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第二章
2-2
しおりを挟む王子との定期的な交流のため、シオンは王城へ向かっていた。
フォルシェンド家の馬車は、護衛の騎士たちに囲まれながらゆるやかに進んでいる。
──しかし、馬車の中はそう穏やかではなかった。
「……うぅ、痛い。……痛いのじゃ……」
シオンは、ふかふかのクッションの上で身をよじるようにして呻いた。
クッションのおかげで多少の衝撃は和らいでいるものの、王都の整った街路とは違い、まだ舗装もされていない土の道の振動は容赦なく車体に伝わり、華奢な身体を小さく跳ね上がらせる。
それを横目に見ながら、クローヴィスはふと内心で呟いた。
――少し軽すぎるかもしれない。……もう少し食べさせた方がいいな。
シオンは食が細い。加えて、食べるスピードもとてもゆっくりだ。
よく噛むことは健康に良いとはいえ、それにしても時間がかかる。
最近になってようやく使えるようになったナイフとフォークで切り分けた肉も、一つひとつがやけに小さく、普通の半分ほどのサイズである。
それをチマチマとモグモグと、まるで何かを味わい確かめるように口に運ぶ姿は微笑ましくもあるが、一般的な十三歳の子供にしては明らかに少ない量である。しかも、ときおりその量すら食べきれずに残すこともある。
好き嫌いがないのは助かるが、それでも食が細すぎる。
……にもかかわらず、大好物のおやつになると話は別だ。
つまみ食いしてはオリヴィアに叱られている光景を、クローヴィスはこのところ頻繁に見ている。
――これは、一度食事のメニューを見直した方がいいな。おやつの量を減らして、食事は肉を中心に--
「痛うて敵わぬ……やはり、空を飛びて参ればよかろう。」
「だめだ。」
「されば、時空を繋げて──」
「だめだ。」
「ならば、我が影を遣わし、到着の折に意識を繋ぐというは──」
「だめ……いやまて、なんだそれは。」
「では、意識のみを渡す間を創り──」
「やめなさい。」
「ならば」
「だめだ。」
「…………………。」
「…………。」
「…………………。」
「………、今のはすまなかったと思っている…。」
シオンの気持ちも分かる。
移動の度にこれでは、確かに不満も漏れようというものだ。
実のところ、シオンの言う「時空を繋げる」行為に近い魔法は存在している。
――転移魔法。
ただしそれは、膨大な魔力量を注ぎ込んだ巨大な魔法陣を必要とし、転移先も事前に設けられた場所に限られる。
その上、一般には公開されていない。王族の緊急避難や国家機密のためにのみ、ひっそりと用意された手段だ。
この国の上位貴族であり、一部の政に関わるクローヴィスは、その存在を知っている。
だが当然ながら、それをシオンに伝えることも、ましてや軽々しく使わせることなど、できるはずもないのである。
ふと、シオンが「ハッ」とした表情を浮かべた。
何かを閃いたとでもいうような、あまりにも分かりやすい顔に、クローヴィスは一抹の不安を覚える。
――その直後、馬車の揺れがぴたりと止まった。
まるで一瞬にして地面が滑らかになったかのように、ふわりとした浮遊感が訪れる。
不審に思ったクローヴィスは、窓の外を覗いた。道は変わらず続き、馬はいつも通り地を蹴って走っている。蹄の音も確かに聞こえる。
しかし、馬車の外に目をやれば、護衛の騎士たちが一様に驚愕の表情でこちらを見ているではないか。
(……まさか)
すでに嫌な予感しかしないクローヴィスは、急いで窓を開けて馬車の下を覗き込む。
そして、視界に映ったものに、思わず顔をしかめた。
「……浮いてる……っ!」
馬車の車輪が、地面から数センチ、確かに浮いていた。
「お前の仕業だな、シオン!!!」
即座に振り返って詰め寄るが、シオンは反対側の窓辺に佇み、何事もなかったかのように外の風景を眺めていた。完全に知らんぷりである。
「今すぐ降ろしなさい!」
クローヴィスの怒声が馬車の中に響き渡る。
すると、反対側の窓に張り付いていたシオンが、ふいにこちらを向いた。
ふくらり。
小さな頬を思いきり膨らませ、むすっとした表情で『わたしおこってます!』と無言のアピールをしてくる。
……最近、兄のグラーヴェが教えてくれた技らしい。
曰く、調理場でおやつをつまみ食いして母に叱られた際、この「ぷーっ」とした表情をすると頬が緩み、許してもらえる確率がほんの少しだけ上がるのだという。
――ちなみに「許してもらえない」確率の方が高い。
使用人相手なら勝率は十割を誇るシオンも、オリヴィアに対してはどうにも分が悪く、成功率はわずか二割程度。
──もちろん、そんな技がクローヴィスに通じるはずもない。
(こんな馬車が人目についたらどうする。今は森の道だからまだいいものの……!)
