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第8話:模倣されたドレスとベイツ型擬態
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辺境伯邸での生活にも慣れてきた頃、珍しい客が訪れた。
王都から来たという服飾商人だ。
彼は「辺境の地で暮らすリリア様のために」と、最新の流行品を大量に持ち込んできたのである。
「さあさあ、ご覧ください! これがいま王都で最も話題のブランド、ローズ・コレクションの新作ドレスです!」
商人が誇らしげに広げたカタログと実物のドレスを見て、リリアは息を呑んだ。
エントランスホールのソファで、紅茶を飲んでいたアルヴィスも、ふと顔を上げる。
そこに並んでいたのは、斬新な切り替えが入った乗馬服や、動きやすさを重視した活動的なドレスだった。
だが、リリアが驚いたのはその美しさではない。
「これ……、私が描いたデザイン……」
リリアの手から、持っていたトレイが滑り落ちそうになった。
間違いない。
それはリリアが王宮にいた頃、いつか自由になれたら着てみたいと夢見て、スケッチブックに書き溜めていたデザインそのものだった。
婚約破棄されて追い出された際、部屋に置き忘れてきてしまったものだ。
「おや? リリア様、何か勘違いをされているようですが」
商人は鼻で笑った。
「これはあのイザベラ・ローズ様が、ご自身の溢れる才能で生み出したオリジナル・ブランドですよ。イザベラ様はこう仰っていました。『かつて私の侍女だった平民上がりの娘が、真似をして汚い落書きを描いていたけれど、私が洗練されたデザインに昇華させてあげたの』とね」
「そ、そんな……! これは私が機能性を考えて……!」
「はっはっは、平民出身の貴女が、こんな高貴な発想を持てるはずがないでしょう? 盗人猛々しいとはこのことですな」
商人の言葉は容赦がなかった。
リリアは唇を噛み締めた。
悔しい。
けれど、「平民だから」「侍女だったから」という理由だけで、自分の言葉は誰にも届かない。
王都ではいつもそうだった。
自分の言葉より、イザベラの嘘の方が真実として扱われる。
商人は勝ち誇ったように、アルヴィスに向かって揉み手を擦り合わせた。
「辺境伯様もそう思われませんか? この素晴らしいドレス、リリア様のために一着いかがでしょう。今ならイザベラ様のサイン入りで……」
「……不愉快だ」
低い声が、商人のセールストークを遮った。
アルヴィスは立ち上がると、商人が広げたドレスを汚いものでも見るように摘み上げた。
「辺境伯様?」
「このドレスは、ただのゴミだ。それも、生態系を乱す悪質な」
アルヴィスはドレスを放り捨てると、商人を鋭く睨みつけた。
「まず、君のその思考プロセスは論理学における発生論の誤謬に陥っている」
「は、はっせい……?」
「『平民出身だから優れたアイディアを出せない』『高貴な令嬢だから正しい』というのは、アイディアの起源(誰が作ったか)で価値を判断する差別的なバイアスだ。アイディアの価値は、その論理性と実用性のみによって評価されるべきだ」
アルヴィスはリリアの隣に立ち、彼女の震える背中に手を置いた。
「リリア。君がこれを描いた時の設計思想(コンセプト)を言ってみろ」
「えっ……、あ、はい。そのドレスは、腕を上げた時に袖がつっかえないように、脇の下に立体裁断を入れています。あと、ボタンは片手でも外せるように特殊なフックを使っていて……」
リリアが説明すると、アルヴィスは頷き、床に落ちたドレスを指差した。
「聞いたか、商人。だが、このイザベラ製とやらのドレスはどうだ?」
アルヴィスはドレスの脇の下を指で弾いた。
「ただの布の切り替えに見えるが、立体裁断にはなっていない。これでは腕を上げた瞬間に生地が突っ張って破れる。さらにボタンは……、見た目だけ似せた安っぽい飾りボタンだな。これでは着脱に倍の時間がかかる」
