9 / 32
9【言葉使いと釣り】
しおりを挟む
開けた空、眩むほどの青さを前に、ルカーシュは深呼吸した。
頬を撫でる風、甘い花の香り。枝に止まった鳥の声、風で揺れる葉音。
ルカーシュが目を瞑って、音に意識を集中させていると、シモンが「心地よさそうな顔しちゃって」と呆れたように言う。
意地悪な発言も、実は人を嫌っているのではなく、面白がっているのだとわかっている。からかわれても、嫌味には感じない。
ルカーシュも「そんな顔はしていない」と負けん気を出して、口元には笑みを浮かべた。
瞼を開けると、焼けたような残像の後に、はっきりとシモンの顔が浮かぶ。
ルカーシュにとって、目に入る、耳に届く、指に触れる、すべてが美しい。
しかしどれもが、シモンの笑顔に勝るものはなかった。
言葉を忘れて見惚れていると、「あんまり、見ないでくれます?」と非難の声が上がった。笑顔がしかめっ面に変わってしまうのが、残念に思えた。
――もっと見たかったな。
ルカーシュは、すまなかったなと堅苦しく謝ろうとして、開きかけた唇を結んだ。
兄王や父王を真似た言葉に、もはや何の意味もない。自分は王弟ではない。敵国に保護された捕虜といってもいい。それならば、言葉もシモンのように自由でありたいと思う。
常に対等に、誰かと接してみたかった。気の良い友達のように軽く言葉を交わしたい。
シモンは立っているのも飽きたようで、「向こうに行きますか?」と歩き出そうとした時、ルカーシュは手袋ごしにシモンの服を掴んだ。
強い決意とともに、顔を上げた。緊張で頬に熱が集まってきたが、ルカーシュはひるまないように指に力を込めた。
「ごめんね、シモン」
「えっ? えっ?」
戸惑ったように声を上げて、シモンは落ち着きなく目を彷徨わせた。ルカーシュは最近、自分と同じくらいの年代の青年が主人公の本を読んでいる。
親しい友達同士なら「ごめん」、もしくは「ね」をつけるらしいと学んだ。実践してみたのだが、シモンからの反応はなかった。ルカーシュは羞恥が一気にやってきて、俯いた。
「へ、変だったか? 私もシモンのような言葉を使いたかったのだが」
「変ではありません。変ではありませんけど、いきなりで驚いたというか」
「本当に変じゃなかった?」
心配で顔を近づけてまで確かめると、シモンは面食らったような顔をしてから、目を逸らした。
「変ではないです」
「よかった、上手くできるか不安だったから」
ルカーシュは緊張を解いて、笑った。目を細めたシモンと見つめ合う。頬が赤く染まっている。よほど、日差しが強いのだろう。
「釣り、しませんか?」
シモンがそう提案するまで、ふたりは見つめ合っていた。
◆
敷地にある池で釣りをしようと、シモンが足早に動き出した。いつから準備していたのか、釣り竿も餌も揃っている。ルカーシュが疑問に思ってたずねると、シモンは頬を赤らめた。
「昨日、村まで行って、道具を揃えていたんですよ」
「それは私と釣りをするためか?」
「他に何があるんです? ほら、これ持って」
池を囲む岩に座り込んだ。シモンはあぐらをかいて、竿を下ろした。餌もつけてもらい、釣り竿も振ってから持たされた。
「釣りとは、こうやってぼんやりしていていいのか?」
「そういうもんですよ」
シモンは魚が捕れなくても釣り糸を垂らすのが好きだという、意外な一面も覗かせた。釣り竿はまったく動かなかったが、隣同士で座って、たわいない話をした。
シモンの仕事の話は、ルカーシュにとっては何を聞いても新鮮だった。
アラバンドでの潜入話は、ルカーシュも息を呑んで聞いた。子供に聞かせるように抑揚がついている。
段々と盛り上がっていき、騎士団長は見事、脱獄に成功した。そのすべてがシモンのおかげで、騎士団長と無事帰還できたところで話は締められた。
ルカーシュが思わず釣り竿を置いて拍手をしたのは、シモンの話が手に取るように想像しやすくて、おもしろかったからだ。
「君の話はおもしろいな。とても話し慣れている気がする」
「さんざん、子供たちに話したんで」
「子供たち?」
「ああ、俺の家族です」
「え?」
ルカーシュはあまりの衝撃に、周りの音が聞こえなくなった。シモンは変化に気づくことなく、何でもないことのようにあっさり言った。
「俺は孤児院出身なんですよ」
ルカーシュは一度でも安堵した自分を恥じた。シモンに家族がいないことに安心したなんて、最低な気持ちだ。
それなのに、ルカーシュは自分の薄汚れた気持ちが嫌で仕方ない。シモンの顔や仕草を見ていられなくなって、釣り竿を握った。釣りに集中しようと思うが、とてもそんな気にはなれない。
