捨てられた地味な王宮修復師(実は有能)、強面辺境伯の栄養管理で溺愛され、辺境を改革する ~王都の貴重な物が失われても知りませんよ?~

水上

文字の大きさ
12 / 40

第12話:神の手のメンテナンス

しおりを挟む
 青の渓谷での鉱山開発が本格化してから、リディアの毎日は多忙を極めていた。
 採掘された原石の選定、不純物を取り除くための洗浄、そして粉砕して顔料にするまでの工程管理。
 それら全てを、彼女はアトリエにこもって検証していた。

 特に、ラピスラズリから純粋な青を抽出する作業は、冷たい水と強力な薬品を多用する。
 ゴム手袋をしていても、微細な粉末や乾燥した空気は容赦なく肌を攻撃する。

「……あ、また切れてる」

 昼下がりのアトリエ。
 リディアは指先の痛みに顔をしかめた。

 人差し指の腹に、小さなあかぎれができている。
 爪の周りもささくれ立ち、全体的にガサガサとして白く粉を吹いたようだ。
 王宮時代から手荒れは職業病のようなものだったが、辺境の厳しい乾燥も相まって、最近は特に酷い。

「絆創膏を貼っておかないと、絵筆を持つ時に響くかも……」

 リディアが救急箱を探そうとした時、いつものようにノックもなしに扉が開いた。

「昼食の時間だ。……何をコソコソ隠している?」

 ジェラルドだ。
 彼はトレイを片手に、リディアが背中に隠した手を見逃さなかった。

「い、いいえ、何も。ただ少し手が荒れてしまっただけで……」

「見せろ」

 有無を言わさぬ声。
 リディアはおずおずと両手を差し出した。

 ジェラルドはトレイを置くと、リディアの手を取り、自分の大きな手のひらに乗せた。
 彼の温かく分厚い皮膚とは対照的に、リディアの手は冷たく、傷だらけで、触れるのが痛々しいほどだった。

「……ひどいな」

 ジェラルドの声が低く沈んだ。
 怒っているのかと思い、リディアは身を縮こまらせた。

「すみません。ケアはしているつもりなのですが、薬品が強くて……。汚い手で、お目汚しを……」

「馬鹿を言うな」

 ジェラルドは強く否定した。

「これは汚いのではない。損耗しているのだ。……この手は、ただの肉体の一部ではない。我が領地の未来を切り拓き、失われた美を蘇らせるための、唯一無二の精密機器だ」

 彼はリディアの手を離さず、そのまま彼女を椅子に座らせた。

「外からクリームを塗る対症療法だけでは不十分だ。細胞膜の材料を直接送り込み、内側から再生させる」

 トレイの上には、見たことのない料理が並んでいた。
 半分に切ったアボカドの種の部分がくり抜かれ、そこに卵黄とオイルサーディンを詰め、オーブンで焼いた香ばしい一皿。
 そしてデザート皿には、宝石のように透き通った琥珀色のゼリーが震えている。

「まずはこのアボカド・ボートを食え。アボカドは森のバターと呼ばれるほどビタミンEが豊富だ。これは血行を促進し、肌のターンオーバーを正常化する」

 ジェラルドの解説を聞きながら、リディアはスプーンを入れた。
 熱々のアボカドはとろりと濃厚で、塩気のあるサーディンと絡み合い、卵黄のまろやかさが全体を包み込む。
 口いっぱいに広がるコクのある旨味。

「美味しい……! なんだか、身体の隅々まで油分が行き渡る気がします」

「良質な脂質は、細胞膜を形成する重要な材料だ。カサカサの肌には油を注げ。……次はゼリーだ」

 琥珀色のゼリーには、季節のフルーツが閉じ込められている。
 口に運ぶと、ぷるんとした弾力と共に溶け出し、優しい甘さが広がった。

「これは魚の皮と骨から抽出した高純度のコラーゲンだ。ビタミンCを含むフルーツと一緒に摂取することで、体内でのコラーゲン再合成を最大効率まで高めてある」

 ジェラルドは腕を組み、リディアが完食するのを満足げに見守った。
 だが、彼のメンテナンスは食事だけで終わらなかった。

「食後の休憩だ。……手を貸せ」

 ジェラルドは懐から小さな缶を取り出した。蓋を開けると、ハーブの爽やかな香りが漂う。
 彼特製のバームだ。
 彼はたっぷりとそれを指に取り、リディアの手の甲に乗せた。

