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11章:お忍び散歩
2話:下町散策
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約束の日、待ち合わせの場所に行くと二人の姿があった。
少し汚れた白いシャツに茶色のサスペンダーズボンを履き、茶のキャスケット姿のカーライルはどこから見ても庶民に見える。
だが隣に控えるクラウルはどうしたって威圧感がある。短い黒髪を今日は下ろし、黒のズボンに白いドレスシャツ、編み上げの黒のベストを着ているのだが、身長はどうしようもない。
ランバートも今日は慣れた格好だ。黒のズボンに白のシャツ、髪をひとまとめに束ねてきた。
「おはよう、ランバート」
「おはようございます。えっと……」
「カール! 忘れないでね」
「カール……さん」
「うん、それでよし!」
腰に手を当てて楽しげに笑うカーライルに、今から目眩がしそうだった。
「すまない、色々と」
「えっと、なんとお呼びすればよろしいですか?」
近づいてきたクラウルに苦笑する。この人もあまり本名を呼ばれたくはないんじゃないかと思って問うと、苦笑が深くなって首を横に振られた。
「クラウルでいい。ただし、様はつけるなよ」
「わかりました」
「それじゃあ、早速行こう!」
テンション高めのカーライルに引きずられるように、ランバートとクラウルは東地区へと歩き出していった。
表通りは忙しい時間を過ぎていたが、それでも人の通りは多い。ガヤガヤとした喧噪の中を、カーライルは物珍しそうに進んでいる。
「野菜が山盛り。あっちは魚でこっちは肉? うわ! 裸の鶏が吊ってある!」
「カール、少し静かにしろ。まったく、恥ずかしい」
「お上りさん状態ですね」
それも考慮して、地方から出稼ぎに来た青年という事にしたらしい。本人に散々言い聞かせたと、クラウルが気苦労たっぷりに教えてくれた。
「よぉ、リフ!」
表通りから声がかかって顔を向ければ、以前ターキーを買った肉屋の主人が楽しそうに笑っている。もう足の固定具も取れたらしい。
「ビル爺さん、足はいいのか?」
「あったりまえよ!」
言ってガハガハと笑うビルは、直ぐ側のクラウルを見て少し引く。確かにこんな格好でも威圧感があるのだ。普通、少し引くだろう。
「まった、えらい迫力の兄ちゃん連れてんな」
「知り合いで、案内頼まれたんだ」
「ここいらは不慣れなのかい?」
「あぁ。出稼ぎに来て間もないんだ。こいつとは以前から知り合いだったから、案内を頼んだ」
「もしかして、そっちの兄ちゃんもかい?」
「「え?」」
見ればカーライルはショーケースの中の焼き鳥を見て目を輝かせている。涎まで出そうな感じだ。クラウルは溜息をつき、ランバートは苦笑する。
「クラウル、美味しそうだよ!」
「焼き鳥だな」
「焼き鳥ですね」
普段もっといい物食べてるはずなのに。とは、流石に言わずに顔を見合わせ、肩をすくませて笑った。
「なんだい兄ちゃん、焼き鳥食べた事ないのか?」
「ない!」
「そりゃ人生半分損してら」
そう言って、ビルは一本を取って焼き台の上で炙り、たっぷりとタレを絡めてカーライルに手渡す。キラキラした目が更に輝きを増した。
「ほれ、食ってみ」
「いいのか?」
「あぁ、俺のおごりだ」
「おごり?」
カーライルが首を傾げるのに苦笑し、ランバートが近づいていく。そして、焼きたてのそれを握らせた。
「タダって意味ですよ」
「それはダメだ! ちゃんとお金は払うから」
「なーに、気にすんな。食って気に入った時には、たまに買いに来てくれりゃ嬉しいね」
豪快に笑うビルに遠慮がちなカーライルも、目の前の誘惑には勝てなかったようだ。手にした焼き鳥にかぶりつき、目を一杯に輝かせている。
「美味しい!」
「だろ!」
「うん、凄く美味しい!」
子供のようにパクパクと食べ進めるカーライルの様子に苦笑し、クラウルが「帰りに買って帰ろう」と約束した。
焼き鳥一本を美味しく食べ終えたカーライルはとても上機嫌だ。隣に並ぶランバートは、そんな無邪気な様子に笑みを浮かべる。
「美味しかったですか?」
「勿論。温かいってだけで料理は美味しいんだ」
その言葉に、少しだけ気の毒になる。皇帝である彼は普段温かな食事は食べていない。毒味を終えてからでは冷めてしまっている。湯気を上げるような食事や、焼きたてなんてものを食べる事は本来ないのだ。
「昼食はこのまま食べ歩きなんてのはどうですか? その場で食べられる物って、けっこうあるんですよ」
「それがいい!」
「かしこまりました。クラウルさんもいいですか?」
「あぁ、そうしてやってくれ」
気遣わしげに笑うクラウルの慈悲深い目を、初めて見たかもしれない。ランバートは頷き、先を促すカーライルの隣に並んだ。
ドーナツにコロッケ、鳥の唐揚げなんかを少しずつ摘まんで歩くとそれなりにお腹がいっぱいになる。表通りは食材店と飲食店が多いことから、食べ歩きには事欠かない。揚げパンを食べたカーライルはいたくお気に召した様子で、帰りに買いたいとクラウルにねだっていた。
今は東地区にある噴水広場の木陰に座って、ジェラートを食べている。少しずつ熱い日も増えてきたから、一度休憩だ。
「楽しいな」
「良かったです」
「有り難う、ランバート。綺麗なものだけ見せてくれるんだね」
「え?」
不意に何を言われたのか分からなかった。けれど、カーライルはオレンジジェラートを舐めながら真剣な顔をする。彼を挟むように座っているクラウルもまた、表情を暗くした。
「お願いがある、ランバート」
「なんでしょうか?」
「奥につれていってほしい」
その意味に、ランバートは驚いて首を横に振った。とてもこの人を奥になんて連れて行けない。治安は悪いし未だ酷いのだ。
「いけません! あそこは騎士団だって踏み込めない場所です。犯罪者やテロリストが潜伏でもしていたら大変です」
「それでも行きたいんだ。その為に、私は今日ここにきたんだ」
意志は固そうだ。困ったようにクラウルを見ると、彼も静かな表情をしている。それで、今日の本当の目的を知った。
「どれほどに酷くてもいい。クラウルを隣につける。だから、頼みたい。私は見なければいけないんだ。目を背けていい問題ではないんだ」
「……分かりました」
この強い意志を変える事はおそらくできないだろう。ランバートも覚悟を決めた。ジェラートが全部なくなってから、三人は東地区を奥へ奥へと進んでいった。
東地区の最奥には、未だスラムがある。行く場所のない浮浪者、何かしらの理由で土地を追われた人が隠れるように住んでいる。当然職はなく、日雇いの肉体労働などをして日々の糧を得るか、週に二回ある教会の炊き出しに行くしかない。環境は劣悪だ。
「相変わらず、酷いな」
ゴミと瓦礫の山の中で生活しているような状態の人々を見て、クラウルが呟く。騎士団の中では唯一、暗府だけがこの辺りまでくる。このスラムは時に、犯罪者やテロリストが潜伏しているからだ。
静かな歩みで踏み出したランバートの後を、カーライルがついてくる。道があるのかないのか、そんな場所に分け入っている。酷い臭いがして鼻につく。物の腐る臭いや、アンモニア臭が主だ。
「これでも良くなったんですよ。少なくとも、そこらに死体が転がっているような事はなくなりました」
「それほど酷かったのか」
カーライルは辛そうにしながらも、決して目を背けない。その強さに、ランバートは嬉しさがあった。
国に見捨てられたという感情は、東地区の古い者は大抵持っている。訴えかけてもダメだった時代が長すぎた為だ。でもこうしてカーライルは、今を見ようとしてくれる。捨てられた訳じゃないんだと、思わせてくれる。
「東地区が復興を始めた時、それすらも拒む人がいました。全てが無駄だと諦めた人です。そうした人が廃材置き場に住み着いて、こうなったのです。生きることに絶望し、誰に知られる事もなく終える。ここの者はそうした事を選んだ人です」
新緑の瞳が曇り、僅かに伏せられる。悲しさなのか、悔しさなのか、拳に力が入り震えていた。
「ですが、ここで生まれた子供達は違います」
ランバートの言葉に、カーライルが顔を上げる。微笑みかけて、ランバートは見える教会を指さした。
「子供は教会が預かり、ある程度までは育ててくれ、基本的な教育をしています。この教会を支えているのは、東地区の住民達です。多くの苦しみを知る人達だからこそ、繰り返さない努力をしてくれています」
「耳に痛い。私は何も出来ずじまいだ。国を支えてくれる者達に、返す事ができない」
呟く言葉に、ランバートは首を横に振って否定した。
「貴方が民を思って行っている政策のおかげで、民は夢を見られます」
「夢?」
「平民でも、国が無利子で職業融資を行っていますよね? そのおかげで店を構え、職人として生計を立てている者は多いのです。それに、貴族の特権だった騎士団の門扉を広げてくれた。そのおかげで、ラウルは現在騎士をしています。学問所の開設援助、病院への援助などの公共的な救済も多くなりました。だからこそ、一度は見放されたと思った東地区の住民も、今では国に対して大いに感謝しているのです」
学問所の開設で勉強が出来るようになった子供達がいる。病院が増えた事で死ななくて済んだ人がいる。仕事があることで生計を立て、家庭を持てる人が増えた。それは全て、カーライルがしてくれたこと。
「ここの住人も、徐々に減っています。子供達は教会を巣立つと、独り立ちして社会の中で生きています。町の者も大いに歓迎し、社会の中で大人としての学びを始めるのです。そうした者がここに戻ってくることはありません。ここはいずれ、消えるのですよ」
ランバートの願いも含まれてはいる。だが、この願いはきっと近い未来だと信じている。
カーライルも一つ、頼りなく頷いた。
最後にカーライルが連れてきて欲しいと望んだのは、小さな教会だった。
そこには小さな墓がある。白い化粧石には「ロト・ヒンス」と銘が刻まれている。東地区を思い尽力した優しい老人は、ここにひっそりと眠っている。
カーライルはそこに花を手向けて手を合わせる。小さな墓には他にも、沢山の花が手向けられている。野に咲いた花や、窓際で育ったもの。そしてこの墓の側には一本の桜が、まだ細い枝を一生懸命伸ばし影を作り出している。
「なぜ、ここに?」
「私が出来なかった事を成し遂げてくれた人だからね。生きている内に会うことはできなかったから、どうしても訪れたかったんだ」
そう言うと、カーライルはランバートに向き直り、丁寧に一つ頭を下げた。
「有り難う、ランバート。君にも感謝している」
「え? あの」
「君がこの町の復興に大きな尽力をしてくれたのは聞いている。君と、古い土地の者がこの町を守り、蘇らせてくれた。本来ならば私がしなければいけなかった事だから」
ランバートは戸惑って、クラウルを見る。どこまで知っているのか不安だった。だがクラウルが軽く首を横に振ったので、少し安心した。少なくとも事件の事は知らないらしい。
「この町が復興を始めた頃、ようやく私も動けるようになってきた。そこで力を貸そうとしたのだが……君の父に反対された」
「父に?」
「町の者が自ら立とうとしているのを、横合いからひったくるように現れて成果だけを手にするのはならない。手を貸すには遅すぎたのだから、その後の国にしか出来ない事を整えるのが先決だと。あの一件で、私はあの男が嫌いになった」
「はは……」
引きつった笑みしか出てこない。よりにもよってなんて言い様だ。まかりなりにも主である。臣は主に仕えるものであって、蔑ろにするものじゃないだろうに。
「だが」
カーライルの笑みは自嘲気味にだ。困った顔をされるのは、こちらもどうリアクションしていいか困る。
「あの男は民を思って言っている。それは、日を経て分かった。人権も尊厳もなかった民が自らの足で立ち、その手で町を作り上げる。それは人々の自信と誇りになる。その邪魔をするなと言われたんだと、後で理解した。情けない思いだったよ、あの男の方がよほど分かっているんだと」
「だからこそ、嫌いなんだけどね」と、カーライルは付け足す。
「ランバート、これからは国として民を見守る。人々が自らの道を選び取る、その機会を与えたい。貴族だから偉いんじゃない。努力し、夢を見続ける人々を支えていける国にしたい。あの男に言わせるとそれはとても難しいというけれど、少しだけでもね。だから、安心してほしい」
「はい」
本当は、「有り難うございます、陛下」と心からの感謝と礼を尽くしたい。だが今は、それはできない。もどかしく、けれどとても嬉しく思う。もう、ランバートの手を離れても大丈夫なのだろう。そう、心から思えた瞬間だった。
