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5章
4話
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その夜。
食卓に登ったほかほかと湯気を立てる牡蠣の土手鍋。美味しそうな味噌の香りと磯の香りに食欲がそそられ、ビールにもぴったりだ。可愛い和也は鍋が食卓に上がる前にたっぷりと乳を飲んで、気持ち良さそうにリビングに置いたベビーラックですやすやと眠っている。外はもう冬の始まりで木枯らしが吹きすさむほどに寒かったが、暖かく幸せに満ちた室内で永瀬は上機嫌だった。
そんな永瀬がユキの異変に気付いたのは、二度目のお代わりを装うために傍らに置かれた御玉に手を掛けたときだった。ユキはこの鍋のレシピを看護師に聞いたときのエピソードを楽しそうに、饒舌に話していたので気が付かなかったのだ。細々とよく働くユキはその動きに見合ってしっかりと食事を摂る方であるのに、最初に装った牡蠣や野菜はちっとも減っていなかったし、湯気を立てていたご飯もそのままだった。
「どうした?何処か具合いが悪いのか?」
尋ねると笑顔がほんの少しだけ。永瀬でなければ気づかないほど僅かに凍りついた。
「だ、いじょうぶです。美味しいですね、この牡蠣。三陸の牡蠣なんですよ。奮発していっぱい買っちゃったので沢山食べて下さいね」
「あぁ……うまいな。だが、ユキは食べないのか?」
尋ねるとそこで初めて自分が殆ど食事に手をつけていないことに気が付いたユキは、慌てて食事に手を付け始めた。
「やっぱり、まだ和也も小さいし仕事に行くと疲れてしまうんじゃないか?ユキがどうしても仕事をしたいのなら家政婦を増やしてもいいんだぞ?」
和也の面倒を見てもらう年配の佳代の疲れを心配して、夕食の支度は早く帰ってくるユキがすることが多かった。
「大丈夫です。ご飯作るの楽しいし。それに佳代さんなら慣れているからいいけれど……」
新しい家政婦を家に入れるのは不安らしく、その話をするとユキはいつも顔を曇らせる。
「じゃあ俺も早く帰れるように……」
「それはだめです!」
永瀬が言い終わる前に被せるようにユキは言う。
「先生のことを待ってる患者さんはいっぱい居るから」
「君のことだって待ってる患者さんいっぱい居るだろう?」
「だめったらだめです!体が疲れてるってわけじゃなくて……今日は……その……」
「俺に何か言わなくちゃいけないことがある?」
突然核心を突かれて思わずユキはがばり、と顔を上げてしまった。
顔を上げたユキの瞳に思ったよりもずっと真剣な永瀬の顔が映る。永瀬はユキの顔をじっと見る。ユキの心を見誤らないように。それから永瀬は立上がりユキのすぐ隣まで移動してくると、大きな掌で優しくユキの頭を撫でた。それから冷めてしまった牡蠣の入った器の中味をぐつぐつと小さく熱が泡立つ鍋に戻してしまった。
「あ、だめですよ。食べ掛け汚い……」
「二人で食べてるんだから構わんだろう」
と笑う。クールだと評される瞳はその実誰より温かい。
温め直した鍋の具をもう一度器に装って永瀬は笑う。
「食べないと元気が出ないぞ」
ほら……とほかほかの鍋の具を永瀬は箸で掴むとユキの口に入れた。
「おいし……」
ほっとする温かな味にユキは顔を綻ばす。
「そうだろう、旨いだろう……って作ったのユキだけどな」
と、いたずらっぽく瞳を瞬かせた。ユキも思わず声を上げて笑ってしまった。
食卓に登ったほかほかと湯気を立てる牡蠣の土手鍋。美味しそうな味噌の香りと磯の香りに食欲がそそられ、ビールにもぴったりだ。可愛い和也は鍋が食卓に上がる前にたっぷりと乳を飲んで、気持ち良さそうにリビングに置いたベビーラックですやすやと眠っている。外はもう冬の始まりで木枯らしが吹きすさむほどに寒かったが、暖かく幸せに満ちた室内で永瀬は上機嫌だった。
そんな永瀬がユキの異変に気付いたのは、二度目のお代わりを装うために傍らに置かれた御玉に手を掛けたときだった。ユキはこの鍋のレシピを看護師に聞いたときのエピソードを楽しそうに、饒舌に話していたので気が付かなかったのだ。細々とよく働くユキはその動きに見合ってしっかりと食事を摂る方であるのに、最初に装った牡蠣や野菜はちっとも減っていなかったし、湯気を立てていたご飯もそのままだった。
「どうした?何処か具合いが悪いのか?」
尋ねると笑顔がほんの少しだけ。永瀬でなければ気づかないほど僅かに凍りついた。
「だ、いじょうぶです。美味しいですね、この牡蠣。三陸の牡蠣なんですよ。奮発していっぱい買っちゃったので沢山食べて下さいね」
「あぁ……うまいな。だが、ユキは食べないのか?」
尋ねるとそこで初めて自分が殆ど食事に手をつけていないことに気が付いたユキは、慌てて食事に手を付け始めた。
「やっぱり、まだ和也も小さいし仕事に行くと疲れてしまうんじゃないか?ユキがどうしても仕事をしたいのなら家政婦を増やしてもいいんだぞ?」
和也の面倒を見てもらう年配の佳代の疲れを心配して、夕食の支度は早く帰ってくるユキがすることが多かった。
「大丈夫です。ご飯作るの楽しいし。それに佳代さんなら慣れているからいいけれど……」
新しい家政婦を家に入れるのは不安らしく、その話をするとユキはいつも顔を曇らせる。
「じゃあ俺も早く帰れるように……」
「それはだめです!」
永瀬が言い終わる前に被せるようにユキは言う。
「先生のことを待ってる患者さんはいっぱい居るから」
「君のことだって待ってる患者さんいっぱい居るだろう?」
「だめったらだめです!体が疲れてるってわけじゃなくて……今日は……その……」
「俺に何か言わなくちゃいけないことがある?」
突然核心を突かれて思わずユキはがばり、と顔を上げてしまった。
顔を上げたユキの瞳に思ったよりもずっと真剣な永瀬の顔が映る。永瀬はユキの顔をじっと見る。ユキの心を見誤らないように。それから永瀬は立上がりユキのすぐ隣まで移動してくると、大きな掌で優しくユキの頭を撫でた。それから冷めてしまった牡蠣の入った器の中味をぐつぐつと小さく熱が泡立つ鍋に戻してしまった。
「あ、だめですよ。食べ掛け汚い……」
「二人で食べてるんだから構わんだろう」
と笑う。クールだと評される瞳はその実誰より温かい。
温め直した鍋の具をもう一度器に装って永瀬は笑う。
「食べないと元気が出ないぞ」
ほら……とほかほかの鍋の具を永瀬は箸で掴むとユキの口に入れた。
「おいし……」
ほっとする温かな味にユキは顔を綻ばす。
「そうだろう、旨いだろう……って作ったのユキだけどな」
と、いたずらっぽく瞳を瞬かせた。ユキも思わず声を上げて笑ってしまった。
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