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第二章
第二話 これは鬼ごっこではありません
しおりを挟む穏やかな朝の陽が、さわさわと梢を揺らす風に乗って差し込んでいた。柔らかく澄んだ空の下、しっとりと苔むす庭の石畳を抜け、縁側へと続く木道には、かすかに新茶の香りが漂う。
そこは、フォルシェンド公爵家の奥庭──シオンが己の手で改造を願い出て完成させた庭園である。細やかに手入れされた植栽と、浅く水を湛えた池、そしてどこからともなく響く鈴の音が、訪れた者の心を清らかに鎮めてくれる。
縁側では、オリヴィア夫人が扇子を片手に涼んでいた。オリヴィアはこの庭が完成した当初からすっかり気に入り、朝のひと時をここで過ごすのが日課となっている。
そんな風景の奥で、シオンは、今日も和紙作りに勤しんでいた。傍らには小夜が立ち、湯を沸かしていた。
「主さま、茶の仕度ができましたえ。いっぺん、お休みになりませんか?」
湯気の立つ茶器を手に、小夜が恭しく声をかける。シオンは手を止めると、優雅に返した。
「うむ、良き頃合いじゃな」
そう言って立ち上がると、母の隣に腰を下ろす。小夜は丁寧に膝をつき、夫人とシオンの前に茶と小ぶりな菓子を供した。
「ほな、召し上がってくださいませ。これは……栗きんとんに、よう似せてみましたんや」
シオンは懐かしげに目を細める。煎った茶葉の芳香が鼻をくすぐり、木の皿にはころんと丸い、淡い黄土色の菓子が並んでいる。
渋みの強い茶葉を使った煎茶を初めて目にしたとき、オリヴィアは「薬か何かかしら」と訝しげに眉をひそめていた──が、今ではすっかり虜となり、公爵家の食卓でも日常的に所望するほどになっていた。
ある日の食後、片付けのために使用人たちが忙しく動く中、小夜は茶器を手に持ち、ふと料理長の方へ振り返る。
そして言葉こそ交わさずとも、満面のドヤ顔を向けてみせた。
料理長は手を止め、数瞬だけ虚を突かれたような顔をした後、肩を竦めて静かにため息をついたのだった。
そして栗のような実を見つけたのは、小夜が料理人たちの手伝いで食物庫へ入った折のことだった。見た目も香りも栗に酷似していたそれに目を留めた小夜は、栗と砂糖のみで菓子が作れると記憶していた古き調理法を頼りに、何度も試作を重ねて完成に至った。
そしてついに、小夜は勝利の菓子を作り上げたのである。今日のこの栗きんとん擬きが、まさにそれだった。
もちろん味見は料理人たちにさせたが、料理長だけは頑なに外されたままだった。
シオンは一口、ふわりと頬張る。
「……うむ、美味じゃ。少しばかり味は違えど……たまには、昔食しておったものを思い出すも、悪くはないな」
まるで朗らかな太陽のような微笑みを浮かべてそう言った。
──が、その一言で世界は崩壊した。
「た、たたた、"たまに"はああぁ!?」
小夜の体がガクンと揺れ、傍らの和紙へと走る。和紙を器用に札サイズに切り出すや否や、墨と筆を取り出し、荒ぶる筆致で怨念の込もった札を描き始めた。
「おのれあやつめ……!料理長なんぞに、うちが負けるかいな……っ!」
(※なおこの札は、後にシオンによって「やめい」と言われ回収された)
そんな中、静かに足音を響かせて一人の男が縁側へ現れた。
「シオン、いるか?」
現れたのは、クローヴィス。小夜の様子に目を瞬かせつつ、軽く咳払いをして言った。
「王子殿下から手紙が届いてな。定期的に君と交流を持ちたいそうだ」
「…………」
シオンは、母の横でお茶を啜ったままぴくりと動きを止めた。
微妙な表情を浮かべるシオン。その顔は、王子に会うのが嫌なのではない。問題は“服と馬車”だった。
「……また、あの堅苦しき衣を着ねばならぬのか。あれはまことに苦しゅうての」
溜息と共に、心底憂鬱そうに眉を寄せた。
「して……馬に揺られ、時を掛けるのも億劫じゃの。いっそ空を飛ぶか、空間を繋げて時を縮めてしまえば良かろう」
「………。」
次の瞬間、 その場に、静けさが落ちた。
しばし聞こえたのは、風に揺れる鈴の澄んだ音と──
しゃっ……しゃっ……ばしゃっ
和紙に墨を飛ばしながら、小夜が怨念たっぷりに札を書きなぐる音だけであった。
「……それ、外では言うな。頼むから。というか、出来るわけがないだろう。出来てもやるな。」
眉間を押さえて嘆息する父に、首を傾げるシオン。隣で、オリヴィアはそっと茶を口に含み、微笑を零した。
「シオン。お茶、冷めてしまうわよ」
そんな穏やかな朝。今日もフォルシェンド公爵家は、通常運転だった。
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