少し汚れた白いシャツに茶色のサスペンダーズボンを履き、茶のキャスケット姿のカーライルはどこから見ても庶民に見える。
だが隣に控えるクラウルはどうしたって威圧感がある。短い黒髪を今日は下ろし、黒のズボンに白いドレスシャツ、編み上げの黒のベストを着ているのだが、身長はどうしようもない。
ランバートも今日は慣れた格好だ。黒のズボンに白のシャツ、髪をひとまとめに束ねてきた。
「おはよう、ランバート」
「おはようございます。えっと……」
「カール! 忘れないでね」
「カール……さん」
「うん、それでよし!」
腰に手を当てて楽しげに笑うカーライルに、今から目眩がしそうだった。
「すまない、色々と」
「えっと、なんとお呼びすればよろしいですか?」
近づいてきたクラウルに苦笑する。この人もあまり本名を呼ばれたくはないんじゃないかと思って問うと、苦笑が深くなって首を横に振られた。
「クラウルでいい。ただし、様はつけるなよ」
「わかりました」
「それじゃあ、早速行こう!」
テンション高めのカーライルに引きずられるように、ランバートとクラウルは東地区へと歩き出していった。
表通りは忙しい時間を過ぎていたが、それでも人の通りは多い。ガヤガヤとした喧噪の中を、カーライルは物珍しそうに進んでいる。
「野菜が山盛り。あっちは魚でこっちは肉? うわ! 裸の鶏が吊ってある!」
「カール、少し静かにしろ。まったく、恥ずかしい」
「お上りさん状態ですね」
それも考慮して、地方から出稼ぎに来た青年という事にしたらしい。本人に散々言い聞かせたと、クラウルが気苦労たっぷりに教えてくれた。
「よぉ、リフ!」
表通りから声がかかって顔を向ければ、以前ターキーを買った肉屋の主人が楽しそうに笑っている。もう足の固定具も取れたらしい。
「ビル爺さん、足はいいのか?」
「あったりまえよ!」
言ってガハガハと笑うビルは、直ぐ側のクラウルを見て少し引く。確かにこんな格好でも威圧感があるのだ。普通、少し引くだろう。
「まった、えらい迫力の兄ちゃん連れてんな」
「知り合いで、案内頼まれたんだ」
「ここいらは不慣れなのかい?」
「あぁ。出稼ぎに来て間もないんだ。こいつとは以前から知り合いだったから、案内を頼んだ」
「もしかして、そっちの兄ちゃんもかい?」
「「え?」」
見ればカーライルはショーケースの中の焼き鳥を見て目を輝かせている。涎まで出そうな感じだ。クラウルは溜息をつき、ランバートは苦笑する。
「クラウル、美味しそうだよ!」
「焼き鳥だな」
「焼き鳥ですね」
普段もっといい物食べてるはずなのに。とは、流石に言わずに顔を見合わせ、肩をすくませて笑った。
「なんだい兄ちゃん、焼き鳥食べた事ないのか?」
「ない!」
「そりゃ人生半分損してら」
そう言って、ビルは一本を取って焼き台の上で炙り、たっぷりとタレを絡めてカーライルに手渡す。キラキラした目が更に輝きを増した。
「ほれ、食ってみ」
「いいのか?」
「あぁ、俺のおごりだ」
「おごり?」
カーライルが首を傾げるのに苦笑し、ランバートが近づいていく。そして、焼きたてのそれを握らせた。
「タダって意味ですよ」
「それはダメだ! ちゃんとお金は払うから」
「なーに、気にすんな。食って気に入った時には、たまに買いに来てくれりゃ嬉しいね」
豪快に笑うビルに遠慮がちなカーライルも、目の前の誘惑には勝てなかったようだ。手にした焼き鳥にかぶりつき、目を一杯に輝かせている。
「美味しい!」
「だろ!」
「うん、凄く美味しい!」
子供のようにパクパクと食べ進めるカーライルの様子に苦笑し、クラウルが「帰りに買って帰ろう」と約束した。
焼き鳥一本を美味しく食べ終えたカーライルはとても上機嫌だ。隣に並ぶランバートは、そんな無邪気な様子に笑みを浮かべる。
「美味しかったですか?」
「勿論。温かいってだけで料理は美味しいんだ」
その言葉に、少しだけ気の毒になる。皇帝である彼は普段温かな食事は食べていない。毒味を終えてからでは冷めてしまっている。湯気を上げるような食事や、焼きたてなんてものを食べる事は本来ないのだ。
