恋愛騎士物語1~孤独な騎士の婚活日誌~

凪瀬夜霧

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11章:お忍び散歩

1話:夜の密会

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 招かれた屋敷は古いもので、ともすれば幽霊でも出そうなものだった。普段は使っていないと物語るようにドアが軋んで開く。
 一歩先を行くクラウルが持つ燭台の明かりだけを見ながら、ランバートは廊下を見回した。
 毛足の長い絨毯に汚れはない。天井にも蜘蛛の巣などはない。調度品も歴史を感じるが磨かれている。察するに、掃除はされているが人は住んでいない。そういう場所なのだろう。
 なぜランバートが見知らぬ屋敷に、しかもクラウルに招かれてきているか。それは昨夜の事だった。

◆◇◆

――昨夜
 ランバートは夕食も終わった時間にクラウルの執務室に呼ばれた。執務室に呼ばれたのだから、当然仕事だろう。だが、暗府の仕事がランバートに回ってくるのは珍しい。前に一度、ラーク迎賓館への潜入調査はあったがあれは仕方なくだ。普段はあり得ない。
 何よりファウストが暗府の仕事に関わる事をよしとしない。彼の許可なしに他府の仕事を手伝うような事は基本的にはしないのだ。
 暗府執務室を訪ねると、中にはファウストもいた。黒髪長身二人というのはなんとも迫力と威圧感がある。明かりも半分落としたような室内では、余計に怖かった。

「あの……俺何かしましたか?」

 思わず先制でそう問いかけてしまう。それに、上官二人は苦笑して首を横に振った。

「実はお前に、少し頼みがあってな」

 気苦労を感じる弱い笑みを浮かべたクラウルがランバートをソファーへ促す。戸惑いながらファウストを見ると、彼も静かに頷いてくれた。
 ソファーに座り、コーヒーを飲む。クラウルは紅茶よりもコーヒー派だ。団長達の中では唯一だろう。
 対面に座ったクラウルは珍しく歯切れが悪い。しばし逡巡した後、大きく溜息をついたりもして、それでようやく話し始めた。

「実は、明日の夜にとある人に会ってもらいたい」
「とある人?」

 妙な不安があるのは、いつも明快な上官の苦悩を見ているからだろうか。この人がこんなにも悩み抜いて口にするのだ、普通の人に思えない。

「あの、それはどのような」
「それは今は言えない。場所も明かせない。目的も明かせない。更には話した内容や相手について団長以外に話す事も許されない」
「あの、本当になぜ俺なのでしょうか?」

 よほどの相手だろうが、そんな人物が一体なぜランバートに会いたいのか。とてもじゃないが不安ばかりだ。
 戸惑って隣のファウストを見るが、黙って頷くばかりだ。

「不審人物じゃない。身元もはっきりした人だ。ついでに危害を加えられる事も、怪しげな取引を持ちかけられる事もない」
「なのに秘密なのですね」

 クラウルが静かに頷く。
 ランバートは悩むが、考えると悩むことが間違いだ。おそらくこれはクラウルとファウストの間で既に話がついていて、拒む事の出来ない案件なんだろう。

「分かりました、お受けします」

 抵抗するだけ無駄だろうと思い、ランバートは黙って受ける事にした。瞬間、クラウルはランバートの手を握って心の底から「有り難う」と言った。今日はこの人の妙な姿をよく見る。明日雨が降らなければよいのだけれど。

