変異型Ωは鉄壁の貞操

田中 乃那加

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助け舟が泥舟だった②

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 アレがちょっとした騒ぎになった――と、のちに聞く。

「ああ、発情期ヒートだね」
「…………は?」

 かかりつけ病院の医師が目を細めて言った。
 小児科と内科、あとはバース性についての症状も診ている医院である。家からほど近く、昔から世話になっていた。

 そんな中で告げられた一言。

「ひ、ヒートって。僕、Ωじゃないですけど」
「今はね。でも一時的に発情期、いわゆる偽発情がくるくらいに不安定なホルモン状態ってこと。なんか変な薬でも服用したとかじゃないよねぇ?」

 普段は穏やかで優しいと評判のおじいちゃん先生である。
 それがわずかにだが、眉間にシワを寄せてカルテを見つめているのだ。

「全然っ、まったくないです!」
「そうか。じゃあ、あれだ」

 医師は目元をふっと緩ませて。

「恋人が出来たのかね」
「!?」

 まさかの言葉に思わず仰け反る。幸い、今いる場所は担ぎ込まれた病室。看護師の中年女性が一人いるくらいで、あとは静かなものだ。

「こんな小さい頃から知ってるけど。いやあ、君にも恋人がねえ」
「違いますっ、あいつは別にそんなのじゃない」
「ははは、照れない照れない」
「だから……っ」

 微笑ましげに言われてはもうなにも言い返せない。
 しかし誤解されてもやむなし。なんせ体調不良で運ばれた時、奏汰をお姫様抱っこしていたのは龍也だった。

 なぜ平日の駅前という場所にいたのか。それは後で問い詰めることにして、ただ素直に助かったと思う。
 
 突然の熱と疼きに意識朦朧となり歩くことすら出来なかった。
 あの場で一人でいればどんな醜態を晒していたか。内心ゾッとする。
 
「あ」

 そういえば、と彼は数度まばたきをして考えた。
 愈史郎はどうなっただろう。
 せっかく助けてくれようとしたのに、なかなかその手をとる事が出来なかった。
 気づけば姿を見ないままになっている。
 
「あの、なんで僕がヒートに?」

 今思えば症状として当てはまるが、まさかβの自分がなるはずがない。そう思って奏汰が疑問をぶつけると、医師はゆっくりうなずいた。

「君は特異型なのは診断受けてると思うけど、それが関係していてね」
「でも僕、特にそんな……」

 αの恋人どころか、誰とも関係を持ったことがない。つまり童貞処女なわけだが、事態はそこまで単純はないらしく。

「αとの長時間の接触もまた引き金になるよ」
「!」

 思い当たるフシがありすぎて今度は赤面する。
 
「せ、接触って」

 誓ってもセックスなんてしていない。しかし同じベッドで眠ったのも、朝方に抱きしめられキスをされたのも事実。
 そしてあの香り。

「Ωのフェロモンにαが反応することもあるし、その逆ももちろんある」
「……」
「今はまだβの範囲内にあるけれど、またヒートの症状が出たらすぐに受診しなきゃいけないからね」
「はい」
「君のようなケースはまだまだ珍しくて。だからとにかく注意が必要なんだ」

 そこで医師は、再びカルテに視線を落とす。

「大変な思いをしてきただろうね」

 つぶやくような言葉に、奏汰の胸が少し苦しくなった。
 意識してしまえば悲観だったり絶望だったりの感情になってしまうような気がして目を逸らしていた。

 とにかくがむしゃらに自分を鍛えて守ってやろうとばかり。
 だから恋愛も考えなかったし、そもそもできるとも思っていなかった。

「まさか僕はこのままΩになってしまうんですか」

 偽とは付くが発情が来てしまった。もしこのままΩになれば、はらの奥にある子宮が機能してくるだろう。
 女性のそれとは違い、性行為にて刺激を受けての排卵。なので妊娠率はとても高い。

 奏汰は自分がΩとして子を産み育てるイメージが持てなかった。
 
「もしかして望んでいない?」
「……」

 無言の肯定。
 やはり抵抗しかない。それには父親のこともある。
 父の書斎としてつくられた部屋。今は明良が使っているが、それ以前のガランとした空間を見るのが嫌だった。

 母、夏菜子も忙しいと言いつつも書斎の掃除は欠かさなかったのだ。
 まるでいないのに存在感を見せつけられるような。幽霊と対峙させられてるかのようなザラザラとした緊張感を強いられた。

 もちろん彼女にそのつもりはない。
 複雑な心情と事情はありつつも、亡くした者の遺品を磨くような心持ちだっただけ。

 しかしこともあろうに父は男を選び家を出て行ったと親戚から聞かされてしまった息子には、どのような言い訳も響かないだろう。

「その……薬とか、ないんでしょうか」

 ホルモン剤があると聞いた。まったくのバース性転換は出来ないにしろ、ホルモン治療の一環で投与されることがあるという。
 それを使えば、もう二度と発情期がこない身体になるのではないか。

