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第11話:燻る王城、輝く辺境
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その日、王宮の厨房は焦燥感に包まれていた。
辺境から持ち帰った保存食も底をつき始め、王太子ジェラールはヒステリックに叫んだ。
「なんでもいいから作れ! ルシアがやっていたのだ、貴様らにできないわけがないだろう!」
その命令を受け、ミリムは煤だらけの顔で燻製窯の前に立っていた。
「もう! 煙たくて最悪ですわ!」
彼女はドレスの裾を汚しながら、手当たり次第に薪を窯に放り込んでいた。
そばに控えていた古参の下働きが、おずおずと声をかける。
「あ、あの……、ミリム様。そろそろ煙突の掃除をしませんと……。ルシア様がいらした頃は、三日に一度は必ず職人が入ってタールを削ぎ落としておりましたが」
王宮の巨大な燻製施設は、排煙ダクトも複雑だ。
そこに可燃性のタールや煤が蓄積すればどうなるか、職人なら誰でも知っている。
だが、ミリムは柳眉を逆立てて怒鳴りつけた。
「はあ? 掃除? そんな汚いこと、する必要なんてないわ! いいから、さっさと火を強めなさいよ!」
「で、ですが……、これ以上は危険です!」
「うるさい! 煙突なんて、煙が通るだけでしょ! 詰まるわけないじゃない!」
ミリムは警告を無視し、さらに松の薪をくべた。
窯の温度が急上昇し、勢いよく炎が立ち上る。
その火の粉が、煙突の奥へと吸い込まれていった――その直後だった。
不気味な重低音と共に、煙突内部から爆発的な炎が噴き出した。
「きゃあああ!?」
「だ、ダクト火災だー!!」
長期間放置され、分厚く堆積していたタールと煤に引火したのだ。
煙道火災。
その燃焼温度は1000度を超え、石造りの煙突すらひび割れさせる。
炎はダクトを伝って瞬く間に王宮の壁内を駆け巡り、上の階へと燃え広がった。
「火事だ! 火事だー!」
「消えない! 水をかけても消えないぞ!」
油分を含んだタールの火災は、水程度では消火できない。
王宮の尖塔から黒煙が上がり、美しかった白亜の壁がみるみるうちに黒く焼け焦げていく。
「嘘……、嘘よ……。ただ、お肉を焼こうとしただけなのに……」
ミリムはへたり込み、燃え盛る王宮を見上げた。
「な、なんだ、これは……。どうして、こんなことに……。まるで、ルシアを捨てたあの日の選択が間違っていたみたいじゃないか……」
駆けつけたジェラールもまた、呆然と立ち尽くしていた。
メンテナンスという地味な作業を軽視し、華やかな成果だけを求めた彼らの象徴たる城は、今まさに自らの業火によって崩れ落ちようとしていた。
*
王都での大火災から数日後。
辺境伯領の領主館では、静かで穏やかな夕食の時間が流れていた。
「……そうですか。王宮の東棟が全焼」
私は王都から届いた報告書を読み上げ、静かにグラスを置いた。
「幸い死者は出なかったようですが、王家の財政は修繕費で完全に破綻。ジェラール殿下は廃嫡、ミリム様の実家である男爵家も取り潰し……、お二人は平民以下の身分に落とされ、修道院で一生償うことになったそうです」
「自業自得だな」
向かいの席で、グレン様が厚切りのベーコンを切り分けながら短く言った。
「煙突掃除を怠れば、タールが溜まって火を噴く。組織も人間関係も同じだ。日々の地味な積み重ねをサボったツケを一括で支払わされただけのこと」
「おっしゃる通りです。原因は煙道火災。私が最も警戒し、定期清掃を義務付けていた項目でしたから」
私は窓の外に広がる領地の夜景を眺めた。
街のあちこちから、穏やかな煙が立ち上っている。
