと噂されている。
(えーと、永瀬和真……あった。今日は日勤、か)
昼休みにいつもより少し早めに入って脳神経外科の医局のそばで待ち伏せよう。
漸く研修期間が昨年終わったばかり。2年目の医師である自分なんかが話しかけていい医師ではないが、高弥のためを思うとそうも言っていられない。
上の話し合いが駄目なら直接掛け合うまでだ。
「よし!」
思わず漏らしてしまった声に回りの医師達からクスクス笑われる。
「ユキは本当、可愛いなぁ」
そういう風に言われると自分がオメガだとバレたのではないかとどきり、とするが医局のみんなが一番年下のユキだからそういう風に扱うだけだ、とわかってもいるので動揺を表に出さないようにして
「もう可愛いって言われる年じゃないですよ」
と苦笑して返すと回診に行くために医局を後にした。
注意深く子供らの体調を観察しつつも彼らとの会話を楽しんでユキは朝の回診を行った。
「高弥くん、気分はどう?」
ユキの担当する患者の一人である松浦高弥は、重篤な脳腫瘍を患っている。
故に、その顔色や様子にとりわけ注意を払うことが必要であった。
しかし、子供たちを不安にさせないように細心の注意を払って笑顔を忘れないようにしなければならないのも小児科医の大切な仕事だ。
「今日はとても気分がいいです。でも、少しずつ視界が狭くなっているかも」
「そうか、手元の文字見えづらくなってきた?」
「すこし……休んだ方がいい?いつもどおり勉強しても平気?」
「高弥くんが辛くなければ構わないけどあまり無理はいけないよ?」
「でも、中二の後期から高校受験の内申に入るんだよ……戻って試験受けられるかもしれないし……」
「そうだけど、無理して手術出来なくなったら元も子もないからね」
「うん……ね、先生。今日はボランティアの先生は来ない日なんだけど数学聞きたいところがあって……教えてもらえる?」
すっかり痩せてしまったものの、高弥の瞳は大きくてキラキラ輝いている。
「あぁ、いいよ。今日は夕方時間が取れそうだから、仕事急いで片付けたら来るね」
ユキはにっこり笑うと約束、と言って高弥の折れそうに細い小指に自分の小指を絡めた。
実は高弥はまだ発情期は始まっていないがオメガであった。そのせいで高弥の両親はあまり高弥の治療には金をかけたくないというスタンスだ。
しかしその境遇の中で将来の夢のために病床に臥せながらも高弥は懸命に勉強に励んでいた。もちろんどんな患者にも同じように誠心誠意最善の治療を探して当たるが高弥はユキにとって境遇が似た特別な患者であることは否定できなかった。
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