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第九章「海神編」
浅き夢見路
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「さて。人の恋路を楽しむのもこれぐらいにして。我も自分の恋路を楽しむとするかのぉ~♪」
脱力するサークを他所に、海神は楽しげにそう言って体を揺らした。
サークはそれを諦めたように見つめる。
しかし疑問も残る。
「……つかぬ事をお伺いしますが……、海神様と水神様って……??」
「そうよのぉ~。人で言うところの……別居夫婦かのぉ~??」
「別居夫婦?!」
「いや……恋人以上夫婦未満??」
「夫婦未満なんですか?!」
「いや……何であろう……。人の世界では何と表現すればよいのだ??これは……??」
海神は困ったように考え込む。
どうやら人間ではあまり馴染みのない関係性のようだ。
「我と水はな?元々、二つで一つなのよ。正しくは二人で水の主であり「水」を統る者なのだ。」
「他の精霊王とは違ってかなり特殊ですね??」
「そう。我らは特殊なのよ。その統べる「水」が特殊な性質を持つのはそのせいよ。」
「……あ。」
そこまで言われてハッとした。
水。
それはありふれているが、最も特殊な存在でもある。
一番わかりやすい例は、液体から個体になる時に膨張する事だ。
水は凍ると液体の時より容積が大きくなる。
つまり液体の密度より個体の密度の方が小さいのだ。
その為、氷は水に浮く。
その他にも上げればきりがないほど特殊な性質がある。
「我と水は二つで一つ。だが我と水は別の存在とも言える。ときに一つであり、ときに二つなのだ。」
「……ややこしいですね?」
「そうか?人にとってはわかりにくいかもしれぬが、我らにとってはあまり気にする事でもないぞ??」
「はあ。」
「そうさの……長く人の世を見てきた我が其方にわかりやすく言うのなら……。我らの事を海と水という言い方をするからお主の思考をややこしくさせておるのだろう。水と氷という表現ならなんとなく納得できるのではないか??」
「……………………。」
海神に言われ、サークは考えてみた。
液体と個体。
水と氷は同じものだ。
だが特殊さ故、性質がかなり異なっている。
だが同じものなのだ。
「……ああ、確かに。確かにそうかもしれません。」
「我らは特殊なのよ。」
「はい。なんとなくイメージできました。」
サークの答えに海神は満足そうに頷く。
そして続けた。
「でだな?それ故に我らは二つであり、そしてときに一つとなるのよ。……こういうのを、人の世ではなんと呼ぶのだ??」
「う~ん……。確かにそれは表現の仕様がありませんね……。」
「そういうことよ。」
サークはなんとなくではあるが、海神と水神の関係を理解する事ができた。
それはやはり特殊で、恋人や夫婦といった表現では表せないものだった。
「我らは二つで一つ。故に子をなすには二人揃わねばならぬ。」
「?!」
「そんなところが人と似ておるであろう?故に人のそういう部分にとても興味を惹かれたのよ。しかしいざ観察してみれば……なんと面白い事か……!!」
「……それでハマっちゃったんですね……人間の愛憎劇に……。」
「愛という名の欲望!!浅ましくドロドロした狂気や嫉妬!なんと複雑で矛盾した感情か!!その中に見え隠れする純真さ!!ひたむきに全てを捧げる無償の愛!!人の作った序列に翻弄されるさま!!全て精霊には無いものよ!!」
「……………………。」
熱く語る海神の言葉に、サークは俯いた。
胸の奥の方でチリチリと痛むもの。
まだ真新しく生々しい傷。
まるでそれをなぞられた様な気がした。
「……人は、複雑で愚かで、そして美しい……。」