「だから、たまに孤児院に行って、俺の話をするんです。皆、楽しそうに聞いてくれるから、俺のほうが面白くなって……お!」
シモンが急に立ち上がった。ルカーシュの持った釣り竿の先端が上下にしなっている。釣り糸が横に引っ張られていく。ルカーシュは震える足でどうにか踏ん張ると、隣にいる騎士にすがるような目を向けた。
「え、え、どうしよう!」
「そのまま、持ってて!」
シモンは自分の釣り竿をすぐに回収して岩場に置くと、ルカーシュの背後に回った。
逞しい腕がためらいなく、ルカーシュの腰に回った。背中に感じる騎士の硬い身体、耳元で感じる吐息。どくどくと心音が高鳴る。こんな熱は知らなかった。
「さ、触らないでくれ!」
ルカーシュは耐えられなくなって、シモンの腕を払った。その拍子に、岩場から足を滑らせた。釣り竿は池に引きずり込まれた。
池に落ちる。水飛沫が上がる音で、ルカーシュは衝撃に備えて、目を瞑った。
シモンは咄嗟にルカーシュの身体を抱えて、一緒に池に落ちた。池は腰のあたりまでの水かさだった。それでも、足の下にはゴツゴツした岩があり、これで頭を打ったら怪我をしていたはずだ。
そんな怪我よりも何よりも、頭を占めていたのは別のことだ。
ルカーシュはいま、シモンに強く抱き締められている。筋の張った鍛えられた腕が、腰に回っている。
服が水を含んで重くなったことも気付かないほど、頭が真っ白になっていた。
ルカーシュはずぶ濡れになったまま、呆然としていた。
「大丈夫ですか?」
身体が離された。髪からしたたり落ちてくる水滴を払いながら、シモンが顔を覗き込んでくる。
深緑の瞳がルカーシュを捉えた瞬間、あれほど冷えていた身体が発火し始めた。熱が目の前を通り抜けていく。心音が高鳴って、耳奥を支配していく。頭が熱い。
「お、おい!」
シモンの叫び声が遠くに聞こえる。
「ルカーシュ様! ルカーシュ!」
――初めて、ルカーシュと呼んでくれた。
力ない笑みが溢れたが、熱に浮かされた身体が限界を越えた。シモンの胸板に額をぶつけながら、逞しい腕の中で意識を失った。
頬を撫でる風、甘い花の香り。枝に止まった鳥の声、風で揺れる葉音。
ルカーシュが目を瞑って、音に意識を集中させていると、シモンが「心地よさそうな顔しちゃって」と呆れたように言う。
意地悪な発言も、実は人を嫌っているのではなく、面白がっているのだとわかっている。からかわれても、嫌味には感じない。
ルカーシュも「そんな顔はしていない」と負けん気を出して、口元には笑みを浮かべた。
瞼を開けると、焼けたような残像の後に、はっきりとシモンの顔が浮かぶ。
ルカーシュにとって、目に入る、耳に届く、指に触れる、すべてが美しい。
しかしどれもが、シモンの笑顔に勝るものはなかった。
言葉を忘れて見惚れていると、「あんまり、見ないでくれます?」と非難の声が上がった。笑顔がしかめっ面に変わってしまうのが、残念に思えた。
――もっと見たかったな。
ルカーシュは、すまなかったなと堅苦しく謝ろうとして、開きかけた唇を結んだ。
兄王や父王を真似た言葉に、もはや何の意味もない。自分は王弟ではない。敵国に保護された捕虜といってもいい。それならば、言葉もシモンのように自由でありたいと思う。
常に対等に、誰かと接してみたかった。気の良い友達のように軽く言葉を交わしたい。
シモンは立っているのも飽きたようで、「向こうに行きますか?」と歩き出そうとした時、ルカーシュは手袋ごしにシモンの服を掴んだ。
強い決意とともに、顔を上げた。緊張で頬に熱が集まってきたが、ルカーシュはひるまないように指に力を込めた。
「ごめんね、シモン」
「えっ? えっ?」
戸惑ったように声を上げて、シモンは落ち着きなく目を彷徨わせた。ルカーシュは最近、自分と同じくらいの年代の青年が主人公の本を読んでいる。
親しい友達同士なら「ごめん」、もしくは「ね」をつけるらしいと学んだ。実践してみたのだが、シモンからの反応はなかった。ルカーシュは羞恥が一気にやってきて、俯いた。
「へ、変だったか? 私もシモンのような言葉を使いたかったのだが」
「変ではありません。変ではありませんけど、いきなりで驚いたというか」
「本当に変じゃなかった?」
心配で顔を近づけてまで確かめると、シモンは面食らったような顔をしてから、目を逸らした。
「変ではないです」
「よかった、上手くできるか不安だったから」
ルカーシュは緊張を解いて、笑った。目を細めたシモンと見つめ合う。頬が赤く染まっている。よほど、日差しが強いのだろう。
「釣り、しませんか?」
シモンがそう提案するまで、ふたりは見つめ合っていた。
◆
