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第九章「海神編」
それは小説よりも奇なり
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言い訳はしないよ。
でも必要だったんだ。
今は理解できないだろうけれどもね。
僕はいつでも君を思っているよ。
いつデも
君ト共にアるヨ……
…………待ッテ、ル……ョ……
パチっと目を開く。
そして不機嫌に頭を掻いた。
「……最後まで勝手な奴だな。」
短い仮眠。
すぐに体を起こし、木から降りた。
もうミチルは出てくる気がないらしい。
何を考えているのか、何が目的だったのか、最後までわからなかった。
「……はじめから、色々気にしないでこうすれば良かったんだよな~。」
湖の縁に立ち、そう思う。
何故、あんなに一人で動く事に不安を感じたのだろう?
「まぁ、確かにこの状態で魔力を使うってのはあんまよろしくなかったんだろうけど。」
海神という巨大なエネルギー。
それを無理やり入れこんで不安定な状態だった為、魔力を使うなど余計な負荷をかけてバランスを危うくする要因はできる限り取り除いたのだ。
だが最終的には「どうにでもなれ」と捨鉢に身体強化を行って、短い小休止のみでここに来る事になったのだが。
「………………。」
サークは無表情に背後を見た。
そこには誰もいない。
あの晩、すぐに支度を整えサークは旅立った。
身体強化を行い、数回の小休憩だけであの宿からここまでのあと二日ほどの距離を強行した。
おかげで翌日中にはここについたのだ。
早馬でも追いつけないだろう。
やめよう。
考えるのはやめだ。
今は海神を還す事に集中しよう。
リゼットさんが持たせてくれた香を焚き、場を清める。
そして念の為、周囲に強化結界を貼った。
海神相手ではあってないようなものだが、一応、不測の事態には備えておくに越したことはない。
大きく深呼吸をした後、一度、体内で魔力を練り直す。
そして身体強化をする時のように全身に行き渡らせた。
それと同時に「自分の意志」も隅々にまでしっかりと行き渡らせる。
海神はサークにできる限り影響を与えぬよう奥で眠っていてくれたが、それを起こせばその存在にあてられる事になるからだ。
自分自身が揺らがぬようしっかりと意思を固める。
そして胸に手を当て、海神様に呼びかけた。
『……海神様、湖につきました。』
集中して、その言葉を、意識を、自分の深い部分に浸透させていく。
自分の奥で眠る海神に届くように。
『…………。着いたかぇ?』
『はい。』
『ならば出る。お主の負担にならぬよう一瞬で行う故、自己を固めよ。』
『大丈夫です。』
『相分かった。ではゆくぞ?!短い間故、耐えろ、森の!!』
『はい!』
『では上を向け!!そして腹から叫ぶのだ!!』
サークは海神に支持された通り、もう一度魔力と意志をしっかりと自分の中に浸透させた。
そして足を踏ん張り、空を見上げて叫んだ。
「~~っ……っ?!」
叫んだつもりだったが、声は出ない。
代わりに口から内蔵が引きずり出されるような感覚に陥った。
その感覚に反射的に叫ぶのをやめようとする。
『臆するな!今更止められぬ!!』
「……っ!!」
それを海神に叱咤され、サークはその感覚に耐え、苦しい中叫び続けた。
吐き気が止められず、苦しくても嗚咽が止まらず意志とは関係なく戻してしまう感覚を10倍強めた様な状態。
叫ぶ息も続かないのに、体の中身が勢い良く出てきてしまうような、そんな感覚。
「~~~~っ!!」
ズルズルズルズルッと、何かが口の中から勢い良く飛び出す。
頭の片隅でシルクが呪いをかけられた時、口からゼリーのように感触がある霧の塊が出たと言っていた事を思い出した。
「~~ッ!!…………っ?!」
いつまでも続いたズルズルと出ていく感覚が収まり始め、サークは無意識のうちに閉じていた目を開いた。
上を向いて叫んでいたので、当然、空を見上げる事になる。
「……っ?!?!」
その見えた光景に愕然とした。