「……………………。」
「そうは思わぬか?森の??」
「……ですから、俺はサークですって。」
そう問われ、サークは困ったように笑った。
誤魔化すようにそう答え、苦笑いする。
「ふむ。其方もこだわりが強いの?大したことでもなかろうに??」
「いや、多分大した事ですって。それ。」
「そうかの?」
「ええ、そうですよ。」
人と精霊。
その価値観の違う会話は、妙にミチルとの対話を思い出させた。
「さて!ではそろそろ我は行く。」
「はい。お気をつけて。」
「ふふふっ。随分、放ったらかしたからのぉ~♪水のはどんな顔をするのか楽しみだ♪」
「……あまりいじめないで下さい。水神様は東の国の守り神なのですから……。」
「いじめてなどおらぬ♪人間で言うところの「駆け引き」ではないか♪」
この長い間の不在を「駆け引き」と一言で済ませてしまう海神に、サークは何と言っていいのかわからなかった。
あの時はわからなかったが、水神様もご苦労なさっているのだなぁと心から同情する。
「……そうじゃ。主に渡しておくものがあったのを忘れておった。」
一旦、去ろうと向きを変えかけた海神は、くるりとサークを振り返った。
何事だろうとサークが見上げる中、海神が力を練って何かを生み出す。
「?!」
「ほれ、持っていけ、森の。」
「……は?!え?!」
海神の頭上で練り上げられた力は光の玉となり、目の前に降りてきた。
訳がわからず動揺するサーク。
「これは?!」
「鰓だか??」
「鰓?!」
「そうだが??」
「え?!なんでエラ?!」
「必要になるであろう??」
「エラが?!」
全く訳がわからない。
そう言っているうちに光の玉はサークの中にすっと入り込んでしまった。
びっくりしてジタバタするが、入ってしまったものはもう出ては来ない。
「ふむ。これで我の役目は終わったな。」
「え?!海神様?!」
「礼には及ばぬ。」
「え??えええ?!」
「やる事も終わった!!さぁ!久々に水の顔でも見てくるとするか!!」
「いやちょっと待って下さい?!」
「うるさいぞ、森の。我はこれから水のと子作りをする故、忙しいのだ。」
「子作り?!」
「可哀想に……たくさんの子らがいなくなってしもうた……。また生み出してやらねば……。」
「は?!いやちょっと?!」
「ではな!森の……いや、サークだったな!!其方のドロドロ劇の結末を見届けられず残念だ!!」
「いや……それは……。」
「いずれ縁があったら会おうぞ!!」
「え?!ちょっと!海神様?!」
しかしサークの呼びかけも虚しく、海神は水の中に消えた。
そして時より水面に体の一部が見えては去っていく。
それを呆然と見送る。
「……え、何?どういう事??」
エラの事も子作りの事もツッコめぬまま放置されるサーク。
見つめる先では、段々と海神が東の国に向かっている。
そして……。
「……っ?!」
ズンッと地面が振動した。
ハッとした時にはもう、地面が揺れ始めていた。
「……うわっ!!」
突き上げるように激しく揺れる。
それは一瞬の事であまり長い時間ではなかったが、かなり激しい地震だった。
「……あ…………。」
見つめる先、東の国の山から噴煙が上がる。
幸い霊峰の噴火ではなく噴火の規模も小さそうだ。
「………………。水神様……動揺してるんだな……。」
それを呆然と見つめ、サークは呟く。
まさか地震や噴火が起こるとは思わなかったが、あの海神の大きさを目の当たりにしていたので、このぐらいの事が起きても何とも思わなかった。
むしろこの程度で済んでよかったなと言うくらいだ。
バシュッ!!と後ろの方で音がした。
振り向くと、少し遠く離れた場所から温水が立ち上がっているのが見えた。
「……わぁ~。温泉湧き出した~。凄いなぁ~。」
棒読みでそれを喜び、明後日を見つめる。
