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第二章
2-3
しおりを挟むクローヴィスは手を掲げ、空気を切り裂くように詠唱を始めた。
直後、彼の掌から放たれた透明な光が、幾重もの鋭い水の槍へと姿を変える。
それは雨粒のごとく放物線を描き、盗賊たちの間を正確無比に貫いていった。
「な、なんだ、あの魔法……!?」「ぐ、うあっ!」
逃げ惑う声が上がる。
先程まで勝ち誇ったように剣を振るっていた盗賊たちは、一転して怯えた表情に染まった。
水属性──中でも3級の魔力を扱える者など、国中でも一割に満たない。
それを自在に制御し、冷静に戦局を見極めながら的確に放つ手腕は、まさに歴戦の使い手のそれだった。
クローヴィスの水槍は地を這うように伸び、木々の影に潜む敵をも撃ち抜いていく。
その無駄のない動きに、敵の中には恐れを成して武器を捨て、逃げ出す者すら現れ始めた。
しかし──。
逃げ惑う盗賊たちの中にあって、一人だけ異質な気配を纏った男がいた。
「……速い!」
クローヴィスが放った水槍を、その男はまるで見切ったかのように跳躍でかわし、さらに続けて放たれた一撃は、禍々しい魔の波動を纏った黒い魔力で弾き返された。
「……闇属性か。」
クローヴィスの眉が僅かに動く。
闇属性──魔法の中でも最も嫌われ、忌避される力。
その多くが精神に作用し、感覚を狂わせ、理性を蝕む。
案の定、近くで応戦していた騎士の一人が、男の放った闇魔法を正面から浴びてしまった。
「──ッあ、あぁぁッ……!」
苦悶に満ちた悲鳴と共に、騎士が頭を抱えうずくまる。
その身体に黒い靄のようなものが蠢き、皮膚の下へと染み込んでいく。
やがて、がくりと首を垂れたかと思えば、瞬間──
……グワッ!
虚ろな目を開き、地面に投げ出していた剣を掴み上げると、まるで糸で操られる人形のようにぎこちない動きで立ち上がった。
よろよろと、足を引きずりながらクローヴィスの方へ向かってくる。
「っ……!」
迫る騎士の剣を受け流しながら、クローヴィスは闇魔法を操る男へ再び水槍を放つ。
だが、その水槍が届く直前──男の姿はどろりと溶け、黒いヘドロのような液体となって地面に沈み、掻き消えた。
「チッ……!」
舌打ちをひとつ。
クローヴィスは次の瞬間、操られた騎士の頸を剣の柄で正確に打ち抜く。
騎士は意識を失い、その場に倒れ込んだ。
静寂が戻る。
クローヴィスは周囲に鋭く視線を走らせ、耳を研ぎ澄ませながら気配を探る。
クローヴィスの斜め後方──空間が微かに揺らいだかと思うと、そこから黒煙のようなモヤが湧き上がる。それは次の瞬間、まるで閃光のような速度で彼に襲いかかってきた。
「──ッ!」
気配に即座に反応し、剣を振り返らせたが、それは刃を的確に叩き弾いた。クローヴィスの剣は、甲高い音を響かせて地に転がる。
(速い──ッ!)
間を置かず、第二の一撃が迫る。
クローヴィスはすかさず右手を前にかざし、詠唱すら必要とせぬ速さで魔力を集中させた。
瞬間、空気中の水分が収束し、腕に馴染むように形作られた水の剣がその手に現れる。
黒き魔の塊を一閃にして斬り払った。水飛沫が弾け、断ち割られたモヤが空に霧散する。
しかし、終わりではなかった。
クローヴィスの足元、舗装もされぬ森道の地面から、どろりと黒いヘドロ状の物質が滲み出る。それは不気味な音を立てながら形を変え、やがて一体の獣の姿となる──猪に酷似した姿だが、その巨体と異様な膨れた牙は、人の手には負えぬ禍々しさを放っていた。
《ブレルノ》
この地の生態における、A級危険魔物に指定された魔物。しかも、出現したのは一体だけではない。周囲の地面から、同じくブレルノと化したそれが次々に現れ、クローヴィス目掛けて突進してくる。
「くっ──!」
振るう剣で一体また一体と斬り裂いていくが、立て続けに操られた騎士たちまでもが、虚ろな瞳のまま刃を振りかざして襲ってくる。クローヴィスは一人、無数の敵を相手に、地の利も捨てて防戦を強いられていた。
滴る汗が額を伝う。
(……あいつ、只者ではない)
闇属性──その性質上、光と対を成す力であるが、属する者は稀少で、王国の統計においても光属性より数が少ない。ゆえに研究は進まず、その性質も魔法の構造も未解明な点が多い。実態そのものが“闇”の中にあるとすら言われている。
それだけに、対処法が確立されていない。
目の前の使い手は、間違いなくその闇を自在に操っていた。
(……恐らくあれは、闇属性3級──いや、下手をすれば2級か)
焦りが、喉奥から滲み出る。
そう、まさにその瞬間──
シャアアアアアン………。
風に溶けるような、鈴の音が森に響き渡る。
その瞬間、黒きモヤを纏ったブレルノも、闇魔法により操られていた騎士たちも、ぴたりと動きを止めた。まるで、舞台の幕引きが告げられたかのように。
何が起きたのかと、全員が音の出処を探し、振り向く。
クローヴィスも、馬車の方へと目を向けた。
そこには、涼やかな顔をしたシオンが立っていた。
いつもと変わらぬ——いや、いつもより少しだけ楽しそうな顔で。
「盛り上がって参ったな。鬼ごっこ——わらわも交じりたき候!」
……いや、めちゃくちゃ楽しそうである。
「さぁ、やるぞよ! かかって参れ!」
満面の笑みで両手を広げるシオン。
その挑発に応じるように、敵が一斉に牙を剥いて襲いかかる。
クローヴィスは瞳を見開いた。
「シオン!!」
咄嗟に駆け出す。
シオンは、ひとつ。
ふう、と、蝋燭の火を吹き消すように、小さく息を吐いた。
――どさっ。
最前列の魔獣が、一体崩れた。
――ずるっ、ばたりっ。
その直後、さらにその奥の魔獣たちが、次々と、まるでドミノ倒しのように地へ沈んでいく。
黒き霧を纏った肉体が、ふわりと砂のように崩れ、空へと散っていく。
操られていた騎士たちも、黒い靄を引き剥がされるようにして意識を失い、次々と倒れ伏していった。
クローヴィスの頬を、涼やかな風がかすめた。
それは、剣よりも静かに、呪よりも確かに、害をなす存在の終わりだけを選び取る風。
老いの果てに訪れる静寂のように穏やかで、それでいて、絶対的な“死”を宿していた。
同時に、倒れた騎士たちの表情は和らいでゆく。まるで、その風が癒しの祈りも吹き込んだかのように。
クローヴィスは、言葉も出ず、考えることすらままならずに――ただ、そこに立ち尽くしていた。
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