「うっ……、そ、それは……、ファッション性を重視して……」
「いいや、これはベイツ型擬態だ」
アルヴィスは吐き捨てるように言った。
「毒を持たない弱い昆虫(アブなど)が、毒を持つ強い昆虫(ハチ)の色や模様を真似て、捕食者から身を守る現象だ。イザベラは、リリアのデザインという機能的で優れた本物の表面だけを模倣し、自分を才能あるデザイナーに見せかけているだけだ」
彼は冷徹に分析を続ける。
「だが、中身は空っぽだ。彼女はなぜその形なのかという機能美を理解していない。だから形だけ真似て、機能性を殺した劣化コピーを量産した。……これを洗練と呼ぶなら、君の目は節穴ではなくブラックホールだな」
商人は脂汗を流して後ずさった。
アルヴィスはリリアの頭に手を置き、優しく撫でた。
「リリア。君のデザインは、人間工学に基づいた素晴らしい論理的構造を持っていた。盗まれたことを嘆く必要はない。模倣されるということは、君が生物として強者(モデル)であることの証明だ」
「アルヴィス様……」
「それに、こんな劣化コピーはすぐに淘汰される。機能しない道具は、生存競争に勝てないからな」
アルヴィスは商人に冷たい視線を戻した。
「そのゴミを持って失せろ。二度と私の敷居を跨ぐな。それと、イザベラに伝言だ。『寄生虫は宿主がいなくなれば死ぬ運命だ』とな」
「ひ、ひいいっ!」
商人はドレスを抱えて逃げ出した。
静かになったホールで、リリアは涙を拭った。
「……ありがとうございます。私、悔しくて……」
「気にするな。オリジナルは君だ。それに」
アルヴィスは少し悪戯っぽく口角を上げた。
「君のデザイン、悪くない。私の実験用白衣も、君に再設計を頼もうかと思っていたところだ」
それは、彼なりの最大の賛辞だった。
リリアは濡れた瞳で、満面の笑みを浮かべた。
「はい! 喜んでお作りします!」
模倣は最大の称賛であり、同時に敗北宣言でもある。
リリアはこの日、自分の才能がアルヴィスに認められたという自信を、確かに胸に刻んだのだった。
王都から来たという服飾商人だ。
彼は「辺境の地で暮らすリリア様のために」と、最新の流行品を大量に持ち込んできたのである。
「さあさあ、ご覧ください! これがいま王都で最も話題のブランド、ローズ・コレクションの新作ドレスです!」
商人が誇らしげに広げたカタログと実物のドレスを見て、リリアは息を呑んだ。
エントランスホールのソファで、紅茶を飲んでいたアルヴィスも、ふと顔を上げる。
そこに並んでいたのは、斬新な切り替えが入った乗馬服や、動きやすさを重視した活動的なドレスだった。
だが、リリアが驚いたのはその美しさではない。
「これ……、私が描いたデザイン……」
リリアの手から、持っていたトレイが滑り落ちそうになった。
間違いない。
それはリリアが王宮にいた頃、いつか自由になれたら着てみたいと夢見て、スケッチブックに書き溜めていたデザインそのものだった。
婚約破棄されて追い出された際、部屋に置き忘れてきてしまったものだ。
「おや? リリア様、何か勘違いをされているようですが」
商人は鼻で笑った。
「これはあのイザベラ・ローズ様が、ご自身の溢れる才能で生み出したオリジナル・ブランドですよ。イザベラ様はこう仰っていました。『かつて私の侍女だった平民上がりの娘が、真似をして汚い落書きを描いていたけれど、私が洗練されたデザインに昇華させてあげたの』とね」
「そ、そんな……! これは私が機能性を考えて……!」
「はっはっは、平民出身の貴女が、こんな高貴な発想を持てるはずがないでしょう? 盗人猛々しいとはこのことですな」
商人の言葉は容赦がなかった。
リリアは唇を噛み締めた。
悔しい。
けれど、「平民だから」「侍女だったから」という理由だけで、自分の言葉は誰にも届かない。