それは破壊の煙ではなく、美味しい食事を作るための、営みの煙だ。
今やこのバルディア辺境伯領は、大陸中にその名を轟かせていた。
王都から逃げてきた職人たちが腕を振るい、農民たちは害獣や廃材を資源に変え、豊かな生活を手にしている。
食糧難に喘いでいた寒村は、私の知識とグレン様の統率力によって、国一番の豊かな土地へと生まれ変わったのだ。
「……ルシア」
グレン様がボトルを手に取り、私のグラスに琥珀色の液体を注いだ。
それは、私たちがここに来て最初に仕込んだ、特製の燻製ウイスキーだった。
「解禁日だ。……いい色になっただろう」
「……はい。美しい琥珀色です」
樽の香りと、微かな煙の香り。
口に含むと、角の取れたまろやかな味わいが広がり、喉の奥がカッと熱くなる。
若い原酒の刺々しさは消え、深く、複雑な余韻だけが残っていた。
「美味しい……。時間が、最高のスパイスになりましたね」
「ああ。俺たちの関係もな」
グレン様が優しく目を細める。
出会った頃の彼は、周囲から恐れられ、私も自身を壁のシミと自嘲していた。
けれど今は違う。
私たちは互いの欠けた部分を補い合い、時間をかけて信頼と愛情を醸成してきた。
「この領地も、あなたとの関係も、良い具合に熟成されてきましたね」
「フン、まだまだだ。これからもっと深い味になる。……俺は、お前と老人になるまで、この熟成を楽しむつもりだからな」
「気が早いですね。……でも、悪くないプランです」
私は照れくささを隠すように、フォークでベーコンを刺した。
噛みしめると、肉の旨味が口いっぱいに広がる。
派手さはない。
砂糖菓子のような甘さもない。
けれど、噛めば噛むほど味が出る、決して腐ることのない強さ。
それが、私が選んだ幸せの形だった。
「グレン様。明日からは、冬に備えて新しい保存食の開発を始めますよ」
「ああ、付き合おう。……だがその前に、今夜はもう少しだけ、この時間を楽しもう」
暖炉の火がパチパチと爆ぜる音を聞きながら、私たちはグラスを合わせた。
辺境から持ち帰った保存食も底をつき始め、王太子ジェラールはヒステリックに叫んだ。
「なんでもいいから作れ! ルシアがやっていたのだ、貴様らにできないわけがないだろう!」
その命令を受け、ミリムは煤だらけの顔で燻製窯の前に立っていた。
「もう! 煙たくて最悪ですわ!」
彼女はドレスの裾を汚しながら、手当たり次第に薪を窯に放り込んでいた。
そばに控えていた古参の下働きが、おずおずと声をかける。
「あ、あの……、ミリム様。そろそろ煙突の掃除をしませんと……。ルシア様がいらした頃は、三日に一度は必ず職人が入ってタールを削ぎ落としておりましたが」
王宮の巨大な燻製施設は、排煙ダクトも複雑だ。
そこに可燃性のタールや煤が蓄積すればどうなるか、職人なら誰でも知っている。
だが、ミリムは柳眉を逆立てて怒鳴りつけた。
「はあ? 掃除? そんな汚いこと、する必要なんてないわ! いいから、さっさと火を強めなさいよ!」
「で、ですが……、これ以上は危険です!」
「うるさい! 煙突なんて、煙が通るだけでしょ! 詰まるわけないじゃない!」
ミリムは警告を無視し、さらに松の薪をくべた。
窯の温度が急上昇し、勢いよく炎が立ち上る。
その火の粉が、煙突の奥へと吸い込まれていった――その直後だった。
不気味な重低音と共に、煙突内部から爆発的な炎が噴き出した。
「きゃあああ!?」
「だ、ダクト火災だー!!」
長期間放置され、分厚く堆積していたタールと煤に引火したのだ。
煙道火災。
その燃焼温度は1000度を超え、石造りの煙突すらひび割れさせる。
炎はダクトを伝って瞬く間に王宮の壁内を駆け巡り、上の階へと燃え広がった。
「火事だ! 火事だー!」
「消えない! 水をかけても消えないぞ!」