「あっ、ジェラルド様……、自分でやります!」

「黙っていろ。自分の手では、マッサージの圧力がかけにくい。他人がやった方が効率的だ」

 ジェラルドの大きな親指が、リディアの手のひらをぐりぐりと押し広げる。
 ツボに入り、小さな痛みと共にやってくる気持ちいい感覚に、リディアの口から間の抜けた声が漏れた。

「母指球が凝り固まっている。筆を握る時に力が入りすぎだ」

 彼は無骨な見た目からは想像もつかないほど繊細な手つきで、リディアの一本一本の指を丁寧に揉みほぐしていく。

 ささくれた指先にもバームを塗り込み、爪の生え際を優しく圧迫する。
 体温が伝わる。
 ただのマッサージのはずなのに、触れられるたびにリディアの指先から熱が逆流し、顔まで赤くなっていくのがわかった。

「……あの、ジェラルド様。もう十分です……」

「まだだ。この手は、未来へ遺すべき文化遺産を直すための最高級の神の手だ。メンテナンスを怠ることは許さん」

 ジェラルドは真剣な眼差しでそう言うと、最後にリディアの手を両手で包み込んだ。
 まるで、壊れやすいガラス細工を守るかのように。

「……痛くないか?」

「……はい。とても、温かいです」

 リディアは俯き、小さく答えた。
 自分の荒れた手を汚いと隠そうとした自分が恥ずかしかった。
 この人は、その荒れさえも努力の証、必要な道具として大切にしてくれる。

 しばらくの間、アトリエには二人だけの静かな時間が流れた。
 窓から差し込む陽光が、つやつやと潤ったリディアの指先を照らしている。

 それは高価な宝石をつけるよりも、ずっと美しく、愛されている証のように見えた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

地味で役に立たないと言われて捨てられましたが、王弟殿下のお相手としては最適だったようです

有賀冬馬
恋愛
「君は地味で、将来の役に立たない」 そう言われ、幼なじみの婚約者にあっさり捨てられた侯爵令嬢の私。 社交界でも忘れ去られ、同情だけを向けられる日々の中、私は王宮の文官補佐として働き始める。 そこで出会ったのは、権力争いを嫌う変わり者の王弟殿下。 過去も噂も問わず、ただ仕事だけを見て評価してくれる彼の隣で、私は静かに居場所を見つけていく。 そして暴かれる不正。転落していく元婚約者。 「君が隣にいない宮廷は退屈だ」 これは、選ばれなかった私が、必要とされる私になる物語。

地味な私では退屈だったのでしょう? 最強聖騎士団長の溺愛妃になったので、元婚約者はどうぞお好きに

有賀冬馬
恋愛
「君と一緒にいると退屈だ」――そう言って、婚約者の伯爵令息カイル様は、私を捨てた。 選んだのは、華やかで社交的な公爵令嬢。 地味で無口な私には、誰も見向きもしない……そう思っていたのに。 失意のまま辺境へ向かった私が出会ったのは、偶然にも国中の騎士の頂点に立つ、最強の聖騎士団長でした。 「君は、僕にとってかけがえのない存在だ」 彼の優しさに触れ、私の世界は色づき始める。 そして、私は彼の正妃として王都へ……

崖からポイ捨てされた不運令嬢ですが、銀髪イケメン竜王に『最愛の伴侶』としてスカウトされました!

有賀冬馬
恋愛
不作も天災も、全部わたしのせい!? 「不運な女」と虐げられ、生贄として崖から捨てられたわたし、ミラ。 でも、落ちた先で待っていたのは、まぶしいほど綺麗な銀髪の竜王・アルベルト様でした! 「君がいたから、この国は守られていたんだよ」 えっ、わたしって実はすごい聖女だったの!? 竜宮城で贅沢三昧&溺愛生活スタート! そんな中、わたしを捨てて大ピンチになった元婚約者が「ミラ、戻ってきて!」と泣きついてきて……。

「地味で無能」と捨てられた令嬢は、冷酷な【年上イケオジ公爵】に嫁ぎました〜今更私の価値に気づいた元王太子が後悔で顔面蒼白になっても今更遅い

腐ったバナナ
恋愛
伯爵令嬢クラウディアは、婚約者のアルバート王太子と妹リリアンに「地味で無能」と断罪され、公衆の面前で婚約破棄される。 お飾りの厄介払いとして押し付けられた嫁ぎ先は、「氷壁公爵」と恐れられる年上の冷酷な辺境伯アレクシス・グレイヴナー公爵だった。 当初は冷徹だった公爵は、クラウディアの才能と、過去の傷を癒やす温もりに触れ、その愛を「二度と失わない」と固く誓う。 彼の愛は、包容力と同時に、狂気的な独占欲を伴った「大人の愛」へと昇華していく。