さすがは精霊の王と言うべきか、動揺が自然災害やらなんやらに直結している。
サークは脱力した。
もう色々、規模が違いすぎてどうでも良くなった。
これに比べれば人間なんてちっぽけだと思えた。
海神は無事、湖に還した。
サークはパンッと自分の頬を両手で叩く。
いつまでも呆けてはいられない。
自分の旅はまだ終わっていないのだから。
その辺の木切れなどを拾い、場所を知らせるための狼煙を上げる。
これで迎えに場所を知らせるのだ。
何だか古風なやり方だなぁと思いながらその側に座り込み、時より木切れを焚べてのんびり待つ事にした。
東の国からの迎えを待っていると、ふと、何かを感じた。
サークは無表情に立ち上がる。
予想よりも早い。
迎えの方が遅かったかと顔を顰める。
中央王国方向を黙って見つめる。
その視線の先には、あまり今、見たくはないものが見えた。
「…………サーク……。」
視線の先。
無理に走らせただろう馬から降り、男がぎこちなくこちらに向かってくる。
おそらく先々の宿場で貸馬を変え続けてここに来たのであろう。
でなければこの距離をこの時間で来れる訳がない。
「……何しに来た、ギル。」
本来なら、共にここに来るはずだった相手。
サークは半分振り返り、淡々と告げた。
「フロントには中央王国に帰るよう伝えてもらったはずだが?」
「…………。聞いた。」
「なら何しに来た。」
「…………すまん……。」
相変わらず要領の得ない会話。
いつもの事だと笑っていたのはいつの日か。
「海神様はもうお還しした。仕事は終わりだ。帰れ。」
「……………………。」
「俺は話してあった通り東の国に寄る。お前は帰れ。」
まるで死人のような顔だ。
だがきっと、こちらも似たような顔をしているに違いないとサークは思った。
もう元には戻れない。
中央王国を出る際、ギルが言った言葉。
確かにその通りだと思う。
もう、元には戻れないのだ。
理屈ではない。
必要な事だったとしても、相手を思っての事だとしても、不運が重なったのだとしても、元には戻れない。
理屈ではないのだ。
もう、それがお互い背負って生まれた業なのかもしれない。
「…………サーク。」
ギルは呼びかける。
ごく僅かな救いを求めるように。
「そう、サークだ。…………ファルシュはもういない。」
「……っ。」
サークの言葉にギルは奥歯を噛み締め俯く。
終わったのだ。
この数日はありえない夢を見ていたに過ぎない。
幻のような時間。
しかしその代償は計り知れない。
「帰れ。ここまで協力してくれた事には感謝している。だが、この先は東の国の神仕えの関わる領域。お前は付いてこれない。だから帰れ。」
「……わかっている。」
そんな事が話したいのではない。
そんな話をする為に無茶をして追ってきた訳じゃない。
だが、ギルの口からはそれ以上の言葉は出なかった。
無言で無意味な時間だけが過ぎる。
ふと、サークが湖に目を向ける。
いつの間にか小さな船がこちらに向かってきていた。
それを確認すると、サークは狼煙の炭を崩し火を消した。
「悪いが迎えが来た。俺は行く。」
「……そうか。」
「帰りがいつになるのかはわからない。」
「……わかった。」
サークは一度だけ、はっきりとギルを見た。
そのこの世の終わりを静かに受け入れるような姿に小さくため息をつく。
「……お前、少し休みをとったらどうだ?幼い頃からずっと、この件の為に殿下に付いてきたんだろう?もう海神はあるべき場所に還った。お前ももう囚われている必要はないはずだ。」
「……そう、だな。」
サークの言葉にギルは複雑な顔で少し笑った。
これまで自分が全てをかけてきた事の一つが終わりを迎えたのだ。
なんとも言えぬ侘しさと虚無感が胸に湧いた。
自分が本当に望んでいる事は何なのだろう?