油分を含んだタールの火災は、水程度では消火できない。
王宮の尖塔から黒煙が上がり、美しかった白亜の壁がみるみるうちに黒く焼け焦げていく。
「嘘……、嘘よ……。ただ、お肉を焼こうとしただけなのに……」
ミリムはへたり込み、燃え盛る王宮を見上げた。
「な、なんだ、これは……。どうして、こんなことに……。まるで、ルシアを捨てたあの日の選択が間違っていたみたいじゃないか……」
駆けつけたジェラールもまた、呆然と立ち尽くしていた。
メンテナンスという地味な作業を軽視し、華やかな成果だけを求めた彼らの象徴たる城は、今まさに自らの業火によって崩れ落ちようとしていた。
*
王都での大火災から数日後。
辺境伯領の領主館では、静かで穏やかな夕食の時間が流れていた。
「……そうですか。王宮の東棟が全焼」
私は王都から届いた報告書を読み上げ、静かにグラスを置いた。
「幸い死者は出なかったようですが、王家の財政は修繕費で完全に破綻。ジェラール殿下は廃嫡、ミリム様の実家である男爵家も取り潰し……、お二人は平民以下の身分に落とされ、修道院で一生償うことになったそうです」
「自業自得だな」
向かいの席で、グレン様が厚切りのベーコンを切り分けながら短く言った。
「煙突掃除を怠れば、タールが溜まって火を噴く。組織も人間関係も同じだ。日々の地味な積み重ねをサボったツケを一括で支払わされただけのこと」
「おっしゃる通りです。原因は煙道火災。私が最も警戒し、定期清掃を義務付けていた項目でしたから」
私は窓の外に広がる領地の夜景を眺めた。
街のあちこちから、穏やかな煙が立ち上っている。
それは破壊の煙ではなく、美味しい食事を作るための、営みの煙だ。
今やこのバルディア辺境伯領は、大陸中にその名を轟かせていた。
王都から逃げてきた職人たちが腕を振るい、農民たちは害獣や廃材を資源に変え、豊かな生活を手にしている。
食糧難に喘いでいた寒村は、私の知識とグレン様の統率力によって、国一番の豊かな土地へと生まれ変わったのだ。
「……ルシア」
グレン様がボトルを手に取り、私のグラスに琥珀色の液体を注いだ。
それは、私たちがここに来て最初に仕込んだ、特製の燻製ウイスキーだった。
「解禁日だ。……いい色になっただろう」
「……はい。美しい琥珀色です」
樽の香りと、微かな煙の香り。
口に含むと、角の取れたまろやかな味わいが広がり、喉の奥がカッと熱くなる。
若い原酒の刺々しさは消え、深く、複雑な余韻だけが残っていた。
「美味しい……。時間が、最高のスパイスになりましたね」
「ああ。俺たちの関係もな」
グレン様が優しく目を細める。
出会った頃の彼は、周囲から恐れられ、私も自身を壁のシミと自嘲していた。
けれど今は違う。
私たちは互いの欠けた部分を補い合い、時間をかけて信頼と愛情を醸成してきた。
「この領地も、あなたとの関係も、良い具合に熟成されてきましたね」
「フン、まだまだだ。これからもっと深い味になる。……俺は、お前と老人になるまで、この熟成を楽しむつもりだからな」
「気が早いですね。……でも、悪くないプランです」
私は照れくささを隠すように、フォークでベーコンを刺した。
噛みしめると、肉の旨味が口いっぱいに広がる。
派手さはない。
砂糖菓子のような甘さもない。
けれど、噛めば噛むほど味が出る、決して腐ることのない強さ。
それが、私が選んだ幸せの形だった。
「グレン様。明日からは、冬に備えて新しい保存食の開発を始めますよ」
「ああ、付き合おう。……だがその前に、今夜はもう少しだけ、この時間を楽しもう」
暖炉の火がパチパチと爆ぜる音を聞きながら、私たちはグラスを合わせた。
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