断罪されていたはずなのですが、成り行きで辺境伯様に連れ去られた結果……。

水上

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第50話:論理を超えた奇跡

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 プロポーズから5年の月日が流れた。
 グレンデル辺境伯領は、目覚ましい発展を遂げていた。

 アルヴィスの指導による農業改革は実を結び、かつてない豊作が続いている。
 さらに、リリアが考案した生活改善の知恵が広まり、領民たちの笑顔が絶えない都として知られるようになっていた。

 そして、辺境伯邸の一室――かつては殺風景な研究室だった場所は、今や柔らかな色の絨毯が敷き詰められた子供部屋へと変貌していた。

「……不可解だ。実に不可解だ」

 アルヴィスは眉間に深い皺を寄せ、ベビーベッドの中を覗き込んでいた。
 彼の手には分厚い育児書と、最新の魔導計測器が握られている。

「室温24度、湿度50%。オムツの水分量はゼロ。空腹を示す血糖値の低下も見られない。全てのパラメータは正常値を示している」

 彼は困惑しきった顔で、ベッドの中で手足をバタつかせている小さな生き物を見つめた。

「だというのに、なぜこの生命体は泣き止まないのだ? 私の論理的推論に欠陥があるというのか?」

 「うあぁぁーん!」と元気な泣き声を上げているのは、二人の間に生まれた長男、アルフレッドだ。
 黒髪は父親譲りだが、垂れ目の優しい瞳は母親そっくりの、愛らしい男の子である。

 そこへ、ミルクの準備を終えたリリアが入ってきた。

「ふふ、どうしましたか? パパさん」

「リリア! 救援を頼む。彼が発する周波数が、私の思考回路を混乱させている」

 アルヴィスが縋るように言うと、リリアは計測器を彼の魔手から取り上げ、慣れた手つきで息子を抱き上げた。

「よしよし、アル君。パパの難しい顔が怖かったね~」

 リリアが背中をトントンと優しく叩きながら揺らすと、不思議なことにアルフレッドの泣き声はピタリと止んだ。
 それどころか、「キャッ!」と声を上げて無邪気な笑顔を見せる。

「な……っ!?」

 アルヴィスは眼鏡がずり落ちるほど驚愕した。

「なぜだ!? 私が計算した抱っこの角度と、君の抱っこに物理的な差異はほとんどないはずだ。振動数も最適化したのに……、なぜ君だと笑う!?」

「それはですね、アルヴィス様」

 リリアは悪戯っぽく微笑んだ。

「愛という隠しパラメータの差です」
「愛……、またその非科学的な変数か……」

 アルヴィスは悔しそうに唸ったが、リリアは息子を彼に差し出した。

「ほら、パパももう一度。今度は計算なんてしないで、ただ、可愛いなって思って抱っこしてあげてください」

「む……」

 恐る恐る、アルヴィスは我が子を受け取った。

 ずしりとした重み。
 温かい体温。
 ミルクの甘い匂い。

 腕の中の小さな命が、彼を見上げてニパッと笑った。
 その瞳には、父親への全幅の信頼が宿っている。

 アルヴィスの心臓が、大きく跳ねた。

「……っ」

 思考が停止する。
 どんな難解な論文を読んだ時よりも、どんな大発見をした時よりも、脳内が真っ白になり、そして温かいもので満たされていく。

「……危険だ」

 アルヴィスは震える声で呟いた。

「この笑顔の破壊力は、既存の学術では説明不可能だ。私の脳内報酬系が暴走し、オキシトシンとドーパミンが致死量レベルで分泌されている」

 彼は愛おしそうに、息子の柔らかな頬に自分の頬を寄せた。

「君の可愛さは論理的ではない。……反則だ」

 そのデレデレな様子を見て、リリアは声を上げて笑った。

「ふふっ。天才科学者様も、自分の子供には勝てませんね」

「ああ、完敗だ。この子の解析には、一生かかっても足りないだろうな」

 アルヴィスは降参したように笑い、リリアの肩を引き寄せた。

 三人の体温が重なり合う。
 窓の外には、二人が守り、育んできた美しい領地の景色が広がっていた。

 かつて、「感情はノイズだ」と言い切っていた論理の怪物はもういない。
 ここにいるのは、解けない謎を愛し、不確定な未来を楽しむ、一人の幸せな夫であり、父親だった。

「リリア。君に改めて感謝する」

「え?」

「君というバグが、私の世界をこんなにも彩ってくれた。……私の人生の計算式に、君たちがいてくれて本当によかった」

 リリアは幸せそうに目を細め、彼の胸に寄り添った。

「はい。私も、貴方という解を見つけられて幸せです」

 論理と感情。
 相反する二つが織りなす数式は、これからもきっと、愛という名の無限の解を導き出し続けるだろう。
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