視界いっぱい、つまり空いっぱいに何か蛇のようなものが蠢いている。
「…………ガハッ……ガハッ……ッ!!」
やっと内蔵を引きずり出される感覚が終わる。
あまりの事にガクンと膝をついて噎せた。
そしてすぐに上を向き、さっき見たものが本当なのかを確認する。
「………………ウソ……。」
へたり込み、見上げた空に度肝を抜かれた。
それが本当なのか信じられなかった。
サークは仮想精神空間で海神の精神体を見ていた。
だから見えているものが「海神様」なのだという事はわかった。
わかってはいたのだが……。
「…………デカイ……デカすぎる……。」
それが自分の中に入っていたと思うとゾッとした。
視界いっぱいに蠢く海神の姿。
見える範囲の空はその姿に覆い尽くされていた。
周囲に強化結界を張ったが、それがどれだけ無意味だったかを思い知らされる。
「……は、ははは……。そりゃ……いくら器の素質が高くても……気が狂う訳だ……。」
こんなモノを人間の中に入れておける訳がない。
本当によく今まで何も起こらず、これを人の中に引き継いできたものだ。
これに比べれば竜の血の呪いなんて屁でもない。
海神が好意的だったからこそ可能だっただけで、本来ならパンゲアの生命の半数、下手をすれば殆どを消滅させていてもおかしくない存在だった。
(……これが、海神様……。世界を統べる精霊の長の一人……。)
その大きさを目の当たりにし、サークは畏怖した。
怖い訳ではないが、ガクガクと体が震える。
それはいつぞやカルデラ湖で水神様を前にした時のようだった。
「…………ライオネル殿下って……バケモノ?!」
これを入れてあそこまで普通に生活していた己の主人に驚愕する。
サークは水神にも風の神にも会った事がある。
確かにどちらも大きかったが、海神の大きさはその比ではなかった。
『……あぁ……っ。やはり外は良い……っ!』
空を覆い尽くす海神は、狭い所から出てきた体を解すように、うねうねとしばらく空を蠢いていた。
そして気が済んだのか、その身が一直線に湖に降っていく。
サークはそれを呆然と眺めながら、この大きさではいくら湖が大きくても収まりきらないのではないかと思ったのだが、水面に当たった海神の体は水の中に溶けるように消えていく。
こんな大きなモノが湖に入ったら津波でも起こるのではと思ったが、そこはやはり精神体、物理的影響は殆どなかった。
しん……と静まり返る水面。
空にあった海神の姿は消え失せ、湖は少しバシャバシャと大きめの波を岸辺に寄せるだけとなった。
あまりの出来事に、サークはぼんやりとそれを眺めていた。
それはまるで白昼夢のようだった。
当たり前のように日常を取り戻した世界。
今し方起きた事が本当なのかわからなくなってくる。
これで終わりなのだろうか……?
サークは呆然としながら立ち上がった。
「……やはり外は良いのぉっ!!」
「ぎゃああぁぁぁぁっっ!!」
その静けさを破り、目の前の水面から突然、ザバァッ!とばかりに海神が首を出した。
すっかり気の抜けていたサークは驚きすぎてまたも腰を抜かす。
「か?!海神様?!」
「世話になったのぉ!森の!!」
「いや?!というかサークです?!」
「どちらでも良かろう!!我はとても気分が良いのだ!!」
「そ、そ、それは良かったデス……。」
水面から首から上(どこまでを首というのかはわからないが)だけを出し、上機嫌でサークを見下ろす海神。
なんだかハイテンションだなぁと苦笑いする。
そしてなんというか……縮んでいる。
首だけの状態でも水神様より大きいように見えるが、空を覆いつくしていた時よりは小さく感じる。
「……何か、出てきた時より縮みました?!」
「お主から出た時は気化状態みたいなモノだったからのぅ~。水を得て存在が固まったのよ。」
「へ、へえ~??」
気化状態とか固まるとか、精神体って結構、物質みたいなところがあるんだなぁと変に感心した。
「うむ。どうやら特に問題はなさそうよのぉ~。」
サークは海神の言葉にハッとする。
そう、海神とサークは魂がわずかに繋がった状態。
放っておけばサークの魂は海神と融合し取り込まれてしまう。