何もしない公爵夫人ですが、なぜか屋敷がうまく回っています

鷹 綾
恋愛
辺境公爵カーネル・クリスの妻となったフィレ・バーナード。 けれど彼女は、屋敷を仕切ることも、改革を行うことも、声高に意見を述べることもしなかった。 指示を出さない。 判断を奪わない。 必要以上に関わらない。 「何もしない夫人」として、ただ静かにそこにいるだけ。 それなのに―― いつの間にか屋敷は落ち着き、 使用人たちは迷わなくなり、 人は出入りし、戻り、また進んでいくようになる。 誰かに依存しない。 誰かを支配しない。 それでも確かに“安心できる場所”は、彼女の周りに残っていた。 必要とされなくてもいい。 役に立たなくてもいい。 それでも、ここにいていい。 これは、 「何もしない」ことで壊れなかった関係と、 「奪わない」ことで続いていった日常を描く、 静かでやさしい結婚生活の物語。

辺境に追放されたガリガリ令嬢ですが、助けた男が第三王子だったので人生逆転しました。~実家は危機ですが、助ける義理もありません~

香木陽灯
恋愛
 「そんなに気に食わないなら、お前がこの家を出ていけ!」  実の父と義妹に虐げられ、着の身着のままで辺境のボロ家に追放された伯爵令嬢カタリーナ。食べるものもなく、泥水のようなスープですすり、ガリガリに痩せ細った彼女が庭で拾ったのは、金色の瞳を持つ美しい男・ギルだった。  「……見知らぬ人間を招き入れるなんて、馬鹿なのか?」  「一人で食べるのは味気ないわ。手当てのお礼に一緒に食べてくれると嬉しいんだけど」  二人の奇妙な共同生活が始まる。ギルが獲ってくる肉を食べ、共に笑い、カタリーナは本来の瑞々しい美しさを取り戻していく。しかしカタリーナは知らなかった。彼が王位継承争いから身を隠していた最強の第三王子であることを――。 ※ふんわり設定です。 ※他サイトにも掲載中です。

『壁の花』の地味令嬢、『耳が良すぎる』王子殿下に求婚されています〜《本業》に差し支えるのでご遠慮願えますか?〜

水都 ミナト
恋愛
 マリリン・モントワール伯爵令嬢。  実家が運営するモントワール商会は王国随一の大商会で、優秀な兄が二人に、姉が一人いる末っ子令嬢。  地味な外観でパーティには来るものの、いつも壁側で1人静かに佇んでいる。そのため他の令嬢たちからは『地味な壁の花』と小馬鹿にされているのだが、そんな嘲笑をものととせず彼女が壁の花に甘んじているのには理由があった。 「商売において重要なのは『信頼』と『情報』ですから」 ※設定はゆるめ。そこまで腹立たしいキャラも出てきませんのでお気軽にお楽しみください。2万字程の作品です。 ※カクヨム様、なろう様でも公開しています。

無能と婚約破棄された公爵令嬢ですが、冷徹皇帝は有能より“無害”を選ぶそうです

鷹 綾
恋愛
「君は普通だ。……いや、普通以下だ」 王太子にそう言われ、婚約を破棄された公爵令嬢フォウ。 王国でも屈指の有能一族に生まれながら、彼女だけは“平凡”。 兄は天才、妹は可憐で才色兼備、両親も社交界の頂点―― そんな家の中で「普通」は“無能”と同義だった。 王太子が選んだのは、有能で華やかな妹。 だがその裏で、兄は教会を敵に回し、父は未亡人の名誉を踏みにじり、母は国家機密を売り、妹は不貞を重ね、そして王太子は――王を越えようとした。 越えた者から崩れていく。 やがて王太子は廃嫡、公爵家は解体。 ただ一人、何も奪わず、何も越えなかったフォウだけが切り離される。 そんな彼女に手を差し伸べたのは、隣国の若き冷徹皇帝。 「有能は制御が難しい。無害のほうが使える」 駒として選ばれたはずの“無能な令嬢”。 けれど―― 越えなかった彼女こそ、最後まで壊れなかった。

処理中です...