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第18話:漁師の嘆き
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ベルンシュタイン辺境伯領の東端には、荒々しい北の海に面した港町がある。
観光地のような白い砂浜はない。
あるのは、波に削られた険しい岩場と、鉛色の海、そして冷たい海風だ。
「……塩害の進行速度が著しいですね」
視察に訪れたヴィオラは、海岸沿いの手すりや建物の金具が赤茶色に錆びているのを見て、思わず職業病的な感想を漏らした。
隣を歩くブルーノが、潮風に目を細めながら頷く。
「ああ。ここは領地の貴重なタンパク源である漁業の拠点だが、環境は過酷だ。建物も船も、すぐに傷む」
港には数隻の漁船が停泊していたが、活気というものは感じられなかった。
漁師たちが網を囲んで、沈痛な面持ちで座り込んでいる。
「どうした? 漁に出ないのか?」
ブルーノが声をかけると、漁師の親方らしき日焼けした大男が、重い口を開いた。
「ああ、領主様か……。見ての通りだ。網がイカれちまった」
指さされた先には、無残に裂けた巨大な漁網があった。
岩礁に引っ掛けたのか、あるいは大物の魚が暴れたのか、修復不可能に見えるほどズタズタになっている。
「これじゃあ漁にならねぇ。新しい網を発注しても、届くのは来月だ。今が一番脂の乗った北海ニシンの時期だってのに、指をくわえて見てるしかねぇんだよ」
若い衆も肩を落としている。
漁師にとって、稼ぎ時の網の破損は死活問題だ。
網を縫い合わせるには時間がかかりすぎるし、強度が落ちればまた破れる。
「……網の素材は、ポリエチレン系の合成繊維ですね」
ヴィオラが網の端をつまんで呟いた。
「ああ? なんだか知らねぇが、丈夫な糸だ。だが、一度切れたら結び直しても、そこから解けちまう」
「ええ。結び目は応力集中点になりますから。……修復には、縫合よりも化学結合が適しています」
ヴィオラは懐から、一枚のシートを取り出した。
一見すると、ただの分厚いゴム板のようだが、表面には特殊な保護フィルムが貼られている。
「その破れた箇所を広げてください」
「あん? 奥様、何を……」
「いいから広げてください。実験です」
ヴィオラの指示に従い、漁師たちが半信半疑で網を広げる。
ヴィオラはシートを適当な大きさにカットすると、保護フィルムを剥がし、濡れたままの網の裂け目にペタリと貼り付けた。
さらに裏側からも同じシートで挟み込む。
「ちょ、奥様! そんなテープで直るわけねぇだろ! しかも網は海水でびしょ濡れだぞ!」
「問題ありません。これは水中硬化型・高強度補修パッチです。成分に含まれる湿気硬化性樹脂が、水分と反応して重合を開始します」
ヴィオラは貼った箇所を掌でグッと圧着した。
「水こそが、このパッチの硬化剤なのです。……はい、あと十秒」
ヴィオラがカウントダウンを終えて手を離す。
柔らかかったシートは、カチカチに硬化しつつも、網の動きに追従する絶妙な弾力を持っていた。
繊維の一本一本に樹脂が浸透し、完全に一体化している。
「嘘だろ……?」
漁師が恐る恐る引っ張ってみる。
ビクともしない。
力自慢の若者が二人掛かりで引っ張っても、パッチは剥がれるどころか、網の一部として機能していた。
「すげぇ……! 水に濡れてるのに、なんでくっつくんだ!?」
「これならすぐに海に出られるぞ!」
ヴィオラは大量のパッチが入った箱をブルーノに渡させた。
「予備も含めて置いていきます。裂けたらその場で貼ってください。水中でも作業可能です」
「ありがてぇ! あんた、女神様か!?」
「いいえ、ただの接着技術者です。さあ、ニシンの群れが逃げる前に出港してください。機会損失は最小限に」
漁師たちは歓声を上げ、パッチで補修された網を担いで船へと駆け出した。
観光地のような白い砂浜はない。
あるのは、波に削られた険しい岩場と、鉛色の海、そして冷たい海風だ。
「……塩害の進行速度が著しいですね」
視察に訪れたヴィオラは、海岸沿いの手すりや建物の金具が赤茶色に錆びているのを見て、思わず職業病的な感想を漏らした。
隣を歩くブルーノが、潮風に目を細めながら頷く。
「ああ。ここは領地の貴重なタンパク源である漁業の拠点だが、環境は過酷だ。建物も船も、すぐに傷む」
港には数隻の漁船が停泊していたが、活気というものは感じられなかった。
漁師たちが網を囲んで、沈痛な面持ちで座り込んでいる。
「どうした? 漁に出ないのか?」
ブルーノが声をかけると、漁師の親方らしき日焼けした大男が、重い口を開いた。
「ああ、領主様か……。見ての通りだ。網がイカれちまった」
指さされた先には、無残に裂けた巨大な漁網があった。
岩礁に引っ掛けたのか、あるいは大物の魚が暴れたのか、修復不可能に見えるほどズタズタになっている。
「これじゃあ漁にならねぇ。新しい網を発注しても、届くのは来月だ。今が一番脂の乗った北海ニシンの時期だってのに、指をくわえて見てるしかねぇんだよ」
若い衆も肩を落としている。
漁師にとって、稼ぎ時の網の破損は死活問題だ。
網を縫い合わせるには時間がかかりすぎるし、強度が落ちればまた破れる。
「……網の素材は、ポリエチレン系の合成繊維ですね」
ヴィオラが網の端をつまんで呟いた。
「ああ? なんだか知らねぇが、丈夫な糸だ。だが、一度切れたら結び直しても、そこから解けちまう」
「ええ。結び目は応力集中点になりますから。……修復には、縫合よりも化学結合が適しています」
ヴィオラは懐から、一枚のシートを取り出した。
一見すると、ただの分厚いゴム板のようだが、表面には特殊な保護フィルムが貼られている。
「その破れた箇所を広げてください」
「あん? 奥様、何を……」
「いいから広げてください。実験です」
ヴィオラの指示に従い、漁師たちが半信半疑で網を広げる。
ヴィオラはシートを適当な大きさにカットすると、保護フィルムを剥がし、濡れたままの網の裂け目にペタリと貼り付けた。
さらに裏側からも同じシートで挟み込む。
「ちょ、奥様! そんなテープで直るわけねぇだろ! しかも網は海水でびしょ濡れだぞ!」
「問題ありません。これは水中硬化型・高強度補修パッチです。成分に含まれる湿気硬化性樹脂が、水分と反応して重合を開始します」
ヴィオラは貼った箇所を掌でグッと圧着した。
「水こそが、このパッチの硬化剤なのです。……はい、あと十秒」
ヴィオラがカウントダウンを終えて手を離す。
柔らかかったシートは、カチカチに硬化しつつも、網の動きに追従する絶妙な弾力を持っていた。
繊維の一本一本に樹脂が浸透し、完全に一体化している。
「嘘だろ……?」
漁師が恐る恐る引っ張ってみる。
ビクともしない。
力自慢の若者が二人掛かりで引っ張っても、パッチは剥がれるどころか、網の一部として機能していた。
「すげぇ……! 水に濡れてるのに、なんでくっつくんだ!?」
「これならすぐに海に出られるぞ!」
ヴィオラは大量のパッチが入った箱をブルーノに渡させた。
「予備も含めて置いていきます。裂けたらその場で貼ってください。水中でも作業可能です」
「ありがてぇ! あんた、女神様か!?」
「いいえ、ただの接着技術者です。さあ、ニシンの群れが逃げる前に出港してください。機会損失は最小限に」
漁師たちは歓声を上げ、パッチで補修された網を担いで船へと駆け出した。
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