 しかし医師は困ったようにうなった。

「ないとは言わないけどねえ。オススメは絶対にしない」
「なんで」
「これは本来あるべきものが足りない人に使うお薬だよ」

 こちらを覗き込んでくる目。優しい声だが厳しい眼差し。

「君は運命を信じてるかな」
「運命?」

 思いもかけない言葉に目を丸くする。

「そう、運命。世の中では運命のつがいというものがあるって聞いたことあるだろう」

 運命の番、それは奏汰も知っていた。というか誰でも一度は耳にするだろう。
 αとΩ、人生でたった一人の運命で結ばれた相手。精神的な面においても惹かれ合う者同士が出会った瞬間、奇跡的に成立するつがい関係。
 運命の赤い糸と似たような意味で、さらに多くの恋愛系創作物に登場する設定だったり台詞だったり。

「あるわけあるじゃないですか、そんなもの」

 まさか医者なのに肯定するのかと鼻白む。しかし彼は少し笑って肩をすくめた。

「果たしてそうかな」
「え?」
「バース性についてはまだまだ解明されていない部分も多くてね」
「でも――」
「わたしはβで残念ながら分からないけれども、実際に研究もされているようだよ」
「そんなの迷信です」

 あくまで非科学的な綺麗事。
 こんな事、世の中にありふれているではないか。
 でも子供は親を選んで産まれてくるわけじゃないし、目に見えない赤い糸なんてものも存在しない。
 
 少なくとも奏汰はそう思っていた。

「ましてやあんなヤツ……」

 しかし龍也に抱かれた腕の中でひとつの想いが頭をもたげたのは確かである。
 
『満たされたい』

 まるで共にあるべき存在を見つけてしまったかのような。狂おしいほどの渇望感とも言うべきか。

 それも道で倒れた時だけじゃない。朝の出来事もだ。
 初めてあのような深い貪られるようなキスの後、息があがるほどの疼きと甘い香り。

「でもまあ、大人としては忠告もしなきゃいけないな」
「へ?」

 そこで医師はグッと眉間に力を入れてみせる。しかしその口元はからかうように笑っていたが。

「相手は未成年だからね」
「!」
「するとしても避妊具は必要だよ」
「ゔっ」

 デジャブを感じる言い回しに、奏汰は思い切り顔をしかめる。

「だから僕はまだヤってません!!」

 そう声をあげてしまってからハッとなり、これ以上ないほど赤面してうつむくハメになった。



 ※※※

「大丈夫だった!?」
「え……」

 病院の待合室にて駆け寄ってきた相手に、奏汰は驚いて目を見開く。

「ゆ、愈史郎さん?」

 なぜここに彼がいるのか。いや違う、、だろう。

 しかしさすがにそんな事を口にするほど無神経でも恩知らずでもない。
 だから彼に頭を下げた。

「心配と迷惑かけてすみませんでした」
「そんな水臭いこと言わないでくれよ」
 
 上機嫌な様子でニコニコしている彼。薬局の名前が印字されている紙袋を手にしている。

「これはお薬だって。精算もしておいたから」
「お金っ、今すぐ返します!」

 慌てて財布を取り出そうとするのをやんわり止められて。それより、と背中をゆっくり撫でられた。

「もう大丈夫?」
「あ、はい」

 また熱がゆっくり上がってきた気がしたが、それどころではない。

「あの龍也は……」
「ああ、彼ね」

 どこに視線を走らせても見当たらない顔に少し不安をおぼえるが、もしや未成年ということで帰されたのかもしれないと思い直す。

「先に帰ったよ。なんか電話がかかってきて慌ててね」
「えっ」
「恋人かも。すごく仲良さそうな雰囲気だったし」

 考えもしなかったが、別に意外でもない。あれだけ顔が良いのだ。誠実不誠実はおいておくとして、モテないわけがない。
 親しげに連絡取り合ったり、呼び出しに駆けつける相手がいても不思議じゃないだろう。

「そうですか」

 胸の中がスッと冷えていく感覚。そのまま心臓まで凍りつかないだろうかとすら考える。

「……あのクソガキ」
「ん?」
「いえ、なんでも」

 心の中の声が少し漏れてしまったが、慌てて繕い笑う。

「ほんとすいません、助かりました」
「いいんだよ。でも無理しないでね?」
「あ、はい」

 今度は肩と髪。
 ほんの少しかすめる程度のそれに心がザワつく。

「家まで送っていこうか」
「い、いえ。そんな悪いですよ」

 これ以上迷惑かけたくはないし、なによりなにか不穏な気配を感じていた。

「遠慮なんてしないで。またが接触してきたら怖いだろう?」

 これはストーカーのことだ。医師にも言えなかったが、事の発端は恐らくあの香りが原因だと奏汰は思っている。

「今度こそ、なにかされるかもしれない」
「……」
「さっきみたいに動けなくなったところを連れ去られて監禁される、かも」
「そん……な」
「油断しちゃいけないよ。監禁されたら無理やり服を脱がされて変なことされちゃうかもしれないね」
「や、やだ」
「だったら気をつけないと。首の後ろ噛まれたらどうするの」

 望まぬ形でつがいにされてしまうかもしれない。
 考えるだけで身の毛がよだつ。

「震えてるね。大丈夫だよ、オレがいるから。ちゃんとお家に連れて帰るからね」
「ゆ、愈史郎さん……」

 男は手をにぎり、ニッコリと微笑み顔を覗き込んできた。
 不安と恐怖でどうにかなりそうな奏汰の耳に優しげな言葉が入り込む。

「いこうか」

 どうしてもこの声に抗えない。しかしなぜ抗う必要があるのだ、彼は自分を助けてくれようとしているのに。

 そんな違和感と矛盾をおぼえながら、奏汰はゆっくりうなずいた。
 
 

 

 


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