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第9話:枯渇する化粧水と酒粕の奇跡
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乾燥した空気は、女性たちの肌にとって最大の敵となる。
それは、華やかな王都の社交界においても例外ではなかった。
「……ねえ、マリアンヌ様。例の化粧水、まだ手に入りませんの?」
王宮で開かれたお茶会。
本来なら優雅な談笑が交わされる場だが、今日集まった貴婦人たちの顔色は優れなかった。
肌はカサつき、厚塗りのファンデーションが粉を吹いている。
中心に座るマリアンヌは、引きつった笑顔だった。
「も、申し訳ありませんわ。あれは、特別な素材を私が精製するものですから……、少々お時間がかかっておりまして」
「でも、先月いただいたボトル、中身がただの水ではありませんでした?」
「そ、そんなはずは! きっと純度が高すぎて、水のように透明になったのですわ!」
苦しい言い訳に、貴婦人たちの視線が冷たくなる。
かつて、このお茶会では奇跡の化粧水が振る舞われていた。
使うだけで肌が内側から潤い、シミが薄くなると評判だったのだ。
マリアンヌは「私が開発しました」と自分の手柄にしていたが、実際はエリアナが実験の副産物(コメ発酵液)を精製し、実家の在庫として保管していたものだった。
エリアナが追放され、在庫が底をついた今、マリアンヌには製造方法など分かるはずもない。
焦った彼女は、空になった容器に適当な井戸水を詰めて配っていたのだ。
「ああ、肌がヒリヒリするわ……」
「今までこんなことなかったのに」
「本当にマリアンヌ様が作ったのかしら?」
ひそひそと交わされる疑惑の声。
同席していた王太子テオドールは、愛する婚約者が責められるのを見て顔を赤くした。
「ええい、静まれ! マリアンヌは多忙なのだ! たかが肌荒れごときで騒ぐな。化粧で隠せばよかろう!」
そのデリカシーのない発言が、貴婦人たちの心を完全に凍らせたことを、彼はまだ気づいていなかった。
*
一方、極寒の辺境、ダリウス城。
外は王都よりも遥かに厳しい寒さと乾燥に晒されているが、城内の女性たちの肌は、なぜか艶めいていた。
「奥様、見てください! 私の手、こんなにスベスベになりました!」
「あら、私もですわ! 踵のひび割れも治りました!」
メイドたちが嬉々として報告に来る。
エリアナは満足げに、彼女たちの手を観察した。
「素晴らしい浸透圧効果ですね。角質層の水分保持能力が劇的に向上しています」
彼女たちの美肌の秘密。
それは、厨房の片隅に置かれた白い塊にあった。
甘酒を作る過程で搾り出されるカス――酒粕である。
数日前、エリアナは洗濯係のメイドの手が、あかぎれで血が滲んでいるのを目撃した。
冷たい水仕事と乾燥。
ハンドクリームなど高級品で手に入らない辺境では、それは仕方のないことと諦められていた。
だが、エリアナは諦めなかった。
「酒粕を捨てるなんてとんでもない! あれは食べる美容液であり塗る美容液なのです!」
彼女は酒粕を精製水で溶き、少しの蜂蜜を加えた特製酒粕パックを開発した。
酒粕に含まれるコウジ酸はメラニンの生成を抑えてシミを防ぎ、豊富に含まれるアミノ酸やセラミドは、肌の保湿力を高める。
さらに酵母の力で古い角質も優しく除去してくれるのだ。
「まさか、お酒のカスがこんなに効くなんて……」
「王都の高級クリームより凄いです!」
メイドたちは余った酒粕を持ち帰り、顔や手足に塗りたくった。
その結果、ダリウス城の使用人たちは、貴族令嬢も羨む雪のような白肌を手に入れていたのである。
その夜、執務室にて。
エリアナが帳簿の整理をしていると、ギルバートが書類から顔を上げた。
「……最近、城の女たちの機嫌がいいな」
「はい。肌トラブルが解消されたことで、精神的なストレス値が低下したようです」
「お前の酒粕とかいうやつの効果か」
ギルバートは立ち上がり、エリアナのそばへと歩み寄った。
そして無言で、彼女の頬に手を伸ばす。
「か、閣下?」
「……お前も、使っているのか?」
武骨な指先が、エリアナの白い頬をそっと撫でた。
「ええ、まあ。実験も兼ねて使用していますが……」
「……凄いな」
ギルバートの指が、頬から顎のラインをなぞる。
その感触があまりに心地よかったのか、彼は無意識のうちに、何度も親指で彼女の頬を摩っていた。
「赤ちゃんの肌みたいだ。ずっと触っていたくなる」
「っ……!」
エリアナの顔がボッと赤くなる。
至近距離で見下ろす金色の瞳。
触れられる熱。
これは、いわゆる愛のスキンシップというやつでは――?
