捨てられた地味な王宮修復師(実は有能)、強面辺境伯の栄養管理で溺愛され、辺境を改革する ~王都の貴重な物が失われても知りませんよ?~

水上

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第13話:二毛作の魔法

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 青の渓谷の鉱山開発が軌道に乗り始めた頃。
 リディアはジェラルドと共に、領地の東側に広がる未開拓地の視察に来ていた。

「……ひどい有様だな」

 馬上でジェラルドが眉をひそめた。
 そこは痩せた乾燥地帯で、風が吹けば砂埃が舞うだけの不毛の大地だった。
 小麦を植えても育たず、牧草さえもまばらにしか生えない。

「この土地は死んでいる。開拓にかかるコストと収益が見合わん。放置するしかないか」

 合理的な判断を下そうとするジェラルドの横で、リディアはしゃがみ込み、乾燥してひび割れた土を指先で捻っていた。

「ジェラルド様。……アトリエで絵を描く時、絵具を溶くのに何を使うかご存知ですか?」

「水ではないのか?」

「水彩画ならそうですが、本格的な油彩画では乾性油を使います。空気に触れると固まる性質を持つ植物油です」

 リディアは立ち上がり、風に舞う砂を避けるように目を細めた。

「王都では、良質な画用油は常に不足していました。特に透明度が高く、変色しにくい油は高値で取引されます。……この乾いた土地と強い日差しは、ある植物を育てるのに最適かもしれません」

 彼女の瞳には、荒野ではなく、未来の景色が映っているようだった。

「亜麻と、ポピーを植えましょう」

 リディアの提案は、驚くほど理にかなったプロジェクトだった。

 まず、亜麻の種から絞れる亜麻仁油は、油絵の基本となる溶き油だ。
 同時に、その茎の繊維はリネンとなり、キャンバスの布地や衣服の材料になる。
 さらにジェラルドの専門分野である栄養学の観点からも、亜麻仁油はオメガ3脂肪酸を豊富に含み、領民の健康改善に劇的な効果が期待できた。

 そしてポピーから採れるポピーオイルは、乾燥が遅くて黄変しにくい高級画用油となり、種はパンや菓子の香ばしいトッピングになる。

「画材、繊維、そして食料・薬品。……少ない作物で多くの利益を生むか」

 ジェラルドは唸った。
 捨て置くはずだった土地が、金のなる木ならぬ、油のなる大地に変わる。
 彼は即座に予算を承認し、大規模な灌漑と種まきを指示した。

 そして、少しの時が流れ……。

 再びその地を訪れた二人の前には、信じられない光景が広がっていた。

「……これは」

 ジェラルドが言葉を失った。
 かつて茶色一色だった荒野が、見渡す限りの青と赤の絨毯に変わっていたのだ。

 風に揺れる可憐な亜麻の薄青い花。
 そして、太陽に向かって燃えるように咲き誇るポピーの赤。
 それらがパッチワークのように大地を彩り、地平線の彼方まで続いている。

「きれい……」

 リディア自身も、予想以上の美しさに息を呑んだ。
 理屈で計算した利益だけでなく、これほど美しい風景が生まれるとは。

 農作業をしていた領民たちが、二人の姿に気づいて駆け寄ってきた。
 彼らの顔は明るい。

「領主様! リディア様! 見てください、この花を!」

「今年は豊作です! 油絞りの工房もフル稼働で、新しい雇用がたくさん生まれました!」

「リディア様のおかげで、死んでいた土地が生き返ったんだ!」

 口々に感謝を述べる領民たち。
 その笑顔を見て、リディアの胸がいっぱいになった。
 王宮では無駄な知識と笑われたことが、ここでは人々の生活を豊かにし、笑顔を作っている。

「……行くぞ」

 ジェラルドが馬を降り、リディアに手を差し出した。
 二人は花畑の中の小道をゆっくりと歩いた。
 腰ほどの高さまである花々が、風に揺れてさわさわと音を立てる。
 花の甘い香りと、草いきれが心地よい。

「正直、驚いた」

 ジェラルドがポピーの花を一輪、指先で弾いた。

「私は数字と効率しか見ていなかった。亜麻仁油の搾油率や、リネン織物の市場価格のことだ。だが……」

 彼は立ち止まり、一面の花畑を見渡した。

「この景観そのものに、数字には換算できない価値があるな。これを見ているだけで、精神的ストレスが軽減され、コルチゾール値が下がるのがわかる」

「ふふ、ジェラルド様らしい感想ですね」

 リディアが笑うと、ジェラルドは真面目な顔で彼女に向き直った。

「リディア。君は錬金術師どころか、魔法使いかもしれん」

「え?」

「石を宝石に変え、荒野を楽園に変えた。……君が来てから、私の領地は色鮮やかになっている」

 彼なりの最上級の賛辞だった。
 リディアは照れくささに頬を染め、足元の亜麻の花を見つめた。

「……私は、ジェラルド様が信じて任せてくださったから、種を蒔いただけです。この花を咲かせたのは、ここの土地の力と、領民の皆さんの努力です」

「それを引き出したのが君だと言っている」

 ジェラルドは不意に、リディアの髪に触れた。
 風で乱れた髪を直すような、何気ない仕草。
 だが、その指先が耳に触れると、リディアの心臓が早鐘を打った。

「美しいな」

 花のことか、それとも――。
 リディアが顔を上げると、ジェラルドは眩しそうに目を細めていた。

「……この油で作る絵具なら、きっと素晴らしい名画が描けるだろう」

 彼の言葉に、リディアは深く頷いた。
 この美しい風景こそが、二人で描き始めた巨大なキャンバスそのものだった。

 風が吹き抜け、青と赤の花の波が二人を祝福するように揺れていた。
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