捨てられた地味な王宮修復師(実は有能)、強面辺境伯の栄養管理で溺愛され、辺境を改革する ~王都の貴重な物が失われても知りませんよ?~

水上

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第12話:神の手のメンテナンス

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 青の渓谷での鉱山開発が本格化してから、リディアの毎日は多忙を極めていた。
 採掘された原石の選定、不純物を取り除くための洗浄、そして粉砕して顔料にするまでの工程管理。
 それら全てを、彼女はアトリエにこもって検証していた。

 特に、ラピスラズリから純粋な青を抽出する作業は、冷たい水と強力な薬品を多用する。
 ゴム手袋をしていても、微細な粉末や乾燥した空気は容赦なく肌を攻撃する。

「……あ、また切れてる」

 昼下がりのアトリエ。
 リディアは指先の痛みに顔をしかめた。

 人差し指の腹に、小さなあかぎれができている。
 爪の周りもささくれ立ち、全体的にガサガサとして白く粉を吹いたようだ。
 王宮時代から手荒れは職業病のようなものだったが、辺境の厳しい乾燥も相まって、最近は特に酷い。

「絆創膏を貼っておかないと、絵筆を持つ時に響くかも……」

 リディアが救急箱を探そうとした時、いつものようにノックもなしに扉が開いた。

「昼食の時間だ。……何をコソコソ隠している?」

 ジェラルドだ。
 彼はトレイを片手に、リディアが背中に隠した手を見逃さなかった。

「い、いいえ、何も。ただ少し手が荒れてしまっただけで……」

「見せろ」

 有無を言わさぬ声。
 リディアはおずおずと両手を差し出した。

 ジェラルドはトレイを置くと、リディアの手を取り、自分の大きな手のひらに乗せた。
 彼の温かく分厚い皮膚とは対照的に、リディアの手は冷たく、傷だらけで、触れるのが痛々しいほどだった。

「……ひどいな」

 ジェラルドの声が低く沈んだ。
 怒っているのかと思い、リディアは身を縮こまらせた。

「すみません。ケアはしているつもりなのですが、薬品が強くて……。汚い手で、お目汚しを……」

「馬鹿を言うな」

 ジェラルドは強く否定した。

「これは汚いのではない。損耗しているのだ。……この手は、ただの肉体の一部ではない。我が領地の未来を切り拓き、失われた美を蘇らせるための、唯一無二の精密機器だ」

 彼はリディアの手を離さず、そのまま彼女を椅子に座らせた。

「外からクリームを塗る対症療法だけでは不十分だ。細胞膜の材料を直接送り込み、内側から再生させる」

 トレイの上には、見たことのない料理が並んでいた。
 半分に切ったアボカドの種の部分がくり抜かれ、そこに卵黄とオイルサーディンを詰め、オーブンで焼いた香ばしい一皿。
 そしてデザート皿には、宝石のように透き通った琥珀色のゼリーが震えている。

「まずはこのアボカド・ボートを食え。アボカドは森のバターと呼ばれるほどビタミンEが豊富だ。これは血行を促進し、肌のターンオーバーを正常化する」

 ジェラルドの解説を聞きながら、リディアはスプーンを入れた。
 熱々のアボカドはとろりと濃厚で、塩気のあるサーディンと絡み合い、卵黄のまろやかさが全体を包み込む。
 口いっぱいに広がるコクのある旨味。

「美味しい……! なんだか、身体の隅々まで油分が行き渡る気がします」

「良質な脂質は、細胞膜を形成する重要な材料だ。カサカサの肌には油を注げ。……次はゼリーだ」

 琥珀色のゼリーには、季節のフルーツが閉じ込められている。
 口に運ぶと、ぷるんとした弾力と共に溶け出し、優しい甘さが広がった。

「これは魚の皮と骨から抽出した高純度のコラーゲンだ。ビタミンCを含むフルーツと一緒に摂取することで、体内でのコラーゲン再合成を最大効率まで高めてある」

 ジェラルドは腕を組み、リディアが完食するのを満足げに見守った。
 だが、彼のメンテナンスは食事だけで終わらなかった。

「食後の休憩だ。……手を貸せ」

 ジェラルドは懐から小さな缶を取り出した。蓋を開けると、ハーブの爽やかな香りが漂う。
 彼特製のバームだ。
 彼はたっぷりとそれを指に取り、リディアの手の甲に乗せた。

「あっ、ジェラルド様……、自分でやります!」

「黙っていろ。自分の手では、マッサージの圧力がかけにくい。他人がやった方が効率的だ」

 ジェラルドの大きな親指が、リディアの手のひらをぐりぐりと押し広げる。
 ツボに入り、小さな痛みと共にやってくる気持ちいい感覚に、リディアの口から間の抜けた声が漏れた。

「母指球が凝り固まっている。筆を握る時に力が入りすぎだ」

 彼は無骨な見た目からは想像もつかないほど繊細な手つきで、リディアの一本一本の指を丁寧に揉みほぐしていく。

 ささくれた指先にもバームを塗り込み、爪の生え際を優しく圧迫する。
 体温が伝わる。
 ただのマッサージのはずなのに、触れられるたびにリディアの指先から熱が逆流し、顔まで赤くなっていくのがわかった。

「……あの、ジェラルド様。もう十分です……」

「まだだ。この手は、未来へ遺すべき文化遺産を直すための最高級の神の手だ。メンテナンスを怠ることは許さん」

 ジェラルドは真剣な眼差しでそう言うと、最後にリディアの手を両手で包み込んだ。
 まるで、壊れやすいガラス細工を守るかのように。

「……痛くないか?」

「……はい。とても、温かいです」

 リディアは俯き、小さく答えた。
 自分の荒れた手を汚いと隠そうとした自分が恥ずかしかった。
 この人は、その荒れさえも努力の証、必要な道具として大切にしてくれる。

 しばらくの間、アトリエには二人だけの静かな時間が流れた。
 窓から差し込む陽光が、つやつやと潤ったリディアの指先を照らしている。

 それは高価な宝石をつけるよりも、ずっと美しく、愛されている証のように見えた。
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