敷地にある池で釣りをしようと、シモンが足早に動き出した。いつから準備していたのか、釣り竿も餌も揃っている。ルカーシュが疑問に思ってたずねると、シモンは頬を赤らめた。
「昨日、村まで行って、道具を揃えていたんですよ」
「それは私と釣りをするためか?」
「他に何があるんです? ほら、これ持って」
池を囲む岩に座り込んだ。シモンはあぐらをかいて、竿を下ろした。餌もつけてもらい、釣り竿も振ってから持たされた。
「釣りとは、こうやってぼんやりしていていいのか?」
「そういうもんですよ」
シモンは魚が捕れなくても釣り糸を垂らすのが好きだという、意外な一面も覗かせた。釣り竿はまったく動かなかったが、隣同士で座って、たわいない話をした。
シモンの仕事の話は、ルカーシュにとっては何を聞いても新鮮だった。
アラバンドでの潜入話は、ルカーシュも息を呑んで聞いた。子供に聞かせるように抑揚がついている。
段々と盛り上がっていき、騎士団長は見事、脱獄に成功した。そのすべてがシモンのおかげで、騎士団長と無事帰還できたところで話は締められた。
ルカーシュが思わず釣り竿を置いて拍手をしたのは、シモンの話が手に取るように想像しやすくて、おもしろかったからだ。
「君の話はおもしろいな。とても話し慣れている気がする」
「さんざん、子供たちに話したんで」
「子供たち?」
「ああ、俺の家族です」
「え?」
ルカーシュはあまりの衝撃に、周りの音が聞こえなくなった。シモンは変化に気づくことなく、何でもないことのようにあっさり言った。
「俺は孤児院出身なんですよ」
ルカーシュは一度でも安堵した自分を恥じた。シモンに家族がいないことに安心したなんて、最低な気持ちだ。
それなのに、ルカーシュは自分の薄汚れた気持ちが嫌で仕方ない。シモンの顔や仕草を見ていられなくなって、釣り竿を握った。釣りに集中しようと思うが、とてもそんな気にはなれない。
「だから、たまに孤児院に行って、俺の話をするんです。皆、楽しそうに聞いてくれるから、俺のほうが面白くなって……お!」
シモンが急に立ち上がった。ルカーシュの持った釣り竿の先端が上下にしなっている。釣り糸が横に引っ張られていく。ルカーシュは震える足でどうにか踏ん張ると、隣にいる騎士にすがるような目を向けた。
「え、え、どうしよう!」
「そのまま、持ってて!」
シモンは自分の釣り竿をすぐに回収して岩場に置くと、ルカーシュの背後に回った。
逞しい腕がためらいなく、ルカーシュの腰に回った。背中に感じる騎士の硬い身体、耳元で感じる吐息。どくどくと心音が高鳴る。こんな熱は知らなかった。
「さ、触らないでくれ!」
ルカーシュは耐えられなくなって、シモンの腕を払った。その拍子に、岩場から足を滑らせた。釣り竿は池に引きずり込まれた。
池に落ちる。水飛沫が上がる音で、ルカーシュは衝撃に備えて、目を瞑った。
シモンは咄嗟にルカーシュの身体を抱えて、一緒に池に落ちた。池は腰のあたりまでの水かさだった。それでも、足の下にはゴツゴツした岩があり、これで頭を打ったら怪我をしていたはずだ。
そんな怪我よりも何よりも、頭を占めていたのは別のことだ。
ルカーシュはいま、シモンに強く抱き締められている。筋の張った鍛えられた腕が、腰に回っている。
服が水を含んで重くなったことも気付かないほど、頭が真っ白になっていた。
ルカーシュはずぶ濡れになったまま、呆然としていた。
「大丈夫ですか?」
身体が離された。髪からしたたり落ちてくる水滴を払いながら、シモンが顔を覗き込んでくる。
深緑の瞳がルカーシュを捉えた瞬間、あれほど冷えていた身体が発火し始めた。熱が目の前を通り抜けていく。心音が高鳴って、耳奥を支配していく。頭が熱い。
「お、おい!」
シモンの叫び声が遠くに聞こえる。
「ルカーシュ様! ルカーシュ!」
――初めて、ルカーシュと呼んでくれた。
力ない笑みが溢れたが、熱に浮かされた身体が限界を越えた。シモンの胸板に額をぶつけながら、逞しい腕の中で意識を失った。
58
あなたにおすすめの小説
恵方巻を食べてオメガになるはずが、氷の騎士団長様に胃袋を掴まれ溺愛されています
水凪しおん
BL
「俺はベータだ。けれど、クラウス様の隣に立ちたい」
王城の厨房で働く地味な料理人ルエンは、近衛騎士団長のクラウスに叶わぬ恋をしていた。身分も属性も違う自分には、彼との未来などない。そう諦めかけていたある日、ルエンは「伝説の恵方巻を食べればオメガになれる」という噂を耳にする。
一縷の望みをかけ、ルエンは危険な食材探しの旅へ! しかし、なぜかその旅先にはいつもクラウスの姿があって……?