(い、いえ、落ち着くのですエリアナ! これは診察です!)
エリアナは混乱する思考を無理やり科学の枠に押し込んだ。
「あ、あの! 弾力の確認でしょうか? ご安心ください、むくみではありません! コラーゲン繊維の網目構造もしっかり維持されていますから、腎機能に障害はないはずです!」
「…………」
ギルバートの手がピタリと止まった。
ロマンチックな空気を腎機能という単語で粉砕された彼は、深い、深い深呼吸をした。
「……そうか。腎臓が元気で何よりだ」
彼は少しだけ力を込めて、ムニッとエリアナの頬をつねった。
「うぐっ」
「だが、俺が確認したいのは医学的な所見じゃない。……その、なんだ。柔らかくて気持ちいいから触っているだけだ」
「は、はあ……。触覚的な快感への欲求、ということでしょうか?」
ギルバートは「全く、この鈍感娘が」とでも言いたげに鼻を鳴らしたが、その手は結局、エリアナが「仕事に戻ります」と言うまで、彼女の頬から離れることはなかった。
王都の貴婦人たちが乾燥とシワに悲鳴を上げている頃、辺境の城では、酒粕の香りと甘い空気が、静かに醸成されていたのである。
それは、華やかな王都の社交界においても例外ではなかった。
「……ねえ、マリアンヌ様。例の化粧水、まだ手に入りませんの?」
王宮で開かれたお茶会。
本来なら優雅な談笑が交わされる場だが、今日集まった貴婦人たちの顔色は優れなかった。
肌はカサつき、厚塗りのファンデーションが粉を吹いている。
中心に座るマリアンヌは、引きつった笑顔だった。
「も、申し訳ありませんわ。あれは、特別な素材を私が精製するものですから……、少々お時間がかかっておりまして」
「でも、先月いただいたボトル、中身がただの水ではありませんでした?」
「そ、そんなはずは! きっと純度が高すぎて、水のように透明になったのですわ!」
苦しい言い訳に、貴婦人たちの視線が冷たくなる。
かつて、このお茶会では奇跡の化粧水が振る舞われていた。
使うだけで肌が内側から潤い、シミが薄くなると評判だったのだ。
マリアンヌは「私が開発しました」と自分の手柄にしていたが、実際はエリアナが実験の副産物(コメ発酵液)を精製し、実家の在庫として保管していたものだった。
エリアナが追放され、在庫が底をついた今、マリアンヌには製造方法など分かるはずもない。
焦った彼女は、空になった容器に適当な井戸水を詰めて配っていたのだ。
「ああ、肌がヒリヒリするわ……」
「今までこんなことなかったのに」
「本当にマリアンヌ様が作ったのかしら?」
ひそひそと交わされる疑惑の声。
同席していた王太子テオドールは、愛する婚約者が責められるのを見て顔を赤くした。
「ええい、静まれ! マリアンヌは多忙なのだ! たかが肌荒れごときで騒ぐな。化粧で隠せばよかろう!」
そのデリカシーのない発言が、貴婦人たちの心を完全に凍らせたことを、彼はまだ気づいていなかった。
*
一方、極寒の辺境、ダリウス城。
外は王都よりも遥かに厳しい寒さと乾燥に晒されているが、城内の女性たちの肌は、なぜか艶めいていた。
「奥様、見てください! 私の手、こんなにスベスベになりました!」
「あら、私もですわ! 踵のひび割れも治りました!」
メイドたちが嬉々として報告に来る。
エリアナは満足げに、彼女たちの手を観察した。
「素晴らしい浸透圧効果ですね。角質層の水分保持能力が劇的に向上しています」
