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4章
4話
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「ただいま」
ユキの同僚である奈美との話を終え永瀬が帰宅すると、先に帰っているはずのユキからの返事はない。ユキが通勤に使っているスニーカーは玄関に行儀よく並んでいるので家にはいるはずだ。
「ユキ?」
リビングにも寝室にも浴室にも居ない。家の奥にあるユキの部屋から淡く彼の香りが感じられて、導かれるままに向かう。ユキの部屋は越してきた当初は使用していたものの、今では単なる荷物置き場と化している。ベッドは永瀬の寝室のものを一緒に使用しているし、仕事や勉強を持ち帰っているときは居心地の良いリビングにノートパソコンを持ち込んで、寛ぐ永瀬に凭れながらしている。そのためユキが自室に居ることは殆ど無いと言っても良かった。
ユキの部屋の扉をそっと開けると、エアコンも着けておらず、驚くほどひやりとしていた。
真っ青な顔で踞るようにしていたユキの躯にそっと触れるとびくりと戦慄いた。
「あ……永瀬せんせ……お疲れ様です……」
踞る背中を暖めるように抱き締めても躯は強張ったままだ。
「躯冷えてるぞ。温めないと良くないだろう?」
靴下も履いていない足先は氷のように冷たくなっていた。もともと痩せ気味ではあったが、悪阻のせいで更に体重が落ちたであろう躯は永瀬の腕の中でともすれば折れてしまいそうなほどであった。
部屋の灯りを点けようとすると、冷たい指先がそっと永瀬の指先の動きを止めた。
「電気、点けないで……」
「ユキ……」
「……ちょっと気分が悪くてひどい顔してるから」
暗闇でユキの頬に指を伸ばすと永瀬の指先はするりとなめらかな感触の中に冷たい雫の痕を見つけた。涙の痕を見つけられユキはひくりと喉を鳴らした。
「こんなに寒い部屋で一人で泣くな」
永瀬はユキを抱えると、はらり、と何か布のようなものがユキの腕の中から零れ落ちた。永瀬がつ、と視線をやるとそれは永瀬が休日の日に愛用しているフレンチリネンのコットンシャツ。
(これを抱きしめて、震えていたのか……)
抱きしめていた腕に力をぐ、っと込めると薄ら寒い部屋を出た。隣接する永瀬の部屋に入り広いベッドにそっと降ろす。永瀬本人からも柔らかな寝具からも大好きな香りが漂い、ユキの胸の奥を締め付けた。
永瀬は己の子が宿る腹部をそっと撫でる。
「悪阻で食事ができないのは仕方ないが、冷やしたらだめだろう?お願いだから大事にしてくれ」
殊更優しい声色で囁いたのだが、堰を切ったようにユキの大きな瞳からはポロポロと涙が溢れ出した。珍しいユキの涙に永瀬は表情こそは大きくかえなかったものの、ひどく狼狽した。
乾いた指先が涙の拭って濡れてゆく。
「最近、元気がないのは悪阻のせいだけじゃないな?」
ユキの同僚の奈美からも元気ないのは悪阻のせいだけではないのではないかと話されていた永瀬はゆったりと背を撫でてやると、やはりそのとおりであると言わんばかりに永瀬の掌にユキの躯の震えが伝わった。何でもないというように、ユキは頭を振ると消え入りそうな声で
「大丈夫です。悪阻のせいで元気が出ないだけ……」
と、呟いた。そんな躯を温かな永瀬の掌が撫でる。体温など無さそうな永瀬だが、触れると予想外にとても温かくて、ユキはいつもその温もりに溺れる。そんな永瀬の温かい掌が優しくユキに乞う。お願いだから、本心を話してくれ、と。黙り込むユキの躯をただ、ただ温めてやるように、温もりを分けるように根気強く永瀬は撫で続けた。どれくらい時が経ったのだろうか。随分時計の針は進んだ。眠ってしまったかと思ったユキがぽつりと言った。
「永瀬先生、大事にしてくれるけど……っ……産まれてくる子がオメガだったら……って思うと」
「うん……オメガだったら……?」
大きな掌が何度も大丈夫だと言うようにユキの背を撫でる。
「すごく出来の悪いオメガを僕が産んでも、先生は本当にその子を愛せる?出来の悪いオメガなんかいらないって言わないであげることなんて出来る?」
震えるユキの躯を抱き締める永瀬は胸の奥が突かれるような思いだった。沢山愛を注いではいる。だがきっとまだユキには足りないのだ。それまで彼が親から受けてきた仕打ちは永瀬の想像を絶するもので、きっとその苦痛を完璧に理解してやるなんて、傲りでしかないだろう。だから、ユキの気持ちを完全にわかってやれない永瀬だったが、自分がどれほどに彼と彼に宿る命が大切であるかが伝わるように、真摯に言葉を口唇に乗せた。
「『ユキを愛してる』んだ。君が産んでくれたアルファの子やベータの子なら力強く生きていくよう育てるし、オメガの子が産まれたら」
産まれたら……?
