唇を隠して,それでも君に恋したい。

初恋

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ボクはコイの"代償"をシハラウシカナイ。

初めてのオンナノコ。

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長く重たい眠りから目覚める。

そのきっかけは,やけにしつこく煩わしい着信音だった。

何度も何度もそのコールを無視して,僕は顔をゆがめながらようやく音のする物体を手に取る。

勝手に切ってしまえば,またかけなおされた。



『ピッ』

「もしもし,だれ」

『ユリユリだよ~,起きた?』



百合川さん……

なんとなくそうじゃないかと思っていた。

こんなにしつこくて僕の事情などお構いなしに電話をかけ続ける人など三太か百合川さんくらいだろう。



「お陰様で」



こほっと小さい咳とともに短く返す。

彼女は嫌味ともとれるそれを受けて,何も堪えないかのようにくすくすと笑った。

百合川さんは最近,そういう笑い方をする。

気分よさげなその声は高く響くのに,不思議と嫌な気分にならない。

それどころか呼吸がしやすくなって,僕はすぅと再びスマホを握ったまま眠りにつきそうになった。



『あ,まって伊織くん! まだ寝ないで。今日は何か食べた?』

「たべてない。いま初めて起きた」

『やっぱり。誰にも教えないから,住所教えてくれないかな?』



誰にも教えないって,僕が君に教えたら,君が知ってしまうじゃないか。

ぼぅっとする頭で,そんなことを考える。

今日は目覚めた瞬間から自覚するくらい体調が悪くて,風邪をこじらせ寝込んでいた。

百合川さんにも一応連絡をしたけれど,『お大事に』とだけ大人しく返信をくれた彼女が,放課後になって鬼電してくるとは思わなかった。

たった一人この部屋で寝込んでいるのは,すこし,寂しい。

そんなことを考えてしまった僕は,本当に体調が悪かったのだと思う。

気づけば僕は,簡単に口を滑らして,嬉しそうな百合川さんの声に見送られながらもう一度眠りについた。

百合川さんが僕の家のチャイムを鳴らしたのは,それから一時間が経過したとき。

何もかも忘れていた僕は,少しすっきりした頭でその扉を開け,百合川さんの姿をみて硬直した。



「え」

「気分はどう? 伊織くん」

「いや,普通に驚いてる……どうして。あ」

「思い出した?」



体を傾けて,百合川さんはにこりと笑う。

僕は百合川さんの手元でかさりと主張する袋を見て,頭を押さえてため息をついた。

流れが流れだけに,追い返すこともできない。

電話の記憶から一時間,百合川さんは僕のためだけにここまでやってきたんだ。



「とりあえず……どうぞ。……来てくれて,ありがとう」



最後にぽそっと添えれば,百合川さんは何も言わずにこりと頷いた。



「ごめんね,麦茶くらいしか出せないかも」

「いいの,寝てて伊織くん。ところで,おかゆとうどんならどっちがいい? アレルギーはある? さすがに調味料はあるよね?」


半ば介護のように敷布団に押し倒され,瞠目する僕は布団をかけられる。



「えっと,うどん……アレルギーは,ない。調味料は……基本的なものなら?」


一つずつ答えながら,まってと百合川さんを制止する。


「百合川さんが作るの?」

「そのために来たんだもん。伊織くん,何も食べてないんでしょ? ユリユリスペシャル,待っててね」

「いや,だって」

「ユリユリは賢いだけじゃなくて,家庭科も万年評価5なんです。ユリユリがやりたくて来たんだから,申し訳ないとかは禁止!」



僕の言いたいことをすべて封じ,百合川さんはどこからか取り出したエプロンを僕に見せびらかした。

僕が連絡を入れた瞬間から,百合川さんの中でここに来ることは決定していたらしい。

じきにつゆのいい匂いがする。

僕はどうしてもおとなしく眠るつもりにはなれなくて,眠る直前百合川さんの背中に声をかけた。



「冷蔵庫の中に……お刺身がある。ふすまには保存食のごはんもあって,白い棚にレトルトの味噌汁も。うどんを2人分作ってもいいし……よかったら,食べていってもいいからね」


