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第17話:涙の成分分析と退場
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翌朝。
ダリウス城の正門前には、どこか物悲しい風が吹いていた。
雪はやんでいたが、どんよりとした曇り空は、これから王都へ強制送還される二人の未来を暗示しているようだった。
王家の紋章が入った馬車の前で、ボロボロになったドレスを纏ったマリアンヌが、最後の悪あがきを見せていた。
「いやぁ! 嫌ですわ! こんなボロ馬車に乗るなんて!」
彼女は馬車の扉にしがみつき、騎士の手を振り払おうと必死に抵抗していた。
その横では、テオドールが顔面蒼白で立ち尽くしている。
昨夜、エリアナに復縁は不可能と断言され、さらに横領の事実まで突きつけられ、完全に心が折れてしまったらしい。
「お願いします、辺境伯様! エリアナ様! 私、改心しますから! ここで働かせてください!」
マリアンヌがくるりと振り返り、見送りに来たエリアナとギルバートに向かって、その場に崩れ落ちた。
土下座に近い体勢。
そして、彼女の大きな瞳から、ポロポロと大粒の涙がこぼれ落ちる。
「うっ……、うぅ……。私、知らなかったんです……。商会の人に騙されていただけなんです……。こんなか弱い私を、寒い王都の牢獄に送るなんて、あまりに無慈悲ではありませんか……?」
彼女は震える肩を抱き、上目遣いで訴えかける。
その姿は、芝居がかってはいるが、守ってあげたくなるような儚さを演出していた。
かつて王都の社交界では、この涙一つで多くの貴族令息を味方につけ、エリアナを孤立させてきたのだ。
「……テオドール様も、何か仰ってください! 私たち、愛し合っていたじゃありませんか!」
マリアンヌがすがるが、テオドールは虚ろな目で「……胃が痛い」と呟くだけだ。
彼女は舌打ちしそうになるのを堪え、再びエリアナに向き直った。
「エリアナ様ぁ……! 同じ女性なら分かりますでしょう? 私、ただ愛されたかっただけなんです……! うっ、ひっ、ぐすん……」
嗚咽が響く。
騎士たちも、か弱い女性の涙を見て、少しだけ気まずそうに視線を彷徨わせた。
同情を引くための完璧な涙。
だが、エリアナは無表情のまま、懐からハンカチ……、ではなく、メモ帳を取り出した。
エリアナはマリアンヌの前に歩み寄り、しゃがみ込んだ。
そして、彼女の頬を伝う涙を、まるで実験対象を見るような冷徹な眼差しで観察した。
「エ、エリアナ様……? 許してくださいますの……?」
マリアンヌが希望を見出したように顔を上げる。
しかし、エリアナの口から出た言葉は、慈悲ではなく分析結果だった。
「……素晴らしい分泌量ですね。副交感神経が刺激され、涙腺から大量の液体が放出されています」
エリアナは眼鏡のブリッジを中指で押し上げ、淡々と告げた。
「ですが、マリアンヌ様。涙は所詮、水分と塩分の排出にすぎません」
「え……?」
「その成分の98%は水。残りはナトリウム、カリウム、アルブミンなどのタンパク質。……つまり、あなたが今流しているのは、体内の水分バランスを調整するための排泄物と同義です」
エリアナは立ち上がり、冷ややかに彼女を見下ろした。
「泣いたところで、横領したお金は戻りません。カビたチーズも元には戻りません。そして、失った信用も回復しません。……あなたのその涙には、生産性も、解決策も、何一つ含まれていませんよ」
マリアンヌの表情が凍りついた。
感情に訴える最強の武器を、ただの塩水と定義され、無効化されたのだ。
エリアナは踵を返した。
それが最後通告だった。
「……連れて行け」