急いで感覚を辿るが、もう海神との繋がりは切れているようだった。
「……ありがとうございます。うまく、断ち切る事が出来たんですね……。」
「まぁ、この程度造作もないわ……と言いたいがのう……。殆どは我がやった訳ではない。」
「……え?」
「其方の名付けた……ミチル。あれがやりおった。」
「?!」
「其方はあれを強く拒絶していた。切り裂きたいとすら思っておった。だからその憎悪を利用して、自分ごと切りおったわ。」
「……そんな……。」
思わぬ事を海神から告げられ、サークは唖然とした。
必要な事だった、ミチルは最後にそう言った。
それは海神とサークの繋がりを切るために、わざと深く自分を憎ませたというのだろうか……。
複雑な想いが胸に湧く。
そっと胸に触れる。
「……そう、ですか。」
精霊は純粋だ。
そしてこちらの常識では理解できない考えを持つ。
わかっていたはずなのに、理解してやれなかったもう一人の自分。
「……そう嘆くな。あれは消えた訳ではない。」
「え?!でも今、自分ごと引き裂いたって?!」
「ああそうだ。あれは自分ごと我らの絆を引き裂いた。だがな、消えた訳ではない。我は其方の中にいた。だから見えたのだが、あれは元々お主の中にあったものだ。」
「え?!」
「殆ど消えかかっておったようだがな、お主に名を呼ばれた事で力を戻したようだ。其方が我と繋がった場所をそう名付けた事で、そこに枝を伸ばし繋がる事でさらに力を得た。そして我らの繋がり部分については自分ごと切ったが、元々其方の中にあった部分は残っておる。だから奴は消えた訳ではない。」
「……元々、俺の中に……ミチルがいた?!」
「あの者を覚えておらぬのか?……まぁ、致し方ないであろうが……。」
そう言われサークは混乱した。
確かに何度かおかしな事を言われた。
ずっと一緒にいたとか、前のように名前を呼んでくれだとか……。
けれどサークにはこの件以前のミチルの記憶はなかった。
「……記憶が定着する前の事、なのか……?」
「その辺は其方の神仕えに聞けばよかろう。かの者は「ミチル」の名に反応しておったように見える。お主は覚えておらずとも、育てた方は覚えておるやもしれぬからな。」
「……そう、ですね。」
だとすると、義父さんが突然、東の国に帰ったのはミチルが関係しているのだろうか?
いや、ミチルが問題なのなら恐らく側を離れるような事はしなかった。
だとしたら……。
サークの頭の中は色々な考えによって埋め尽くされていった。
「……それにしても、ちと残念じゃ。」
「え?」
「もう、人間たちの生々しい愛憎劇が見れぬのかと思うと……っ!!」
「………………は??」
がっかりしたように俯く海神。
サークは口を半開きにしてそれを見つめる。
しかし海神の方はそんな事は気にせず、興奮気味に話し続ける。
「家庭を持つ身で他者と繰り広げる情事!金や地位や自尊心の為に他者から伴侶や恋人を奪う魔性たち!身分差から引き裂かれる純愛!!んん~~っ!!これらをもう!身近で見る事ができないとはっ!!口惜しい!!」
「……は??……え?海神様?!」
「宿った子らが過ごす日々や成長が何よりの楽しみではあったが……。子らの周りの人間達の見せる生活もなかなか面白うてのぉ……息抜きに見るそれらの愛憎劇は……また甘美であったのよ……。」
「あの~??海神様?!」
「そういえば!!其方に負担をかけまいと思ってちゃんとは見れなかったのだが!!其方のドロドロ劇はどうなったのだ?!んん?!」
「……は、あははは……。」
食い入るように顔を近づけられ、サークは仰け反った。
何と言うか……がっくりと肩を落とす。
「……あの、海神様??」
「なんだ?」
「もしかして……海神様が人に囚えられたのは……。」
「囚える??我を??誰が??」
「……そうか、囚われた自覚もないのか……。」
「我が人の中に居った事なら、囚われておった訳ではないぞ?随分昔、人間達を観察するのが好きだった我にな?もっと人の生活の中でそれを見てみないかと言ってくる者がおってな……。それで面白そうだからその話に乗ったのよ。だがそのうち我を閉じ込めようとしてきてな。それは約束が違うと困っておったのじゃ。すると今度は別の者が来て、いつか海に還すからひとまず人の中に入ってくれと言われてな。そこから人の中に宿る形で過ごす事になったのよ。」
