「冷酷で理屈っぽい」と捨てられましたが、この国を影から支えていたの、実は私なんです

水上

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第2話:さようなら、摩擦係数の高い王都

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 王都を出て数時間。
 私を乗せた馬車は、石畳の街道をガタガタと揺れながら進んでいた。
 
 だが突然、鼓膜を引き裂くような金属音が響き、馬車が激しい衝撃とともに急停止した。

 私は慣性の法則に従って前の座席に放り出されそうになり、慌てて手すりを掴んで姿勢を維持する。

「な、なんだ!?」

「おい、貴様! 何をした!」

 馬車の扉が荒々しく開けられ、護衛としてついてきた王宮の近衛兵が顔を突き出した。
 彼らは私の追放を見届けるための監視役だ。

「馬車に細工をしただろう! 追放されるのが嫌だからって、こんな真似をして時間を稼ごうとしても無駄だぞ!」

 兵士の怒声に、私は冷静に眼鏡のズレを直した。
 外に出ると、馬車の左後輪から白い煙が上がっている。

「細工、ですか。……相変わらず、原因究明のプロセスを飛ばして結論に飛びつくのがお好きですね」

 私は煙を上げる車輪に近づき、屈み込んだ。
 車軸の部分が赤熱している。

 手をかざすまでもなく、熱放射を感じるほどだ。
 私はハンカチを取り出し、車軸の隙間から染み出している黒い油のようなものを慎重に拭い取った。

 指先でこすり合わせる。

 ……ジャリジャリとした感触。
 そして、鼻を刺す酸化臭。

「なるほど。摩擦係数の増大による、典型的な焼き付き現象です」

「はあ? 焼き付き? 何を訳のわからないことを!」

 兵士が剣の柄に手をかけるが、私は構わず、汚れたハンカチを彼の目の前に突き出した。

「見てください。この潤滑油の状態を」

 私は淡々と解説を始めた。

「車軸と軸受の間には、金属同士の接触を防ぐためにグリスが必要です。しかし、このグリスは粘度が著しく低下し、炭化しています。これは明らかに、耐熱性の低い安物の動物性油脂を使った証拠です」

 私は兵士の顔を真っ直ぐに見据えた。

「王宮の規定では、長距離用馬車には高価な耐熱性の高い鉱物油系のグリスを使用することになっています。……整備予算の帳簿、最後に確認したのはいつですか? 正規の予算を中抜きして、安物の油で誤魔化したのは誰でしょう?」

「なっ……!?」

 兵士の顔色がサッと青ざめた。
 図星のようだ。

 王太子の側近やその下の者による横領が蔓延っているのだろう。

「これは私が細工をしたのではありません。あなたたちの腐敗した管理体制が招いた、物理的な必然です」

「き、貴様……! 罪人の分際で、偉そうな口を叩くな!」

 痛いところを突かれた兵士が、逆上して拳を振り上げた。

 論理で勝てない相手を暴力でねじ伏せようとする。
 しかし、鈍い音がして、兵士の拳が空中で止まった。

 私の頬を打つはずだったその腕は、横から伸びてきた、丸太のように太い腕によって掴まれていた。

「……女一人に寄ってたかって、見苦しいな」

 低く、地響きのような声。
 そこに立っていたのは、熊の毛皮を肩にかけた、巨躯の男だった。

 荒々しく切りそろえられた黒髪に、黄金色の瞳。
 一見すれば山賊の親玉かと見紛うほどの威圧感を放っている。

 しかし、その瞳には理知的な光が宿っていた。

「アレクセイ・ヴォルガード辺境伯……!?」

 兵士が裏返った声を上げて後ずさる。

 北の極寒の地を治める武人。
 なぜ彼がこんなところに?

 アレクセイ様は兵士の手をゴミのように振り払うと、私の方へ向き直った。

「今の話、聞いていたぞ。……摩擦係数に、焼き付きか」

「……お見苦しいところをお見せしました」

「いや。さっきの指摘は的確だ。車軸の悲鳴を聞き分け、油の質だけで中抜きを見抜くとはな」

 彼は口の端をわずかに持ち上げ、ニヤリと笑った。
 それは獰猛でありながら、どこか少年のように無邪気な笑みだった。

「噂通りだな、ヴィオラ・マクスウェル。お前のような秀でた能力を持つ人間を、俺はずっと探していた」

「私のような、ですか?」

「ああ。俺の領地は過酷だ。自然という理不尽な暴力が支配している。……そこには、お前のようなロジックで自然をねじ伏せる力が必要なんだ」

 彼は大きな手を私に差し出した。

「王都がお前を捨てるというなら、俺が拾う。……来い。俺の領地で、その力を存分に振るってみろ」

 その手は分厚く、無数の傷に覆われていた。
 しかし、不思議と恐怖は感じなかった。

 彼の言葉は、シンプルで強固な結晶構造のように、純粋な信頼で構成されていたからだ。

「……私は、可愛げがありませんよ?」

「可愛げなどで腹は膨れん。俺が欲しいのは実利だ」

「ふふ。……合理的ですね。嫌いではありません」

 私は彼の手を取った。
 
 こうして私は、摩擦係数の高い、ギスギスした人間関係の王都を離れ、北の大地へと旅立つことになった。

     *

 ――その頃、王都の王太子執務室では。

「くそっ、どうなっているんだ!」

 フレデリック殿下が、またしても苛立ちの声を上げていた。
 机の上には、隣国へ送るための重要な親書が散らばっている。

 問題は、その封印だ。
 蝋を溶かして封をするシーリングワックスが、乾いたそばからパリパリと粉々に割れてしまっていたのだ。

「これでは封ができん! 誰か開けたように誤解されてしまうではないか! 外交問題に発展したらどうするつもりだ!」

「も、申し訳ありません! いつも通りの蝋を使っているはずなのですが……」

 侍従が真っ青になって平謝りする。

 冬の乾燥した時期には、蝋に微量の油分――可塑剤を添加して、柔軟性を高めなければならない。

 それを怠れば、蝋はガラスのように脆くなり、少しの衝撃で砕け散ってしまう。

 かつてヴィオラが配合を指示していたメモは、アリスが捨ててしまっていた。

「ええい、代わりの蝋を持ってこい!」

 小さなひび割れは、やがて国家間の信頼という大きな構造物をも崩壊させることになるのだが、それに気づく者はまだ誰もいなかった。
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