そんな事を考えた。
東の国からの小舟が浅瀬に止まる。
数人の白装束に布で顔を隠した神仕えが乗っていた。
その一人が船を降り、浅瀬を歩いてこちらに来る。
「……アズマ様ですね。」
「はい。」
「御足労をおかけ致しますが、御同行願います。」
「……はい。」
養父が直接迎えにくる事はないとは思っていたが、思ったより格式張った迎えだとサークは思った。
顔を隠すのは養父以外の神仕えが神と向かい合う時、たまにするものだ。
養父は名を持たぬので必要ないが、他の神仕えは名があるので顔を隠すのだ。
海神ならもう還してここにはいないのに、随分本格的だと思う。
そしてギルを振り返る。
「俺はもう行く。お前は好きにすればいい。」
「……気をつけてな。」
「じゃあな。」
ギクシャクしたやり取り。
そして背を向け、サークは振り向かなかった。
「……お願いします。」
「ではこちらへ……。」
浅瀬をバシャバシャ歩き船に乗る。
後ろの一人が櫓を漕ぎ、先頭に一人が立つ。
サークは迎えに来た相手と向かい合うようにして中央に座った。
神仕え達は何も言わない。
おそらく喋る事を禁じられているのだろう。
不安はある。
しかしそれがどういうものかもわからない。
サークは仕方なく目を閉じた。
海神を抱えたまま身体強化を行って走り続けたのだ。
少し休んでおかなければ今後に差し支えるかもしれない。
どうせ誰も話さないのならちょうどいいと思った。
周囲は櫓のぎぃぎぃという音以外は聞こえない。
船は静かに東の国へと向かう。
岸辺に立ち、ギルはそれがわからなくなるまで黙って見送ったのだった。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
第九章「海神編」 完
脱力するサークを他所に、海神は楽しげにそう言って体を揺らした。
サークはそれを諦めたように見つめる。
しかし疑問も残る。
「……つかぬ事をお伺いしますが……、海神様と水神様って……??」
「そうよのぉ~。人で言うところの……別居夫婦かのぉ~??」
「別居夫婦?!」
「いや……恋人以上夫婦未満??」
「夫婦未満なんですか?!」
「いや……何であろう……。人の世界では何と表現すればよいのだ??これは……??」
海神は困ったように考え込む。
どうやら人間ではあまり馴染みのない関係性のようだ。
「我と水はな?元々、二つで一つなのよ。正しくは二人で水の主であり「水」を統る者なのだ。」
「他の精霊王とは違ってかなり特殊ですね??」
「そう。我らは特殊なのよ。その統べる「水」が特殊な性質を持つのはそのせいよ。」
「……あ。」
そこまで言われてハッとした。
水。
それはありふれているが、最も特殊な存在でもある。
一番わかりやすい例は、液体から個体になる時に膨張する事だ。
水は凍ると液体の時より容積が大きくなる。
つまり液体の密度より個体の密度の方が小さいのだ。
その為、氷は水に浮く。
その他にも上げればきりがないほど特殊な性質がある。
「我と水は二つで一つ。だが我と水は別の存在とも言える。ときに一つであり、ときに二つなのだ。」
「……ややこしいですね?」
「そうか?人にとってはわかりにくいかもしれぬが、我らにとってはあまり気にする事でもないぞ??」
「はあ。」
「そうさの……長く人の世を見てきた我が其方にわかりやすく言うのなら……。我らの事を海と水という言い方をするからお主の思考をややこしくさせておるのだろう。水と氷という表現ならなんとなく納得できるのではないか??」
「……………………。」
海神に言われ、サークは考えてみた。
液体と個体。
水と氷は同じものだ。
だが特殊さ故、性質がかなり異なっている。
だが同じものなのだ。
「……ああ、確かに。確かにそうかもしれません。」
「我らは特殊なのよ。」
「はい。なんとなくイメージできました。」
サークの答えに海神は満足そうに頷く。
そして続けた。
「でだな?それ故に我らは二つであり、そしてときに一つとなるのよ。……こういうのを、人の世ではなんと呼ぶのだ??」
「う~ん……。確かにそれは表現の仕様がありませんね……。」
「そういうことよ。」
サークはなんとなくではあるが、海神と水神の関係を理解する事ができた。
それはやはり特殊で、恋人や夫婦といった表現では表せないものだった。
「我らは二つで一つ。故に子をなすには二人揃わねばならぬ。」
「?!」
「そんなところが人と似ておるであろう?故に人のそういう部分にとても興味を惹かれたのよ。しかしいざ観察してみれば……なんと面白い事か……!!」
「……それでハマっちゃったんですね……人間の愛憎劇に……。」
「愛という名の欲望!!浅ましくドロドロした狂気や嫉妬!なんと複雑で矛盾した感情か!!その中に見え隠れする純真さ!!ひたむきに全てを捧げる無償の愛!!人の作った序列に翻弄されるさま!!全て精霊には無いものよ!!」
「……………………。」
熱く語る海神の言葉に、サークは俯いた。
胸の奥の方でチリチリと痛むもの。
まだ真新しく生々しい傷。
まるでそれをなぞられた様な気がした。
「……人は、複雑で愚かで、そして美しい……。」
「……………………。」
「そうは思わぬか?森の??」
「……ですから、俺はサークですって。」
そう問われ、サークは困ったように笑った。
誤魔化すようにそう答え、苦笑いする。
「ふむ。其方もこだわりが強いの?大したことでもなかろうに??」
「いや、多分大した事ですって。それ。」
「そうかの?」
「ええ、そうですよ。」
人と精霊。
その価値観の違う会話は、妙にミチルとの対話を思い出させた。
「さて!ではそろそろ我は行く。」
「はい。お気をつけて。」
「ふふふっ。随分、放ったらかしたからのぉ~♪水のはどんな顔をするのか楽しみだ♪」
「……あまりいじめないで下さい。水神様は東の国の守り神なのですから……。」
「いじめてなどおらぬ♪人間で言うところの「駆け引き」ではないか♪」
この長い間の不在を「駆け引き」と一言で済ませてしまう海神に、サークは何と言っていいのかわからなかった。
あの時はわからなかったが、水神様もご苦労なさっているのだなぁと心から同情する。
「……そうじゃ。主に渡しておくものがあったのを忘れておった。」
一旦、去ろうと向きを変えかけた海神は、くるりとサークを振り返った。
何事だろうとサークが見上げる中、海神が力を練って何かを生み出す。
「?!」
「ほれ、持っていけ、森の。」
「……は?!え?!」
海神の頭上で練り上げられた力は光の玉となり、目の前に降りてきた。
訳がわからず動揺するサーク。
「これは?!」
「鰓だか??」
「鰓?!」
「そうだが??」
「え?!なんでエラ?!」
「必要になるであろう??」
「エラが?!」
全く訳がわからない。
そう言っているうちに光の玉はサークの中にすっと入り込んでしまった。
びっくりしてジタバタするが、入ってしまったものはもう出ては来ない。
「ふむ。これで我の役目は終わったな。」
「え?!海神様?!」
「礼には及ばぬ。」
「え??えええ?!」
「やる事も終わった!!さぁ!久々に水の顔でも見てくるとするか!!」
「いやちょっと待って下さい?!」
「うるさいぞ、森の。我はこれから水のと子作りをする故、忙しいのだ。」
「子作り?!」
「可哀想に……たくさんの子らがいなくなってしもうた……。また生み出してやらねば……。」
「は?!いやちょっと?!」
「ではな!森の……いや、サークだったな!!其方のドロドロ劇の結末を見届けられず残念だ!!」
「いや……それは……。」
「いずれ縁があったら会おうぞ!!」
「え?!ちょっと!海神様?!」
しかしサークの呼びかけも虚しく、海神は水の中に消えた。
そして時より水面に体の一部が見えては去っていく。
それを呆然と見送る。
「……え、何?どういう事??」
エラの事も子作りの事もツッコめぬまま放置されるサーク。
見つめる先では、段々と海神が東の国に向かっている。
そして……。
「……っ?!」
ズンッと地面が振動した。
ハッとした時にはもう、地面が揺れ始めていた。
「……うわっ!!」
突き上げるように激しく揺れる。
それは一瞬の事であまり長い時間ではなかったが、かなり激しい地震だった。
「……あ…………。」
見つめる先、東の国の山から噴煙が上がる。
幸い霊峰の噴火ではなく噴火の規模も小さそうだ。
「………………。水神様……動揺してるんだな……。」
それを呆然と見つめ、サークは呟く。