せっかく来たのに,僕の見舞いで帰らせるには心苦しい。

そんな思いで声をかければ,一度火を止めて,百合川さんが近づいてきた。



「うん,ありがとう伊織くん。じゃあお邪魔しちゃおっかな」



他に家族は,とか何も聞かず。

百合川さんは僕のおでこに埋めたくて小さな手のひらを当て,首筋にも同じようにして頷くと僕の手をぎゅっと握った。



「大丈夫だよ,伊織くん。伊織くんは一人じゃない。学校でもお家でも,ユリユリがいるからね」


母親のようで,姉妹のようで,従妹のようで。

どれでもない彼女の声で眠り,彼女の声で目覚めた。



「美味しい?」

「うん。僕が作るよりよっぽど」

「意外。伊織くんは何でもできそうなのに」

「僕はそんなに完璧じゃないよ」


少しずつ,もうあまり痛まない喉へ通していく。

出来立てのうどんは,柔らかさもちょうどよくて,卵とわかめがおいしかった。

百合川さんは僕がどうぞと冷蔵庫から出したお刺身を醤油にちょんちょんとつけながら満足げに僕を眺める。



「百合川さんは……どうして僕を好きになったの?」



どうしてここまでしてくれるのだろうと,それだけで。

僕は気づけばそんな質問をしていた。

応えられないのに聞いてどうするんだと,急いで顔を上げる。

百合川さんはきょとんとして,困ったように笑った。


「ん~えーと」


困るくらいなら話さなくていいと出かけるも,百合川さんの悩みはどこから話そうかということだったらしく,かえって待つように言われる。

僕が食事を再開していると,百合川さんはあのね,と語り始めた。


「ユリユリ,昔から人に好かれやすくて。可愛くて,賢くて,だからだって皆言うの。でもユリユリには,それが分からなかった。ただ普通に仲良くしたいのに。男の子が好きだって告白してくれても,女の子が笑顔を向けてくれても……いつもどこか,おいて行かれるような気持ち。そんな時だった。伊織くんに出会ったの。もちろんクラスも違ったし,話したこともなかったけど。それでもあの一瞬で,ユリユリは恋に落ちた。廊下でぶつかって,伊織くんが「大丈夫?」ってすぐに手を差し伸べてくれて。そのまんまるな瞳にきゅんとして,綺麗な声と細い指に驚いて……ほかの誰とも違う心配そうな声と純粋に驚いた表情に,恋をした」



一言でいえばただのひとめぼれだって百合川さんはいうけど。

僕を想うその照れた表情に,僕までどきどきしてしまう。



「その日から,ユリユリには伊織くんしかいない。今もそう。ユリユリはいつどこにいても伊織くんのことを考えて,いつも,誰かに重ねては比べちゃう。振り向いてくれなくてもいい。ユリユリは伊織くんを,とても傷つけたのだと思うから」



