彼は政略結婚を受け入れた

黒猫子猫

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他人の噂

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 生き残ったザッフィーロ王家の者たちの中で、唯一、ジャックスの妃として最適と言われたクローディアは、実はとても困っていた。

 本来ならば王家の者としての責任を果たさなければならない、と政略結婚を受け入れるべきところだが、彼女のお腹には、すでにラグナの子がいた。各地を転戦していたラグナと出会い、互いに一夜限りの関係を結んだのだが、彼が去った後で妊娠が分かったのだ。

 日々大きくなっていくお腹を見て、クローディアは我が子への慈しみが募り、産みたいと願うようになった。
 そして、子の父親であるラグナを探したが、彼はジャックスの部隊に合流し、彼と共に王都を取り戻すべく奮戦していた。

 自らも反逆者の追っ手から逃れている立場である。戦が終わるまではと我慢し、王都解放の報に、いよいよと思ったところに、周囲からジャックスとの結婚を勧められてしまった。

 窮したクローディアは、ラグナと会う前にまずジャックスに話を通そうと、使者を送って接見を求めた。そして、ラグナの子がいる事を公表して、婚姻の話を一掃して欲しいと願ったのだ。

 王都が制圧されて日が浅く、ジャックスがクローディアを娶る事は国家の安定に繋がると見込まれていただけに、慎重に対処しなければならないと、彼女も分かってはいた。
 それでも、子は待ってくれない。先に産まれて、庶子になってしまうのではないかと、気が焦ってしまった。

 ようやくジャックスから接見の許しを得て、王宮へとやってきたクローディアは、彼に経緯を話し、次いで彼に呼び出された浮気者のラグナに「責任を取ってちょうだい」と迫った。

 無論、ジャックスは彼の手の早さを知っているので、「まず去勢するか」と提案し、彼を怯えさせた。

 今後一切、他所の女に手を出さないという念書をもらったクローディアは、心穏やかになった。
 ジャックスからも、身重の身で動き回るのはよくないだろうからと王宮に滞在する許可も得られた――――。


 全てを聞き終えたアネットは、穴があったら入りたくなった。耳まで真っ赤になって、ものすごく気まずそうにしている姿に、クローディアも察するものがあったらしい。

「お邪魔ですね。では、私はこれで」
 と、にこやかに言って、小さくなっているラグナを見た。

「さ、行きましょうね。あなた」
「はい、よろこんでぇ!」

 ラグナは背筋を伸ばし、冷や汗を滲ませながら、クローディアの後についていく。宰相は「尻に敷かれてますねえ」と笑いながら、彼らの後についていった。

 庭先でジャックスと二人きりになったアネットだが、散々泣いて騒いだだけに、もう恥ずかしくて仕方がない。

「分かったか」
「⋯⋯はい」

「お前も、説明してくれるんだろうな?」

 頭上からビシバシと彼の怒りを感じ、アネットはラグナ以上の冷や汗が出た。

「前に、王宮のみんなが⋯⋯クローディア様が貴方に会いたいと使者を送ってきていると話していたの。貴方の⋯⋯妃になりたいんだろうって⋯⋯。海から帰って来た時も、王都はそんな噂でもちきりで⋯⋯王宮にクローディア様がいたから⋯⋯」

 たどたどしくなりながらも、経緯を説明すると、ジャックスは苦い顔をした。

「アネット。それは全部、他人の噂だろう」
「⋯⋯はい」

「集めた情報を鵜呑みにせず、精査しろと教えたはずだぞ」

 ただでさえ小柄なアネットは、ますます小さくなって、もう何も言えない。

「彼女は醜い権力闘争を嫌がって、王都から離れた所で暮らしていたんだ。だから、内乱に巻き込まれずに済んだんだろう。ラグナとの一件が無かったとしたら、王族として政略結婚を受けなければならないと考えたかもしれないが――――俺の方が、ない」

