裏で国を支えていた令嬢「不純物だ」と追放されるも、強面辺境伯と共に辺境を改革する ~戻ってきてと嘆願されましたが、それに対する答えは……~、

水上

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第2話:狂犬辺境伯の意外な一面と、ミリ単位のプロ意識

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 ヴォルフラム辺境伯領の朝は、痛いほどの冷気とともに訪れる。

 ルチアが与えられた客室は、石造りの壁こそ寒々しいが、ベッドには最高級の羽毛布団が用意されており、暖炉には一晩中絶えることなく薪がくべられていた。
 おかげで、ここ数年で一番深く眠ることができた。

(さて……、お礼を言って、今日からの仕事の指示をいただかないと)

 ルチアは身支度を整え、眼鏡を拭いてから部屋を出た。
 廊下を進むと、何やら厨房の方から不穏な空気が漂ってくるのが分かった。
 使用人たちが青ざめた顔で、壁に張り付くようにして震えている。

「あ、あの方……、朝からあんなものを……」

「ひぃっ、今日は誰かの首が飛ぶのか……」

 悲鳴に近い囁き声。
 ルチアが不思議に思い、開け放たれた扉から中を覗くと――そこには、戦慄の光景が広がっていた。

 薄暗い厨房の奥、作業台に向かうレオンハルトの姿がある。
 彼は上半身の筋肉を隆起させ、鬼のような形相で、巨大な刃物を研いでいた。

 規則的だが重い音が、静寂に響く。
 刃渡り三十センチはあろうかというその刃物は、包丁というよりは鉈か処刑人の剣に見える。

「……殺気、ですね」

 ルチアは思わず呟いた。
 しかし、使用人たちが感じている殺意と、ルチアが感じ取ったものは種類が違った。
 ルチアは恐怖するどころか、吸い寄せられるようにレオンハルトの背後へと歩み寄った。

「素晴らしいですね……」

「……ん?」

 背後からの声に、レオンハルトが手を止め、振り返る。
 その目は血走っているように見えなくもないが、ルチアは構わずに眼鏡の位置を直しながら言った。

「その研ぎ角、目視ですが正確に一五度で保たれていますね。それに、その砥石……、ただの砂岩ではありませんね? 粒度が極めて細かく、結合度が高い。おそらくモース硬度九に近い、コランダム系の天然砥石とお見受けします」

 ルチアの解説に、レオンハルトは目を丸くした。
 そして、ふっと口元を緩めた。

「ほう……、分かるのか」

「はい。金属の声が聞こえるようです。刃先が微細な鋸状ではなく、鏡面のように仕上げられている。これは、単に切るためだけでなく、対象の細胞を傷つけないための究極の刃ですね」

 ルチアが熱っぽく語ると、レオンハルトは満足げに鼻を鳴らした。
 そして、研ぎ澄まされた刃物を光にかざす。

「当たり前だ。トマトの細胞壁を潰さずにスライスするには、これくらいの切れ味がないと話にならん」

「なんだ、トマトを切りたかっただけか……」

 扉の陰で震えていた使用人たちが音を立てて崩れ落ちる気配がした。

 レオンハルトは傍らにあった完熟トマトをまな板に置くと、重力に従って刃を落とすだけで、透けるほど薄いスライスを作り出した。
 果汁が一滴も漏れていない。

「切れ味が悪い包丁は、食材を切るのではなく押し潰す。それでは断面が酸化し、味が落ちる。……金属も同じだろう? 適当な扱いをすれば、すぐ錆びる」

「おっしゃる通りです。断面の粗さは腐食の起点になりますから」

 冶金と料理。
 全く違う分野でありながら、二人の間には奇妙な共感が生まれ始めていた。

 朝食後、ルチアは執務室に呼ばれた。
 これからこの領地で働くにあたり、現状を把握するための資料整理を任されていたのだ。
 レオンハルトのデスクの前に立ち、ルチアは数枚のレポートを提出した。

