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第31話:辺境の宴
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辺境伯邸の大広間は、異様な緊張感に包まれていた。
急遽開催された、王太子一行への歓迎晩餐会。
給仕たちが無言で料理を運び、辺境の貴族たちが顔を引きつらせて見守る中、上座に座る客人の態度だけが、場違いなほど尊大だった。
「……なんだ、この田舎臭い料理は」
アルフレッド王太子は、メインディッシュの鹿肉のローストをフォークで突き、鼻で笑った。
「ソースの色が濃すぎる。盛り付けも無骨だ。やはり辺境の食卓には、王都のような洗練がないな」
「本当ですわ、殿下。それに、このお部屋……、なんだかカビ臭いような気がしますわねぇ?」
ミナがわざとらしく鼻をつまみ、扇子をパタパタと仰ぐ。
そのたびに、彼女が浴びるようにつけている強烈な香水――人工的なバラとジャコウの香り――が波のように広がり、周囲の空気を汚染していく。
リディアは、ジェラルドの隣で静かにカトラリーを握りしめていた。
カビ臭い、という言葉。
それはかつて王宮で、自分が浴びせられ続けた罵倒そのものだ。
そして、このミナの香水の匂い。
あの悪夢のような婚約破棄の日を思い出させる。
(……気持ち悪い)
過去のトラウマと、物理的な化学物質の刺激が混ざり合い、リディアの胃が強く収縮した。
吐き気がこみ上げ、呼吸が浅くなる。
目の前の料理が霞んで見える。
「どうした、リディア? 顔色が悪いぞ。やはりお前のような陰気な女には、華やかな席は荷が重いか?」
アルフレッドが嘲笑う。
言い返したい。
けれど、喉が痙攣して声が出ない。
椅子が鳴った。
「……失礼。少し中座する」
ジェラルドが立ち上がり、リディアの腕を取った。
有無を言わさぬ動作で、彼女をその場から立たせる。
「お、おい辺境伯! まだ話の途中だぞ!」
「彼女は気分を害している。休憩が必要だ」
ジェラルドは王太子たちを一睨み――その眼光だけで彼らを黙らせると、リディアを連れてバルコニーへと出た。
夜風が冷たい。
バルコニーに出た瞬間、リディアはその場に崩れ落ちそうになったが、ジェラルドがしっかりと支えてくれた。
「……呼吸が浅い。気道確保が必要だ」
彼はリディアをベンチに座らせると、背中に手を回し、ゆっくりとさすった。
「吸って、吐け。……深く、肺の底まで空気を入れろ」
「はぁ……、はぁ……、ごめんなさい、ジェラルド様……。あの方たちの前に出ると、どうしても……、身体が……」
「謝るな。あんな揮発性有機化合物の霧の中にいれば、誰だって中毒症状を起こす」
ジェラルドは懐から小さなフラスコを取り出した。
中には、透き通った緑色の液体が入っている。
「これを飲め。解毒ミント・コーディアルだ」
「解毒……?」
「自家栽培のスペアミントとライム、そこに解毒作用のあるカルダモンとフェンネルを抽出し、強炭酸で割った。……一気にいけ」
リディアは震える手でフラスコを受け取り、口に運んだ。
口に含んだ瞬間、強烈な炭酸の刺激と、ミントの冷涼感が爆発した。
喉を駆け下りる爽快感が、胃の中の不快感を洗い流し、ライムの酸味が麻痺しかけていた脳をシャキッと覚醒させる。
「んっ……!」
「どうだ?」
「……すごい。胸のつかえが、嘘みたいに消えました」
リディアは深く息を吸い込んだ。
夜気の冷たさと、ミントの余韻。
肺の中がクリアになり、心臓の鼓動も落ち着きを取り戻している。
「あの香水に含まれる合成香料は、神経系を刺激し、不安感を増幅させる作用がある。だが、このミントのメントール成分が、神経受容体を鎮静化させたんだ」
ジェラルドはフラスコを受け取り、リディアの目を見つめた。