「⋯⋯そう、なの?」

「俺は昔も今も、ザッフィーロの王になりたいと思った事など一度もない。むしろ、王宮に引き留められて迷惑だ。代わりの奴が見つかったら、傭兵家業に戻ると宰相たちに言っておいたんだが、いないというんだから仕方がない。反乱を鎮圧したのも、このまま放っておいたら、先々ルーフスにやられると思ったからだ。そうなったら⋯⋯お前や水竜の一族に害が及ぶ」

 王位などどうでもいいと、ジャックスは言う。それよりも、ザッフィーロという国が、水竜たちの居場所が失われないことが大切なのだ。

 祖国を失い、地竜に住処を追われて散り散りになった飛竜の末路は、彼の胸に苦い感情を与えていた。

「お前は水竜だが、人にもなれる。それなら、陸も海も、どちらもお前にとって居心地の良い場所が必要だ。誰にも奪い取らせはしない。それだけは、俺が絶対にさせない」

 ジャックスは微笑んで、薄っすらと赤い彼女の頬を優しく撫でた。

「どうして⋯⋯そこまで⋯⋯してくれるの?」

「⋯⋯俺は、醜い争いを山のように目にした。昨日まで笑い合って仲間だと言っていた奴らが、次の日には豹変して裏切っていた姿もな。戦友たちが仲間割れして、俺に味方につけと迫ってきた事もあったが、どうにも虚しく⋯⋯辛くてな。だから、所属するのを止めた」

 傭兵を生業としていた彼は、逃げ延びてきた者達を助けた事がきっかけで軍人になったが、それも単に見捨てられなかっただけに過ぎない。

 どこか悲し気な目をしていた彼は、聞き入るアネットを見て、ようやく笑みを零した。

「だから、出会った時から変わらないお前の純粋さや一途な所が、どれほど救いになったか分からない。もう一度、他者を信じてみようと思えた。お前のためなら、なんでもしてやりたくなった」

「⋯⋯ジャックス⋯⋯」

「戦が終わっても、ずっと傍にいてほしかったんだが⋯⋯お前を海に帰すと約束した。背中の傷を理由に引き伸ばしたが、無駄な足掻きだったな。でも、一先ずザッフィーロは護れて、お前が安心して故郷に帰れたから、良しとした」

 ジャックスは苦笑して、腕を伸ばし、アネットを抱きしめた。傷のあった場所を労わるように撫でる。一か月も離れていても、まだ正確に場所を覚えているようだった。アネットが今度は身を預けてくれたので、彼は胸を撫で下ろす。

「⋯⋯本当に⋯⋯ありがとう」

 アネットは心からそう思って、微笑んだ。そんな彼女にジャックスは愛おしそうに頭を撫でた。

 彼が穏やかだったのは、そこまでである。

「ところで、お前は『一族の竜と結婚して、子供を産むことにした』と言っていたな?」
「えっ」

 ぎくりと身を固くすると、逃さないとばかりに強く抱きしめられる。

「⋯⋯あれはない」
「す、少し我慢すればいいんだって!」

「なに?」
「水竜は、雌が発情期を迎えた時に⋯⋯こ、交尾するそうなの。時間は短いし、なんとも思っていない相手でも、我慢できる範疇はんちゅうだろうって⋯⋯母様が⋯⋯」

「お前⋯⋯まだ見合いを続ける気か?」

 ジャックスの声がどんどん低くなる。

「⋯⋯嫌だけど、頑張るしかないから」

 彼の元を去り故郷へ帰ること、見合いをして子を産むこと。

 母竜と交わした二つの約束は、口外を許されていない。だから、アネットはそう告げるに止めたが、ジャックスは冷笑した。

「そうか。お前は誰でもできるというんだな?」
「う、うん⋯⋯たぶん」
「――だったら、俺でもいいという事だ」

 アネットは目を見張り、彼を黙って見返す。その眼差しは獰猛さを垣間見せ、低い声は甘く、体内に染み込んで囚われるような錯覚さえ覚える。

「なぁ?」

 誘うように頬を撫でられて、アネットは頷いてしまった。
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