ギルバートが短く命じる。
騎士たちが躊躇なくマリアンヌの腕を掴み、馬車へと押し込んだ。
「い、いやぁぁぁ! 離して! 私は被害者なのよぉぉ!」
扉が閉められ、鍵がかけられる。
テオドールも、半ば自ら逃げ込むように馬車に乗り込んだ。
彼にとって、エリアナの冷たい視線とギルバートの殺気に晒されるよりは、揺れる馬車の方がまだマシだったのだろう。
御者が鞭を振るう。
馬車は雪道を、王都へ向かって重々しく走り出した。
窓からマリアンヌの叫び声が聞こえていたが、やがて風の音にかき消され、何も聞こえなくなった。
「……終わったな」
ギルバートがぽつりと呟いた。
エリアナは遠ざかる馬車を見つめ、小さく息を吐いた。
「はい。……あの馬車の中は、きっと湿度が高くてカビやすいでしょうね。彼らが王都に着く頃には、互いの責任をなすりつけ合って、さらに腐敗が進んでいることでしょう」
「毒舌だな、お前は」
ギルバートは苦笑し、エリアナの肩を抱き寄せた。
その体温は温かく、安心感に満ちていた。
「よくやった、エリアナ。……お前のその、感情に流されない強さに、俺たちは救われたんだ」
「強さ、ですか? 私はただ、非効率なことが嫌いなだけで……」
言い訳しようとするエリアナを、ギルバートは強い力で抱きしめた。
雪の残る城門の前。
冷たい空気の中で、互いの鼓動だけが温かい。
「……計算高いお前も悪くない」
ギルバートが耳元で囁く。
「だが、俺の前では無理に計算しなくていい。……泣きたい時は泣けばいいし、笑いたい時は笑えばいい。俺が全部、受け止めてやる」
「……」
エリアナは目を瞬かせた。
涙は塩水だと言い切ったばかりの自分に、そんな甘い言葉をかけるなんて。
でも、その言葉を聞いた瞬間、エリアナの目頭が少しだけ熱くなった。
「……おかしいですね。塩分濃度が少し上がってしまったようです」
エリアナはギルバートの胸に顔を埋め、小さく呟いた。
ダリウス城の正門前には、どこか物悲しい風が吹いていた。
雪はやんでいたが、どんよりとした曇り空は、これから王都へ強制送還される二人の未来を暗示しているようだった。
王家の紋章が入った馬車の前で、ボロボロになったドレスを纏ったマリアンヌが、最後の悪あがきを見せていた。
「いやぁ! 嫌ですわ! こんなボロ馬車に乗るなんて!」
彼女は馬車の扉にしがみつき、騎士の手を振り払おうと必死に抵抗していた。
その横では、テオドールが顔面蒼白で立ち尽くしている。
昨夜、エリアナに復縁は不可能と断言され、さらに横領の事実まで突きつけられ、完全に心が折れてしまったらしい。
「お願いします、辺境伯様! エリアナ様! 私、改心しますから! ここで働かせてください!」
マリアンヌがくるりと振り返り、見送りに来たエリアナとギルバートに向かって、その場に崩れ落ちた。
土下座に近い体勢。
そして、彼女の大きな瞳から、ポロポロと大粒の涙がこぼれ落ちる。
「うっ……、うぅ……。私、知らなかったんです……。商会の人に騙されていただけなんです……。こんなか弱い私を、寒い王都の牢獄に送るなんて、あまりに無慈悲ではありませんか……?」
彼女は震える肩を抱き、上目遣いで訴えかける。
その姿は、芝居がかってはいるが、守ってあげたくなるような儚さを演出していた。
かつて王都の社交界では、この涙一つで多くの貴族令息を味方につけ、エリアナを孤立させてきたのだ。
「……テオドール様も、何か仰ってください! 私たち、愛し合っていたじゃありませんか!」
マリアンヌがすがるが、テオドールは虚ろな目で「……胃が痛い」と呟くだけだ。
彼女は舌打ちしそうになるのを堪え、再びエリアナに向き直った。