まさか地震や噴火が起こるとは思わなかったが、あの海神の大きさを目の当たりにしていたので、このぐらいの事が起きても何とも思わなかった。
むしろこの程度で済んでよかったなと言うくらいだ。
バシュッ!!と後ろの方で音がした。
振り向くと、少し遠く離れた場所から温水が立ち上がっているのが見えた。
「……わぁ~。温泉湧き出した~。凄いなぁ~。」
棒読みでそれを喜び、明後日を見つめる。
さすがは精霊の王と言うべきか、動揺が自然災害やらなんやらに直結している。
サークは脱力した。
もう色々、規模が違いすぎてどうでも良くなった。
これに比べれば人間なんてちっぽけだと思えた。
海神は無事、湖に還した。
サークはパンッと自分の頬を両手で叩く。
いつまでも呆けてはいられない。
自分の旅はまだ終わっていないのだから。
その辺の木切れなどを拾い、場所を知らせるための狼煙を上げる。
これで迎えに場所を知らせるのだ。
何だか古風なやり方だなぁと思いながらその側に座り込み、時より木切れを焚べてのんびり待つ事にした。
東の国からの迎えを待っていると、ふと、何かを感じた。
サークは無表情に立ち上がる。
予想よりも早い。
迎えの方が遅かったかと顔を顰める。
中央王国方向を黙って見つめる。
その視線の先には、あまり今、見たくはないものが見えた。
「…………サーク……。」
視線の先。
無理に走らせただろう馬から降り、男がぎこちなくこちらに向かってくる。
おそらく先々の宿場で貸馬を変え続けてここに来たのであろう。
でなければこの距離をこの時間で来れる訳がない。
「……何しに来た、ギル。」
本来なら、共にここに来るはずだった相手。
サークは半分振り返り、淡々と告げた。
「フロントには中央王国に帰るよう伝えてもらったはずだが?」
「…………。聞いた。」
「なら何しに来た。」
「…………すまん……。」
相変わらず要領の得ない会話。
いつもの事だと笑っていたのはいつの日か。
「海神様はもうお還しした。仕事は終わりだ。帰れ。」
「……………………。」
「俺は話してあった通り東の国に寄る。お前は帰れ。」
まるで死人のような顔だ。
だがきっと、こちらも似たような顔をしているに違いないとサークは思った。
もう元には戻れない。
中央王国を出る際、ギルが言った言葉。
確かにその通りだと思う。
もう、元には戻れないのだ。
理屈ではない。
必要な事だったとしても、相手を思っての事だとしても、不運が重なったのだとしても、元には戻れない。
理屈ではないのだ。
もう、それがお互い背負って生まれた業なのかもしれない。
「…………サーク。」
ギルは呼びかける。
ごく僅かな救いを求めるように。
「そう、サークだ。…………ファルシュはもういない。」
「……っ。」
サークの言葉にギルは奥歯を噛み締め俯く。
終わったのだ。
この数日はありえない夢を見ていたに過ぎない。
幻のような時間。
しかしその代償は計り知れない。
「帰れ。ここまで協力してくれた事には感謝している。だが、この先は東の国の神仕えの関わる領域。お前は付いてこれない。だから帰れ。」
「……わかっている。」
そんな事が話したいのではない。
そんな話をする為に無茶をして追ってきた訳じゃない。
だが、ギルの口からはそれ以上の言葉は出なかった。
無言で無意味な時間だけが過ぎる。
ふと、サークが湖に目を向ける。
いつの間にか小さな船がこちらに向かってきていた。
それを確認すると、サークは狼煙の炭を崩し火を消した。
「悪いが迎えが来た。俺は行く。」
「……そうか。」
「帰りがいつになるのかはわからない。」
「……わかった。」
サークは一度だけ、はっきりとギルを見た。
そのこの世の終わりを静かに受け入れるような姿に小さくため息をつく。
「……お前、少し休みをとったらどうだ?幼い頃からずっと、この件の為に殿下に付いてきたんだろう?もう海神はあるべき場所に還った。お前ももう囚われている必要はないはずだ。」
「……そう、だな。」
サークの言葉にギルは複雑な顔で少し笑った。
これまで自分が全てをかけてきた事の一つが終わりを迎えたのだ。
なんとも言えぬ侘しさと虚無感が胸に湧いた。
自分が本当に望んでいる事は何なのだろう?
