捨てられた地味な王宮修復師(実は有能)、強面辺境伯の栄養管理で溺愛され、辺境を改革する ~王都の貴重な物が失われても知りませんよ?~

水上

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第30話:直接対決

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 その日は、朝から空が重く垂れ込めていた。
 辺境伯邸の正門が、けたたましい音と共に押し開かれる。
 現れたのは、王家の紋章を掲げた豪華な馬車と、武装した近衛騎士団の一隊だった。

「……来たか」

 執務室の窓からその光景を見下ろし、ジェラルドが低く呟いた。

 隣に立つリディアの肩が、微かに跳ねる。
 馬車から降りてきたのは、焦燥感で目を血走らせたアルフレッド王太子と、派手なドレスに身を包んだミナ男爵令嬢だった。

「リディア! どこだ、リディア!」

 アルフレッドの声が屋敷の前庭に響く。
 かつての優雅さは見る影もなく、追い詰められた獣のような響きがあった。

「迎えに来てやったぞ! 王家の慈悲だ! さっさと出てきて感謝の言葉を述べろ!」

 その声を聞いた瞬間、リディアの心臓が早鐘を打った。

 条件反射のような恐怖。
 王宮での罵倒、冷たい視線、そして無能の烙印。
 それらが泥水のように足元から這い上がってくる。

「……リディア」

 ジェラルドが彼女の背中に手を添えた。

 温かい。
 その熱が、リディアを現実に引き留める。

「行くぞ。……私の領地で、害獣が騒いでいる」

 玄関ホールでの対面は、一触即発の空気に包まれていた。

 アルフレッドはリディアを見つけるなり、大股で歩み寄ろうとしたが、ジェラルドが立ちはだかったため、数歩手前で足を止めた。

「退け、辺境伯! 私はその女に用があるのだ!」

「貴殿に用があろうと、彼女にはない。……アポイントメントなしの訪問は、非常識極まりないな」

「うるさい! 国難なのだ! 王都の美術品が次々と劣化し、偽物が横行し、文化の危機なのだぞ! 元はと言えば、この女が職務を放棄して逃げ出したせいではないか!」

 アルフレッドは自分たちの管理不足を棚に上げ、リディアを責め立てた。
 ミナも扇子で口元を隠し、甲高い声で加勢する。

「そうですわ! リディア様のせいで、私のドレスも、お部屋の絵も台無し! 責任を取って、一生タダで働きなさいよ! それが地味な女にお似合いの罪滅ぼしですわ!」

 勝手な言い分。
 理不尽な要求。
 リディアは唇を噛み締め、俯いた。

 反論したい。
 けれど、王族という権威と悪意に、言葉が喉に詰まって出てこない。

 自分はやっぱり、地味で、暗くて――。

 その時。
 ジェラルドが、リディアの肩を抱き寄せた。
 守るように、所有するように、強く。

「……私の前で、彼女を侮辱することは許さん」

 地獄の底から響くような低い声。
 アルフレッドとミナが、ビクリと身体を震わせた。

「とりあえず、彼らを応接室に案内してくれ」

 ジェラルドが執事に命じた。 
 執事の案内で、彼らは目の前からいなくなった。

 俯いていたリディアの手を、ジェラルドが優しく握った。

「地味? 暗い? ……節穴もいいところだ。奴らには、君の価値が見えていない」

 ジェラルドはリディアを見下ろし、その瞳を真っ直ぐに覗き込んだ。

「リディア。君は難解な名画だ」

「え……?」

「一見すると静かで、派手な装飾はないかもしれない。だが、その下には幾層にも塗り重ねられた知識の層があり、知性という光沢が輝き、誠実さという強固な下地がある」

 ジェラルドはリディアに語りかけた。

「大衆受けする分かりやすい絵である必要などない」

 ジェラルドの手が、リディアの頬に触れる。

「君という難解で美しい名画を解釈できる専門家は、少なくとも世界に一人、この私がいる」

 その言葉は、リディアの心の奥底にあった、誰かにわかってほしかったという孤独な穴を、完全に埋め尽くした。
 世界中でたった一人。
 この人がわかってくれるなら、他に何もいらない。

「……ジェラルド様」

 リディアの瞳から、怯えの色が消えた。
 代わりに宿ったのは、愛される自信と、愛する覚悟。

「私……、私、ジェラルド様の世界を彩る名画であり続けたいです」

「ああ、一生、私のそばで輝き続けてくれ」

 ジェラルドは躊躇なく顔を近づけ、リディアの唇を塞いだ。

 それは甘いだけのキスではなかった。

 お互いの存在を確かめ合い、魂の契約を交わすような、深く、熱い口づけ。
 ジェラルドの唇から伝わる体温が、リディアの全身の血流を一気に加速させる。

 長い、長いキスの後。
 ジェラルドはゆっくりと顔を離し、紅潮したリディアを見て、満足げにニヤリと笑った。

「……心拍数上昇、体温上昇、瞳孔散大。恋という病にかかったことが確定したな」

「……もう。ジェラルド様ったら」

 リディアは潤んだ瞳で笑い返した。

 もう、怖くない。
 彼女はゆっくりと振り返り、ジェラルドと共にアルフレッドとミナが待っている部屋に入った。
 背筋はピンと伸び、その表情は気品に満ちていた。

「王太子殿下、ミナ様。……歓迎いたしますわ」

 リディアは静かに、しかし力強く宣言した。

「わざわざ辺境までお越しいただいたのです。……私たちの因縁の決着を、この地ではっきりとつけましょう」

 その言葉は、宣戦布告だった。

 逃げ隠れしていた日々は終わった。
 愛を知った修復師は、頼れのパートナーと共に、自らの誇りをかけた最後の戦いへと挑むのだった。
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