「リディア。奴らが撒き散らすのは毒だ。言葉も、匂いもな。……だが、毒の成分さえ分かれば、解毒は可能だ」
「……はい」
「君はもう、ただの可愛そうな被害者じゃない。君には、君自身の強さがある。……行けるか?」
リディアは立ち上がった。
夜風に吹かれた頬は冷たかったが、瞳には確かな熱が宿っていた。
もう、震えない。
彼がくれた解毒剤が、身体の内側から勇気を支えてくれている。
「はい。……お客様をお待たせしては失礼ですね」
リディアは眼鏡の位置を直し、優雅に微笑んだ。
大広間に戻ると、アルフレッドたちは不満げにワインを飲んでいた。
「遅いぞ! 主賓を待たせるとは……」
「申し訳ございません、殿下」
リディアは遮るように、しかし穏やかな声で言った。
「あまりに香水の香りが芳醇すぎて、少々空気にあたりたくなりましたの」
「な、なんですって!?」
ミナが顔を真っ赤にして立ち上がる。
リディアは動じず、自分の席に戻り、ナプキンを膝に広げた。
「さて、お話の続きでしたわね。辺境の料理は無骨だと仰いましたか?」
彼女は目の前の鹿肉を見つめ、静かだが、会場全体に聞こえる声で解説を始めた。
「この鹿肉は、領内の森で育った野生のものです。王都の飼育された牛とは違い、脂肪分が少なく、鉄分と生命力に溢れています。……見た目は無骨かもしれませんが、その栄養価と深い味わいは、着飾っただけの料理には出せません」
リディアはアルフレッドを真っ直ぐに見据えた。
「人間も同じではないでしょうか? 見た目の華やかさや、甘い言葉で飾っても……、中身がスカスカでは、人を養うことはできませんから」
シン、と静まり返る会場。
それは、王太子たちへの痛烈な皮肉だった。
辺境の貴族たちが、隠しきれない笑みを浮かべ、さざめき合う。
「き、貴様……!」
「さあ、召し上がってください。……冷めないうちに」
リディアは優雅に肉を口に運んだ。
その横顔を見て、ジェラルドが満足げに口角を上げた。
ただ守られるだけの少女は、もうそこにはいない。
毒を飲み干し、糧に変える強さを手に入れた辺境の華が、そこに咲いていた。
急遽開催された、王太子一行への歓迎晩餐会。
給仕たちが無言で料理を運び、辺境の貴族たちが顔を引きつらせて見守る中、上座に座る客人の態度だけが、場違いなほど尊大だった。
「……なんだ、この田舎臭い料理は」
アルフレッド王太子は、メインディッシュの鹿肉のローストをフォークで突き、鼻で笑った。
「ソースの色が濃すぎる。盛り付けも無骨だ。やはり辺境の食卓には、王都のような洗練がないな」
「本当ですわ、殿下。それに、このお部屋……、なんだかカビ臭いような気がしますわねぇ?」
ミナがわざとらしく鼻をつまみ、扇子をパタパタと仰ぐ。
そのたびに、彼女が浴びるようにつけている強烈な香水――人工的なバラとジャコウの香り――が波のように広がり、周囲の空気を汚染していく。
リディアは、ジェラルドの隣で静かにカトラリーを握りしめていた。
カビ臭い、という言葉。
それはかつて王宮で、自分が浴びせられ続けた罵倒そのものだ。
そして、このミナの香水の匂い。
あの悪夢のような婚約破棄の日を思い出させる。
(……気持ち悪い)
過去のトラウマと、物理的な化学物質の刺激が混ざり合い、リディアの胃が強く収縮した。
吐き気がこみ上げ、呼吸が浅くなる。
目の前の料理が霞んで見える。
「どうした、リディア? 顔色が悪いぞ。やはりお前のような陰気な女には、華やかな席は荷が重いか?」
アルフレッドが嘲笑う。
言い返したい。
けれど、喉が痙攣して声が出ない。
椅子が鳴った。
「……失礼。少し中座する」
ジェラルドが立ち上がり、リディアの腕を取った。
有無を言わさぬ動作で、彼女をその場から立たせる。
「お、おい辺境伯! まだ話の途中だぞ!」
「彼女は気分を害している。休憩が必要だ」