「昼食はこのまま食べ歩きなんてのはどうですか? その場で食べられる物って、けっこうあるんですよ」
「それがいい!」
「かしこまりました。クラウルさんもいいですか?」
「あぁ、そうしてやってくれ」
気遣わしげに笑うクラウルの慈悲深い目を、初めて見たかもしれない。ランバートは頷き、先を促すカーライルの隣に並んだ。
ドーナツにコロッケ、鳥の唐揚げなんかを少しずつ摘まんで歩くとそれなりにお腹がいっぱいになる。表通りは食材店と飲食店が多いことから、食べ歩きには事欠かない。揚げパンを食べたカーライルはいたくお気に召した様子で、帰りに買いたいとクラウルにねだっていた。
今は東地区にある噴水広場の木陰に座って、ジェラートを食べている。少しずつ熱い日も増えてきたから、一度休憩だ。
「楽しいな」
「良かったです」
「有り難う、ランバート。綺麗なものだけ見せてくれるんだね」
「え?」
不意に何を言われたのか分からなかった。けれど、カーライルはオレンジジェラートを舐めながら真剣な顔をする。彼を挟むように座っているクラウルもまた、表情を暗くした。
「お願いがある、ランバート」
「なんでしょうか?」
「奥につれていってほしい」
その意味に、ランバートは驚いて首を横に振った。とてもこの人を奥になんて連れて行けない。治安は悪いし未だ酷いのだ。
「いけません! あそこは騎士団だって踏み込めない場所です。犯罪者やテロリストが潜伏でもしていたら大変です」
「それでも行きたいんだ。その為に、私は今日ここにきたんだ」
意志は固そうだ。困ったようにクラウルを見ると、彼も静かな表情をしている。それで、今日の本当の目的を知った。
「どれほどに酷くてもいい。クラウルを隣につける。だから、頼みたい。私は見なければいけないんだ。目を背けていい問題ではないんだ」
「……分かりました」
この強い意志を変える事はおそらくできないだろう。ランバートも覚悟を決めた。ジェラートが全部なくなってから、三人は東地区を奥へ奥へと進んでいった。
東地区の最奥には、未だスラムがある。行く場所のない浮浪者、何かしらの理由で土地を追われた人が隠れるように住んでいる。当然職はなく、日雇いの肉体労働などをして日々の糧を得るか、週に二回ある教会の炊き出しに行くしかない。環境は劣悪だ。
「相変わらず、酷いな」
ゴミと瓦礫の山の中で生活しているような状態の人々を見て、クラウルが呟く。騎士団の中では唯一、暗府だけがこの辺りまでくる。このスラムは時に、犯罪者やテロリストが潜伏しているからだ。
静かな歩みで踏み出したランバートの後を、カーライルがついてくる。道があるのかないのか、そんな場所に分け入っている。酷い臭いがして鼻につく。物の腐る臭いや、アンモニア臭が主だ。
「これでも良くなったんですよ。少なくとも、そこらに死体が転がっているような事はなくなりました」
「それほど酷かったのか」
カーライルは辛そうにしながらも、決して目を背けない。その強さに、ランバートは嬉しさがあった。
国に見捨てられたという感情は、東地区の古い者は大抵持っている。訴えかけてもダメだった時代が長すぎた為だ。でもこうしてカーライルは、今を見ようとしてくれる。捨てられた訳じゃないんだと、思わせてくれる。
「東地区が復興を始めた時、それすらも拒む人がいました。全てが無駄だと諦めた人です。そうした人が廃材置き場に住み着いて、こうなったのです。生きることに絶望し、誰に知られる事もなく終える。ここの者はそうした事を選んだ人です」
新緑の瞳が曇り、僅かに伏せられる。悲しさなのか、悔しさなのか、拳に力が入り震えていた。
「ですが、ここで生まれた子供達は違います」
ランバートの言葉に、カーライルが顔を上げる。微笑みかけて、ランバートは見える教会を指さした。
「子供は教会が預かり、ある程度までは育ててくれ、基本的な教育をしています。この教会を支えているのは、東地区の住民達です。多くの苦しみを知る人達だからこそ、繰り返さない努力をしてくれています」
「耳に痛い。私は何も出来ずじまいだ。国を支えてくれる者達に、返す事ができない」
呟く言葉に、ランバートは首を横に振って否定した。