海神は何でもない事のようにそう語った。
単にちょっとの間、遊びに出かけていたと言う様子だった。
「……精霊の時間感覚が長くて助かった…………。」
サークは大きくため息をつく。
恐らく海神的には本当にそうなのだろう。
人間に囚えられたとも思っていなければ、海に返すと約束しておきながら、長い間、人の中に閉じ込められていたとも思っていない。
本当にちょっと人間の世界を堪能していたくらいの感覚なのだ。
ただ人の中にいる間は、無自覚にだが人間の影響を受け、少しおかしくなっていた部分があるのだろう。
しかしそうやって海神を狂わせていたものも、神仕えに心身の穢を祓われる事によってなくなり、本来の海神の思考と性格が戻ってきたのだ。
「……にしても、昼ドラ?!昼ドラ見る感覚でこの方、人間界に居たの?!俺達、あんなに大変な思いをしたのに?!」
精霊と人とでは感性も感覚も、何もかも違う事はわかっている。
しかし、ライオネル殿下が死んでしまう、国が滅んでしまうと、こんなにも真剣に全力を傾け大変な思いをしたというのに、海神の感覚では、だらだらと「昼ドラ」を見ていてそろそろ帰るかという感じで帰ってきた……みたいなもののようだ。
「嘘だ……誰か嘘だと言ってくれ……。」
サークは力なく項垂れた。
それを不思議そうに海神が眺める。
サークは思った。
海神は今まで出会ってきた精霊王の中で最も、自由奔放でミーハーな方なのだと……。
でも必要だったんだ。
今は理解できないだろうけれどもね。
僕はいつでも君を思っているよ。
いつデも
君ト共にアるヨ……
…………待ッテ、ル……ョ……
パチっと目を開く。
そして不機嫌に頭を掻いた。
「……最後まで勝手な奴だな。」
短い仮眠。
すぐに体を起こし、木から降りた。
もうミチルは出てくる気がないらしい。
何を考えているのか、何が目的だったのか、最後までわからなかった。
「……はじめから、色々気にしないでこうすれば良かったんだよな~。」
湖の縁に立ち、そう思う。
何故、あんなに一人で動く事に不安を感じたのだろう?
「まぁ、確かにこの状態で魔力を使うってのはあんまよろしくなかったんだろうけど。」
海神という巨大なエネルギー。
それを無理やり入れこんで不安定な状態だった為、魔力を使うなど余計な負荷をかけてバランスを危うくする要因はできる限り取り除いたのだ。
だが最終的には「どうにでもなれ」と捨鉢に身体強化を行って、短い小休止のみでここに来る事になったのだが。
「………………。」
サークは無表情に背後を見た。
そこには誰もいない。
あの晩、すぐに支度を整えサークは旅立った。
身体強化を行い、数回の小休憩だけであの宿からここまでのあと二日ほどの距離を強行した。
おかげで翌日中にはここについたのだ。
早馬でも追いつけないだろう。
やめよう。
考えるのはやめだ。
今は海神を還す事に集中しよう。
リゼットさんが持たせてくれた香を焚き、場を清める。
そして念の為、周囲に強化結界を貼った。
海神相手ではあってないようなものだが、一応、不測の事態には備えておくに越したことはない。
大きく深呼吸をした後、一度、体内で魔力を練り直す。
そして身体強化をする時のように全身に行き渡らせた。
それと同時に「自分の意志」も隅々にまでしっかりと行き渡らせる。
海神はサークにできる限り影響を与えぬよう奥で眠っていてくれたが、それを起こせばその存在にあてられる事になるからだ。
自分自身が揺らがぬようしっかりと意思を固める。
そして胸に手を当て、海神様に呼びかけた。
『……海神様、湖につきました。』
集中して、その言葉を、意識を、自分の深い部分に浸透させていく。
自分の奥で眠る海神に届くように。
『…………。着いたかぇ?』
『はい。』
『ならば出る。お主の負担にならぬよう一瞬で行う故、自己を固めよ。』
『大丈夫です。』