不安に駆られてユキは咄嗟に目を瞑った。
両親から掛けられてきたオメガであることを侮蔑する言葉が頭を巡る。
「発情期というハンディキャップがあるからな。十分にそこは支えてやって、後は同じ様に力強く生きていくよう育てるだけだ」
と言って初めて見たときは冷たく見えたその瞳がこれ以上なく眼鏡のレンズの向こうで優しく瞬いた。
だが……と、永瀬は前置きして
「ユキにそっくりの可愛いオメガが産まれてしまったら、番のアルファを連れてきたとき許せなくて殴ってしまう恐れはあるな」
と、嘯いて笑った。
「ほんと?」
ユキは泣き笑いみたいな表情で聞き返す。
「あぁ、例えどんな子であっても、君と俺の間に産まれた子を愛さないなんて、俺には出来ない。その証拠に……」
永瀬はそっと掌を腹部に充てて囁く。
「まだこんなにも小さいのに、俺は愛しくて愛しくてたまらないんだ」
ユキの躯はまだ少し震えていた。長年積み重なったものはそう簡単に無くなりはしないだろう。ゆっくりと時をかけて、ユキに全てを愛されるということを教えてやらなければならない。
しかし、それでも永瀬の言葉と優しい瞳の色にユキの冷えきった躯は少しずつ失われてしまった熱を取り戻し始めていた。
赤味を取り戻したやわらかな唇を啄むように口付ける。すっかり細くなってしまった腕が永瀬の逞しい首筋に控え目にだが回された。あまい香りに誘惑されて蜂蜜を溶かしたミルクのような色のなめらかな頬や額や鼻先にも口付けて、また唇に。永瀬にとっては食べ頃の果実を思い出させるその唇を味わうように舌先で辿ると、おずおずともの慣れない仕種でユキの舌が覗いた。思わずきつく吸い付き、思う存分に味わってから瞳を覗き込むと黒目がちの瞳はうるりと滲んで熱を含みながら永瀬を見返していた。
(これ以上は止まれなくなるな)
理性を総動員してユキからそっと躯を離そうとすると、まるで幼い子供のように愛らしい仕種で永瀬のシャツをぎゅっと掴んだ。
「ま……待って……あの……」
「どうした……?」
「あ……やだ……離れないでほし……っ」
「ユキ………」
大きな掌で殊更優しくユキの柔らかな髪を撫でた。
「俺も離したくないんだが……ずっとユキを抱いてると、どうもな……」
これでも精一杯我慢してるんだぞ……?
「な……んで?」
「何でって……」
「悪阻は大分治まったし、そろそろ安定期だから……」
大丈夫……消え入りそうな精一杯の誘い文句は、永瀬の噛みつくようなキスの中に消えた。
ユキの同僚である奈美との話を終え永瀬が帰宅すると、先に帰っているはずのユキからの返事はない。ユキが通勤に使っているスニーカーは玄関に行儀よく並んでいるので家にはいるはずだ。
「ユキ?」
リビングにも寝室にも浴室にも居ない。家の奥にあるユキの部屋から淡く彼の香りが感じられて、導かれるままに向かう。ユキの部屋は越してきた当初は使用していたものの、今では単なる荷物置き場と化している。ベッドは永瀬の寝室のものを一緒に使用しているし、仕事や勉強を持ち帰っているときは居心地の良いリビングにノートパソコンを持ち込んで、寛ぐ永瀬に凭れながらしている。そのためユキが自室に居ることは殆ど無いと言っても良かった。
ユキの部屋の扉をそっと開けると、エアコンも着けておらず、驚くほどひやりとしていた。
真っ青な顔で踞るようにしていたユキの躯にそっと触れるとびくりと戦慄いた。
「あ……永瀬せんせ……お疲れ様です……」
踞る背中を暖めるように抱き締めても躯は強張ったままだ。
「躯冷えてるぞ。温めないと良くないだろう?」
靴下も履いていない足先は氷のように冷たくなっていた。もともと痩せ気味ではあったが、悪阻のせいで更に体重が落ちたであろう躯は永瀬の腕の中でともすれば折れてしまいそうなほどであった。
部屋の灯りを点けようとすると、冷たい指先がそっと永瀬の指先の動きを止めた。
「電気、点けないで……」
「ユキ……」
「……ちょっと気分が悪くてひどい顔してるから」
暗闇でユキの頬に指を伸ばすと永瀬の指先はするりとなめらかな感触の中に冷たい雫の痕を見つけた。涙の痕を見つけられユキはひくりと喉を鳴らした。
「こんなに寒い部屋で一人で泣くな」
永瀬はユキを抱えると、はらり、と何か布のようなものがユキの腕の中から零れ落ちた。永瀬がつ、と視線をやるとそれは永瀬が休日の日に愛用しているフレンチリネンのコットンシャツ。
(これを抱きしめて、震えていたのか……)
抱きしめていた腕に力をぐ、っと込めると薄ら寒い部屋を出た。隣接する永瀬の部屋に入り広いベッドにそっと降ろす。永瀬本人からも柔らかな寝具からも大好きな香りが漂い、ユキの胸の奥を締め付けた。
永瀬は己の子が宿る腹部をそっと撫でる。