ジェラルドは王太子たちを一睨み――その眼光だけで彼らを黙らせると、リディアを連れてバルコニーへと出た。
夜風が冷たい。
バルコニーに出た瞬間、リディアはその場に崩れ落ちそうになったが、ジェラルドがしっかりと支えてくれた。
「……呼吸が浅い。気道確保が必要だ」
彼はリディアをベンチに座らせると、背中に手を回し、ゆっくりとさすった。
「吸って、吐け。……深く、肺の底まで空気を入れろ」
「はぁ……、はぁ……、ごめんなさい、ジェラルド様……。あの方たちの前に出ると、どうしても……、身体が……」
「謝るな。あんな揮発性有機化合物の霧の中にいれば、誰だって中毒症状を起こす」
ジェラルドは懐から小さなフラスコを取り出した。
中には、透き通った緑色の液体が入っている。
「これを飲め。解毒ミント・コーディアルだ」
「解毒……?」
「自家栽培のスペアミントとライム、そこに解毒作用のあるカルダモンとフェンネルを抽出し、強炭酸で割った。……一気にいけ」
リディアは震える手でフラスコを受け取り、口に運んだ。
口に含んだ瞬間、強烈な炭酸の刺激と、ミントの冷涼感が爆発した。
喉を駆け下りる爽快感が、胃の中の不快感を洗い流し、ライムの酸味が麻痺しかけていた脳をシャキッと覚醒させる。
「んっ……!」
「どうだ?」
「……すごい。胸のつかえが、嘘みたいに消えました」
リディアは深く息を吸い込んだ。
夜気の冷たさと、ミントの余韻。
肺の中がクリアになり、心臓の鼓動も落ち着きを取り戻している。
「あの香水に含まれる合成香料は、神経系を刺激し、不安感を増幅させる作用がある。だが、このミントのメントール成分が、神経受容体を鎮静化させたんだ」
ジェラルドはフラスコを受け取り、リディアの目を見つめた。
「リディア。奴らが撒き散らすのは毒だ。言葉も、匂いもな。……だが、毒の成分さえ分かれば、解毒は可能だ」
「……はい」
「君はもう、ただの可愛そうな被害者じゃない。君には、君自身の強さがある。……行けるか?」
リディアは立ち上がった。
夜風に吹かれた頬は冷たかったが、瞳には確かな熱が宿っていた。
もう、震えない。
彼がくれた解毒剤が、身体の内側から勇気を支えてくれている。
「はい。……お客様をお待たせしては失礼ですね」
リディアは眼鏡の位置を直し、優雅に微笑んだ。
大広間に戻ると、アルフレッドたちは不満げにワインを飲んでいた。
「遅いぞ! 主賓を待たせるとは……」
「申し訳ございません、殿下」
リディアは遮るように、しかし穏やかな声で言った。
「あまりに香水の香りが芳醇すぎて、少々空気にあたりたくなりましたの」
「な、なんですって!?」
ミナが顔を真っ赤にして立ち上がる。
リディアは動じず、自分の席に戻り、ナプキンを膝に広げた。
「さて、お話の続きでしたわね。辺境の料理は無骨だと仰いましたか?」
彼女は目の前の鹿肉を見つめ、静かだが、会場全体に聞こえる声で解説を始めた。
「この鹿肉は、領内の森で育った野生のものです。王都の飼育された牛とは違い、脂肪分が少なく、鉄分と生命力に溢れています。……見た目は無骨かもしれませんが、その栄養価と深い味わいは、着飾っただけの料理には出せません」
リディアはアルフレッドを真っ直ぐに見据えた。
「人間も同じではないでしょうか? 見た目の華やかさや、甘い言葉で飾っても……、中身がスカスカでは、人を養うことはできませんから」
シン、と静まり返る会場。
それは、王太子たちへの痛烈な皮肉だった。
辺境の貴族たちが、隠しきれない笑みを浮かべ、さざめき合う。
「き、貴様……!」
「さあ、召し上がってください。……冷めないうちに」
リディアは優雅に肉を口に運んだ。
その横顔を見て、ジェラルドが満足げに口角を上げた。
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