「エリアナ様ぁ……! 同じ女性なら分かりますでしょう? 私、ただ愛されたかっただけなんです……! うっ、ひっ、ぐすん……」
嗚咽が響く。
騎士たちも、か弱い女性の涙を見て、少しだけ気まずそうに視線を彷徨わせた。
同情を引くための完璧な涙。
だが、エリアナは無表情のまま、懐からハンカチ……、ではなく、メモ帳を取り出した。
エリアナはマリアンヌの前に歩み寄り、しゃがみ込んだ。
そして、彼女の頬を伝う涙を、まるで実験対象を見るような冷徹な眼差しで観察した。
「エ、エリアナ様……? 許してくださいますの……?」
マリアンヌが希望を見出したように顔を上げる。
しかし、エリアナの口から出た言葉は、慈悲ではなく分析結果だった。
「……素晴らしい分泌量ですね。副交感神経が刺激され、涙腺から大量の液体が放出されています」
エリアナは眼鏡のブリッジを中指で押し上げ、淡々と告げた。
「ですが、マリアンヌ様。涙は所詮、水分と塩分の排出にすぎません」
「え……?」
「その成分の98%は水。残りはナトリウム、カリウム、アルブミンなどのタンパク質。……つまり、あなたが今流しているのは、体内の水分バランスを調整するための排泄物と同義です」
エリアナは立ち上がり、冷ややかに彼女を見下ろした。
「泣いたところで、横領したお金は戻りません。カビたチーズも元には戻りません。そして、失った信用も回復しません。……あなたのその涙には、生産性も、解決策も、何一つ含まれていませんよ」
マリアンヌの表情が凍りついた。
感情に訴える最強の武器を、ただの塩水と定義され、無効化されたのだ。
エリアナは踵を返した。
それが最後通告だった。
「……連れて行け」
ギルバートが短く命じる。
騎士たちが躊躇なくマリアンヌの腕を掴み、馬車へと押し込んだ。
「い、いやぁぁぁ! 離して! 私は被害者なのよぉぉ!」
扉が閉められ、鍵がかけられる。
テオドールも、半ば自ら逃げ込むように馬車に乗り込んだ。
彼にとって、エリアナの冷たい視線とギルバートの殺気に晒されるよりは、揺れる馬車の方がまだマシだったのだろう。
御者が鞭を振るう。
馬車は雪道を、王都へ向かって重々しく走り出した。
窓からマリアンヌの叫び声が聞こえていたが、やがて風の音にかき消され、何も聞こえなくなった。
「……終わったな」
ギルバートがぽつりと呟いた。
エリアナは遠ざかる馬車を見つめ、小さく息を吐いた。
「はい。……あの馬車の中は、きっと湿度が高くてカビやすいでしょうね。彼らが王都に着く頃には、互いの責任をなすりつけ合って、さらに腐敗が進んでいることでしょう」
「毒舌だな、お前は」
ギルバートは苦笑し、エリアナの肩を抱き寄せた。
その体温は温かく、安心感に満ちていた。
「よくやった、エリアナ。……お前のその、感情に流されない強さに、俺たちは救われたんだ」
「強さ、ですか? 私はただ、非効率なことが嫌いなだけで……」
言い訳しようとするエリアナを、ギルバートは強い力で抱きしめた。
雪の残る城門の前。
冷たい空気の中で、互いの鼓動だけが温かい。
「……計算高いお前も悪くない」
ギルバートが耳元で囁く。
「だが、俺の前では無理に計算しなくていい。……泣きたい時は泣けばいいし、笑いたい時は笑えばいい。俺が全部、受け止めてやる」
「……」
エリアナは目を瞬かせた。
涙は塩水だと言い切ったばかりの自分に、そんな甘い言葉をかけるなんて。
でも、その言葉を聞いた瞬間、エリアナの目頭が少しだけ熱くなった。
「……おかしいですね。塩分濃度が少し上がってしまったようです」
エリアナはギルバートの胸に顔を埋め、小さく呟いた。
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