焦りと怒りを滲ませて声を荒げれば、シオンはぷいと顔を逸らしながらも、どこか不満そうな様子で、渋々と力を解き放つ。
すぅ、と馬車が静かに地面へと戻った。
──その時だった。
森の道を進む馬車の周囲で、突如として怒号が飛び交った。
「伏せろッ!敵襲だ!」
誰かの叫びと同時に、木立の陰から一斉に飛び出してきた黒装束の一団。
ざっと見ただけでも五十名はいる。目元を布で覆い、手には剣や斧、弓を携えている。
──盗賊だ。
その中には、手に魔導具を構える者もちらほらと見える。
「迎撃布陣!前衛は三人ずつ展開して囲め!」
騎士長の号令が飛び、黒いマントの騎士たちが馬車を囲むようにして前へ出る。
金属が交わる甲高い音、爆ぜる魔法の光、怒声と悲鳴が混じり合い、あっという間に戦場と化していく周囲。
「……む!」
シオンは窓の外の光景を目にし、きらきらと目を輝かせて言った。
「ふふ、されば思い出したぞ。これは、友が語りし遊びに相違あるまい!これは……鬼ごっこにてあろう!」
「……鬼?」
「童が鬼と呼ばるる役を定め、金棒を携えて、他の童らを薙ぎ伏す遊びと聞き及んでおる。血飛沫、空に舞い散らん!
鬼に討たれし者は、その場にて角を生やし、牙を剥きて、鬼の眷属と成り果てるなり。
一度“鬼化”が進みゆかば、心は失せ、理も忘れ、鬼の命に従ひて、友をも狩るものと化すとか。
童らは火炎の輪を跳び越え、針の道を駆け抜けて、鬼の追手を躱し、終の地を目指すのじゃ!」
――そんなデンジャラスな鬼ごっこはない。
……ちなみに、この遊びを教えたのは、正真正銘の鬼である。
人の貌を持ちながら、角と赫き瞳を備えし異族──
神の世にて、シオンが友として語らった相手のひとりであった。
「……危険な遊びであることは理解した。
だがその“友”とは誰のことだ? お前は屋敷の外へは出ていないはずだが……。
どこでそんなものを教わった?
……まあ今は置いておこう。
いいか、シオン。絶対に、真似するんじゃないぞ。」
もちろん、返ってくるのは無邪気な沈黙である。
しかし今は構っている暇はない。
「シオン、中に居なさい。いいね?」
馬車の扉を開けかけながら、クローヴィスは短く言い残す。
「うむ?されど……」
それでも立ち上がろうとしたシオンを、クローヴィスは振り返らず制した。
「絶対に。出るな」
低く、強い語気だった。
そして外へ飛び出すと同時に、クローヴィスは腰の剣を抜いた。
戦場の空気に、鋭い魔力の気配が混じり始めていた。
護衛たちも応戦していたが、敵の数に押され、すでに数名は膝をついている。
斬り結ぶ音と怒号、馬の嘶きが入り混じる中、クローヴィスは森の奥に視線を走らせた。
――これは、ただの野盗ではない。
明らかに統率が取れている。しかも、こちらの配置と人数を把握していたような動き。
「……奇襲にしては、出来すぎているな」
呟いた彼の周囲に、水の魔力が奔り始める。
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