百合川さんは,最後の一口を含んで,後悔するような顔で笑った。

もう怒っていない。

そう告げるのは簡単だけど,きっと彼女は納得しないだろうと思った。



「姫」

「っ?」

「って,呼ばれたくないのはなんで?」



僕もそろそろ食べ終わるなと思いながら,尋ねてみる。

百合川さんは動揺するように顔を赤らめて,僕からそらした。



「べ,別に今は……呼ばれたくないわけじゃ……ただ,物語のお姫様みたいにもてはやされて呼ばれるのが……好きじゃなくて」

「じゃあ,百合川さんが僕を伊織くんって呼ぶみたいに呼んでもいいの?」


百合川さんはぱっと立ち上がると,ふらふらした足取りで食器をカチャカチャ言わせながらシンクへ運ぶ。

そのあと何度もくるくる歩いて,そっと戻ってきた。



「いい,よ……っていうか,伊織くんになら呼んでほしい」



……姫,姫さん? 姫……ちゃん?……違うな。

ヒメ。



「考えておくね」



その場では呼ぶことができず,僕はそう返答した。

百合川さんはこくりと頷いて,僕らは以降することも話すこともなくなってしまう。

時間も時間だし,送っていくかと考えていると,百合川さんはぽつりと上目でこぼした。



「伊織くんは……中村 敦……中村君が好きでしょ?」



僕は迷った後,眉を下げて



「うん」



と答えた。



「遊びでもいいよ,ユリユリ。少しでいい。いくらでも協力するから」



ぎゅっと僕の首に巻き付いた小さな体の女の子は,とても柔らかくて儚かった。

震える彼女に気が付いて,唇を結んだ僕も応えるように抱きしめる。

ほぅと吐いた息は,まだ熱かった。

百合川さんの体がぴくりと跳ねる。



「移るよ」



小さく問う。

それでも百合川さんは,頷いた。



「……ふれるだけなら」



僕はためらって,ためらって。

諦めるように小さく百合川さんを抱きしめた。

どうしたらいいのかは,おせっかいな和寧にきいた。


「じゃあ,私からもいい?」


顔を上げた百合川さんに僕は


「……少しだけだよ」


小さく返して,くるりと彼女の背中を布団に倒した。

僕は純粋な君の好意すら利用するのに,そしてなし崩し的に触れてすらしまうのに。

その程度なら,と僕は了承する。

百合川さんの指先が,僕の喉元から胸元まで滑る。

互いに少しずつはだけて,僕は抱きしめるように百合川さんの首筋に唇を落とした。

そしてすぐに,ゆっくりと拭う。

僕は初めての体験に緊張していた。

同姓ですら,こんなにも自分を見せたり触らせたりしたことはない。

胸元の柔らかさは,僕と同じで,それでもやっぱりどちらでもない僕とは違っていて。

お互いを埋めるように抱きしめて,触れて,体温を感じる度切なさが増していく。

ずきずきと,頭で警鐘がなる。

知らない声,知らない感覚。

すべてから解放されるように,ぷつりと脳内で響いた。

こんなの,だめだ。 

僕には,いくら百合川さんの望みだとしても,こんな失礼な真似,できない。

僕は



「ひぅ……っ」

「伊織くん」



突然,堰を切る。

涙が顔に落ちて,驚いた百合川さんは素早く僕を呼んだ。

僕にはできない。

こんなにも優しい女の子を,汚すような真似。

できない。

罪悪感が押し寄せて,とまらない。

互いの着衣を戻しながら,僕は謝った。



「ごめん,百合川さん。こんなこと言わせて」

「ううん。ユリユリも……,ごめん」


お互いに密着して,布団の上に倒れる。

気づけば冷えていた僕のからだは,ようやく彼女の体温に温まり始めた。

僕にしがみつく彼女を抱き締めて,早い心音を聞きながら。

今僕の腕の中にいるのが,敦だったらいいのになんて。

何よりも最低なことを思って,隠すように瞳を閉じる。

怠慢にふらふらとことなかれな顔をして生きている僕は,か弱そうにも,何においても受け身そうにも見られることが多いけど。

皆が知らないだけで。

僕は,誰かに抱き締められるよりも,今みたいに抱き締める方が好きなんだ。

しばらく僕らは,何も言わずそうしていた。



「じゃあ,またね」

「ヒメ」



彼女は,かたくなに送ろうとする僕を拒んだ。

そのせいで玄関で見送ることしかできない僕は,彼女を引きとめるように名前を呼ぶ。

すると,目を見開いて,僕はその綺麗な瞳が揺れるのを見た。



「こんな時に名前で呼び捨ててくるなんてずるい」



震える声で溢すヒメ。

僕は抱きしめるような気持ちで微笑んだ。



「そうしてって言ったのはヒメの方でしょ。ユリユリにしようか」



そんな慣れない冗談を言ってみる。

ヒメは素早く表情を変えて,むっとほっぺを膨らませた。



「断ったくせに……ヒメのままがいい」

「もう,しないよ」



唐突に,そう切り出す。

ヒメは分かっていると頷いた。



「うん……だいすき」



脈絡。

そう思う僕の方も大概だったと,僕は反省した。

袖を可愛らしく握ったそのしぐさに,僕は『そういうところが』なんて幻聴を聞いた。

袖を握る力を緩めて,ヒメは両手を広げた。



「だきしめて」

「それくらいなら,いつでも」



素肌に触れたばかりの身体を壊さないように,僕はヒメをふわりと抱き締める。



「本当に?」


探るような声に



「うん」


と応える意思を見せる。

口を開きかけた僕より先に,ヒメは口を開いた。



「ヒ……」

「……伊織,付き合う?」



呼び方が変わったことに気づいて,けれど指摘はしない。

空気を読むのが得意で,決して僕を悪者にしないヒメ。

勝てないなと僕は苦笑して



「……いいよ。卒業までならね」



僕たちは,寂しいだけだ。

僕は,敦に伝えたいだけだ。

僕を追わないで。

忘れて。

傷つかなくなるまで,僕を視界から外して。

君の世界から,追い出して。



「ヒメ」

「ん……?」



僕は君が見てほしい君を,見てあげられる。

君の好きと言う好意を,他の人とは違って,正しくまっすぐに受け取ってあげられる。

君のそれは本当に



「……んーん。やっぱり何でもない」



いいかけたそれは,言ってはいけないと思った。

彼女がそれを恋と呼ぶなら。

僕もそれを受け入れよう。

僕はもう一度,代わりとなる言葉を告げるために口を開いた。



「ヒメ,好きだよ」



ヒメは切なくて,でも幸せそうな吐息で笑ってくれる。



「ユリユリも,だいすきだよ」



ヒメが僕の頬へついばむようなキスを送った。

万が一を考えると,同じものを返すわけにはいかないから。

僕は抱き締める腕に力を込めて,抱き締める体勢のまま包み込むようにヒメの頭をぽんぽんと撫でる。

そして,彼女の身体を解放した。



「また明日ね。これから,よろしく,ヒメ」

「楽しみだね,伊織。またね」



僕たちは互いにさよならを使わず,僕はヒメの背中を送った。



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