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第2話:装飾品と屋台骨
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王城を背にして夜道を歩きながら、私は頭の中で素早く損益計算を行っていた。
(実家に戻れば、父は激怒するでしょうね。王家とのパイプを失った無能な娘として、修道院送りか、あるいは高齢の好色な貴族への後妻として売り払われるのが関の山……。収支決算としては最悪のシナリオです)
私の実家であるフェルナンド公爵家は、名誉と体面を何よりも重んじる。
王太子の不正を指摘して婚約破棄された娘など、家名の汚点以外の何物でもない。
つまり、私には帰る場所がないということだ。
「さて、手持ちの資産は……、隠し口座に貯めたへそくりと、身につけている宝石類。これを現金化して、隣国へ逃亡し、商会で経理として雇ってもらうのが最も生存確率が高いルートでしょうか」
独り言を呟き、馬車止めに向かおうとした時だった。
巨大な影が、私の行く手を塞ぐように立ちはだかった。
「……随分と冷静だな。ついさっき、次期王妃の座を追われた女とは思えん」
地の底から響くような、低く、ドスの利いた声。
月明かりに照らされたその男を見て、私は思わず息を呑んだ。
身長は優に190センチを超えているだろうか。
黒い髪は短く刈り込まれ、野性味あふれる無精髭が精悍な顎を覆っている。
そして何より、獲物を狙う猛獣のような鋭い眼光。
夜道で出会えば、誰もが命乞いを始めるであろうその風貌。
グレン・リード・バルディア辺境伯。
北の国境を守護し、その苛烈な戦いぶりから北の氷壁と恐れられている武人だ。
「……バルディア辺境伯閣下。盗み聞きとは感心しませんね」
「盗み聞きではない。あのバカ王子があれだけでかい声で喚けば、嫌でも聞こえる」
グレン様は鼻を鳴らし、私の顔をじろじろと観察した。
値踏みされている。
私は警戒レベルを引き上げた。
彼は王太子の友人ではないはずだが、公爵家の娘が路頭に迷う様を嘲笑いに来たのだろうか。
「それで? 負け犬の顔を拝みにいらしたのですか?」
「ああ。だが、予想とは違ったな。泣きわめくどころか、次の就職先を計算しているとは」
彼は口の端を歪めてニヤリと笑った。
凶悪な笑みに見えるが、不思議と嫌な感じはしなかった。
その瞳に、侮蔑の色がなかったからかもしれない。
「単刀直入に言おう。俺のところへ来い」
「……はい?」
「俺の領地だ。バルディア辺境伯領。そこで働け」
あまりに唐突なスカウトに、私の思考回路が一瞬停止した。
辺境伯領。
北の果てにある、冬は雪に閉ざされる過酷な土地だ。
「買いかぶりすぎではありませんか? 私は殿下が仰った通り、華やかさのかけらもない地味な女ですよ」
「地味? ああ、そうだな」
グレン様は否定しなかった。
むしろ、一歩踏み出して私との距離を詰める。
「王宮の夜会で、お前はいつも壁際にいた。派手なドレスを着ることもなく、愛想を振りまくこともなく、ただ淡々と会場の隅々を観察していたな」
「……ええ。私は華やかな舞踏会では、壁のシミのような存在でしたから」
自嘲気味にそう告げると、グレン様の眉間に皺が寄った。
彼は私の目の前まで顔を近づけ、低い声で言った。
「訂正しろ」
「え?」
「シミじゃない。お前は柱だ」
予想外の単語に、私は目を瞬いた。
「は、柱……ですか?」
「そうだ。地味で目立たないし、誰もその存在を気に留めない。だが、お前がいなければこの王宮の兵站はとっくに崩壊していたはずだ」
心臓が、とくんと跳ねた。
グレン様は私の動揺などお構いなしに続ける。
「俺は見ていたぞ。お前が腐りやすい食材を即座に加工指示していたことも、業者の不正な請求を突っぱねていたこともな。俺の領地に送られる補給物資が、お前が管理するようになってから劇的に改善されたことも知っている」
「そ、それは……、それが私の仕事でしたから……」
「それができる人間が、この国に何人いる? あの王子は、見た目の良い装飾品を選んだようだが……、俺は違う」
グレン様の無骨で大きな手が、私の肩に置かれた。
その手は熱く、そして驚くほど優しかった。
「俺は装飾品より、屋台骨を愛する主義でな。俺の領地には、お前のその腐らせない技術と計算高い頭脳が必要だ」
――屋台骨。
誰からも評価されず、ただ「地味だ」「可愛げがない」「ケチくさい」と言われ続けてきた私の仕事を、この人は見ていてくれたのだ。
華やかさではなく、実用性を。
表面ではなく、中身を。
胸の奥に、熱いものが込み上げてきた。
それは長年、澱のように溜まっていた不満が昇華されるような感覚だった。
私は小さく息を吐き、震える声を抑えて微笑んだ。
「……条件があります」
「言ってみろ」
「給金は実力に応じた成果報酬で。それと、厨房への立ち入り権限と、加工設備の予算をいただきます」
「フン、がめついな。だが、悪くない。全部呑んでやる」
グレン様は獰猛に笑い、私の手を引いた。
こうして私は、派手な王都と決別し、北の辺境へと旅立つことになった。
