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清次郎と柔太郎
菜飯と汁
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戸には鍵も心張り棒も掛かっていない。誰でも出入りできる。もちろん清次郎もすんなり入ることができた。
屋内は静かだった。といっても全く無音だったわけではない。
台所から薪が爆ぜる小さな音がする。
湯が沸く音がする。
土間を静かに歩きまわる音がする。
人はいる。
清次郎は息を大きく吸い、それを全て吐き出した。肺が空になった後、清次郎はこんどは常のとおりの呼吸をした。
「只今戻りました」
清次郎は常のとおりの声音で言った。大きな声ではないにも関わらず、家の中の隅々にまで響き渡った。それ程に我が家は静かだ。
台所で火の番をしていた秀助が、腰に下げた手拭いで手を拭きながら出てきた。
「先生、お帰りなさいまし。旦那さまは先にお帰りになっておいでやす」
「そうか。義母上のお加減は如何だ」
「寝たり起きたりお泣きになったりで。ご自分を責めておいでなんですね。酒を飲んだのがいけないって……おかわいそうでなりませんや」
「と言うことは、直はまだ義母上につきっきりか」
「へい」
「そういえば、権太は戻ってきたのか」
「権太とっつぁんは昼過ぎぐれぇに一遍戻って来て、昨日の鯉濃の残り汁をあおって、すぐまた飛び出して行きました。日暮れまではご城下のあちこちをあたってみるつもりだと言ってました」
「そうか。ではじきに戻るなぁ」
「へぇ、多分。そんで今、手の空いてるのはおいらだけなんで、飯の支度をさしていただいておりやす。
みなさん朝飯も昼飯もすっとばしちまいましたからね。
取りあえずありもので菜飯と汁をこしらえておりますが、よござんすか?」
「うん、それは有難い」
答えたとたん、清次郎の腹から「ぐぐぐぅぅっ」と大きな音が鳴った。
そういえば確かに朝からまともに飯を食っていない。
「秀助、飯はいつできる? 腹が減って仕方がないんだ」
清次郎自身はごく自然に微笑したつもりだが、秀助の目には口角を無理矢理に引きつり上げている様に見える。
「へえ、もうじきできあがりますです」
「そうか、できるだけ早く頼むよ」
強張った笑顔を顔面に貼り付けたまま、清次郎は柔太郎の物だった草履を脱ぎ、埃にまみれた足袋を脱いで、板間から上がった。
向かったのは居間兼仏間の六畳間だ。そこはこの狭い御徒士屋敷において家長の居室・寝室も兼ねていた。つまり、閉ざされた襖の向こう側には、清次郎に先んじて帰宅した赤松弘がいるということだ。
清次郎が襖前に座り、中に声をかけようと口を開けたと同時に、
「清かや? ま、入れ」
弘の声がした。
「はい」
清次郎はそっと襖を開け、膝行して六畳間に入った。
「芦田の家に寄ってきたな」
「はい」
「うむ。弥一郎は元気だったかや?」
「あいにく母の里に出向いておりまして」
「お前のことだ。親たちがいない日ぃ狙って帰って来たんだらず?」
「さて、何のことやら」
清次郎は口角を無理矢理に引きつり上げた。今度は清次郎にも作り物の笑顔である自覚があった。
同じ作り笑いが、赤松弘の顔の上にもあった。
二人は各々が語るべき話を口に出しかねている。
一人の女性の行方についての話を。
その行方次第で決まるお家の未来を。
台所から飯と汁の匂いが漂ってきた。
屋内は静かだった。といっても全く無音だったわけではない。
台所から薪が爆ぜる小さな音がする。
湯が沸く音がする。
土間を静かに歩きまわる音がする。
人はいる。
清次郎は息を大きく吸い、それを全て吐き出した。肺が空になった後、清次郎はこんどは常のとおりの呼吸をした。
「只今戻りました」
清次郎は常のとおりの声音で言った。大きな声ではないにも関わらず、家の中の隅々にまで響き渡った。それ程に我が家は静かだ。
台所で火の番をしていた秀助が、腰に下げた手拭いで手を拭きながら出てきた。
「先生、お帰りなさいまし。旦那さまは先にお帰りになっておいでやす」
「そうか。義母上のお加減は如何だ」
「寝たり起きたりお泣きになったりで。ご自分を責めておいでなんですね。酒を飲んだのがいけないって……おかわいそうでなりませんや」
「と言うことは、直はまだ義母上につきっきりか」
「へい」
「そういえば、権太は戻ってきたのか」
「権太とっつぁんは昼過ぎぐれぇに一遍戻って来て、昨日の鯉濃の残り汁をあおって、すぐまた飛び出して行きました。日暮れまではご城下のあちこちをあたってみるつもりだと言ってました」
「そうか。ではじきに戻るなぁ」
「へぇ、多分。そんで今、手の空いてるのはおいらだけなんで、飯の支度をさしていただいておりやす。
みなさん朝飯も昼飯もすっとばしちまいましたからね。
取りあえずありもので菜飯と汁をこしらえておりますが、よござんすか?」
「うん、それは有難い」
答えたとたん、清次郎の腹から「ぐぐぐぅぅっ」と大きな音が鳴った。
そういえば確かに朝からまともに飯を食っていない。
「秀助、飯はいつできる? 腹が減って仕方がないんだ」
清次郎自身はごく自然に微笑したつもりだが、秀助の目には口角を無理矢理に引きつり上げている様に見える。
「へえ、もうじきできあがりますです」
「そうか、できるだけ早く頼むよ」
強張った笑顔を顔面に貼り付けたまま、清次郎は柔太郎の物だった草履を脱ぎ、埃にまみれた足袋を脱いで、板間から上がった。
向かったのは居間兼仏間の六畳間だ。そこはこの狭い御徒士屋敷において家長の居室・寝室も兼ねていた。つまり、閉ざされた襖の向こう側には、清次郎に先んじて帰宅した赤松弘がいるということだ。
清次郎が襖前に座り、中に声をかけようと口を開けたと同時に、
「清かや? ま、入れ」
弘の声がした。
「はい」
清次郎はそっと襖を開け、膝行して六畳間に入った。
「芦田の家に寄ってきたな」
「はい」
「うむ。弥一郎は元気だったかや?」
「あいにく母の里に出向いておりまして」
「お前のことだ。親たちがいない日ぃ狙って帰って来たんだらず?」
「さて、何のことやら」
清次郎は口角を無理矢理に引きつり上げた。今度は清次郎にも作り物の笑顔である自覚があった。
同じ作り笑いが、赤松弘の顔の上にもあった。
二人は各々が語るべき話を口に出しかねている。
一人の女性の行方についての話を。
その行方次第で決まるお家の未来を。
台所から飯と汁の匂いが漂ってきた。
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