『相分かった。ではゆくぞ?!短い間故、耐えろ、森の!!』
『はい!』
『では上を向け!!そして腹から叫ぶのだ!!』
サークは海神に支持された通り、もう一度魔力と意志をしっかりと自分の中に浸透させた。
そして足を踏ん張り、空を見上げて叫んだ。
「~~っ……っ?!」
叫んだつもりだったが、声は出ない。
代わりに口から内蔵が引きずり出されるような感覚に陥った。
その感覚に反射的に叫ぶのをやめようとする。
『臆するな!今更止められぬ!!』
「……っ!!」
それを海神に叱咤され、サークはその感覚に耐え、苦しい中叫び続けた。
吐き気が止められず、苦しくても嗚咽が止まらず意志とは関係なく戻してしまう感覚を10倍強めた様な状態。
叫ぶ息も続かないのに、体の中身が勢い良く出てきてしまうような、そんな感覚。
「~~~~っ!!」
ズルズルズルズルッと、何かが口の中から勢い良く飛び出す。
頭の片隅でシルクが呪いをかけられた時、口からゼリーのように感触がある霧の塊が出たと言っていた事を思い出した。
「~~ッ!!…………っ?!」
いつまでも続いたズルズルと出ていく感覚が収まり始め、サークは無意識のうちに閉じていた目を開いた。
上を向いて叫んでいたので、当然、空を見上げる事になる。
「……っ?!?!」
その見えた光景に愕然とした。
視界いっぱい、つまり空いっぱいに何か蛇のようなものが蠢いている。
「…………ガハッ……ガハッ……ッ!!」
やっと内蔵を引きずり出される感覚が終わる。
あまりの事にガクンと膝をついて噎せた。
そしてすぐに上を向き、さっき見たものが本当なのかを確認する。
「………………ウソ……。」
へたり込み、見上げた空に度肝を抜かれた。
それが本当なのか信じられなかった。
サークは仮想精神空間で海神の精神体を見ていた。
だから見えているものが「海神様」なのだという事はわかった。
わかってはいたのだが……。
「…………デカイ……デカすぎる……。」
それが自分の中に入っていたと思うとゾッとした。
視界いっぱいに蠢く海神の姿。
見える範囲の空はその姿に覆い尽くされていた。
周囲に強化結界を張ったが、それがどれだけ無意味だったかを思い知らされる。
「……は、ははは……。そりゃ……いくら器の素質が高くても……気が狂う訳だ……。」
こんなモノを人間の中に入れておける訳がない。
本当によく今まで何も起こらず、これを人の中に引き継いできたものだ。
これに比べれば竜の血の呪いなんて屁でもない。
海神が好意的だったからこそ可能だっただけで、本来ならパンゲアの生命の半数、下手をすれば殆どを消滅させていてもおかしくない存在だった。
(……これが、海神様……。世界を統べる精霊の長の一人……。)
その大きさを目の当たりにし、サークは畏怖した。
怖い訳ではないが、ガクガクと体が震える。
それはいつぞやカルデラ湖で水神様を前にした時のようだった。
「…………ライオネル殿下って……バケモノ?!」
これを入れてあそこまで普通に生活していた己の主人に驚愕する。
サークは水神にも風の神にも会った事がある。
確かにどちらも大きかったが、海神の大きさはその比ではなかった。
『……あぁ……っ。やはり外は良い……っ!』
空を覆い尽くす海神は、狭い所から出てきた体を解すように、うねうねとしばらく空を蠢いていた。
そして気が済んだのか、その身が一直線に湖に降っていく。
サークはそれを呆然と眺めながら、この大きさではいくら湖が大きくても収まりきらないのではないかと思ったのだが、水面に当たった海神の体は水の中に溶けるように消えていく。
こんな大きなモノが湖に入ったら津波でも起こるのではと思ったが、そこはやはり精神体、物理的影響は殆どなかった。
しん……と静まり返る水面。
空にあった海神の姿は消え失せ、湖は少しバシャバシャと大きめの波を岸辺に寄せるだけとなった。
あまりの出来事に、サークはぼんやりとそれを眺めていた。
それはまるで白昼夢のようだった。
当たり前のように日常を取り戻した世界。
今し方起きた事が本当なのかわからなくなってくる。
これで終わりなのだろうか……?