勘違いから始まる、ベータ料理人×氷の騎士団長の胃袋攻略ラブファンタジー!
ヒールオメガは敵騎士の腕の中~平民上がりの癒し手は、王の器に密かに溺愛される
七角@書籍化進行中!
BL
君とどうにかなるつもりはない。わたしはソコロフ家の、君はアナトリエ家の近衛騎士なのだから。
ここは二大貴族が百年にわたり王位争いを繰り広げる国。
平民のオメガにして近衛騎士に登用されたスフェンは、敬愛するアルファの公子レクスに忠誠を誓っている。
しかしレクスから賜った密令により、敵方の騎士でアルファのエリセイと行動を共にする破目になってしまう。
エリセイは腹が立つほど呑気でのらくら。だが密令を果たすため仕方なく一緒に過ごすうち、彼への印象が変わっていく。
さらに、蔑まれるオメガが実は、この百年の戦いに終止符を打てる存在だと判明するも――やはり、剣を向け合う運命だった。
特別な「ヒールオメガ」が鍵を握る、ロミジュリオメガバース。
無能と捨てられたオメガですが、AI搭載の最強ゴーレムを作ったら、執着溺愛ルートに入りました
水凪しおん
BL
「マスターは私が守ります。……そして、愛します」
現代日本でAI研究者だったカイルは、過労死の末、魔力至上主義の異世界へ転生する。しかし、魔力を持たない「オメガ」と判定され、実家の公爵家から辺境のゴーレム廃棄場へと追放されてしまう。
生き残るため、カイルは前世の知識と特異能力「論理構築」を使い、泥人形のゴーレム・オルトを作成。AIを搭載されたオルトは、やがて自我に目覚め、カイルを溺愛する最強の「アルファ」へと進化していく――。
無機質からの激重感情×内政チート!
スパダリ化したゴーレムと共に、荒れ地を楽園に変え、かつての家族を見返す痛快異世界BLファンタジー!
【本編完結】おもてなしに性接待はアリですか?
チョロケロ
BL
旅人など滅多に来ない超ド田舎な村にモンスターが現れた。慌てふためいた村民たちはギルドに依頼し冒険者を手配した。数日後、村にやって来た冒険者があまりにも男前なので度肝を抜かれる村民たち。
モンスターを討伐するには数日かかるらしい。それまで冒険者はこの村に滞在してくれる。
こんなド田舎な村にわざわざ来てくれた冒険者に感謝し、おもてなしがしたいと思った村民たち。
ワシらに出来ることはなにかないだろうか? と考えた。そこで村民たちは、性接待を思い付いたのだ!性接待を行うのは、村で唯一の若者、ネリル。本当は若いおなごの方がよいのかもしれんが、まあ仕方ないな。などと思いながらすぐに実行に移す。はたして冒険者は村民渾身の性接待を喜んでくれるのだろうか?
※不定期更新です。
※ムーンライトノベルズ様でも投稿しています。
※よろしくお願いします。
【本編完結】転生先で断罪された僕は冷酷な騎士団長に囚われる
ゆうきぼし/優輝星
BL
断罪された直後に前世の記憶がよみがえった主人公が、世界を無双するお話。
・冤罪で断罪された元侯爵子息のルーン・ヴァルトゼーレは、処刑直前に、前世が日本のゲームプログラマーだった相沢唯人(あいざわゆいと)だったことを思い出す。ルーンは魔力を持たない「ノンコード」として家族や貴族社会から虐げられてきた。実は彼の魔力は覚醒前の「コードゼロ」で、世界を書き換えるほどの潜在能力を持つが、転生前の記憶が封印されていたため発現してなかったのだ。
・間一髪のところで魔力を発動させ騎士団長に救い出される。実は騎士団長は呪われた第三王子だった。ルーンは冤罪を晴らし、騎士団長の呪いを解くために奮闘することを決める。
・惹かれあう二人。互いの魔力の相性が良いことがわかり、抱き合う事で魔力が循環し活性化されることがわかるが……。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる