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第1話:肉の重さも知らない王太子
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王城の大広間は、香水の匂いと、耳障りな談笑の音で満ちていた。
きらびやかなシャンデリアの下、着飾った貴族たちがグラスを片手に政治的な腹の探り合いをしている。
私、ルシア・フェルナンドはその光景を、壁際の柱の陰から無感動に眺めていた。
一応、この国の筆頭公爵家の娘であり、王太子殿下の婚約者という立場にある。
だが、私の頭の中を占めているのは、目の前の華やかな舞踏会ではない。
(……あのオードブルのサーモン、常温で放置されて一時間は経過していますね。脂が酸化し始めています。それにあの大量のローストビーフ、残った分はどう処理するつもりでしょう。再加熱すればパサつくし、廃棄となればコストの無駄が甚だしい)
職業病とも言える思考を巡らせていると、カツカツと床を強く踏み鳴らす足音が近づいてきた。
思考を中断し、顔を上げる。
そこに立っていたのは、私の婚約者である王太子ジェラール殿下と、その腕にまとわりつくように身体を預けた男爵令嬢、ミリム様だった。
「ここにいたか、ルシア!」
ジェラール殿下は、整った金髪を揺らしながら、まるで親の仇でも見つけたかのような形相で私を睨みつけている。
ミリム様は金色の髪を揺らし、上目遣いで殿下を見つめながら、私に向かって勝ち誇ったような笑みを向けていた。
「ごきげんよう、ジェラール殿下。本日はまた一段とお声がよく響くようで」
「減らず口を! 貴様、自分が何をしたか分かっているのだろうな!」
殿下は懐から一冊の帳簿を取り出し、私の足元に叩きつけた。
それは、私が管理を任されている『王宮厨房・食材管理台帳』だった。
「……これが何か?」
「しらばっくれるな! 私はその帳簿と、実際の倉庫の在庫を照らし合わせたのだ。そうしたら、とんでもない不正が見つかったぞ!」
殿下は大広間の注目を集めるように、声を張り上げた。
音楽が止まり、周囲の貴族たちがざわめきながら私たちを取り囲む。
「先月、貴様は兵士用の食料として豚肉100キログラムを購入しているな?」
「はい、間違いありません。冬の遠征演習に備えての購入です」
「だが! 今日、私が倉庫を確認したところ、そこには60キログラム分の肉しか残っていなかった! ミリムが教えてくれたのだ。『ルシア様がこっそり業者に横流しをして、私腹を肥やしているようだ』とな!」
ミリム様が「酷いです……」と呟き、殿下の胸に顔を埋める。
周囲からは「まさか公爵令嬢が横領を?」「なんて浅ましい」といった囁き声が聞こえてくる。
私は小さく溜息をついた。
怒りよりも、呆れが勝った。
この国の次期国王となる方が、まさかここまで無知だとは。
「ジェラール殿下。一つ確認させてください。その倉庫にあった肉は、どのような状態でしたか?」
「はあ? 状態だと? そんなものは……、確か、茶色くて硬い、棒のような肉だったが」
「それはドライソーセージですね」
「それがどうした!」
私は屈み込み、足元の帳簿を拾い上げた。
埃を払い、淡々とした口調で事実を告げる。
「殿下。生肉を塩漬けにし、腸詰めにして乾燥・熟成させれば、水分が抜けて重量は減少します」
きょとん、と殿下が口を開けた。
私は続ける。
「今回作ったドライソーセージは、長期保存と携行性を高めるため、水分活性値を極限まで下げる製法を用いています。生肉100キログラムから水分を40パーセント飛ばせば、完成品の重量は60キログラムになります。つまり、在庫は一点の狂いもなく合っています」
シン、と会場が静まり返った。