サークは呆然としながら立ち上がった。
「……やはり外は良いのぉっ!!」
「ぎゃああぁぁぁぁっっ!!」
その静けさを破り、目の前の水面から突然、ザバァッ!とばかりに海神が首を出した。
すっかり気の抜けていたサークは驚きすぎてまたも腰を抜かす。
「か?!海神様?!」
「世話になったのぉ!森の!!」
「いや?!というかサークです?!」
「どちらでも良かろう!!我はとても気分が良いのだ!!」
「そ、そ、それは良かったデス……。」
水面から首から上(どこまでを首というのかはわからないが)だけを出し、上機嫌でサークを見下ろす海神。
なんだかハイテンションだなぁと苦笑いする。
そしてなんというか……縮んでいる。
首だけの状態でも水神様より大きいように見えるが、空を覆いつくしていた時よりは小さく感じる。
「……何か、出てきた時より縮みました?!」
「お主から出た時は気化状態みたいなモノだったからのぅ~。水を得て存在が固まったのよ。」
「へ、へえ~??」
気化状態とか固まるとか、精神体って結構、物質みたいなところがあるんだなぁと変に感心した。
「うむ。どうやら特に問題はなさそうよのぉ~。」
サークは海神の言葉にハッとする。
そう、海神とサークは魂がわずかに繋がった状態。
放っておけばサークの魂は海神と融合し取り込まれてしまう。
急いで感覚を辿るが、もう海神との繋がりは切れているようだった。
「……ありがとうございます。うまく、断ち切る事が出来たんですね……。」
「まぁ、この程度造作もないわ……と言いたいがのう……。殆どは我がやった訳ではない。」
「……え?」
「其方の名付けた……ミチル。あれがやりおった。」
「?!」
「其方はあれを強く拒絶していた。切り裂きたいとすら思っておった。だからその憎悪を利用して、自分ごと切りおったわ。」
「……そんな……。」
思わぬ事を海神から告げられ、サークは唖然とした。
必要な事だった、ミチルは最後にそう言った。
それは海神とサークの繋がりを切るために、わざと深く自分を憎ませたというのだろうか……。
複雑な想いが胸に湧く。
そっと胸に触れる。
「……そう、ですか。」
精霊は純粋だ。
そしてこちらの常識では理解できない考えを持つ。
わかっていたはずなのに、理解してやれなかったもう一人の自分。
「……そう嘆くな。あれは消えた訳ではない。」
「え?!でも今、自分ごと引き裂いたって?!」
「ああそうだ。あれは自分ごと我らの絆を引き裂いた。だがな、消えた訳ではない。我は其方の中にいた。だから見えたのだが、あれは元々お主の中にあったものだ。」
「え?!」
「殆ど消えかかっておったようだがな、お主に名を呼ばれた事で力を戻したようだ。其方が我と繋がった場所をそう名付けた事で、そこに枝を伸ばし繋がる事でさらに力を得た。そして我らの繋がり部分については自分ごと切ったが、元々其方の中にあった部分は残っておる。だから奴は消えた訳ではない。」
「……元々、俺の中に……ミチルがいた?!」
「あの者を覚えておらぬのか?……まぁ、致し方ないであろうが……。」
そう言われサークは混乱した。
確かに何度かおかしな事を言われた。
ずっと一緒にいたとか、前のように名前を呼んでくれだとか……。
けれどサークにはこの件以前のミチルの記憶はなかった。
「……記憶が定着する前の事、なのか……?」
「その辺は其方の神仕えに聞けばよかろう。かの者は「ミチル」の名に反応しておったように見える。お主は覚えておらずとも、育てた方は覚えておるやもしれぬからな。」
「……そう、ですね。」
だとすると、義父さんが突然、東の国に帰ったのはミチルが関係しているのだろうか?
いや、ミチルが問題なのなら恐らく側を離れるような事はしなかった。
だとしたら……。
サークの頭の中は色々な考えによって埋め尽くされていった。
「……それにしても、ちと残念じゃ。」
「え?」
「もう、人間たちの生々しい愛憎劇が見れぬのかと思うと……っ!!」
「………………は??」
がっかりしたように俯く海神。
サークは口を半開きにしてそれを見つめる。
しかし海神の方はそんな事は気にせず、興奮気味に話し続ける。
「家庭を持つ身で他者と繰り広げる情事!金や地位や自尊心の為に他者から伴侶や恋人を奪う魔性たち!身分差から引き裂かれる純愛!!んん~~っ!!これらをもう!身近で見る事ができないとはっ!!口惜しい!!」
「……は??……え?海神様?!」
「宿った子らが過ごす日々や成長が何よりの楽しみではあったが……。子らの周りの人間達の見せる生活もなかなか面白うてのぉ……息抜きに見るそれらの愛憎劇は……また甘美であったのよ……。」
「あの~??海神様?!」
「そういえば!!其方に負担をかけまいと思ってちゃんとは見れなかったのだが!!其方のドロドロ劇はどうなったのだ?!んん?!」
「……は、あははは……。」
食い入るように顔を近づけられ、サークは仰け反った。
何と言うか……がっくりと肩を落とす。
「……あの、海神様??」
「なんだ?」
「もしかして……海神様が人に囚えられたのは……。」
「囚える??我を??誰が??」
「……そうか、囚われた自覚もないのか……。」
「我が人の中に居った事なら、囚われておった訳ではないぞ?随分昔、人間達を観察するのが好きだった我にな?もっと人の生活の中でそれを見てみないかと言ってくる者がおってな……。それで面白そうだからその話に乗ったのよ。だがそのうち我を閉じ込めようとしてきてな。それは約束が違うと困っておったのじゃ。すると今度は別の者が来て、いつか海に還すからひとまず人の中に入ってくれと言われてな。そこから人の中に宿る形で過ごす事になったのよ。」
海神は何でもない事のようにそう語った。
単にちょっとの間、遊びに出かけていたと言う様子だった。
「……精霊の時間感覚が長くて助かった…………。」
サークは大きくため息をつく。
恐らく海神的には本当にそうなのだろう。