「悪阻で食事ができないのは仕方ないが、冷やしたらだめだろう?お願いだから大事にしてくれ」
殊更優しい声色で囁いたのだが、堰を切ったようにユキの大きな瞳からはポロポロと涙が溢れ出した。珍しいユキの涙に永瀬は表情こそは大きくかえなかったものの、ひどく狼狽した。
乾いた指先が涙の拭って濡れてゆく。
「最近、元気がないのは悪阻のせいだけじゃないな?」
ユキの同僚の奈美からも元気ないのは悪阻のせいだけではないのではないかと話されていた永瀬はゆったりと背を撫でてやると、やはりそのとおりであると言わんばかりに永瀬の掌にユキの躯の震えが伝わった。何でもないというように、ユキは頭を振ると消え入りそうな声で
「大丈夫です。悪阻のせいで元気が出ないだけ……」
と、呟いた。そんな躯を温かな永瀬の掌が撫でる。体温など無さそうな永瀬だが、触れると予想外にとても温かくて、ユキはいつもその温もりに溺れる。そんな永瀬の温かい掌が優しくユキに乞う。お願いだから、本心を話してくれ、と。黙り込むユキの躯をただ、ただ温めてやるように、温もりを分けるように根気強く永瀬は撫で続けた。どれくらい時が経ったのだろうか。随分時計の針は進んだ。眠ってしまったかと思ったユキがぽつりと言った。
「永瀬先生、大事にしてくれるけど……っ……産まれてくる子がオメガだったら……って思うと」
「うん……オメガだったら……?」
大きな掌が何度も大丈夫だと言うようにユキの背を撫でる。
「すごく出来の悪いオメガを僕が産んでも、先生は本当にその子を愛せる?出来の悪いオメガなんかいらないって言わないであげることなんて出来る?」
震えるユキの躯を抱き締める永瀬は胸の奥が突かれるような思いだった。沢山愛を注いではいる。だがきっとまだユキには足りないのだ。それまで彼が親から受けてきた仕打ちは永瀬の想像を絶するもので、きっとその苦痛を完璧に理解してやるなんて、傲りでしかないだろう。だから、ユキの気持ちを完全にわかってやれない永瀬だったが、自分がどれほどに彼と彼に宿る命が大切であるかが伝わるように、真摯に言葉を口唇に乗せた。
「『ユキを愛してる』んだ。君が産んでくれたアルファの子やベータの子なら力強く生きていくよう育てるし、オメガの子が産まれたら」
産まれたら……?
不安に駆られてユキは咄嗟に目を瞑った。
両親から掛けられてきたオメガであることを侮蔑する言葉が頭を巡る。
「発情期というハンディキャップがあるからな。十分にそこは支えてやって、後は同じ様に力強く生きていくよう育てるだけだ」
と言って初めて見たときは冷たく見えたその瞳がこれ以上なく眼鏡のレンズの向こうで優しく瞬いた。
だが……と、永瀬は前置きして
「ユキにそっくりの可愛いオメガが産まれてしまったら、番のアルファを連れてきたとき許せなくて殴ってしまう恐れはあるな」
と、嘯いて笑った。
「ほんと?」
ユキは泣き笑いみたいな表情で聞き返す。
「あぁ、例えどんな子であっても、君と俺の間に産まれた子を愛さないなんて、俺には出来ない。その証拠に……」
永瀬はそっと掌を腹部に充てて囁く。
「まだこんなにも小さいのに、俺は愛しくて愛しくてたまらないんだ」
ユキの躯はまだ少し震えていた。長年積み重なったものはそう簡単に無くなりはしないだろう。ゆっくりと時をかけて、ユキに全てを愛されるということを教えてやらなければならない。
しかし、それでも永瀬の言葉と優しい瞳の色にユキの冷えきった躯は少しずつ失われてしまった熱を取り戻し始めていた。
赤味を取り戻したやわらかな唇を啄むように口付ける。すっかり細くなってしまった腕が永瀬の逞しい首筋に控え目にだが回された。あまい香りに誘惑されて蜂蜜を溶かしたミルクのような色のなめらかな頬や額や鼻先にも口付けて、また唇に。永瀬にとっては食べ頃の果実を思い出させるその唇を味わうように舌先で辿ると、おずおずともの慣れない仕種でユキの舌が覗いた。思わずきつく吸い付き、思う存分に味わってから瞳を覗き込むと黒目がちの瞳はうるりと滲んで熱を含みながら永瀬を見返していた。
(これ以上は止まれなくなるな)
理性を総動員してユキからそっと躯を離そうとすると、まるで幼い子供のように愛らしい仕種で永瀬のシャツをぎゅっと掴んだ。
「ま……待って……あの……」
「どうした……?」
「あ……やだ……離れないでほし……っ」
「ユキ………」
大きな掌で殊更優しくユキの柔らかな髪を撫でた。
「俺も離したくないんだが……ずっとユキを抱いてると、どうもな……」
これでも精一杯我慢してるんだぞ……?
「な……んで?」
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