私の説明は、厨房で働く者や、兵站を管理する軍人ならば常識中の常識だ。
しかし、現場を知らず、ただ出されたものを食べるだけの殿下には理解できなかったらしい。
殿下は顔を真っ赤にして震え出した。
「へ、屁理屈を言うな! 肉が勝手に減るわけがあるか! この嘘つき女め!」
「嘘ではありません。物理法則です」
「うるさい、うるさい! ルシア・フェルナンド! 貴様のような、華やかさのかけらもない、強欲な女との婚約は、今ここで破棄する!」
高らかな宣言。
ミリム様が「やったぁ!」と小さく声を上げるのが聞こえた。
普通なら、ここで泣き崩れたり、縋り付いたりする場面なのだろう。
しかし、私の心に浮かんだのは最適化という言葉だった。
この王宮の台所事情は火の車だ。
見栄っ張りな王族の浪費を、私が裏で保存食技術を駆使してコストカットし、なんとか帳尻を合わせていたに過ぎない。
私の努力を理解しようともせず、横領犯扱いするような人に仕える未来など、リスクが高すぎる。
私は表情筋を緩めないまま、優雅にカーテシーをした。
「謹んでお受けいたします、ジェラール殿下」
「なっ……、なんだその態度は! 泣いて謝るなら許してやらんことも……」
「いいえ、結構です。国の兵站を預かる方が、保存食の基礎知識もお持ちでないとは存じ上げませんでした。そのような方の元で、私の技術を活かすことは不可能ですので」
私は背筋を伸ばし、殿下とミリム様を一瞥した。
「どうぞ、お二人でお幸せに。新鮮で、水分たっぷりの重たい愛を育んでくださいませ。腐りやすいのが難点ですが」
「き、きさ……っ!」
顔を赤くしている殿下を放置し、私は踵を返した。
背後でわめく声が聞こえるが、もう関係ない。
大広間の扉を開けると、夜の冷たい風が頬を撫でた。
不思議と、心は軽かった。
「さて……、まずは新しい職場を探さないといけませんね」
私は空を見上げた。
私の持つ知識や技術。
それを正当に評価してくれる場所が、この世界のどこかにあるはずだ。
そして、それは以外にもすぐ見つかることになるのだった……。
きらびやかなシャンデリアの下、着飾った貴族たちがグラスを片手に政治的な腹の探り合いをしている。
私、ルシア・フェルナンドはその光景を、壁際の柱の陰から無感動に眺めていた。
一応、この国の筆頭公爵家の娘であり、王太子殿下の婚約者という立場にある。
だが、私の頭の中を占めているのは、目の前の華やかな舞踏会ではない。
(……あのオードブルのサーモン、常温で放置されて一時間は経過していますね。脂が酸化し始めています。それにあの大量のローストビーフ、残った分はどう処理するつもりでしょう。再加熱すればパサつくし、廃棄となればコストの無駄が甚だしい)
職業病とも言える思考を巡らせていると、カツカツと床を強く踏み鳴らす足音が近づいてきた。
思考を中断し、顔を上げる。
そこに立っていたのは、私の婚約者である王太子ジェラール殿下と、その腕にまとわりつくように身体を預けた男爵令嬢、ミリム様だった。
「ここにいたか、ルシア!」
ジェラール殿下は、整った金髪を揺らしながら、まるで親の仇でも見つけたかのような形相で私を睨みつけている。
ミリム様は金色の髪を揺らし、上目遣いで殿下を見つめながら、私に向かって勝ち誇ったような笑みを向けていた。
「ごきげんよう、ジェラール殿下。本日はまた一段とお声がよく響くようで」
「減らず口を! 貴様、自分が何をしたか分かっているのだろうな!」
殿下は懐から一冊の帳簿を取り出し、私の足元に叩きつけた。
それは、私が管理を任されている『王宮厨房・食材管理台帳』だった。
「……これが何か?」
「しらばっくれるな! 私はその帳簿と、実際の倉庫の在庫を照らし合わせたのだ。そうしたら、とんでもない不正が見つかったぞ!」