人間に囚えられたとも思っていなければ、海に返すと約束しておきながら、長い間、人の中に閉じ込められていたとも思っていない。
本当にちょっと人間の世界を堪能していたくらいの感覚なのだ。
ただ人の中にいる間は、無自覚にだが人間の影響を受け、少しおかしくなっていた部分があるのだろう。
しかしそうやって海神を狂わせていたものも、神仕えに心身の穢を祓われる事によってなくなり、本来の海神の思考と性格が戻ってきたのだ。
「……にしても、昼ドラ?!昼ドラ見る感覚でこの方、人間界に居たの?!俺達、あんなに大変な思いをしたのに?!」
精霊と人とでは感性も感覚も、何もかも違う事はわかっている。
しかし、ライオネル殿下が死んでしまう、国が滅んでしまうと、こんなにも真剣に全力を傾け大変な思いをしたというのに、海神の感覚では、だらだらと「昼ドラ」を見ていてそろそろ帰るかという感じで帰ってきた……みたいなもののようだ。
「嘘だ……誰か嘘だと言ってくれ……。」
サークは力なく項垂れた。
それを不思議そうに海神が眺める。
サークは思った。
海神は今まで出会ってきた精霊王の中で最も、自由奔放でミーハーな方なのだと……。
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小説家になろうにも投稿
氷の支配者と偽りのベータ。過労で倒れたら冷徹上司(銀狼)に拾われ、極上の溺愛生活が始まりました。
水凪しおん
BL
オメガであることを隠し、メガバンクで身を粉にして働く、水瀬湊。
※この作品には、性的描写の表現が含まれています。18歳未満の方の閲覧はご遠慮ください。
過労と理不尽な扱いで、心身ともに限界を迎えた夜、彼を救ったのは、冷徹で知られる超エリートα、橘蓮だった。
「君はもう、頑張らなくていい」
――それは、運命の番との出会い。
圧倒的な庇護と、独占欲に戸惑いながらも、湊の凍てついた心は、次第に溶かされていく。
理不尽な会社への華麗なる逆転劇と、極上に甘いオメガバース・オフィスラブ!
年下幼馴染アルファの執着〜なかったことにはさせない〜
ひなた翠
BL
一年ぶりの再会。
成長した年下αは、もう"子ども"じゃなかった――。
「海ちゃんから距離を置きたかったのに――」
23歳のΩ・遥は、幼馴染のα・海斗への片思いを諦めるため、一人暮らしを始めた。
モテる海斗が自分なんかを選ぶはずがない。
そう思って逃げ出したのに、ある日突然、18歳になった海斗が「大学のオープンキャンパスに行くから泊めて」と転がり込んできて――。
「俺はずっと好きだったし、離れる気ないけど」
「十八歳になるまで我慢してた」
「なんのためにここから通える大学を探してると思ってるの?」
年下αの、計画的で一途な執着に、逃げ場をなくしていく遥。
夏休み限定の同居は、甘い溺愛の日々――。
年下αの執着は、想像以上に深くて、甘くて、重い。
これは、"なかったこと"にはできない恋だった――。
上司、快楽に沈むまで
赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。
冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。
だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。
入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。
真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。
ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、
篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」
疲労で僅かに緩んだ榊の表情。
その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。
「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」
指先が榊のネクタイを掴む。
引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。
拒むことも、許すこともできないまま、
彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。
言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。
だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。
そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。
「俺、前から思ってたんです。
あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」
支配する側だったはずの男が、
支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。
上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。
秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。
快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。
――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。
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