「貴方が民を思って行っている政策のおかげで、民は夢を見られます」
「夢?」
「平民でも、国が無利子で職業融資を行っていますよね? そのおかげで店を構え、職人として生計を立てている者は多いのです。それに、貴族の特権だった騎士団の門扉を広げてくれた。そのおかげで、ラウルは現在騎士をしています。学問所の開設援助、病院への援助などの公共的な救済も多くなりました。だからこそ、一度は見放されたと思った東地区の住民も、今では国に対して大いに感謝しているのです」
学問所の開設で勉強が出来るようになった子供達がいる。病院が増えた事で死ななくて済んだ人がいる。仕事があることで生計を立て、家庭を持てる人が増えた。それは全て、カーライルがしてくれたこと。
「ここの住人も、徐々に減っています。子供達は教会を巣立つと、独り立ちして社会の中で生きています。町の者も大いに歓迎し、社会の中で大人としての学びを始めるのです。そうした者がここに戻ってくることはありません。ここはいずれ、消えるのですよ」
ランバートの願いも含まれてはいる。だが、この願いはきっと近い未来だと信じている。
カーライルも一つ、頼りなく頷いた。
最後にカーライルが連れてきて欲しいと望んだのは、小さな教会だった。
そこには小さな墓がある。白い化粧石には「ロト・ヒンス」と銘が刻まれている。東地区を思い尽力した優しい老人は、ここにひっそりと眠っている。
カーライルはそこに花を手向けて手を合わせる。小さな墓には他にも、沢山の花が手向けられている。野に咲いた花や、窓際で育ったもの。そしてこの墓の側には一本の桜が、まだ細い枝を一生懸命伸ばし影を作り出している。
「なぜ、ここに?」
「私が出来なかった事を成し遂げてくれた人だからね。生きている内に会うことはできなかったから、どうしても訪れたかったんだ」
そう言うと、カーライルはランバートに向き直り、丁寧に一つ頭を下げた。
「有り難う、ランバート。君にも感謝している」
「え? あの」
「君がこの町の復興に大きな尽力をしてくれたのは聞いている。君と、古い土地の者がこの町を守り、蘇らせてくれた。本来ならば私がしなければいけなかった事だから」
ランバートは戸惑って、クラウルを見る。どこまで知っているのか不安だった。だがクラウルが軽く首を横に振ったので、少し安心した。少なくとも事件の事は知らないらしい。
「この町が復興を始めた頃、ようやく私も動けるようになってきた。そこで力を貸そうとしたのだが……君の父に反対された」
「父に?」
「町の者が自ら立とうとしているのを、横合いからひったくるように現れて成果だけを手にするのはならない。手を貸すには遅すぎたのだから、その後の国にしか出来ない事を整えるのが先決だと。あの一件で、私はあの男が嫌いになった」
「はは……」
引きつった笑みしか出てこない。よりにもよってなんて言い様だ。まかりなりにも主である。臣は主に仕えるものであって、蔑ろにするものじゃないだろうに。
「だが」
カーライルの笑みは自嘲気味にだ。困った顔をされるのは、こちらもどうリアクションしていいか困る。
「あの男は民を思って言っている。それは、日を経て分かった。人権も尊厳もなかった民が自らの足で立ち、その手で町を作り上げる。それは人々の自信と誇りになる。その邪魔をするなと言われたんだと、後で理解した。情けない思いだったよ、あの男の方がよほど分かっているんだと」
「だからこそ、嫌いなんだけどね」と、カーライルは付け足す。
「ランバート、これからは国として民を見守る。人々が自らの道を選び取る、その機会を与えたい。貴族だから偉いんじゃない。努力し、夢を見続ける人々を支えていける国にしたい。あの男に言わせるとそれはとても難しいというけれど、少しだけでもね。だから、安心してほしい」
「はい」
本当は、「有り難うございます、陛下」と心からの感謝と礼を尽くしたい。だが今は、それはできない。もどかしく、けれどとても嬉しく思う。もう、ランバートの手を離れても大丈夫なのだろう。そう、心から思えた瞬間だった。
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