殿下は大広間の注目を集めるように、声を張り上げた。
音楽が止まり、周囲の貴族たちがざわめきながら私たちを取り囲む。
「先月、貴様は兵士用の食料として豚肉100キログラムを購入しているな?」
「はい、間違いありません。冬の遠征演習に備えての購入です」
「だが! 今日、私が倉庫を確認したところ、そこには60キログラム分の肉しか残っていなかった! ミリムが教えてくれたのだ。『ルシア様がこっそり業者に横流しをして、私腹を肥やしているようだ』とな!」
ミリム様が「酷いです……」と呟き、殿下の胸に顔を埋める。
周囲からは「まさか公爵令嬢が横領を?」「なんて浅ましい」といった囁き声が聞こえてくる。
私は小さく溜息をついた。
怒りよりも、呆れが勝った。
この国の次期国王となる方が、まさかここまで無知だとは。
「ジェラール殿下。一つ確認させてください。その倉庫にあった肉は、どのような状態でしたか?」
「はあ? 状態だと? そんなものは……、確か、茶色くて硬い、棒のような肉だったが」
「それはドライソーセージですね」
「それがどうした!」
私は屈み込み、足元の帳簿を拾い上げた。
埃を払い、淡々とした口調で事実を告げる。
「殿下。生肉を塩漬けにし、腸詰めにして乾燥・熟成させれば、水分が抜けて重量は減少します」
きょとん、と殿下が口を開けた。
私は続ける。
「今回作ったドライソーセージは、長期保存と携行性を高めるため、水分活性値を極限まで下げる製法を用いています。生肉100キログラムから水分を40パーセント飛ばせば、完成品の重量は60キログラムになります。つまり、在庫は一点の狂いもなく合っています」
シン、と会場が静まり返った。
私の説明は、厨房で働く者や、兵站を管理する軍人ならば常識中の常識だ。
しかし、現場を知らず、ただ出されたものを食べるだけの殿下には理解できなかったらしい。
殿下は顔を真っ赤にして震え出した。
「へ、屁理屈を言うな! 肉が勝手に減るわけがあるか! この嘘つき女め!」
「嘘ではありません。物理法則です」
「うるさい、うるさい! ルシア・フェルナンド! 貴様のような、華やかさのかけらもない、強欲な女との婚約は、今ここで破棄する!」
高らかな宣言。
ミリム様が「やったぁ!」と小さく声を上げるのが聞こえた。
普通なら、ここで泣き崩れたり、縋り付いたりする場面なのだろう。
しかし、私の心に浮かんだのは最適化という言葉だった。
この王宮の台所事情は火の車だ。
見栄っ張りな王族の浪費を、私が裏で保存食技術を駆使してコストカットし、なんとか帳尻を合わせていたに過ぎない。
私の努力を理解しようともせず、横領犯扱いするような人に仕える未来など、リスクが高すぎる。
私は表情筋を緩めないまま、優雅にカーテシーをした。
「謹んでお受けいたします、ジェラール殿下」
「なっ……、なんだその態度は! 泣いて謝るなら許してやらんことも……」
「いいえ、結構です。国の兵站を預かる方が、保存食の基礎知識もお持ちでないとは存じ上げませんでした。そのような方の元で、私の技術を活かすことは不可能ですので」
私は背筋を伸ばし、殿下とミリム様を一瞥した。
「どうぞ、お二人でお幸せに。新鮮で、水分たっぷりの重たい愛を育んでくださいませ。腐りやすいのが難点ですが」
「き、きさ……っ!」
顔を赤くしている殿下を放置し、私は踵を返した。
背後でわめく声が聞こえるが、もう関係ない。
大広間の扉を開けると、夜の冷たい風が頬を撫でた。
不思議と、心は軽かった。
「さて……、まずは新しい職場を探さないといけませんね」
私は空を見上げた。
私の持つ知識や技術。
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