「……昨晩、お渡しいただいた鉱山の採掘記録と、農作物の収穫データを整理いたしました」

「もうやったのか。早いな」

 レオンハルトが書類に目を通す。その眉が、ピクリと動いた。
 ルチアは身を縮こまらせた。

(……やってしまったかもしれない)

 ルチアには悪い癖があった。
 データをまとめ始めると、どうしても細部が気になってしまい、徹底的に分類・整列させないと気が済まないのだ。

 提出したレポートは、単なる数字の羅列ではない。
 年ごとの推移グラフ、成分別の含有率、天候との相関関係、さらにはインクの濃淡で重要度を色分けし、備考欄にはびっしりと考察が書き込まれている。

 王宮では、これが嫌われた。
 細かい、神経質で気持ち悪い、読む気が失せる。
 元婚約者のジュリアスには、書類を顔に投げつけられたこともある。

「申し訳ありません……! つい、癖で細かく書きすぎてしまって……。読みづらいですよね、すぐに要点だけの簡易版を作り直しますから」

 ルチアが慌てて書類を回収しようと手を伸ばすと、レオンハルトの大きな手がそれを遮った。

「待て。誰が書き直せと言った」

「え……、でも、そんなに細かくては、普通は鬱陶しいと……」

「俺は普通じゃない。……見せたいものがある」

 レオンハルトは、ルチアを厨房に案内した。
 そして、素早い手つきで何かを作リ始めた。

 完成したのは、昼食用のサラダのようだった。
 キャベツの千切りと、人参のジュリエンヌが盛られている。

 ルチアは息を飲んだ。
 
「……美しいです」

 それは、狂気的なまでに均一だった。
 キャベツの千切りは、まるで定規で測ったかのように、すべてが幅一ミリメートル以下で揃っている。

 人参も同様だ。
 長さ、太さが完全に統一されており、乱れが一切ない。
 機械加工された金属部品を見ているかのようだ。

「食べてみろ」

 促され、ルチアはフォークでサラダを口に運んだ。
 ドレッシングはシンプルなビネガーとオイルのみ。
 しかし――口に入れた瞬間、食感のハーモニーに驚愕した。

「……味が、均一です。どこを食べても、同じ歯ごたえ、同じ味の濃さがします」

「そうだ」

 レオンハルトは腕を組み、深く頷いた。

「厚みが揃えば、ドレッシングの絡み方も、口の中で噛み砕くタイミングも均一になる。逆に、太さがバラバラだと、味が濃い部分と薄い部分ができ、食感もノイズになる。料理において、均一性は重要だ」

 二人は執務室に戻った。
 彼は書類に視線を戻し、ルチアを見た。
 その目は、食材を切る時と同じくらい真剣だった。

「お前のこの資料も同じだ。情報の粒度が揃えられ、ノイズが除去されているから、頭にスッと入ってくる。どこに問題があるか、一目で分かる」

 レオンハルトは、ルチアが欠点だと思い込んでいたその性質を、指先でトントンと叩いた。

「ルチア。お前のそのこだわりは神経質ではない。品質保証だ。俺はそれを高く評価する」

「……品質、保証」

 その言葉が、ルチアの胸にすとんと落ちた。

 今まで面倒くさい女として切り捨てられてきた自分のアイデンティティが、初めてプロフェッショナルな能力として名前を与えられた瞬間だった。

「俺は、大雑把な人間が大嫌いだ。料理も経営も、細部に神が宿る。……お前は、俺にとって最高の補佐官になれるかもしれんぞ」

 レオンハルトがニヤリと笑う。
 その笑顔はやはり凶悪で、知らない人が見れば悲鳴を上げるレベルだったが、ルチアには頼もしい上司の顔に見えた。

「……ありがとうございます。閣下」

 ルチアは軽く、背筋を伸ばした。

「では、品質保証のプロとして、申し上げます。この領地の農具のデータですが……、摩耗率が異常です。早急に対策が必要です」

「ほう? 詳しく聞かせろ」

 ルチアの声には、もう怯えはなかった。

 地味で細かい、眼鏡の令嬢。
 その本領が、この辺境の地で発揮されようとしていた。
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