◆◇◆

 そんな事で、この屋敷だ。宿舎から小さな馬車に乗せられ、当然窓には黒く厚いカーテンがあり外が見えない状態にされて連れてこられた。

「悪かったな、強引で」
「いいえ。あの、ここでならお会いする方について聞いてもいいのでしょうか?」

 ここまで来たならどうせ会うのだから構わないだろう。そう思ったが、蝋燭に照らし出された人は苦笑するばかりだった。

「奥の扉を開ければ分かる事だから、待ってくれ。俺も口止めされているんだ」

 この人に口止めするような相手とは、誰なんだろう。ますます疑問が募ってくる。そうしている間にも二人は奥の扉の前に立っていた。
 クラウルが扉を開ける。
 室内は柔らかなランプの明かりが照らす部屋だった。応接室なのか、大きめのソファーセットに暖炉、分厚いカーテンがかかっている。
 そのソファーの一つに男が座っていた。柔らかな輝きのあるアイスブロンドが顎の辺りで揺れている。向けられる新緑の瞳は柔らかく穏やかな笑みが見えた。静かで穏やかな顔立ちは整っていて、どこか逆らえない迫力もある。
 しばし呆然と立ち尽くしていたランバートは、その人が誰かを認識するのにしばしかかった。知らないのではなく、あり得なかったのだ。
 ハッとして、思わず膝をついて頭を下げる。けれどそれは、慌てて近づいてきた男の手によって崩されてしまった。

「陛下がいらっしゃるとは知らず、失礼をいたしました」
「止めてよ、ランバート。驚かせたのは悪かったけれど、今は止めて」

 やんわりと手が触れて顔を上げるように促される。従って顔は上げたが、膝をつく姿勢は変えない。見れば目の前の人も両膝をつき、気遣わしい様子で触れていた。

「すまない、ランバート。屋敷に着いた時点で言っても良かったんだが、口止めされてしまって」

 ランバートの腕を引き上げるようにクラウルの手が伸びる。良いのだろうかと思っていると、目の前の人も柔らかく笑って頷いていた。

「驚かせてごめん。ただ、どうしてもプライベートで会ってみたくて無理を言ったのは私なんだ。クラウルは私の我が儘をきいてくれただけだから、どうか責めないでやってくれ」
「そのような事は。あの、陛下」
「カーライル」
「え?」

 にっこりと目の前の人が悪戯っぽい顔をする。玉座に座り凛とした表情の時とは打って変わって、とても温かな笑みだった。
 そう、目の前にいる人こそがこの帝国の王、カール四世その人だ。普段は民の前にも滅多に出ない皇帝の顔を正しく認識出来ている者は少ない。ランバートも昨年末に近衛府の手伝いで皇帝主催のパーティーに出席していなければ正しく認識できなかっただろう。
 そんな人が、実に無防備な様子で目の前にいる。臣下以下の一般隊員に過ぎないランバートに、まるで友人のような眼差しを向けてくる。

「ランバートは奴に似ていないな。おかげで親しめそうだ。これで奴に似ていたら、私はまず小憎たらしい目で君を見てしまいそうだった」
「父が大変失礼をいたしております」

 別の意味で謝りたい気持ちで、ランバートは深々と頭を下げた。

「まずは座ろう。ほら、カールも」
「そうだね」

 何がどうなっているのか全く説明されないまま、ランバートはクラウルに引きずられるようにソファーに座る。対面にはカーライルが座り、やっぱりニコニコしている。

「改めまして、カーライル・フランドールだ。今ここにいる間だけは、カールと呼んで欲しい」

 そう言われても、それはもの凄く不敬な振る舞いだ。戸惑ってクラウルを見るが、彼も頷いている。ならば従わないのも不敬。意を決してランバートは頷いた。

「ランバート・ヒッテルスバッハです。父が大変ご無礼をいたしている様子で、本当に申し訳ありません」
「君の行いではないから気にしないで。それに、あれに腹が立つのは正論だから。ほんと、痛いところを突くんだよ君の父は」
「すみません」

 こんなに胃の痛い事はない。しかも自分の事ではなく父親の事だ。普段どれだけ失礼してるんだ。親じゃなければこの後絞めに行きたい所だ。

「でも、あれも国を思って言う事でそこに私欲はない。だからこそ議論は激しくなるし、思いをぶつけ合えば悔しさや歯がゆさを感じてしまう。私はまだ若い王で、あちらは熟練の臣だ、勝ち目は薄い。だがそうして出す答えはいつも満足している。憎らしく思うのも、私の未熟さ故だよ」

 温かく肩を叩かれて、子としては嬉しい言葉を貰う。近くで見た新緑の瞳に、ランバートはふにゃりと緩く笑みを浮かべた。

「うん、綺麗で可愛らしい部分がある。あの男め、こんな息子を隠していたとはな」
「いえ、そのような事は」
「ファウストが落ちかけているというのも、これなら納得がいく」
「……はい?」

 腕を組んでうんうんと頷くカーライルに、ランバートは目をぱちくりした。思わず素の自分が突っ込みを入れてしまいそうになり、それをどうにか止める事が出来た。

「ファウストをたらし込んでいるのだろ?」
「違います!」
「そうなのかい? オスカルがしきりに話しているよ。二人はとても仲が良くて、ファウストは陥落寸前だと」

 脱力しつつ、胸の奥に沸く怒りの熱さに打ち震える。なんて恥をさらしているんだ、あの人は!

