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第10章 後宮
第387話 溺
しおりを挟む表では聡明で思慮深い皇后の姿を見せながら、心の奥底に燻る不安と劣等感を宥めるしかない生活は、苦痛だった。
しかしそんな芙艶の心を慰める者がいた。
それが東左だった。
彼は皇太后が皇后宮を去る少し前に仕え始めた宦官だった。
皇后宮の古参の者は一掃したものの、一部の勤めて日の浅い者はそのまま残すことにした。彼はその内の1人だった。
とはいえ東左の仕事は、直接芙艶と関わることのないものだったにも関わらず、何故か芙艶は宮内で時々チラリと目にする彼の姿が気になった。
そんな彼と思いがけず話す事になったのは、ちょっとしたきっかけだった。
芙艶は度々、不安感に苛まれ眠れぬ夜があった。そんな時は床を抜け出し庭に出てぼんやりと月を眺めている事が多かった。
その日はたまたま新月で、月の無い暗い夜だった。月の代わりに星が瞬き、それはそれで美しい夜ではあった。
しかしその日、彼女は何故か少し魔が差した。
皇后宮には、有事のために密かに外に逃げ出せる通路がある。それは歴代の皇后とほんの一部の側近しか知らないもので、その一つが皇后の居室の中庭にあったのだ。
逃げ出したい。ここから逃げられたらどんなに気楽になるだろうか?
月の無い夜のせいか、もしくは彼女の心が限界を迎え始めていたのか……。
芙艶はその通路を通り、外に出ようとしたのだ。
しかし、外に出たところで見回りをしていた東左に見つかってしまったのだ。
「お一人で外に出られるのは危険でございます。どうか、お戻りくださいませ」
痩せ細った男であったが押し留める力は意外にも強く、それでいて静かに諭すように説得され、結局騒ぎを起こすわけにもいかず彼に付き添われる形で来た道を戻る事になった。
「私ども下々の者が。陛下のお心を理解しようと言うのもおこがましいことと思いますが、しかし私はずっと貴方様のことをご心配申し上げておりました」
2人で狭い通路を歩きながら、東左に言われた言葉に芙艶は目を剥く。
そんな彼女に、彼は「申し訳ありません」と頭を下げた。
「嫁いだ頃の陛下は自信と活力に満ち溢れておられました。しかし最近の貴方様は外では立派にお役目を果たしながら、時々憂をおびたお目をなさる。私はそれが心配でなりませんでした。まるで何かに怯えてるようで……どうにかお役に立てたらと思っておりました」
そう言って顔を上げた東左の瞳は、どこか強い光を宿していて、その目から視線を外す事が出来なかった。
「そなたが、なぜ?」
話したこともない縁もない宦官にそこまで心を砕かれる心当たりのない芙艶は、彼の言動を訝しく思うのは当然で、そう聞けば東左はそれを理解していると言うように笑った。
「ひと目お姿を拝見した時から、私は陛下の美しさと気高さに魅せられました。ですから、その方のお役に立ちたいと思うのは当然でございます」
なんの誤魔化しもなく素直に言われた言葉は、とても新鮮だった。
芙艶はその美貌から男性に羨望の眼差しを向けられる事には慣れていた。しかし、国内で才媛と謳われ、ゆくゆくは然るべき立場の権力者に嫁ぐであろうと目される皇女であった彼女を、口説こうとする者はいなかった。
だから、真っ直ぐに向けられた東左の言葉は殊の外芙艶の胸をくすぐった。
「もし次にどこかに偲んでお出かけになるのであれば、私にお声掛けくださいませ。お一人での外は御身が心配でございます。陛下のお邪魔は致しません。遠く影より護衛させていただきますゆえ」
そう懇願されて、気がついたらうなずいていた。
それから数日に一度、東左を伴い出かける事が増えた。
はじめは距離をとってひっそりとついてくるだけであった彼は、いつの間にか肩を並べて話し相手になり、そしていつしか心の内の深いところまで話す相手になっていた。
湖紅に嫁ぎ皇后となり、数度皇帝と寝屋を共にしても芙艶の女としての心は皇帝に揺らぐ事はこれまで一度も無かった。それなのに、東左には大きく心が揺れた。
2人が関係を持つようになるには、そう時間はかからなかった。
驚いた事に宦官であるはずの東左は、宦官ではなく普通の男だった。
なぜ宦官と偽ってこんな所に居られたのか聞くと、彼は事もなげに答えた。
「執着が過ぎる婚約者から逃げるためです。後宮なら追いかけてくる事も、居場所を見つけられる事もありませんから、あの時たまたま募集があったのがこの仕事で、条件が宦官だったので検査官に少し金を握らせたのです」
申し訳ありません。と言いながら「しかしここに逃げこめていなかったら多分私はもう彼女と彼女の実家に殺されていたでしょう」と言われ、咎める気にはならなかった。
その頃には、むしろ東左に溺れていた。
細い体はその細さがうそのように筋肉質で、鞭のようなしなやかな身体をしていた。
こけた頬に鋭い眼光。決して見目の良い男ではなかったが、物腰が柔らかく優しく思いやりのある男だった。
彼がそばにいてくれるだけで、不安な夜を過ごすことがなくなった。
もちろん、こんな事は許されることでは無い。密かに逢瀬を重ねる日々だったが、それがさらに2人の熱を盛り立てた。
そうして数年が経ち、皇子達が成長して来た頃、芙艶は後宮でも、皇后としても確たる地位を確立していた。
そんな頃、後宮内で不穏な事が起こりはじめた。
何者かが世継ぎの皇子を狙って、毒針を仕掛けたのだ。
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