私が壁のシミではなく、支える柱として生きられる場所へ。
馬車に揺られながら、私は確信していた。
このヘッドハンティングは、私の人生において最も利益率の高い契約になるだろうと……。
(実家に戻れば、父は激怒するでしょうね。王家とのパイプを失った無能な娘として、修道院送りか、あるいは高齢の好色な貴族への後妻として売り払われるのが関の山……。収支決算としては最悪のシナリオです)
私の実家であるフェルナンド公爵家は、名誉と体面を何よりも重んじる。
王太子の不正を指摘して婚約破棄された娘など、家名の汚点以外の何物でもない。
つまり、私には帰る場所がないということだ。
「さて、手持ちの資産は……、隠し口座に貯めたへそくりと、身につけている宝石類。これを現金化して、隣国へ逃亡し、商会で経理として雇ってもらうのが最も生存確率が高いルートでしょうか」
独り言を呟き、馬車止めに向かおうとした時だった。
巨大な影が、私の行く手を塞ぐように立ちはだかった。
「……随分と冷静だな。ついさっき、次期王妃の座を追われた女とは思えん」
地の底から響くような、低く、ドスの利いた声。
月明かりに照らされたその男を見て、私は思わず息を呑んだ。
身長は優に190センチを超えているだろうか。
黒い髪は短く刈り込まれ、野性味あふれる無精髭が精悍な顎を覆っている。
そして何より、獲物を狙う猛獣のような鋭い眼光。
夜道で出会えば、誰もが命乞いを始めるであろうその風貌。
グレン・リード・バルディア辺境伯。
北の国境を守護し、その苛烈な戦いぶりから北の氷壁と恐れられている武人だ。
「……バルディア辺境伯閣下。盗み聞きとは感心しませんね」
「盗み聞きではない。あのバカ王子があれだけでかい声で喚けば、嫌でも聞こえる」
グレン様は鼻を鳴らし、私の顔をじろじろと観察した。
値踏みされている。
私は警戒レベルを引き上げた。
彼は王太子の友人ではないはずだが、公爵家の娘が路頭に迷う様を嘲笑いに来たのだろうか。
「それで? 負け犬の顔を拝みにいらしたのですか?」
「ああ。だが、予想とは違ったな。泣きわめくどころか、次の就職先を計算しているとは」
彼は口の端を歪めてニヤリと笑った。
凶悪な笑みに見えるが、不思議と嫌な感じはしなかった。
その瞳に、侮蔑の色がなかったからかもしれない。
「単刀直入に言おう。俺のところへ来い」
「……はい?」
「俺の領地だ。バルディア辺境伯領。そこで働け」
あまりに唐突なスカウトに、私の思考回路が一瞬停止した。
辺境伯領。
北の果てにある、冬は雪に閉ざされる過酷な土地だ。
「買いかぶりすぎではありませんか? 私は殿下が仰った通り、華やかさのかけらもない地味な女ですよ」
「地味? ああ、そうだな」
グレン様は否定しなかった。
むしろ、一歩踏み出して私との距離を詰める。
「王宮の夜会で、お前はいつも壁際にいた。派手なドレスを着ることもなく、愛想を振りまくこともなく、ただ淡々と会場の隅々を観察していたな」
「……ええ。私は華やかな舞踏会では、壁のシミのような存在でしたから」
自嘲気味にそう告げると、グレン様の眉間に皺が寄った。
彼は私の目の前まで顔を近づけ、低い声で言った。
「訂正しろ」
「え?」
「シミじゃない。お前は柱だ」
予想外の単語に、私は目を瞬いた。
「は、柱……ですか?」
「そうだ。地味で目立たないし、誰もその存在を気に留めない。だが、お前がいなければこの王宮の兵站はとっくに崩壊していたはずだ」
心臓が、とくんと跳ねた。
グレン様は私の動揺などお構いなしに続ける。
「俺は見ていたぞ。お前が腐りやすい食材を即座に加工指示していたことも、業者の不正な請求を突っぱねていたこともな。俺の領地に送られる補給物資が、お前が管理するようになってから劇的に改善されたことも知っている」
「そ、それは……、それが私の仕事でしたから……」
「それができる人間が、この国に何人いる? あの王子は、見た目の良い装飾品を選んだようだが……、俺は違う」
グレン様の無骨で大きな手が、私の肩に置かれた。
その手は熱く、そして驚くほど優しかった。
「俺は装飾品より、屋台骨を愛する主義でな。俺の領地には、お前のその腐らせない技術と計算高い頭脳が必要だ」
――屋台骨。
誰からも評価されず、ただ「地味だ」「可愛げがない」「ケチくさい」と言われ続けてきた私の仕事を、この人は見ていてくれたのだ。
華やかさではなく、実用性を。
表面ではなく、中身を。
胸の奥に、熱いものが込み上げてきた。
それは長年、澱のように溜まっていた不満が昇華されるような感覚だった。
私は小さく息を吐き、震える声を抑えて微笑んだ。
「……条件があります」
「言ってみろ」
「給金は実力に応じた成果報酬で。それと、厨房への立ち入り権限と、加工設備の予算をいただきます」
「フン、がめついな。だが、悪くない。全部呑んでやる」
グレン様は獰猛に笑い、私の手を引いた。
こうして私は、派手な王都と決別し、北の辺境へと旅立つことになった。
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