王都ではいつもそうだった。
自分の言葉より、イザベラの嘘の方が真実として扱われる。
商人は勝ち誇ったように、アルヴィスに向かって揉み手を擦り合わせた。
「辺境伯様もそう思われませんか? この素晴らしいドレス、リリア様のために一着いかがでしょう。今ならイザベラ様のサイン入りで……」
「……不愉快だ」
低い声が、商人のセールストークを遮った。
アルヴィスは立ち上がると、商人が広げたドレスを汚いものでも見るように摘み上げた。
「辺境伯様?」
「このドレスは、ただのゴミだ。それも、生態系を乱す悪質な」
アルヴィスはドレスを放り捨てると、商人を鋭く睨みつけた。
「まず、君のその思考プロセスは論理学における発生論の誤謬に陥っている」
「は、はっせい……?」
「『平民出身だから優れたアイディアを出せない』『高貴な令嬢だから正しい』というのは、アイディアの起源(誰が作ったか)で価値を判断する差別的なバイアスだ。アイディアの価値は、その論理性と実用性のみによって評価されるべきだ」
アルヴィスはリリアの隣に立ち、彼女の震える背中に手を置いた。
「リリア。君がこれを描いた時の設計思想(コンセプト)を言ってみろ」
「えっ……、あ、はい。そのドレスは、腕を上げた時に袖がつっかえないように、脇の下に立体裁断を入れています。あと、ボタンは片手でも外せるように特殊なフックを使っていて……」
リリアが説明すると、アルヴィスは頷き、床に落ちたドレスを指差した。
「聞いたか、商人。だが、このイザベラ製とやらのドレスはどうだ?」
アルヴィスはドレスの脇の下を指で弾いた。
「ただの布の切り替えに見えるが、立体裁断にはなっていない。これでは腕を上げた瞬間に生地が突っ張って破れる。さらにボタンは……、見た目だけ似せた安っぽい飾りボタンだな。これでは着脱に倍の時間がかかる」
「うっ……、そ、それは……、ファッション性を重視して……」
「いいや、これはベイツ型擬態だ」
アルヴィスは吐き捨てるように言った。
「毒を持たない弱い昆虫(アブなど)が、毒を持つ強い昆虫(ハチ)の色や模様を真似て、捕食者から身を守る現象だ。イザベラは、リリアのデザインという機能的で優れた本物の表面だけを模倣し、自分を才能あるデザイナーに見せかけているだけだ」
彼は冷徹に分析を続ける。
「だが、中身は空っぽだ。彼女はなぜその形なのかという機能美を理解していない。だから形だけ真似て、機能性を殺した劣化コピーを量産した。……これを洗練と呼ぶなら、君の目は節穴ではなくブラックホールだな」
商人は脂汗を流して後ずさった。
アルヴィスはリリアの頭に手を置き、優しく撫でた。
「リリア。君のデザインは、人間工学に基づいた素晴らしい論理的構造を持っていた。盗まれたことを嘆く必要はない。模倣されるということは、君が生物として強者(モデル)であることの証明だ」
「アルヴィス様……」
「それに、こんな劣化コピーはすぐに淘汰される。機能しない道具は、生存競争に勝てないからな」
アルヴィスは商人に冷たい視線を戻した。
「そのゴミを持って失せろ。二度と私の敷居を跨ぐな。それと、イザベラに伝言だ。『寄生虫は宿主がいなくなれば死ぬ運命だ』とな」
「ひ、ひいいっ!」
商人はドレスを抱えて逃げ出した。
静かになったホールで、リリアは涙を拭った。
「……ありがとうございます。私、悔しくて……」
「気にするな。オリジナルは君だ。それに」
アルヴィスは少し悪戯っぽく口角を上げた。
「君のデザイン、悪くない。私の実験用白衣も、君に再設計を頼もうかと思っていたところだ」
それは、彼なりの最大の賛辞だった。
リリアは濡れた瞳で、満面の笑みを浮かべた。
「はい! 喜んでお作りします!」
模倣は最大の称賛であり、同時に敗北宣言でもある。
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