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第16話:茶番劇と書類
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クライスト伯爵家のダイニングルームは、実情にそぐわない豪華さで飾られていた。
天井のシャンデリアは埃を被っているが、テーブルに並ぶ食器は一級品だ。
それらのすべては、ここ数年でアデライドが稼ぎ出した利益によって賄われている。
今夜は、久しぶりの家族揃っての晩餐会だった。
上座に父であるクライスト伯爵、その向かいに母。
そして客席側にアデライドと夫のエリアス、妹のソフィアが座っている。
「いやあ、素晴らしい料理だ。やはり、我が家のシェフは腕が良い」
父がワイングラスを揺らしながら上機嫌に言った。
アデライドは無言でスープを口に運ぶ。
そのシェフの給料も、食材費も、すべて彼女が工面していることを、この場にいる誰もが当たり前だと思っている。
「それにしても、先日の発表会は好評だったそうね」
母が口を開いた。
視線はアデライドではなく、その隣に座るソフィアに向けられている。
「ソフィア、貴女の感性が認められて私も鼻が高いわ。やっぱり貴女は、我が家の宝ね」
「うふふ、ありがとうお母様。でも、形にしてくれたのはお姉様よ?」
ソフィアは謙遜してみせるが、その表情には褒められて当然という自負が透けて見えた。
心が強くない彼女は何もしなくても愛され、存在そのものが肯定される。
対してアデライドは、家の汚れ役を一手に引き受ける存在。
この構図は、幼い頃から何一つ変わっていない。
「そうだな。アデライドもよくやった。……だが、お前は少し愛想が足りんぞ」
父が説教めいた口調でアデライドを見た。
「職人たちに厳しく当たりすぎていると聞いた。もっとソフィアのように、周囲を和ませる優しさを持てないのか? 技術だけあっても、人の心が分からなければ経営者とは言えん」
アデライドの手がピクリと止まった。
厳しく当たっている?
納期を守らない、材料を無駄にする、そういった甘えを正してきただけだ。
それを「厳しすぎる」と言うなら、この家は誰が支えているというのか。
反論しようと口を開きかけた時、隣のエリアスが深く頷いた。
「お義父様のおっしゃる通りです。アデライドは責任感が強すぎて、少し余裕がないところがありますからね。僕も常々、もっとソフィアを見習って肩の力を抜くように言っているんです」
エリアスは善意の塊のような顔で、妻を擁護したつもりになっている。
アデライドは、自分の中で冷たい風が吹き抜けるのを感じた。
ああ、この人は完全にあちら側の人間なのだ。
歪んだパズルのピースとして、エリアスは見事なほどに嵌ってしまっている。
「……ええ、お父様、エリアス様。ご忠告、痛み入ります」
アデライドは完璧な姿勢で頭を下げた。
「ソフィアの天真爛漫さは、私には真似できませんもの。彼女は生まれながらにして愛される才能を持っていますから」
嫌味のつもりだったが、ソフィアは嬉しそうに頬を染めた。
「もう、お姉様ったら。そんなに褒めないで。……でも、私って昔からちょっと弱いじゃない? だから、みんなが優しくしてくれるでしょう。お姉様は強くて健康だから、羨ましいわ」
ソフィアが儚げに溜息をつく。
すかさず母が「可哀想に、ソフィア」と声をかけ、エリアスが「大丈夫だよ、僕がついている」と慰める。
完璧な茶番劇だ。
アデライドはナプキンで口元を拭い、足元に置いていた鞄から一束の書類を取り出した。
「ところで、お父様。本日はご相談がありまして」
「ん? なんだ、金の話か? 工房の拡張費なら認めるぞ」
父は鷹揚に構えた。
自分がお金を出すわけでもないのに。
「いいえ。……実は、先日の発表会での皆様の反応を見て、痛感いたしましたの。この工房の成功は、ソフィアの感性と、お父様の威光によるものだと」