「ファウストがお前を気に入っているのは間違いないだろ」
「クラウル様まで!」
「明らかに今までとお前は違う。そこは誰の目から見ても明白なんだ、認めろ」

 とは言われても、そう簡単な事ではないし疑わしい。確かに他より少し親しいだろう。だがそれは微妙にずれている。多分、手のかかる弟が増えた感じじゃないだろうかと思うのだ。昔から言うだろ「できの悪い子ほど可愛い」と。

「部下として大変に目を掛けていただいております」
「そうなのかい? ふふっ、そういうことにしておくよ」

 実に楽しそうに笑う人は、きっと信じていないだろう。

「実際に会ってみて良かった。皆の話によく上がるランバートに興味があったんだ」
「俺の名がよく上がるのですか?」
「それはね。シウスやオスカルばかりではなく、こいつの口からも上がるんだ。興味がわくだろ?」

 何を言われているかが気になる。隣にいるクラウルを見るが、そっぽを向かれた。

「悪い事じゃないよ。仕事が出来て優秀だとか、とても強いとか」
「身に余る光栄です。多少、過大評価かと思います」
「後はとにかく、ファウストが気に入っているとね」
「それはオスカル様からでしょうか?」
「主にね。あれは私の側に必ず控えるから、二人きりで執務をしている時なんかに話が出るんだ。二人きりで旅行に行ったのだろ?」
「……はい」
「招かれて奴の部屋で飲んだり、泊まる事もあるとか」
「はい……」
「看病したりされたりの仲だとも聞くけれど」
「……はい」

 全てが事実なだけにぐうの音も出ない。だが問題は、それがどのような身振り手振りで語られたのか。あの人の事だ、誇張はされていそうだ。

「あの頑固者を揺るがす者が現れるなんて、楽しいじゃないか。いつもとても楽しく聞いているよ」

 うん、素知らぬふりで仕返しをしよう。そう、ランバートは密かに決めたのだった。

「カール、あまりランバートをからかうな。後でオスカルがこっぴどくやられそうだ」
「それもいいじゃないか。あれは自分の恋人の事は何も言わず、他人の事ばかりを話す。そうだランバート、あれと恋人はどのような関係なんだい? 水を向けてもまったくなんだ」

 わくわくした様子で問われるのだが、これにはランバートも答えられない。オスカルを庇うのではなく、エリオットを庇うからだ。恥ずかしがり屋のエリオットは未だ交際の事実を一部の人間にしか明かしていない。公になるのを拒んでいるのだから。

「申し訳ありません、カール様。オスカル様を庇うのではありませんが、私にとってお相手の方は親しいのです。その方を裏切る事はできません」

 皇帝相手にこんな事を言うのは本来は首が飛ぶ。だが、それでも裏切れない部分はある。何よりまだ交際一年も経っていないような二人だ。下手に弄ると拗れてしまうかもしれない。こういう事は静観しなければいけない時期があると、ランバートは思っている。
 カーライルは全く気にもしていない顔だった。だが、真剣な目で一つ頷いてはいた。

「なるほど、ファウスト達が気に入る理由の一つは分かったかな。君は誠実で、人を裏切らないんだね」
「それほど立派な志があるわけではありませんが、大事な人が悲しい顔をするのは見ていられないのです」
「優しいんだね。怖くなかったの? 私の言葉に背くような事を言うのは」
「……少しだけ、覚悟はしました。ですが、裏切りに胸を痛めるのも俺には苦痛です。信頼は一度失えば地に落ちてしまいます。たとえ小さなものでも、小骨のように引っかかって苛むので」

