断罪されていたはずなのですが、成り行きで辺境伯様に連れ去られた結果……。

水上

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第6話:濡れ衣のドレスとハンディキャップ理論

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 辺境伯領の夜会は、王都のそれとは空気が違っていた。

 質実剛健な気風の領民や地元の貴族たちが、リリアを遠巻きに見ている。
 好奇の目もあるが、王都のような露骨な敵意はない。

「……緊張します」

「私の後ろにいろ。空気抵抗が減って歩きやすいだろう」

 アルヴィスは不器用な冗談でリリアを庇いながら、ホールの中心へと進んだ。

 今日の彼は、いつもの白衣ではなく、仕立ての良い漆黒の礼服を身に纏っている。
 その姿は、黙っていれば息を飲むほど美しい深窓の貴公子だった(口を開けば変人だが)。

 リリアもまた、アルヴィスが用意してくれたドレスを着ていた。
 派手さはないが、淡い青色が彼女の清楚な魅力を引き立てている。
 少しずつ、会場の人々と挨拶を交わし始めた時だった。

 ざわっ、と人垣が割れ、強烈な香水の匂いが漂ってきた。

「まあ、なんて貧相なパーティーなのかしら。田舎の空気は肌に合わなくてよ」

 その声に、リリアの心臓が跳ねた。

 現れたのは、深紅のドレスを纏ったイザベラだった。
 王都での騒動のほとぼりを冷ますため、近くの親戚の屋敷に滞在しているとは聞いていたが、まさかこの会場に乗り込んでくるとは。

 彼女のドレスは異常だった。
 裾は床を埋め尽くすほど長く、背中には孔雀の羽を模した巨大な飾りが扇のように広がっている。
 歩くたびに周囲の人が避けなければならないほどの体積だ。

「イザベラ様……、どうしてここに」

「あら、リリアさん。ご挨拶ね。せっかく私が華を添えに来てあげたのよ?」

 イザベラは扇子で口元を隠して笑うと、すれ違いざまにリリアの耳元で囁いた。

「……泥棒猫にはお仕置きが必要ね」

 直後、彼女はわざとらしくよろめき、リリアの背後に回り込んだ。
 ビリッ、という不快な音が響く。

「あっ……!」

 リリアが背中に風を感じて振り返ると、ドレスの背中部分がざっくりと切り裂かれていた。
 白い肌が露わになり、周囲から悲鳴が上がる。

「まあ! なんてはしたない!」

 イザベラが大声を上げた。

「皆さん見まして? この女、私の気を引こうとして、自分でドレスを引き裂きましたわ! 同情を買うための自作自演ですわよ、恐ろしい!」

 周囲がざわつく。「まさか」「でも、あの噂の令嬢だし……」という疑念の声。
 リリアは背中を隠してうずくまった。

「ち、違います! 私は何も……!」

「嘘をおっしゃい! そのみすぼらしいドレスが嫌だったんでしょう? 私のこの素晴らしいドレスを見て、嫉妬したのね!」

 イザベラは孔雀のような背中の飾りを誇示するように、くるりと回ってみせた。
 リリアが涙目になったその時、バサリと温かい重みが肩にかかった。
 アルヴィスが着ていたジャケットだ。

「……アルヴィス様」

「露出面積を減らせ。体温が低下する」

 アルヴィスはリリアの肩を抱くと、冷徹な視線をイザベラに向けた。

「ほう。それが君の言う素晴らしいドレスか」

「ええ、そうよ辺境伯! この圧倒的なボリューム、豪華な装飾! これこそが選ばれた女性の証、美の頂点ですわ!」

 胸を張るイザベラに対し、アルヴィスは鼻で笑った。

「滑稽だな。それはまさにハンディキャップ理論の実証例だ」

「はん……、でぃ?」

「生物学において、オスの孔雀がなぜあんなに長くて邪魔な尾羽を持っているか知っているか? あれは『僕はこんなに動きにくくて目立つ重荷(ハンディキャップ)を背負っていても、捕食者に食べられずに生き残れるほど優秀な遺伝子を持っているんだ』という、メスへの命がけのアピールだ」

 アルヴィスはイザベラの巨大なドレスを指差した。

「つまり、君のその過剰で動きにくい装飾は、『私はこんなに無駄なコストを支払っても生きていける』という虚勢(コストリー・シグナリング)に過ぎない。だが、自然界においてハンディキャップは同時に、捕食者に狙われやすいという致命的なリスクも意味する」

 アルヴィスは一歩近づく。

「君のその恰好は、自信の表れではない。自分の中身のなさを誤魔化すために、必死で『私は強い』と叫んでいる、怯えた小鳥の威嚇行動だ。……隙だらけだよ」

「な、何を訳のわからないことを……っ! 論点をずらさないで! ドレスを切り裂いたのは彼女よ!」

 イザベラが叫ぶ。   
 アルヴィスは足元に落ちていた銀色の何かを拾い上げた。
 それは小さなハサミだった。

「これが凶器だな。イザベラ、君のドレスの裾のフリルの中に隠しポケットがあるね?」

「っ!? し、知らないわ!」

「ほう、知らないか」

 アルヴィスはハサミをイザベラの顔の前に突きつけた。

「今、君の瞳孔が急激に散大した。さらに、鼻頭と額に微細な発汗が見られる。皮膚コンダクタンス反応だ」

「は、はぁ!?」

「人間は嘘をついたり、隠し事がバレそうになったりして動揺すると、自律神経が反応して微量の汗をかく。皮膚の電気伝導度が変化するんだが……、まあ、測定器なしでも君ほどわかりやすい反応なら目視で十分だ」

 アルヴィスは冷ややかに告げた。

「口では否定しても、君の体は正直に『私がやりました』と自白しているぞ。脳からのストレス信号が、汗腺を通じてダダ漏れだ」

 イザベラの顔が真っ赤になり、次いで青ざめた。

 彼女の手が震え、思わず自分のドレスのポケットを隠すような仕草をしてしまう。それが決定打だった。

「……っ、覚えてらっしゃい!」

 論理的にも心理的にも丸裸にされたイザベラは、巨大なドレスの裾を踏んづけて盛大に転びそうになりながら、逃げるように会場を去っていった。

 静まり返る会場。
 アルヴィスは、リリアに向き直ると、ジャケットの前をしっかりと合わせて彼女の体を隠した。

「怪我はないか? ……全く、非論理的な生き物は害悪だな」

「アルヴィス様……」

 リリアは彼を見上げた。

 また、助けてくれた。
 感情論で責め立てられる恐怖を、この人は理屈という盾で防いでくれる。

「あの、ドレスが……」

「問題ない。布切れの損壊など、君の表皮が無事なら誤差の範囲だ」

 そう言って、彼は少しだけぎこちなく、リリアの背中に手を回した。

「帰るぞ。君の心拍数を正常値に戻すために、ホットミルクと……、その、もう一度グルーミングが必要かもしれないな」

 その不器用な優しさに、リリアは涙を拭いて微笑んだ。

「はい……、お願いします」
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