アデライドは、テーブルの上に書類を広げた。
それは、司法書士に作成させた公正証書だった。
天井のシャンデリアは埃を被っているが、テーブルに並ぶ食器は一級品だ。
それらのすべては、ここ数年でアデライドが稼ぎ出した利益によって賄われている。
今夜は、久しぶりの家族揃っての晩餐会だった。
上座に父であるクライスト伯爵、その向かいに母。
そして客席側にアデライドと夫のエリアス、妹のソフィアが座っている。
「いやあ、素晴らしい料理だ。やはり、我が家のシェフは腕が良い」
父がワイングラスを揺らしながら上機嫌に言った。
アデライドは無言でスープを口に運ぶ。
そのシェフの給料も、食材費も、すべて彼女が工面していることを、この場にいる誰もが当たり前だと思っている。
「それにしても、先日の発表会は好評だったそうね」
母が口を開いた。
視線はアデライドではなく、その隣に座るソフィアに向けられている。
「ソフィア、貴女の感性が認められて私も鼻が高いわ。やっぱり貴女は、我が家の宝ね」
「うふふ、ありがとうお母様。でも、形にしてくれたのはお姉様よ?」
ソフィアは謙遜してみせるが、その表情には褒められて当然という自負が透けて見えた。
心が強くない彼女は何もしなくても愛され、存在そのものが肯定される。
対してアデライドは、家の汚れ役を一手に引き受ける存在。
この構図は、幼い頃から何一つ変わっていない。
「そうだな。アデライドもよくやった。……だが、お前は少し愛想が足りんぞ」
父が説教めいた口調でアデライドを見た。
「職人たちに厳しく当たりすぎていると聞いた。もっとソフィアのように、周囲を和ませる優しさを持てないのか? 技術だけあっても、人の心が分からなければ経営者とは言えん」
アデライドの手がピクリと止まった。
厳しく当たっている?
納期を守らない、材料を無駄にする、そういった甘えを正してきただけだ。
それを「厳しすぎる」と言うなら、この家は誰が支えているというのか。
反論しようと口を開きかけた時、隣のエリアスが深く頷いた。
「お義父様のおっしゃる通りです。アデライドは責任感が強すぎて、少し余裕がないところがありますからね。僕も常々、もっとソフィアを見習って肩の力を抜くように言っているんです」
エリアスは善意の塊のような顔で、妻を擁護したつもりになっている。
アデライドは、自分の中で冷たい風が吹き抜けるのを感じた。
ああ、この人は完全にあちら側の人間なのだ。
歪んだパズルのピースとして、エリアスは見事なほどに嵌ってしまっている。
「……ええ、お父様、エリアス様。ご忠告、痛み入ります」
アデライドは完璧な姿勢で頭を下げた。
「ソフィアの天真爛漫さは、私には真似できませんもの。彼女は生まれながらにして愛される才能を持っていますから」
嫌味のつもりだったが、ソフィアは嬉しそうに頬を染めた。
「もう、お姉様ったら。そんなに褒めないで。……でも、私って昔からちょっと弱いじゃない? だから、みんなが優しくしてくれるでしょう。お姉様は強くて健康だから、羨ましいわ」
ソフィアが儚げに溜息をつく。
すかさず母が「可哀想に、ソフィア」と声をかけ、エリアスが「大丈夫だよ、僕がついている」と慰める。
完璧な茶番劇だ。
アデライドはナプキンで口元を拭い、足元に置いていた鞄から一束の書類を取り出した。
「ところで、お父様。本日はご相談がありまして」
「ん? なんだ、金の話か? 工房の拡張費なら認めるぞ」
父は鷹揚に構えた。
自分がお金を出すわけでもないのに。
「いいえ。……実は、先日の発表会での皆様の反応を見て、痛感いたしましたの。この工房の成功は、ソフィアの感性と、お父様の威光によるものだと」
アデライドは、テーブルの上に書類を広げた。
それは、司法書士に作成させた公正証書だった。
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