 エリオットはきっと笑って許してくれるだろうけれど、ランバートにとって「裏切った」という思いそのものが嫌なのだ。誰かを傷つける事を拒むのだ。昔からそうだったから。

「うん、私は好きだよその気性。少し潔癖な感じもするけれど、真っ直ぐだ。君が頭角を現すのが楽しみになった」

 そう言って笑う人は、心からその日を望んでくれているように見えた。

「カール、そろそろ時間もなくなる。本題がまだだろ」
「あっ、そうだった。いや、楽しくてついね。何せ城ではこんな話はできないから。結構肩が凝るんだよ、王様らしくするというのも」
「カール」

 クラウルに窘められ、苦笑したカーライルは頷く。そしてランバートに向き直り、真剣な眼差しを向けた。

「実は君に、お願いがあって呼んだんだ」
「なんでしょうか?」
「下町を案内してほしい」
「…………はい?」

 言葉を飲み込むのにややかかった。飲み込んだ事を理解するのに更にかかった。理解したが、意味不明だった。

「あの……聞き間違いでしょうか?」
「いや、間違っていない。私は下町が見たい。今までは町に不慣れということでクラウルに断られていたが、君がいれは解決だ。君は下町に詳しいのだろ?」

 詳しいのだろ? と言われるとそうだが、詳しいからこそ否と言いたい。決して王様が行くような場所じゃない。しかも下町住民なんてのは失礼を楽しむくらいの言葉遣いと気性だ、必ず何かある。

「何があっても、どんなことを言われ、されても不問とする。だから、連れて行って欲しい」

 そう言ったカーライルの瞳はとても真剣なものだった。新緑の瞳が真っ直ぐに見ている。それを受けて、ランバートも真剣に向き合った。

「なぜ、そうまでして行きたいのです」
「見たいんだ、どうしても。この国を預かる者として、私は見なければいけない」

 真剣な表情は、真実だと言っている。
 隣のクラウルを見ると深く頷いていた。こちらにも了承済みという事だろう。

「……分かりました。ただ、不快な思いもなさるかもしれません。それに、治安がいいとは言えません。小さな喧嘩や言い争いは日常の事ですし、荒っぽいのも多い場所です。お守りいたしますが、絶対とは言えません。ご理解いただけますか?」
「勿論。クラウルも一緒に来てくれるし、必ず指示に従う」
「分かりました。そこまで言うのでしたら、お連れいたします」

 深く頭を下げて同意すると、カーライルは安堵の表情を浮かべて「こちらこそ」と笑みを浮かべた。

 程なく執事らしい人が恭しく迎えにきて、カーライルは帰って行った。
 姿が見えなくなってしばらくで、ようやくランバートは体から力が抜ける気がしてドッとソファーに背を預ける。それに、隣でクラウルが笑って見ていた。

「笑わないでくださいよ」
「いや、お前も人だったと思ってな。流石に緊張したか」
「生きた心地がしなかった」
「平気だ。ここに来た時点で無礼講、多少の事は聞き流す」

 そう言って笑うクラウルは、普段より心持ち柔らかな表情をする。眉間の皺が薄い。

「どういったご関係なのですか?」

 こんなに親しく話しているのだから、ただの主と家臣という関係ではないだろう。そう思って問うと、苦笑が返ってきた。

「幼馴染みのようなものだ。年が近く、父も先王とは親しかった。そのよしみで幼少期よりずっと友のようにしている。流石に今は立場があるが、こうして会うときには友として接している」
「そうでしたか」

 随分古い付き合いなのだと思っていたが、幼少期からとは。
 それはなんだか羨ましい。ランバートの一番古い友人は、最近まったく連絡を取っていない。今頃どこで何をしているかも知らない。互いに友とは思っても自分を尊重する節がある。ようは、「どこかで上手くやってるだろう」と互いに思っているのだ。

「すまないな、無理を言って」

 不意に言われ、ランバートは笑って首を横に振る。かなり気は引けているし、心配もしているが嫌なわけじゃない。

「心して、案内させていただきます」

 言うと、クラウルは静かに一つ頷いた。
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