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第二章
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しおりを挟むカタカタ……カタカタ……。
廊下を小さな足音に交じって軽やかな車輪の音が響く。
通りを進むのは、市松人形──小夜である。
彼女の手元には、身の丈に合わせて特別に仕立てられた小さな食器カート。
その上には、湯気の立ち上る甘やかな香り、つやつやと黄金に焼けたリンゴのパイが載っていた。
「ふふ……主さまは、あのお菓子、お気に召しておられたなぁ。ほんに、よう笑うて……ええ笑みやったわ」
機嫌よく、古き唄をくちずさむ。
どこか不穏な旋律の「通りゃんせ」を、ゆらゆらと。
その姿に、廊下をすれ違う使用人たちは一度は微笑み、次の瞬間、引きつった笑みを浮かべていた。
──旋律が、妙に怖い。
市松人形が不気味に「通りゃんせ」を歌いながらおやつを運んでくる情景。まるでどこかの怪異譚のようだ。
とはいえ、彼女の目的はただひとつ。主──シオンのためのおやつを届けることだった。
その根底には、淡い闘志があった。
あの日、シオンが「うむ……これは、まことに美味しきかな……♡」と頬を緩ませ、料理長を盛大に褒めた。
その瞬間を見た小夜は、胸の内にメラリと燃え上がる対抗心を抱いたのだった。
うちかて、うまい菓子ぐらい作れるわ……ええやろ、あいつより、よう出来るはずや!
人形には“食”という概念は存在しない。
だからこそ、小夜は“味”を理解するために人間たちに試食を頼み、失敗を重ねながら、調理場の者たちを巻き込んで練習を積んだ。無論、料理長には一口もやらぬ。ライバルには、試食の誉れなど与えてやらぬのだ。
そしてついに──
(ようやく……! あの味を超えたんどす……!)
勝ち誇るように胸を張って進む小夜。その足が、執務室前でぴたりと止まった。
「どういうことですか!!?」
鋭い怒声。小夜の耳に飛び込んできたのは、グラーヴェの怒鳴り声だった。
「……んん?」
立ち止まり、じっと扉を見つめる。
中から、微かに聞こえたのは、聞き慣れた名前。
「……主さま?」
気になった小夜は、懐から一枚の御札を取り出す。
ふわりとそれを放ると、御札はひゅるりと飛び、扉の取手へと吸い寄せられるように貼りついた。
そして──ギギィ、と音を立ててノブが下がり、扉がわずかに開いた。
そこから、小夜が片目だけを覗かせる。
(……なんや……ようけ怒鳴っとるなぁ……)
人形が片目で隙間から執務室を覗き込むその姿は、まるでどこかの怪談話のようだった。
中には、公爵クローヴィス、兄グラーヴェ、そして──当のシオンがいた。
(おられましたか、主さま。なんや、部屋まで運ぶ手間が省けましたわ)
しかし、小夜が扉を押し広げようとした時──
「なぜです!? 断りの話をしに王城へ行ったのではなかったのですか!!?」
グラーヴェの手が執務机を叩いた。
その机の上には、白封筒の王家の印──王からの手紙が置かれていた。
再び、第一王子との婚約話が舞い戻ってきたのだ。
あの日、公爵は謁見の場で王に話し、婚約の話は立ち消えになったはずだった。
だが、今日届いたその手紙には──
『第一王子・レンツィオが、直々にシオンとの婚約を望んでいる』
『むしろなぜ、断りなど入れたのかと怒っていた』
と、父王の言葉として記されていた。
レンツィオは、日々の鍛錬に真面目で礼儀正しく、決して我儘を言わぬ王子だった。
そんな彼が初めて口にした“願い”。
王は、それを聞いて──シオンの正体を薄々感じ取りながらも、それでも「息子の想いを叶えてやりたい」と思ったのだった。
しかも、あの日からレンツィオは大きく変わった。
魔法は飛躍的に上達し、顔は晴れやかになり、大人へ頼る姿勢も出てきた。
王は考えた。
この子ならば、息子を――レンツィオを、救ってくれるかもしれない。
たとえ、その身が何者であろうとも。
王からの手紙には、国王としてではなく、一人の父としての想いが綴られていた。
「……陛下のお気持ちはわかる。だが……!」
公爵クローヴィスは頭を抱え、深く溜息をつく。
その隣で、グラーヴェはぶるぶると肩を震わせていた。
「っ……断ったはずでしょう!? なのに……っ、また……またシオンを王子に取られるなんて……!」
わなわなと拳を握るグラーヴェ。頬は紅潮し、目尻は涙で濡れている。
(えぇっと……これは……入るに入れまへんなぁ……どないしよ……)
小夜は扉の隙間からそっと見つめる。
そしてその時、穏やかな声が部屋に響いた。
「……わらわも、あの子が好きじゃ。あの魂は……まこと、美しきものよ」
それは、シオンの素直な言葉だった。
“好き”とはいえ、それは恋慕ではない。
ただ、魂を見た神が、その輝きを称賛しただけのこと。
だが──
「し、シオンが……こい……!? う、うあぁあああぁぁぁああああ!!」
グラーヴェは盛大に悲鳴を上げた。
「おのれ王子ぃいいいいいいい!!!」
不敬である。
だが、止められなかった。
(修羅場やなぁ……。)
呆れたように、そっと扉を閉める小夜。
その手元には、もうすっかり冷めてしまったリンゴのパイがあった。
「……おやつ、どないしましょ……」
眉を下げ、小さく唇を尖らせる。
──こうして、フォルシェンド家の非日常は、今日もまだまだ続いていくのであった。
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