彼女たちの美肌の秘密。
それは、厨房の片隅に置かれた白い塊にあった。
甘酒を作る過程で搾り出されるカス――酒粕である。
数日前、エリアナは洗濯係のメイドの手が、あかぎれで血が滲んでいるのを目撃した。
冷たい水仕事と乾燥。
ハンドクリームなど高級品で手に入らない辺境では、それは仕方のないことと諦められていた。
だが、エリアナは諦めなかった。
「酒粕を捨てるなんてとんでもない! あれは食べる美容液であり塗る美容液なのです!」
彼女は酒粕を精製水で溶き、少しの蜂蜜を加えた特製酒粕パックを開発した。
酒粕に含まれるコウジ酸はメラニンの生成を抑えてシミを防ぎ、豊富に含まれるアミノ酸やセラミドは、肌の保湿力を高める。
さらに酵母の力で古い角質も優しく除去してくれるのだ。
「まさか、お酒のカスがこんなに効くなんて……」
「王都の高級クリームより凄いです!」
メイドたちは余った酒粕を持ち帰り、顔や手足に塗りたくった。
その結果、ダリウス城の使用人たちは、貴族令嬢も羨む雪のような白肌を手に入れていたのである。
その夜、執務室にて。
エリアナが帳簿の整理をしていると、ギルバートが書類から顔を上げた。
「……最近、城の女たちの機嫌がいいな」
「はい。肌トラブルが解消されたことで、精神的なストレス値が低下したようです」
「お前の酒粕とかいうやつの効果か」
ギルバートは立ち上がり、エリアナのそばへと歩み寄った。
そして無言で、彼女の頬に手を伸ばす。
「か、閣下?」
「……お前も、使っているのか?」
武骨な指先が、エリアナの白い頬をそっと撫でた。
「ええ、まあ。実験も兼ねて使用していますが……」
「……凄いな」
ギルバートの指が、頬から顎のラインをなぞる。
その感触があまりに心地よかったのか、彼は無意識のうちに、何度も親指で彼女の頬を摩っていた。
「赤ちゃんの肌みたいだ。ずっと触っていたくなる」
「っ……!」
エリアナの顔がボッと赤くなる。
至近距離で見下ろす金色の瞳。
触れられる熱。
これは、いわゆる愛のスキンシップというやつでは――?
(い、いえ、落ち着くのですエリアナ! これは診察です!)
エリアナは混乱する思考を無理やり科学の枠に押し込んだ。
「あ、あの! 弾力の確認でしょうか? ご安心ください、むくみではありません! コラーゲン繊維の網目構造もしっかり維持されていますから、腎機能に障害はないはずです!」
「…………」
ギルバートの手がピタリと止まった。
ロマンチックな空気を腎機能という単語で粉砕された彼は、深い、深い深呼吸をした。
「……そうか。腎臓が元気で何よりだ」
彼は少しだけ力を込めて、ムニッとエリアナの頬をつねった。
「うぐっ」
「だが、俺が確認したいのは医学的な所見じゃない。……その、なんだ。柔らかくて気持ちいいから触っているだけだ」
「は、はあ……。触覚的な快感への欲求、ということでしょうか?」
ギルバートは「全く、この鈍感娘が」とでも言いたげに鼻を鳴らしたが、その手は結局、エリアナが「仕事に戻ります」と言うまで、彼女の頬から離れることはなかった。
王都の貴婦人たちが乾燥とシワに悲鳴を上げている頃、辺境の城では、酒粕の香りと甘い空気が、静かに醸成されていたのである。
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