裏で国を支えていた令嬢「不純物だ」と追放されるも、強面辺境伯と共に辺境を改革する ~戻ってきてと嘆願されましたが、それに対する答えは……~、

水上

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第5話:微熱と温度管理

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 領地改革は順調に進んでいた。
 新型農具の普及、圧力鍋の導入、そして鉱山からの新たな鉱脈の発見。
 ルチアの仕事量は日増しに増え、執務机の上には書類の山が築かれていた。

 その日の朝、ルチアは喉の奥にへばりつくような小さな違和感を覚えた。
 つばを飲み込むと、チクリとした痛みが走る。
 頭の芯がぼんやりと熱っぽい。

(……まずいですね。初期のウイルス性上気道炎の症状です)

 ルチアは冷静に自己診断を下したが、手を止めることはしなかった。
 今日は、鉱山から運び込まれた新素材の精錬実験がある。
 炉の温度管理は、他の誰にも任せられない精密作業だ。

(まだ発熱はしていません。気力でカバーできる範囲です)

 王宮時代、体調不良を訴えても「自己管理がなっていない」「これだから女は」と舌打ちされた記憶が、ルチアの背中を押してしまう。

 彼女は厚手のショールをきつく巻き直し、少しふらつく足取りで工房へ向かった。

「おはようございます。さあ、始めましょう」

 工房に入ったルチアの声は、意識して張り上げたせいで、わずかに掠れていた。

 昼過ぎ。
 ルチアが執務室で精錬データをまとめていると、ノックもなしに扉が開いた。
 入ってきたのはレオンハルトだ。
 手には湯気の立つマグカップを持っている。

「閣下……? 何か急用でしょうか」

「……お前、喉が乾燥している音がするな」

 レオンハルトは眉間に皺を寄せ、ルチアのデスクにマグカップをことりと置いた。

「え?」

「呼吸音がいつもより高い。粘膜が炎症を起こして狭くなっている証拠だ。それに、瞬きの回数が多い。眼精疲労からくるドライアイか、発熱による不快感か」

 ルチアは思わず自分の喉元に手をやった。

 隠していたつもりだった。
 誰にも言っていないし、咳払いすら我慢していたのに。

「ウイルスとの開戦前夜といったところか。……ほら、飲め。免疫細胞への補給物資だ」

 彼が持ってきたのは、乳白色の濃厚なスープだった。
 ルチアがおそるおそる口をつけると、磯の香りと柑橘の爽やかな酸味が広がった。

「これは……、牡蠣、ですか?」

「ああ。亜鉛を大量に含んだ海のミルクだ。それにレモン果汁を加えてある。ビタミンCは亜鉛の吸収率を高めるからな。白血球の働きを活性化させ、粘膜を修復する。風邪の引き始めには最強の補給だ」

 レオンハルトは腕を組み、仁王立ちでルチアが飲むのを見守っている。
 温かいスープが食道を通ると、いがらっぽかった喉が潤され、体の芯からポカポカと熱が湧いてくるのが分かった。

 ただの栄養補給ではない。
 誰かに大事にされているという感覚が、弱った心に染み渡る。

「……美味しいです。すごく」

「ならいい。全部飲み干せ。あと、午後の予定はキャンセルした。部屋で寝ろ」

「えっ!? でも、精錬炉の温度データを確認しないと……!」

「俺が見ておく。お前の書いたマニュアル通りにすれば問題ない」

 反論しようと立ち上がったルチアの肩を、レオンハルトは大きな手で優しく、しかし強引に椅子へ押し戻した。

「自分のメンテナンスもできない技術屋は二流だぞ。……それとも、俺の管理能力が信用できないか?」

「そ、それは……」

「なら黙って休め。これは命令だ」

 ぶっきらぼうな口調だが、その瞳には深い心配の色があった。
 ルチアは観念して、小さく頷いた。

 その夜。
 たっぷりと睡眠を取ったルチアは、熱が下がり、体が軽くなっているのを感じた。
 目が覚めると、窓の外はすっかり暗くなっていた。
 喉の渇きを癒やすためにキッチンへ向かうと、そこにはまだ明かりがついており、レオンハルトが鍋を火にかけていた。

「……起きたか」

「はい。おかげさまで、だいぶ楽になりました」

 ルチアが近づくと、彼は鍋の中身を優しくかき混ぜていた。
 コトコト、という静かな音が響く。

「精錬炉の方は、問題ありませんでしたか?」

「ああ。一五〇〇度で安定させておいた。金属ってやつは正直だな。適切な熱を与えれば、素直に溶けて、形を変える」

「はい。私はその誠実さが好きです。金属は嘘をつきませんから」

 ルチアが眼鏡を直しながら言うと、レオンハルトはふっと笑い、視線を鍋に戻した。

「食材も同じだ。強火で煽れば焦げるし、弱火でコトコト煮込めば、どんなに硬い肉も繊維が解ける」

 彼はスプーンでスープをすくい、味見をした。

「俺は、この煮込む時間が嫌いじゃない。時間をかければかけるほど、味が馴染んで深くなる。……人間関係も、そうありたいもんだな」

「人間関係、ですか?」

「ああ。急激に熱して叩いても、歪むだけだ。じっくりと、適切な温度で温め続ける。そうすれば……」

 レオンハルトはルチアの方を向き、一歩近づいた。
 彼の背後にあるコンロの火が、その横顔を暖色に染めている。

「お前のその、強張った心も、俺の料理で解けるといいんだがな」

 心臓が、トクンと大きく跳ねた。

 それは、風邪の熱のせいではなかった。
 彼の言葉は、冶金で言うところの焼き鈍しのようだった。

 硬く、脆くなっていたルチアの心を、ゆっくりと加熱し、内部の歪みを取り除いて、柔らかく、粘り強く作り変えていく。

「……もう、だいぶ解けているかもしれません」

 ルチアは蚊の鳴くような声で呟いた。
 湯気のせいにして、熱くなった頬を隠す。

「ん? 何か言ったか?」

「い、いいえ! スープのいい匂いがするな、と!」

「そうか。これは病み上がりの滋養強壮スープだ。もう一杯飲んでおけ」

 差し出されたスープは、先ほどよりも甘く、深く感じられた。

 この辺境の地は寒いけれど、ここにはルチアにとって最適な温度がある。
 そう確信できる夜だった。
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