そんな事を考えた。
東の国からの小舟が浅瀬に止まる。
数人の白装束に布で顔を隠した神仕えが乗っていた。
その一人が船を降り、浅瀬を歩いてこちらに来る。
「……アズマ様ですね。」
「はい。」
「御足労をおかけ致しますが、御同行願います。」
「……はい。」
養父が直接迎えにくる事はないとは思っていたが、思ったより格式張った迎えだとサークは思った。
顔を隠すのは養父以外の神仕えが神と向かい合う時、たまにするものだ。
養父は名を持たぬので必要ないが、他の神仕えは名があるので顔を隠すのだ。
海神ならもう還してここにはいないのに、随分本格的だと思う。
そしてギルを振り返る。
「俺はもう行く。お前は好きにすればいい。」
「……気をつけてな。」
「じゃあな。」
ギクシャクしたやり取り。
そして背を向け、サークは振り向かなかった。
「……お願いします。」
「ではこちらへ……。」
浅瀬をバシャバシャ歩き船に乗る。
後ろの一人が櫓を漕ぎ、先頭に一人が立つ。
サークは迎えに来た相手と向かい合うようにして中央に座った。
神仕え達は何も言わない。
おそらく喋る事を禁じられているのだろう。
不安はある。
しかしそれがどういうものかもわからない。
サークは仕方なく目を閉じた。
海神を抱えたまま身体強化を行って走り続けたのだ。
少し休んでおかなければ今後に差し支えるかもしれない。
どうせ誰も話さないのならちょうどいいと思った。
周囲は櫓のぎぃぎぃという音以外は聞こえない。
船は静かに東の国へと向かう。
岸辺に立ち、ギルはそれがわからなくなるまで黙って見送ったのだった。
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第九章「海神編」 完
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ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、
篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」
疲労で僅かに緩んだ榊の表情。
その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。
「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」
指先が榊のネクタイを掴む。
引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。
拒むことも、許すこともできないまま、
彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。
言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。
だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。
そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。
「俺、前から思ってたんです。
あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」
支配する側だったはずの男が、
支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。
上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。
秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。
快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。
――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。
宵にまぎれて兎は回る
宇土為名
BL
高校3年の春、同級生の名取に告白した冬だったが名取にはあっさりと冗談だったことにされてしまう。それを否定することもなく卒業し手以来、冬は親友だった名取とは距離を置こうと一度も連絡を取らなかった。そして8年後、勤めている会社の取引先で転勤してきた名取と8年ぶりに再会を果たす。再会してすぐ名取は自身の結婚式に出席してくれと冬に頼んできた。はじめは断るつもりだった冬だが、名取の願いには弱く結局引き受けてしまう。そして式当日、幸せに溢れた雰囲気に疲れてしまった冬は式場の中庭で避難するように休憩した。いまだに思いを断ち切れていない自分の情けなさを反省していると、そこで別の式に出席している男と出会い…
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【オレンジハッピー様】
いつもありがとうございます!お気遣いくださりありがとうございます。
とうとう九章まで来ました〜。サークの化けの皮が剥がれてきてますが、何者であってもサークはサークなのでもきゅもきゅご飯を食べます。(笑)
そしてやっとなんでこんな副題なのかに突入です。複雑な関係はさらに混沌に向かって行きます。
頑張って書いていきたいと思いますので、今後ともよろしくお願い致します!ご感想ありがとうございました!
【さんろくきゅー様】
いつもありがとうございます!そして教えて下さりありがとうございます!本当物書きなのダメダメで💦日本人なのに日本語レベル低くて間違いが多いのでとても助かります!さんろくきゅー様のお陰でまた一つ立派な日本人に近づけました!(直しは後日行いますね!)ありがとうございました!